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第333話 『弔いの雨』

「ぐぅぅぅぅ!」

「逃がすものか」


 ウィレミナは渾身こんしんの力を込めてイーディスの首をめ上げた。

 背後から回り込んだ敵の片腕に自分の片腕をからませて動きを封じ、もう片方の腕で首をめ付ける。

 これをやられると相手は首をめられて苦しい中で、片腕の動きを封じられて抜け出すことが難しくなるのだ。

 ユーフェミアと2人だけで行った秘密の訓練の中で、ウィレミナはこの技で幾度となくユーフェミアを負かしたことがある。


 どの武器を使っても一流にはなれなかったウィレミナが、たった一つだけ一流になれる才能を見つけたのだ。

 それは武器を持たない徒手空拳での戦いだった。

 ダニアの戦闘訓練では本家も分家も武器による戦いの他に、素手での格闘戦は必ず組み込まれている。


 ただし武器を使った訓練に比べると、その訓練頻度は決して高くはなく、そのためにかれる時間も多くはない。

 実際に戦場で敵と素手で戦うことはほとんどないからだ。

 しかし万が一、敵と1対1となった時、武器を持っていない場合に生き残れる可能性を少しでも高めるには、素手での戦いの技術を高めておくことが重要になる。


 ウィレミナはこの素手での戦いにおいて、他の武器を使う際には見せなかった非凡な才能を見せた。

 どの武器を持ってもしっくりこなかった彼女は、自分の手足を使った戦いの中に、初めておのれの優位性を見つけたのだ。

 打撃、関節技、め技。

 その全てがユーフェミアを思わずうならせるほどの精度の高さを誇った。

 自信を失っていたウィレミナのために、ユーフェミアは通常の訓練の中では短い時間しか行われない素手での格闘訓練を、2人だけの時に繰り返したのだ。


(母様。母様に教えていただいたこの技術で、必ずあなたのかたきを討ちます。見ていて下さい!)


 ポツリポツリと雨が降り出す中、ウィレミナは全身全霊の力でイーディスの首をめ上げる。

 イーディスは苦しげに、残った片方の手でウィレミナの腕につめを立て、そこから逃れようとした。

 鋭いつめがウィレミナの腕に食い込み、血がにじむ。

 それでもウィレミナは絶対に手を離さなかった。


「むぐぅぅぅぅっ!」


 呼吸のままならないイーディスは無我夢中で暴れ、後頭部をウィレミナの鼻面はなづらにガツンと当てて脱出を試みようとする。

 ウィレミナは鼻血を出しながら、それでも鬼の形相ぎょうそうでイーディスを逃がさずめ続けた。

 イーディスは体をのけらせ、体勢を入れ替えて懸命にそこから逃れようとする。

 するとウィレミナはその力を利用して逆に体の向きを変え、暴れるイーディスの顔を地面に押しつけた。

 そして首をめたまま全体重をイーディスにかける。


「許さない……おまえだけは何があってもアタシが殺す! よくも母様を……絶対に……絶対におまえを生かしてはおかない!」


 ウィレミナは自分でも無意識のうちにそう叫んでいた。

 彼女の心の中に渦巻うずまく怒りと悲しみが、口をついてあふれ出したのだ。

 それはまさに全身全霊をかけたウィレミナの攻撃だった。


 ☆☆☆☆☆☆


(う……うそでしょ……こんなの……笑えない)


