第327話 『離脱』
新都南側の攻防では戦局の潮目が変わり始めていた。
大量のムクドリによる混乱で浮足立った南ダニア軍は、統一ダニア軍の女たちに攻め込まれて劣勢を強いられている。
南ダニアの騎馬兵たちは1人また1人と絶命し落馬していく。
乗り手を失った馬たちが、当て所なく散り散りに走り去った。
そんな中、晒し台の近くには多くの味方の兵たちに周囲を守られながら、銀髪の女王クローディア、そしてその従姉妹たちであるブライズとベリンダの姿がある。
「ブライズ。しっかりしなさい。あなたは死んではダメよ。バーサの分までベリンダと一緒に生きなさい」
そう言うとクローディアは従姉妹のブライズに肩を貸し、彼女を抱え上げる。
ブライズは苦しげな表情ながらも、しっかりとその足で大地を踏みしめた。
「ヘヘッ。死に損ねたな。おまえを守ってカッコよく戦場に散ろうかと思ったんだが」
そう言う彼女の胴には止血のための帯がキツく何重にも巻かれている。
つい先ほど果敢にアメーリアと戦った彼女は、力及ばず脇腹をその剣で斬り裂かれてしまった。
今もこうして彼女の命があるのは、妹のベリンダが咄嗟に鞭で援護してアメーリアの攻撃をわずかに踏み込ませなかったからだ。
クローディアの隣に立つベリンダは安堵した表情ながら、憎まれ口を叩く。
「獣臭いからまだこっちに来るなと、バーサお姉さまが仰ってるんだわ」
「うるせえな。姉さんはどっちかって言うと、薬臭いおまえのほうを嫌がってたのを忘れたのか?」
互いに減らず口を叩く元気がある姉妹を見て安堵するが、この戦いにおいて、もうこの2人は前線に出すわけにはいかないとクローディアはその胸に誓った。
2人とも大きな負傷をしており、次に無理をすれば死ぬ確率が格段に上がる。
戦いに勝てた先の統一ダニアの未来のためにも、2人は生きていてもらわなければならない。
そして何よりもクローディア自身が血族である2人を失いたくなかった。
「ベリンダ。ブライズを連れて南門に戻って。護衛の兵を必ず4人以上つけてね」
「何を言っているのですか? クローディア。あなただけ残すわけにはいかないでしょう」
ベリンダは眉を潜める。
だが味方が攻勢に出ているこの状況で、部隊を指揮できるクローディアが残れば、より自軍の士気は高まるだろう。
そう考えていたところに、この状況を任せられる人物がこの場に現れた。
「ご無事で何よりです! クローディア」
「オーレリア!」
現れたのは後方でこの部隊の指揮を執っていた紅刃血盟長のオーレリアだ。
彼女は自分の周囲を熟練の戦士たちに守らせ、自身も得意の鉾を構えて敵兵を蹴散らしながらここまで馳せ参じたのだ。
その姿にクローディアは思わずホッと安堵を覚えるのを抑えられなかった。
そんなクローディアの顔を見たオーレリアは毅然とした口調で告げる。
「ここからはワタシが陣頭指揮を執ります。御三方は南門へお戻り下さい」
「ええ。甘えさせてもらうわ。今、ブリジットとウィレミナがボルドの救出に向かっているから、援護してあげて」
そう言うとクローディアは傷付いたブライズを馬に乗せ、自分もその後ろに跨った。
そして一度だけ前方を振り返る。
飛び交うムクドリたちのせいで晒し台の方向はよく見えない。
だがクローディアはそこにいるはずの仲間たちの無事を祈った。
(ブリジット。ボルドのことは任せたわよ)
そしてベリンダや数名の護衛の兵士を引き連れて戦場から離脱していくのだった。
☆☆☆☆☆☆
ムクドリたちの声がけたたましく響き渡る中、ボルドは頭を低くしたまま晒し台の上で必死に神経を集中させていた。
一時、失われていた黒髪術者としての力を取り戻していた彼は、アメーリアの邪悪な気配が遠ざかっていくことを感じ取っていた。
「トバイアスの姿はありません」
注意深く晒し台の下を探るアデラがそう言う。
その言葉に頷き、ボルドは必死に声を絞り出すように言った。
「おそらく……アメーリアが治療のために連れて行ったのかもしれません」
自分が刺したトバイアスはおそらく深手だろう。
憎き敵だが、その死を願う気にはなれなかった。
そうなれば自分はこの手で人を殺めたことになる。
だからといって助かるのを願う気にもならなかった。
だが、もし彼が生きていたら自分は人を殺さなかったことになるのか。
そう考えてからボルドは内心でそれを否定する。
(違う。自分は彼を殺そうとしたんだ。彼の生死に関わらず、その事実は変わらない)
ボルドは吐き気を堪えながら、それでも自身の行いから逃げてはいけないと思った。
自分は守られている。
ブリジットやクローディア、そしてその他の戦士たちに。
彼女らが矢面に立って剣を振るい、己と敵の血を流すという代償の中で自分は生かされているのだ。
本来は武器を手に戦うことなどない情夫だが、それでも自分だけは手を汚さずにいられる安寧が誰の手によるものなのかを忘れてはいけない。
だからこそボルドは自分がしたことを真正面から受け止めなければならないと分かっていた。
分かってはいたが彼には勇気が足りず、まだ体は震えたままだ。
そこでアデラが声を上げた。
「ボルドさん! ブリジットです! ブリジットが来て下さいました!」
そう言うアデラの指差す先には、馬で敵兵を蹴散らしながらこの晒し台に向かって来るブリジットの姿があった。
彼女はウィレミナと2人乗りの馬でこちらに向かって来る。
そんな彼女の姿を見たボルドは息を飲んだ。
ブリジットは見るからにあちこちを負傷しているようだった。
特に顎が赤く腫れて痛そうだ。
その姿にボルドはやはり思う。
彼女がああして体を張って戦ってくれているからこそ、自分は守られているのだと。
「ボルドォォォォ!」
ブリジットはまっすぐこちらを向いて自分の名を呼んでくれる。
自分の情夫が刃物で敵を刺したと知ったら、彼女はどう思うだろうか。
良くやったと褒めるだろうか。
それとも血に汚れたこの手を忌み嫌うだろうか。
そんなことを考えて不安を覚えているせいか、自分を呼ぶブリジットの声にボルドは思わず涙が込み上げて来るのを感じた。
それが零れ落ちないよう堪えながらブリジットに目を向けると、彼女の乗る馬の隣に乗り手のいない馬が並走していることにボルドは気付いた。
手を真横に伸ばしてその馬の手綱を握っているのはウィレミナだ。
彼女はタイミングを見計らうと、その隣の馬に飛び乗った。
そして馬上に1人となったブリジットは晒し台のすぐ近くで馬の速度を緩めて止めると、両手を広げて声を上げる。
「ボルド! 来い!」
その声にボルドは息を飲んで立ち上がった。
「ボルドさん。行きますよ」
そう言うとアデラはボルドの手を取り、タイミングを合わせて晒し台の上から宙に身を躍らせた、
舞い降りるボルドの体をブリジットはしっかりと受け止める。
彼女の体からは血と汗と埃のニオイがしたが、それがボルドにブリジットと共にいるという安心感をもたらしてくれた。
「ブリジット。申し訳ございません。またしてもご心配をおかけしてしまい」
「よく生きていてくれた。がんばったな。ボルド。今は何も言うな。ここから脱出するぞ」
そう言うとブリジットは手綱をしっかりと握り、その戦場から離脱するべくウィレミナとアデラを引き連れて馬を走らせるのだった。




