第339話 『ジリアンとリビー』
(うぅ……)
頬を打つ雨粒の感触にウィレミナは目を覚ました。
だが、自分が一体どういう状況にあるのか彼女にはすぐに理解できなかった。
ウィレミナは今、大地に仰向けに横たわり、空を見上げている。
すでに闇は薄く、明るくなりつつある夜明け前の空からは雨が降り続いていた。
時折聞こえてくる雷鳴は先ほどより遠ざかっているように思える。
そこでウィレミナはハッとして身を起こした。
(そうだ……ドローレスと戦っていて……)
そこからの記憶がない。
ふと振り返るとそこにはアデラが座り込んでいた。
すぐ隣に傷付いたヒクイドリを座らせ、その背を優しく撫でていた彼女は、ウィレミナが目覚めたことに喜びの声を上げる。
「ウィレミナさん!」
「アデラさん……アタシは……」
そう言うウィレミナはすぐ近くに護衛の兵士3人が倒れていることと、彼女らがすでに息絶えていることを知り、愕然とした。
そんな彼女にアデラは状況を説明する。
落雷。
息絶えた者と助かった者。
そして……。
「あの2人は……」
ウィレミナは前方数十メートルのところでドローレスと戦う2人組を見て、驚きに目を見開いた。
ジリアンとリビー。
その顔はウィレミナも覚えている。
特命を受けたアーシュラを守るためにクローディアに護衛役として任命された2人だ。
「あ、あの2人がここにいるということは、アーシュラさんは任務を成功させたのですか?」
それは敵の援軍を寝返らせ、自軍の援軍として連れ帰るという壮大な任務の成功を意味することとなり、そうなれば劣勢を強いられてきた統一ダニア軍は一気に形勢を逆転できる。
だが、アデラは首を横に振った。
「まだ何も……事情の説明を受けている暇もありませんでしたので」
「そ、そうですか……」
ウィレミナは一瞬、浮き上がりかけた自身の気持ちを戒めるように口を引き結んだ。
もしかしたら任務に失敗して、あの2人だけが命からがら戻って来たのかもしれない。
とにかくここでドローレスを撃退できなければ、この場にいる皆に待つのは死あるのみだ。
ウィレミナは自身の手にまだ力が入らず、幾度も拳を握っては開く。
それを見たアデラは表情を曇らせた。
「命は助かりましたがウィレミナさんは間近で落雷を受けたのです。しばらくは体を動かしにくいと思うので、無理をなさらずに」
アデラの言葉にウィレミナは死んだ仲間たちの骸を見やった。
一つ間違えれば彼女らと同様に自分も死んでいただろう。
生死を分けたのはただの運だ。
自分はたまたま助かっただけに過ぎない。
そう痛感するウィレミナは前方の戦いを見つめる。
「……あの2人に託すほかありませんね」
「はい。でもあの2人、すごく強いです。ドローレスを相手に踏ん張っています」
先ほどから2人の戦いを見守ってきたアデラは真剣な面持ちでそう言う。
ウィレミナは2人の戦いぶりを見た。
ドローレスの速さに押されながらも、2人は攻守に役割分担をして息の合った連携を見せ、大きく崩されない。
バランスの取れた達者な戦いぶりだ。
「オーレリア様から聞いたことがあります。ジリアンとリビーは分家を追放される前は非常に優秀な戦士だったそうです。追放されることになった事件は男がらみの揉め事だったそうですが、あの2人だけで十数人の同胞たちを全員、足腰立たなくなるほどに叩きのめしてしまったと聞きました。その行為の是非はともかく、相当な実力者なのだと思います。あの動きを見る限り、ベラさんやソニアさんに匹敵するほどかと」
ウィレミナの言葉にアデラは納得した。
だが、その2人をもってしてもドローレスを討ち取れずにいる。
ドローレスの頑健さにアデラはあらためて戦慄を覚えた。
(ドローレス。ずっと戦い続けているのに……何て体力なの)
だが、勝機はある。
アデラは空を見上げた。
雨空のために太陽こそ出ていないが、もう後10分もすれば完全に夜が明けるだろう。
そして雷はすでに遠く、雨の勢いも弱まってきた。
それが完全に止むことを祈りつつ、アデラは前方の戦いを見守るのだった。
☆☆☆☆☆☆
ジリアンとリビーは戦いながら肌が粟立つのを感じていた。
目の前にいる敵は間違いなく自分たちが今まで相手にした敵の中では最強だろう。
奇妙な獣女のドローレス。
その戦い方は人間離れしていて、これほど戦いにくい相手はいない。
少しでも気を抜けばあっという間に攻撃を受け、槍を用いた攻撃役のジリアンはともかく、長短2本の剣で盾役を務めるリビーはあちこちに傷を負わされていた。
頃合いを見計らって2人は互いの武器を交換して役割を交代する。
だが、常に全力で戦い続けることを強いられるため、2人の体力は著しく削られていく。
「この野郎!」
リビーは額から流れ落ちる汗を振り払うように、鋭い槍の突きをドローレスに浴びせかけた。
つい先ほどまでドローレスはそれを避けていたが、今度はその穂先がわずかにドローレスの肩の皮膚を削る。
手ごたえは大したことないものの、リビーはドローレスの変化を感じ取り、ジリアンと顔を見合わせて頷いた。
ドローレスの動きが少しずつ鈍くなっているのだ。
戦い続けて体力が低下しているというのもあるが、これまでの戦いでドローレスは少なくない手傷を体のあちこちに負っている。
一つ一つは大きな傷ではないが、体全体からの出血の量が徐々に増えているのだ。
(血を流し過ぎているんだよ。おまえは)
リビーはグッと歯を食いしばると、自慢の腕力で槍を小刻みに突き出した。
ドローレスはそれを避け切れず、腕や足に傷を負って喚く。
「ギャオッ!」
適切な止血処置もせずに興奮状態で戦い続けたドローレスは、自分でも知らぬうちに体が危機状態に陥りつつあるのだ。
そのため先ほどまでは避けられていた2人の攻撃が、徐々にドローレスの体を掠めるようになっていた。
このままいけばやがてドローレスは動けなくなるだろう。
だが……。
「チッ! こっちもこのままじゃ持たないぜ!」
リビーは汗まみれになって肩で息をしながらそう吐き捨てる。
全力疾走で長い距離を走り続けられる者はいない。
「一気にたたみかけるしかねえ!」
リビーは大きく息を吸い込むと、気合いの声を発して槍を突き出した。
ここが勝負どころと見たジリアンも盾役を放棄し、2本の剣による攻撃に移る。
2人がかりで猛然と攻撃を仕掛けられ、ドローレスは初めて劣勢に立たされた。
疲労と出血のために体が思うように動かず、彼女は2人の刃を避け切れずにひたすら後退し始めた。
「逃げるんじゃねえ!」
ジリアンとリビーはそれを追いかけるが、一目散に逃げていくドローレスの速さには追いつけずに引き離されていく。
だが、走り続けるドローレスの腰帯から何かがポトリと零れ落ちた。
それを見るとドローレスはいきなり足を止める。
そしてその何かを口で咥えると、それを美味そうに貪り食った。
「何だ? 何を食っていやがる?」
追うジリアンとリビーは怪訝な表情を見せた。
それがアメーリアがドローレスの腰帯にあらかじめしまい込んでいた、興奮剤入りの干し肉だとは、2人が知る由もない。
それを食い終えたドローレスはそれ以上、逃げることはしなかった。
それどころか追いかけるジリアンとリビーに向かって猛然と走り出したのだ。




