第345話 『弓兵たち』
「クローディア。どうかここでの戦いには参加しないでいただきたい」
繰り広げられる戦いを目の当たりにして剣を手に取ったクローディアにそう言ったのは、参謀として付き従うオーレリアだった。
クローディアは厳しい顔で唇を噛みしめる。
それでもオーレリアを睨むことも文句を言うこともしないのは、彼女の言葉が理解できるからだ。
今、クローディアは来たる黒き魔女アメーリアとの再戦に向け、体を少しでも回復させ力を温存しておかなければならない。
それに迫る敵兵のこれだけの人数相手に、彼女が剣を持って飛び出したところで、焼け石に水にしかならない。
1人で千人の敵を斬れるわけではないのだから。
それでも味方の危機に女王である自分が力を振るうことが出来ないことは、クローディアをひどく苛立たせた。
そんな彼女の心情を慮り、オーレリアは演台の上から部下たちに向かって声を上げる。
「敵兵の層が厚い箇所にこちらも兵を集めよ! 目の前の敵を撃退しつつ、防衛線を徐々に下げる!」
敵兵の集団はまだ演台からは遠く、敵の放つ弓矢は届かない。
だが、押し寄せる敵の数は多く、防衛線をそのまま維持するのは不可能だろう。
オーレリアは指揮をとりながらクローディアに言う。
「少しでも多く敵の数を削ります。それに新都の中に呼び込めば、各種の罠も発動できますし。しかし……最後は消耗戦になるでしょう。それでもクローディアはアメーリアを討つことだけをお考え下さい。それだけはあなたとブリジットにしか出来ないことですから」
オーレリアの言葉に頷き、クローディアは自分を落ち着かせるように大きく息を吐いた。
最後まで抵抗したとしても、数で劣る統一ダニア軍は最終的に潰されるだろう。
だがアメーリアを討ち、その首を敵の前に掲げることが出来れば、敵軍の戦意が大きく落ち込むことは間違いない。
敵軍はアメーリアの恐怖政治に仕方なく従っている者も多いと聞いているからだ。
その元凶たるアメーリアが死ねば、戦う理由を失くす者も少なくないだろう。
(もちろん楽観視は出来ない。だけどワタシたちが勝つためにはアメーリアを倒すことは避けて通れない)
これまで幾度もアメーリアと対戦してきたが、一度として勝利を確信できたことはなかった。
だが間違いなく次の戦いが最後になる。
黒き魔女が死ぬか、それとも自分たちが死ぬか。
決着はそのどちらかしかない。
「オーレリア。何とか皆を導いてあげて」
この状況ではそれも無理難題としか思えなかったが、オーレリアは迷うことなく応えた。
「はい。お任せ下さい」
そしてオーレリアがすぐに部下たちに追加の指示を出そうとしたその時だった。
戦場にパンと乾いた爆発音が響き渡ったのだった。
☆☆☆☆☆☆
(焙烙火矢か!)
