第335話 『強敵』
「大方、片付いたな。状況の報告を」
雨が降り出した深夜の平原。
新都南のそこでは、統一ダニア軍の騎兵部隊が戦いの後処理に追われていた。
部隊を指揮するのは紅刃血盟長のオーレリアだ。
敵方である南ダニア軍の生き残り部隊はすでに東へと逃走している。
オーレリアはこれを深追いさせることなく、自軍の兵士たちを現場に留まらせていた。
敵兵の中には逃げ遅れた者たちも100名近くいる。
そのうち抵抗する者は容赦なく殺し、武器を捨てて投降した者は捕虜として新都に連行することにした。
そうした作業を見守るオーレリアの元に各方面からの報告が上がってくる。
それを泰然とした表情で聞くオーレリアだが、最後の報告には顔色を変えた。
「鳶隊の特務部隊を迎えに行ったウィレミナ、アデラ、その他4名がまだ戻りません」
「なに?」
ウィレミナはブリジットと共にボルドの救出に向かった。
そして現地でボルド救出に当たっていたアデラと合流し、そこからさらに鳶隊の面々と合流を果たした後に帰還する予定だったのだ。
だがまだ彼女たちは戻っていないという。
「すぐに10名の捜索部隊を出せ」
オーレリアは即座に部下たちに命じて、ウィレミナらを探させることにした。
ウィレミナはこんなところで死んでいい人物ではない。
彼女の力はこの戦いに勝利した後にこそ必要になるのだ。
「ウィレミナ……死ぬなよ」
オーレリアは目をかけている若き才女の無事を祈り、自らの職務に立ち戻るのだった。
☆☆☆☆☆☆
母の仇であるイーディスを打ち倒したウィレミナは、仲間たちと共に帰還しようとしていた。
「明日の朝になったら仲間たちの亡骸を回収しないと」
戦時中に死んだ者たちの骸は、戦いが続く間は放置されることが多くなる。
だが腐敗が進めば疫病の原因となってしまう恐れがあるし、何より死んだ仲間の体は出来るだけ綺麗なうちに埋葬したいというのが心情だ。
まずは勇敢に戦って散った鳶隊の面々を弔ってやりたい。
そう思ったその時、ウィレミナはふいに異変を感じて後方を振り返る。
急に吹き抜ける強い風に乗って、強烈な獣の臭いが漂ってきたのだ。
イーディスとの戦いで意識的にアデラから離れるようにしていたため、鳶隊の遺体が横たわる場所からはすでに100メートル以上離れている。
闇の中なのでハッキリとは見えないがアデラはあの場所にいるはずだ。
そして……闇の中でもわずかに見える異様な人影が、アデラのいる場所に近付いているのが見えた。
それは人の体を持ちながら四足歩行でソロリソロリと獣のように移動する赤毛の女だった。
その姿にウィレミナは息を飲む。
「け……獣女のドローレスだ」
アデラが危ない。
そう察知したウィレミナは仲間たちと顔を見合わせ、雨の降る中すぐに馬を走らせた。
☆☆☆☆☆☆
アデラは獣女のドローレスと対峙したまま、その場から動くことが出来ずにいる。
以前に山野での訓練の最中に子連れの熊と出くわした時のように、じっと相手の目を見たままそこから微動だにしない。
背を向けて逃げ出せばあっという間に追いつかれてしまうだろう。
かといって1人で立ち向かって勝てる相手ではないことは、足元に横たわる仲間たちの遺体を見れば明白だった。
アデラとて鳥を使えなければダニアの戦士としては並み以下の戦闘能力しか持ち得ない。
「グルルルル……」
ドローレスは目をギラギラとさせてアデラを見据えている。
アデラはそんな彼女越しに後方の暗闇を見つめた。
空の闇は黒から青へと薄く転じつつあったが、夜明けまではまだ一時間近くかかるだろう。
(天雷が……通じなかった)
つい先ほど夜鷹で敢行した天雷を、ドローレスは完全に回避してみせた。
あの技は鳥たちの体力が著しく低下するため、連発はできない。
そしてもう一度行ったとしても、おそらくドローレスには避けられてしまうだろう。
アデラは唇を噛んだ。
(隼が使えれば……)
隼を使った天雷は暗い夜のうちには使えない。
しかし夜が明けるのを相手が待っていてくれるはずはない。
現にドローレスはジリジリとこちらと距離を詰め始めた。
アデラは覚悟を決めて指笛を吹き鳴らす。
不思議な抑揚のそれは、天雷の時とは違った音色で夜空に響き渡った。
(……間に合うかどうか)
それを聞いた途端、ドローレスが不快そうに首を振り、唸り声を上げる。
「ウガウッ!」
アデラは手に握る小刀に力を込めた。
その時、後方から複数の馬の足音が響き渡る。
(ウィレミナさんたちだ!)
