第332話 『死神の声』
アデラは地面に横たわる多くの遺体の中で、自らも遺体のように横たわり、夜の空を見上げていた。
遠くで鳴っていた雷が徐々に近くなりつつある。
漂う空気が湿り始めていた。
アデラは懸念を胸に、夜空に目を凝らす。
(雨が降る前に決着をつけたい)
雨は鳥使いにとって邪魔なものだ。
少しくらいの降り方ならばどうということはないが、雷雨のようになってしまうと鳥との意思疎通が出来なくなるし、鳥たちも自在に宙を舞えなくなる。
そうなる前に作戦を成功させ、敵兵イーディスを討ち取りたい。
亡きユーフェミアのために。
そして倒れた鳶隊の仲間たちのためにも。
周りで物言わぬ骸と化しているのは、つい先ほどまで作戦行動を共にしていた鳶隊の仲間たちだ。
(アタシだけ生き残ってしまってごめんなさい。皆の仇は必ず討つから)
悲しみと怒りを胸の奥底に押し込めて内心でそう呟くと、アデラはウィレミナからの合図を待った。
いつも冷静なウィレミナが、彼女らしからぬ大きな声を上げる。
それが合図だ。
アデラの見上げる夜空には悠然と夜鷹の群れが旋回している。
そんな中、ポツリポツリとわずかに雨が降り出した。
☆☆☆☆☆
(チッ。面倒ね。ま、正攻法でやることもないか)
イーディスは内心で舌打ちしつつ、ウィレミナの攻撃をいなしていた。
2本の湾曲刀を使った彼女の攻撃は脅威というほどではなかったが、その基本に忠実で正確な武器の扱いは、若い割にかなり熟練の戦士のような習熟度に満ちていた。
おそらく生真面目な性格で訓練ばかりしていたのだろう。
そして彼女の指示によって他の3人の敵兵らは防御に徹するようになった。
これもイーディスにとっては面倒なことだった。
ウィレミナ主導のこの陣形がイーディスに手間を取らせていたのだ。
それでも時間をかければイーディスはこの4人を排除する自信はあった。
だが、そんな手間をかけるつもりは毛頭ない。
自分はグラディスと違って戦場で正々堂々と勝負する性分ではないのだ。
工作活動を主な任務とするイーディスは、腰帯に下げた袋の中に常にいくつもの道具を潜ませていた。
ウィレミナの攻撃をかわしながら、片手でそのうちの一つを掴むと投げ放つ。
それは煙幕用の白い粉末を入れた小袋だ。
これを目潰しに使い、さっさとカタをつけようと放り投げた矢先のことだった。
まるでそれを予測していたかのようにウィレミナが小刀を投げて、小袋を貫いたのだ。
パッと白い粉がイーディスの眼前で舞い散る。
「くっ!」
イーディスは思わず顔を背けて後方へと飛び退る。
すると舞い散る粉塵の中を突き抜けてウィレミナが猛然と突っ込んできた。
この機に乗じて一気に決着をつけようというウィレミナの殺意を感じてなお、イーディスにはそれを受け切る余裕があった。
(こっちは修羅場くぐってきてるのよ。青臭い小娘に負けるほどヤワじゃない!)
イーディスは光の糸を引くようなすばやい剣さばきで、ウィレミナの湾曲刀を1本、2本と打ち払う。
その力強さに負けてウィレミナは湾曲刀を2本とも弾き飛ばされてしまい、悔しげに大声を上げた。
「くそおおおおおっ!」
「終わりよ」
イーディスは剣でウィレミナの首を狙う。
その時だった。
口笛が鳴り響き、空から猛烈な風切り音が響き渡ったのだ。
イーディスはカッと両目を見開いた。
(これは……)
鳶隊のアデラが使う秘奥義による夜鷹の群れが滝のように舞い降りてきてイーディスを襲った。
以前にやられた奇妙で凄まじいな鳥使いの技だ。
だが……。
「不意打ちが通用するのは一度までよ!」
イーディスは持っていた剣を放り出すと、脅威的な身体能力で連続後方宙返りを見せた後、地面を獣女のドローレスばりの速度で這うように移動して夜鷹の猛襲を避けてみせた。
夜鷹の群れはイーディスに攻撃を仕掛けることが出来ず、成す術なく空中へと戻っていく。
(よし!)