グラディスの頭上に飛んできた矢を見た瞬間そう悟り、ベラとソニアは反射的に後方に飛んで身を伏せていた。
それはグラディスの頭上数メートルのところでパンッと乾いた音を立てて炸裂する。
そして引火した油がグラディスの頭上から降り注いだ。
「ぐおっ!」
だがグラディスは咄嗟に大剣を振るって風圧と刀身でその油を振り払った。
だがそれでも細かい油の粒がグラディスの腕や足に降り注いで引火する。
「くそっ!」
グラディスは即座に地面に転がって体を土に押し付け、すばやくこれを消し去った。
だが、その隙を見逃すベラとソニアではない。
すぐさま立ち上がっていち早くグラディスに迫ったベラが、グラディスの首を串刺しにしようと槍を振り下ろした。
「死ねっ!」
「チッ!」
しかしグラディスはさらに転がってそれをかわす。
しかしそこに詰め寄っていたソニアが斧を振り下ろした。
咄嗟に身を起こしたグラディスは握っていた大剣を振り上げ、これを防ぐ。
だが、ソニアはそんなグラディスの顎を思い切り蹴飛ばした。
「くはっ!」
「さっきの礼だ」
ソニアに蹴り飛ばされたグラディスは、唇から血を流しながらもすぐさま起き上がる。
その体から火は消えていたが、腕や足に着けている革の防具が黒く焦げ、白い煙を上げている。
グラディス自身もダメージはあったはずだ。
ベラとソニアはこの機を逃さんとばかりに一気呵成に襲い掛かる。
後輩たちの横やりがあったおかげとはいえ、こんな好機はめったにない。
ベラもソニアも集中していた。
「ハァッ!」
「オラァッ!」
2人の連携攻撃をグラディスは大剣できっちり受け切るが、先ほどのように足技を繰り出す余裕はない。
ベラとソニアは気付いていないが、間近で爆発音を聞いたことでグラディスの聴覚に異常が生じていた。
そして鋭い聴覚によって音を聞き取り、戦闘に活かすグラディスにとって感覚を狂わせるそれは忌々しいものだった。
(くそっ。耳が元に戻るまで時間がかかる。こざかしい真似を)
この状況でもベラとソニアの攻撃を受け切ることは出来る。
だが反撃する余裕は無くなるだろう。
しばらくは防戦を強いられることになる。
苛立つグラディスは突撃する部下たちに声を荒げて命じた。
「櫓の上の弓兵どもを引きずり下ろせ! 特に双子の女は率先して殺せ!」
そう言うとグラディスはひたすら防戦に徹する。
頭上からは矢が降ってくるため、グラディスは先ほどまでより動き回り、これを回避した。
耳で矢の音を聞き取りにくいため、目で頭上をも確認しなくてはならない。
さすがにこの状況では反撃は困難だが、彼女は持久力には自信があった。
このまま聴力が回復するまで防御に徹し続けても倒れない自信が。
(あの洞窟での8時間に比べれば楽なものだ)
一方のベラとソニアはグラディスが防戦一方で反撃してこない状況にいきり立つ。
「どうしたグラディス! もうヘバッたのか!」
だがベラの挑発にもグラディスは顔色を変えずに防御を続ける。
状況は膠着しつつあった。
☆☆☆☆☆☆
「チッ。あの焙烙火矢、不良品だろ。着弾前に爆発しちまったぞ!」
そう悪態をつくナタリーにナタリアは下を見ながら言った。
「んなこと言ってる場合じゃねえぞ! 奴らここまで来やがった!」
妹の言葉に下を見ると、敵兵が櫓の下で守る衛兵たちと小競り合いを始めている。
そして敵兵の1人が櫓の上に向けて矢を放ち始めた。
「チッ! 弓兵が矢でやられたらいい笑いものだぜ!」
双子は頭を下げて矢を避けるとすぐさま立ち上がり、真下の敵兵たちを矢で射殺していく。
「けど、このままだとこの櫓ももたねえぞ」
ナタリアの言う通り、続々と敵兵が櫓に向かって押し寄せてくる。
下にいる衛兵たちではとても守れそうにない。
「くそっ! 防衛線はどうなってんだ!」
前方に展開する防衛線では、統一ダニア軍が懸命の奮戦を見せているが、数で大きく勝る南ダニア軍は殺された味方の屍を踏み越えて、あちこちから侵入してきた。
綻びのある堤防からあちこち水が流れ込むかのような様子に、双子は共に唇を噛む。
そしてそうこうしているうちに、櫓の下の衛兵たちが敵兵に飲み込まれるように倒れされてしまった。
そして敵兵らはナタリーらの乗る櫓に次々と取り付き、上って来ようとする。
だがそれを簡単に許す2人ではない。
「くそっ! やらせるかよ!」
双子を含む、櫓の上に陣取る8名の弓兵らは、上って来ようとする敵兵を次々と射殺していく。
だが、それを見た敵兵ら上るのをあきらめ、皆で櫓の脚を押し始めたのだ。