 イーディスは自分がいくつもの大きな失敗をしたことを今さらながらに悔やんだ。

 ウィレミナがこれほどまでに徒手空拳の戦いにけていることを事前情報として得られていなかったこと。

 そして一瞬の油断によってすきを見せて彼女に組み付かれてしまったこと。

 挙句あげくの果てに、ウィレミナのめ技から抜け出そうとして状況を悪化させてしまった。


 首をめられ、地面に顔を押しつけられたまま、上からのしかかられている。

 苦しさの余り、体に力が入らなくなっていた。

 これまでたくさんの敵をほうむり、人間の死というものを幾度となく見届けてきた。

 人があまりにもあっさりと死ぬことをイーディスは知っている。 


 だが、自分だけは殺されることはないと思っていた。

 自分が本当は臆病な性格であることをイーディスは自覚している。

 だからこそ誰よりも慎重で誰よりも用心深く生きて来たつもりだ。

 危機を回避し、死をまぬがれることに関しては自分の右に出る者はいない。

 そう自負していたのだ。


(くっ……私がこんなところで……こんなところで死ぬはずは無い。そうだ。悪運の女神がきっと助けに来る。何者かがウィレミナの邪魔をして、私は悪運強く助かるんだ。そうに……決まって……)


 遠のく意識の中で彼女はこれまでに殺して来た者たちの顔を思い出した。

 殺した者などいちいち覚えていないと思っていたが、1人1人の顔が鮮明に脳裏のうりに浮かんでいく。

 そしてユーフェミアの顔が脳裏のうりによぎったその後、ふとある男の顔を思い出した。


 それは殺した相手ではなかった。

 その若き男は王国貴族のお坊ちゃんで、ロダンの街から王国に向かう脚を調達するために、一晩だけ寝てやった優男やさおとこだった。

 自分に夢中になっていたその男の顔に、イーディスは薄れゆく意識の中でほくそ笑む。


(そうだ……彼が……私に夢中な……おろかなあのお坊ちゃんが……助けにくるのよ。だけど……あの坊や……名前……何だっけ)


 意識が途切れる前、イーディスが最後に見たのはその男の失望した顔だった。

 その王国貴族がブレントという名前だったことを、イーディスはとうとう最後まで思い出せなかった。


 ☆☆☆☆☆☆


「ウィレミナ。もういい。コイツはもう死んでいる。手を離していいぞ」


 誰かがそう話しかけてくる声にウィレミナはハッと我に返った。

 ポツリポツリと降り出した雨がほほに当たる。

 顔を上げると、そこには護衛として行動を共にしていた3人の女戦士たちの姿があった。


 怒りと悲しみに満ちあふれた意識の中で、ウィレミナは無我夢中でイーディスの首をめ続けていたのだ。

 あまりにも体に力が入り過ぎて、自分でその腕を解くことが出来ないほどに。

 呆然ぼうぜんとするウィレミナに苦笑し、仲間たちは彼女の腕を解いてくれた。

 

「ユーフェミア様のかたきを討ったな」


 そう言う仲間たちにウィレミナはまだ呆然ぼうぜんとしながら、地面に仰向あおむけに転がるイーディスを見下ろした。

 憎きその女は奇妙にも笑った顔のまま、目を見開き呼吸を止めていた。

 仲間の女たちは念のために、動かないイーディスの首を刃物で切り裂き、心臓を貫く。

 魅惑の殺人者イーディスは死んだ。

 仲間たちの言う通り、ウィレミナはユーフェミアの、亡き母のかたきを討ったのだ。

 

(母様……やりました。母様のかたきを討ちましたよ)


 イーディスとの死闘で負った体中の傷が今になって痛み出す。

 そして戦い続けたことによる重い疲労がその身にのしかかっていた。

 明らかに自分より格上の相手との戦いで、ウィレミナは自分が思っていた以上に無理をしていたのだ。

 だが、それでも自分は相手を倒し、こうして生き残った。

 亡きユーフェミアの教えが、自分を生かしてくれたのだとウィレミナは感じる。


(母様。アタシは母様の跡を継いでダニアの一族を必ず守っていきます。母様は何もご心配なさらず、どうか安らかにお眠り下さい)


 ウィレミナは徐々に青くなりつつある薄闇うすやみの空を見上げ、天の兵士となった亡き母に向けて、胸にこみ上げる感謝の念をささげる。

 涙があふれ出るのを仲間たちに見られたくなくて、もっと雨が降る様にと願いながら。

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