第356話 『仲間』
(妙だ。ベラの動きが変わった)
グラディスが斧でベラの頭をカチ割るまで、あと9手というところまで迫ったその時、ベラの動きに変化が生じた。
豊富な戦闘の経験から、グラディスの頭の中では敵を仕留めるまでの道すじが明確に描き出されている。
だが今、その計算に狂いが生じ始めたのだ。
決して手加減はしていない。
全力で斧を振るってベラを追い詰める攻撃を繰り出していた。
しかし途中でベラの動きが急に良くなったように感じられ、実際にグラディスの攻撃を的確に避けるようになったのだ。
(いや……私の動きを先読みしている? 慣れてきたのか?)
グラディスは頭に浮かぶ疑問の答えを探しながら攻撃を続ける。
だが彼女がその答えに辿り着く前にベラの目の色が変わった。
ベラは両手で槍を握ると、グラディスの斧をかわした瞬間に勢いよく踏み込んで来たのだ。
それは先刻、ソニアが決死の突撃を見せた時と同じ表情だった。
その顔を見てグラディスはハッとする。
(そうか! ソニアの得意武器は斧だ。ベラは斧を持つソニアとの訓練経験が多いのか。だから……)
それを理解した時にはすでにベラが目前まで迫っていた。
だがグラディスは慌てない。
今さら斧を捨てて別の武器に持ち替えることは出来ないし、そんなことをするつもりは毛頭なかった。
あくまでも手にした武器で敵を葬るまでだ。
「ベラァァァァァ!」
グラディスは吠えながら斧を振り上げた。
狙いは槍を持つベラの両腕だ。
おそらくベラは相討ち覚悟で槍を繰り出してくるだろう。
その槍を握る両手を斬り落としてしまえば、もはやベラに成す術はない。
だが……。
「舐めんじゃねえ!」
ベラは槍を突き出そうとしていた両手のうち左腕を放し、そして槍を握った右手を後ろに回す。
そして左前の半身の態勢となったその瞬間、グラディスの振り下ろした斧がベラの顔左半分から左の太ももにかけて斬り裂いた。
ベラの左目が潰れ、左の鎖骨が砕かれる。
そして左頬、左胸、左の太ももが斬り裂かれておびただしい量の血が噴き出した。
だが、ベラは悲鳴を上げなかった。
残った彼女の右目は戦意の炎を宿して爛々と輝いたままだ。
それを見たグラディスの頭の中に危険を知らせる警鐘が鳴り響く。
(こ、こいつ! 瞬間的に後ろに半歩下がって……)
グラディスは自分の振り下ろした斧が、わずかに手ごたえが浅かったことを瞬時に悟った。
次の瞬間、ベラが右手で繰り出した渾身の槍の一撃がグラディスの首を貫く。
だが、グラディスの攻撃がほんのわずかに浅かったのと同様に、後方に半歩下がっていたベラの槍は、グラディスの首の左側を抉るに留まった。
「ぐうっ!」
ほんのわずかにグラディスが頭を右にずらしたのだ。
だが傷は浅くなく、グラディスの首からは激しい血が噴き出す。
それでもグラディスは倒れなかった。
一度振り下ろした斧の刃を返し、それを振り上げてベラの胸を斬り裂こうと振り上げる。
しかしベラは力を失ったかのように背後に倒れていき、斧の刃は空を斬った。
ついに力尽きて立っていられなくなったのかと思ったグラディスだが、自分のその考えが浅かったことに気付いて愕然とする。
「なっ……」
後方に仰向けで倒れていくベラは、口元に笑みを浮かべて言ったのだ。
「アタシは……1人じゃねえんだよ。バーカ」
そう言って倒れたベラの後方十数メートルのところには納屋がある。
その納屋の開いた扉の中に双子の弓兵ナタリーとナタリアの姿があった。
そしてその2人の間に置かれていたのは巨大弓砲であり、そこから猛烈な勢いで巨大矢が射出されたのだった。
☆☆☆☆☆☆
(ここだ! ここで決める!)