そう確信するアデラは振り返らずにドローレスを睨みつける。
そんな彼女の背に声がかかった。
「アデラさん!」
現れたウィレミナたちはアデラを守る様に騎馬でその前に躍り出た。
だがそこでドローレスが先頭の馬に向かって襲い掛かる。
「このっ!」
騎馬に乗る護衛の兵は手にした槍を鋭く振り下ろして迎撃するが、ドローレスは信じられないほど低い姿勢でほとんど地面の上を滑るように移動してこれを避ける。
そしてその鋭い爪で騎馬の尻を削った。
途端に馬が嘶いて暴れ、護衛の兵は地面に振り落とされる。
「ガウッ!」
ドローレスは馬に襲いかかるとその喉笛に食らいついた。
その勢いに負けて馬は地面に横倒しに転がる。
ドローレスは鋭い歯で馬の喉を噛みちぎった。
馬は首から血を噴き出しながら、力なくその場で体を痙攣させる。
あまりにも人間離れしたその所業にウィレミナは唇を噛んだ。
(あんな異様な戦士はこの世に2人といない)
四つん這いで地面を獣のように速く移動し、その鋭い攻撃は荒々しいだけでなく正確だ。
こんな相手と戦ったことのない自軍の兵士にとって、ドローレスは先ほどのイーディスよりもさらに強敵だった。
その低い姿勢は馬上から槍を突き下ろしても、とても捉えられるものじゃない。
「馬では無理だ!」
ウィレミナはそう言うと馬を降りて、2本の湾曲刀を手にドローレスに対峙する。
さすがに鋭い牙と爪を持つドローレスを相手に徒手空拳で立ち向かうのは危険だった。
だが、ウィレミナは先ほどのイーディスとの戦いで相当に疲弊しており、この状態でドローレスに立ち向かうのは無謀だと自分でも分かっている。
(それでもやるしかない)
しかしドローレスの動きはウィレミナの想像以上だった。
馬を逃がして地面の上でドローレスと対峙する護衛の兵3人は、その速さと変則的な動きに翻弄され、ついていくことすら出来ない。
彼女たちが振るう武器はことごとく空を切り、逆にドローレスの爪を受けてあっと言う間に追い詰められていく。
「うおっ!」
「ぐうっ!」
ウィレミナは仲間たちに加勢すべく、動き回るドローレスに向けて湾曲刀を振るった。
だが今の彼女ではドローレスの動きを捉えることは出来ず、その反撃の爪を必死に避けようとして足がもつれ、地面に尻もちをついてしまう。
「くっ!」
そこにドローレスが一気に襲いかかった。
だが……真横から猛然と駆け寄って来た何者かがドローレスに体当たりを浴びせて吹き飛ばす。
「ガウッ!」
ドローレスに当て身を浴びせてウィレミナを救ったのは、黒い体毛と首から上に色鮮やかな肌を持つ大型の鳥だ。
そこに現れたのはアデラが呼び寄せたヒクイドリだった。