してやったりという表情で空を見上げるイーディスだが、そこに油断が生まれ次の反応が一歩遅れてしまった。
夜鷹の群れが飛び去った次の瞬間、いつの間にかウィレミナがイーディスの眼前まで迫っていたのだ。
だが不意を突かれたイーディスは遅れながらも反応する。
ウィレミナは両手に武器もなく丸腰だった。
イーディスは腰帯に残っている1本の短剣をつかみ取り、それでウィレミナの首を突き刺そうと狙う。
「素手で向かって来るなんて馬鹿ね!」
だがそこでウィレミナは予想外の動きを見せる。
何も武器を持っていないウィレミナの手が驚くほど速く動き、短剣を握るイーディスの手首を押しのける。
ウィレミナはそのままイーディスの懐深く間合いに入って来た。
そしてその拳で、イーディスの革鎧の継ぎ目で肌が露出している部分を連続殴打する。
「ぐうっ!」
イーディスは思わず痛みに声を上げる。
それはとてつもなく洗練された強い打撃だった。
そして連続殴打はイーディスの顎をも捉える。
拳にガツンと顎を突き上げられ、イーディスの頭が跳ね上がった。
「がふっ!」
そこにさらにウィレミナはイーディスの喉を目がけて拳を叩き込む。
「はぐっ!」
イーディスはたまらず後方に吹っ飛んで受け身も取れずに背中から倒れた。
(の、喉が……)
喉を拳で強く殴られ、イーディスは呼吸が出来なくなる。
先ほどまでの動きとは別人のような攻撃にイーディスは目を白黒させた。
(こ、この小娘……徒手空拳でこれほど強い?)
そしてイーディスの頭の中で自身の生存本能が危機を告げている。
己の命が危ないと。
激しく咳き込みながら必死に空気を吸うイーディスは、自分の手にまだ短剣を握っていることを確認し、一縷の望みにかける。
今度こそ油断はしない。
確実にウィレミナを殺す。
急激に酸素を取り込んだために頭がクラクラするが、構わずに身を起こした。
だが彼女の目の前に、すでにウィレミナの姿はなかった。
次の瞬間、背後から組み付かれ、短剣を握っている腕を絡めて極められる。
そしてその相手のもう片方の腕がイーディスの首を締め上げた。
「ぐっ……」
「貴様だけは絶対に許さない」
イーディスの耳元でそう囁いたのはウィレミナだった。
数々の敵を暗殺してきたイーディスにとって、それは初めて聞く死神の声のように聞こえたのだ。
☆☆☆☆☆☆
徐々に朝が近付いている。
まだ空は暗かったが、雨雲が見えるほどには色が変わりつつあった。
夜空からパラつく雨を受けながら、アデラは身を低くして前方を見据える。
アデラは鳥使いの秘奥義である天雷を放った。
だが、それはイーディスの驚くべき身体能力によって避けられてしまったのだ。
「二度目が通用する相手じゃなかった」
だが今しがた彼女が放った天雷は本来の隼によるものではなく、速度に劣る夜鷹によるものだ。
夜が明けてから使える隼によるものならば、絶対にかわされない自信があった。
何にせよ、天雷が避けられて失敗したかと思われた作戦は、その後のウィレミナの見事な身のこなしによって攻勢が続いている。
今まさにウィレミナはイーディスに背後から組み付いてその首を絞め上げているのだ。
ウィレミナから伝えられた作戦では、天雷を放った後はイーディスの打倒が確認されるまでここでアデラは待機する予定だった。
「でも、アタシでも何か役に立てるのなら加勢に駆け付けたほうが……」
そう呟いて腰を上げようとしたその時、アデラは感じ取った。
強い獣のような臭いが風に乗って漂ってくるのを。