ベラはグラディスの振り下ろした斧によって、自分の体の左半分が斬られた痛みを不思議と感じなかった。
それよりも自分が一撃で即死しなかった幸運を喜んだのだ。
咄嗟にわずかに半歩下がったことで、グラディスの攻撃はベラを一撃で仕留められなかった。
そしてベラにとっては決定的な好機が生まれたのだ。
ベラは右手に握った槍をグラディスの首を目掛けて思い切り突き出す。
だが、半歩下がったことは反作用も生み出していた。
グラディスがほんのわずかに頭を傾けたことで、ベラの突き出した槍の穂先は、グラディスの首の真ん中を貫くことが出来ずに左に逸れたのだ。
それでも深く抉られたグラディスの首の左側からは血が噴き出した。
致命傷となり得る傷だが、一撃で倒せなかったことで今度はベラに隙が生じてしまう。
グラディスの目からは戦意が失われておらず、振り下ろした斧の刃を返す音が聞こえた。
ベラは決死の一撃が届かず、逆に自分が今度こそ絶命の一撃を受けるのだと悟る。
(くっ! ここまでか……)
その時だった。
「ベラ先輩! 後ろに倒れろぉぉぉぉぉ!」
聞き慣れた後輩の声にベラは反射的に後方に倒れ込んでいく。
「アタシは……1人じゃねえんだよ。バーカ」
倒れ込みながらそう言うベラのすぐ鼻先を掠めるようにして、グラディスの斧は空を切った。
グラディスの目が脅威に大きく見開かれる。
次の瞬間、バシュッという聞き慣れた音がして、倒れ込むベラの真上を巨大な一本の矢が飛んだのだった。
☆☆☆☆☆☆
ナタリーとナタリアは共に片足に重傷を負いながら、必死に目的の納屋へと急ぐ。
ベラとグラディスの死闘が続いていた。
だが、ベラ1人では殺されてしまう。
そう思った彼女たちは今の自分たちに何か出来ることはないかと考え、すぐに一つの答えに辿り着いた。
彼女たちが向かう先は、先日あるものを格納した納屋だった。
納屋の扉を開け放った双子は、そこに目的のそれが置かれているのを見て頷き合った。
そこに収められているのは、古くなって使わなくなった旧式の巨大弓砲だった。
改良した新型の巨大弓砲が量産され、東の防衛線に配備されたので、この旧式はお蔵入りとなったのだ。
以前に分家のバーサに攫われたボルドの救出作戦において初めてお披露目されたそれは、硬い弓弦を人力で引かなくてはならず、命中精度も新型に劣るため、使われなくなった経緯がある。
「こいつを解体せずに残しておいた甲斐があったな」
「ああ。けど残ってる巨大矢はこれだけだぜ?」
巨大弓砲の脇に置かれている巨大矢は古く、すでに錆びて朽ちかけている。
だが双子は躊躇しなかった。
それを取り上げるとすぐに巨大弓砲に番える。
特殊な樹脂をより合わせて作られた弓弦は、手入れされていないために硬くなっていたが、双子は力を合わせてそれを引く。
重症の片足に力が入らず、弓を引く手が小刻みに揺れた。
それでも双子は歯を食いしばる。
「やるぞナタリー。一世一代の大仕事だ。これを命中させずにダニア最強の弓兵は名乗れねえぞ」
「分かってるぜナタリア。一発必中だ。アタシらの編み出したコイツであのデカ女を仕留めてやる」
そこで2人は見た。
ベラが決死の攻撃に打って出たことを。
だがベラの一撃はわずかに浅く、グラディスを仕留めることが出来なかったのだ。
それを見た2人は合図をすることもなく、以心伝心で同じ言葉を叫んでいた。
「ベラ先輩! 後ろに倒れろぉぉぉぉぉ!」
そしてベラがその声を聞き取っていると信じ、双子はグラディスに狙いを付けて巨大弓砲の弓弦を渾身の力で引き、必殺の一撃を撃ち放った。




