第341話 『天の雷』
アデラが鳥使いの古流奥義・天雷を敢行した。
夜鷹の時とは比べ物にならないほどの速さで飛ぶ隼の群れは、ドローレスを跳ね飛ばしたのだ。
だが、ドローレスは左腕に隼の突撃を受けてひどい負傷をしたものの、再び立ち上がった。
ギリギリのところで体への直撃を避けたのだ。
「と、咄嗟にあれを避けたのか。何て奴だ……」
そう言うウィレミナの隣でアデラは呆然と立ち尽くした。
決死の一撃で相手を仕留め切れず、切り札を使い切ってしまった。
「まさかそんな……」
そう言いかけたアデラはハッとした。
ドローレスが左腕の痛みに顔をしかめているその瞬間、近くで地面に膝をついていたジリアンとリビーがドローレスの左右の足に飛びついてこれを押さえ込んだのだ。
ひどく傷付き、重い疲労で動けない2人だが、決死の形相でドローレスの両足にしがみつくと、あらん限りの声を張り上げた。
「アデラ! もう一度だ! もう一度今のやつをやれ!」
「獣女をぶっ殺せ!」
アデラは考える間もなく反射的にもう一度、口笛を吹いていた。
天雷を繰り出したため、隼たちは疲れている。
本来、連発は出来ない技なのだ。
一度目からそれほど間を置かずに二度目を繰り出せば、隼たちの疲労のために、精度も速度も一度目には及ばないだろう。
それでも今、この瞬間しかなかった。
仲間たちが体を張ってドローレスの動きを止めてくれている。
俊敏で強靭なあの獣女を倒す機会は、ここをおいて他にない。
アデラは全身の肌が粟立つのを感じながら、懸命に自身の神経を研ぎ澄ませていく。
(集中しろ。集中するんだ。一羽でも犠牲を少なくするために)
隼たちは二度目だというのにアデラの指示に忠実に従ってくれた。
アデラは吹き慣れた口笛を操り、今度こそ狙いを外さないという決意で、痛む拳を天に向かって突き上げる。
空から再び舞い降りる隼を見据え、アデラは我を忘れて声を上げていた。
「いけぇぇぇぇぇ!」
ドローレスは両足にしがみついている2人を振りほどこうと暴れていたが、ジリアンもリビーも髪を引っ張られようが頭皮に爪を突き刺されようが、死に物狂いでその足を押さえつけて逃がさない。
そして……今度こそドローレスの体が、流れ来る天雷の奔流に飲み込まれていく。
猛スピードで突っ込んでくる隼たちの嘴がドローレスの顔、首、腕、胴を削った。
「アギャアアアアアアッ!」
ドローレスの甲高い悲鳴が響き渡り、隼たちがその体を通り過ぎていく。
ドローレスは腰から上を隼たちにボロボロにされ、全身血まみれとなりながら立ったまま動かなくなった。
ジリアンとリビーは歯をくいしばりながら必死にドローレスの足を押さえつけている。
そんな彼女のすぐ傍に、哀れにも自らの身を犠牲にした隼の死骸がいくつも落ちて来た。
ドローレスの動きが止まったことにジリアンとリビーは顔を見合わせ、頭上を仰ぎ見る。
すると首や顔の肉を削ぎ取られたドローレスが、口から盛大に血を吐き出した。
その血を頭から浴びた2人は、恐る恐るドローレスの足を放す。
ドローレスの体は支えを失い、仰向けに地面にドサッと倒れた。
その顔を見たジリアンとリビーは互いに顔を見合わせ、手と手を打ち鳴らす。
「……よ、よっしゃあ!」
「ワタシらの勝ちだ!」
天を仰ぐ格好で倒れ込んでいるドローレスは、その顔に断末魔の表情を貼り付かせたまま息絶えていた。
新都を混乱に陥れた獣女ドローレスは、ついにその命に終止符を打たれたのだった。
☆☆☆☆☆☆
「今日も殺して殺して殺しまくる一日が始まるな」
夜が明ける1時間ほど前に目を覚ましたグラディスは、雨除けの天幕の下で揺れる焚火を見つめながら、腹の底に湧き上がる闘志が衰えていないことを感じて満足げに微笑んだ。
すでに数日に渡る攻防が続き、兵たちには疲れも見え始めている。
統一ダニア軍の放つ巨大弓砲の巨大矢に阻まれて、南ダニア軍はいまだに新都の防衛戦を突破できずにいた。
だが、同僚のイーディスがもたらした情報により、その巨大矢も今日中には尽きることが分かっている。
その情報はすでに全軍に通達され、これまでになく兵たちの士気は高まっている。
これならば十分に戦えるとグラディスは確信を得ていた。
イーディスとは水と油のような関係だったが、その情報収集能力の高さにはグラディスも一定の敬意を払っている。
黒き魔女アメーリアには腹心の部下が3人いる。
そのうちの1人が暗殺者イーディスだ。
砂漠島において彼女はその美貌で多くの男たちを手玉に取った。
そのせいで自分の男を寝取られた女たちから恨みを買っていたが、イーディスを殺してしまおうという女たちの暗殺策をくぐり抜け、逆に相手を殺して見せていた。
そうした強かさと奸智に長けた狡猾さをアメーリアに買われ、イーディスは黒き魔女の腹心の部下となったのだ。
そしてもう1人は獣女のドローレスだ。
グラディスは直接的に関わりが少ないが、その戦闘能力は目を見張るものがある。
砂漠島で田畑を荒らして獣同然の暮らしをしていただけの彼女を捕まえて手なずけ、異形の戦士に育て上げたのがアメーリアだった。
「よくあのような獣女を配下にしたものだ。アメーリア様はやはり計り知れぬ。だが……この軍の軸はこの私だ」
グラディスにはそうした自負があった。
身長210センチにして体重は130キロを超え、屈強なダニアの女の中でも一際大きな体格に恵まれている。
そして誰よりも勇敢で誰よりも武芸に秀でていた彼女は、アメーリアの実力に感服してその配下になることを自ら申し出たのだ。
アメーリアはそんな彼女に過酷な試練を課した。
逃げ場のない洞窟の中で、100体の死兵を相手に不眠不休で戦い続けて無事に生き残る。
それまでその試練を受けた者は十数人に上ったが、誰一人として生きて洞窟を出た者はいなかった。
だが、グラディスはその試練に生き残ったのだ。
彼女は100体の死兵をわずか8時間で全て叩き潰し、生きて洞窟を脱出したのだ。
そしてアメーリアはその強靭な心身を持つグラディスに、自分に次ぐ2番手の地位である将軍職を与えたのだ。
それゆえにグラディスはイーディスやドローレスではなく自分こそがこの軍を先頭で引っ張る役目を負っていると自認している
だがグラディスはまだ知らない。
すでにイーディスもドローレスも戦場に倒れ、その命は尽きたということを。
だが仮にそれを知ったとしても彼女のやるべきことは変わらない。
空はすっかり白くなり、先ほどまで降っていた雨はいつしか止んでいた。
そして日の光が雲間から差し込んで来るのを見ると、グラディスは剣を手に立ち上がり、声を上げた。
「夜が明けた! 今日が決着の日だ! 勝って新都を奪い取るぞ!」
グラディスの号令に多くの部下たちが声を上げて呼応する。
この日、戦は決着を迎えることになる。
攻める南ダニア軍と守る統一ダニア軍。
どちらに戦勝の天秤が傾くのか誰にも分からぬまま、赤毛の女戦士たちは運命の一日を迎えることとなるのだった。




