表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
126/178

第326話 『震える手』

「邪魔をするな!」


 馬上でブリジットは声を荒げ、傷付いた体で懸命に剣を振るう。

 だが、前から押し寄せてくる敵兵の数は多く、ボルドのいるさらし台まで近付くことは容易ではなかった。

 ブリジットを後ろから支えるウィレミナは懸命けんめい手綱たづなさばきで馬首をめぐらせ、敵兵を避けて迂回うかい進路を取る。


「このままでは前に進めません! 回り込みます!」


 2人の乗る馬は方向を転じて、さらし台の東側へと回り込んでいく。

 ブリジットは前方数十メートルほどまで近付いたさらし台へ目をらした。

 すると仰向けに倒れたアデラがトバイアスに馬乗りになられているのが見える。


「まずいぞ! アデラが!」


 そう声を上げたブリジットはそこでさらに目を大きく見開いた。

 杭にしばり付けられたボルドが必死に暴れて、ついにその拘束こうそくから逃れたのだ。

 それを見たウィレミナは息を飲む。


「ボルド殿が……」


 体の自由を取り戻したボルドは足元から何かを拾い上げると、それを手にトバイアスへ向かっていく。

 トバイアスはアデラを襲うのに夢中になっていてそれに気付いていない。

 ブリジットは大きく目を見開きその様子を見つめるが、そこでふいに視界がさえぎられた。

 けたたましい鳴き声と共に空から多くのムクドリたちが飛来して、辺りを低空飛行し始めたのだ。


鳶隊とびたいの工作です!」


 ウィレミナはムクドリの鳴き声に負けぬよう声を張り上げる。

 それは予定通りの作戦だった。

 鳴き声のうるさいムクドリたちを戦場に大量に飛来させることで、敵軍を混乱におちいらせる。

 以前に分家に捕らわれたボルドを救出する際にも用いた手法だ。


 それは少し離れた場所にいる鳶隊とびたいの手によるものだった。

 数千羽のムクドリたちが飛びっているために視界が悪くなり、そしてものすごい音量の鳴き声が聴覚を奪う。

 巻き起こる混乱の最中さなか、この事態を予測していた統一ダニア軍だけが乱れることなく動き続け、混乱する敵軍を次々と打ち倒していった。


 そんな中、ウィレミナはたくみに馬を駆り、敵軍の合間をって進む。

 ムクドリのせいで視界はかないが、それでもウィレミナの方向感覚は正確であり、2人は着実にさらし台へと近付いて行くのだった。


☆☆☆☆☆☆


 ムクドリたちが狂ったように騒ぎながら飛びう中、アメーリアは鬼の形相ぎょうそうで前に進む。

 目の前に現れた者は敵だろうと味方だろうと容赦ようしゃなく斬り殺した。

 つい先ほど、彼女は見たのだ。

 さらし台の上で拘束こうそくから逃れたボルドが、トバイアスの背後から近付くのを。


 その様子にアメーリアは背すじがゾクリとした。

 だが次の瞬間、空から雪崩なだれのように舞い降りてきた大量のムクドリの群れが、視界をおおい尽くしたのだ。

 それからアメーリアはとにかくムクドリと人馬を排除して前に進む。

 そして……。


「……ハッ」


 アメーリアは目の前の光景に立ち尽くす。

 美しい白い髪の男がさらし台の下の地面に横たわっているのが見えた。

 台から落下したのだと分かるその体は、ピクリとも動かない。

 息が止まるかと思ったが、アメーリアはすぐさまはじかれたように駆け出した。


「トバイアス様ぁ!」


 自分でもおどろくほどの金切り声を上げ、アメーリアは倒れているトバイアスの元へ駆け寄ると、彼の体を抱き起こす。

 そして愕然がくぜんとした。

 トバイアスの体の下に大量の血だまりが出来ていたのだ。

 腰からの出血がひどい。


「そ、そんな……」


 アメーリアはほとんど泣き顔になりながら自分の衣の両袖りょうそでを破り取り、それをトバイアスの腰にきつく巻いて止血をはかる。

 トバイアスは目を閉じたまま痛みに顔をゆがめ、そのひたいには玉のような脂汗あぶらあせが浮かんでいた。


「トバイアス様! トバイアス様!」


 アメーリアの呼び掛けにトバイアスはうつろな顔で目を開ける。

 その顔は血の気が無く、彼が血を流し過ぎたことをうかがわせた。

 トバイアスはそこでようやく目の前にアメーリアがいることに気付いたようだ。


「……アメーリア。女王たちは……どうなった?」

「……まだその辺りにいます。そんなことよりトバイアス様。すぐに治療を……」

「ボルドだ……あの小僧がまさかあんなことをするとはな……ククク。この俺が……こんな……まったく忌々し……い」


 力の無いかすれ声でそう言ったきり、トバイアスは目を閉じる。

 その体からグッタリと力が抜けた。


「ト……トバイアス様?」


 彼の体から生気が失われていくようで不安が胸につのり、アメーリアは思わず彼の体を揺らしてしまいハッとした。

 止血用に巻いたそでにあっという間に血液が浸透していく。


(血が……傷がこんなにも深く……)


 刺された傷が内臓まで達しているのだと悟り、アメーリアは決死の表情でトバイアスを抱え上げた。

 そしてすぐ近くでトバイアスの様子におどろいている部下の兵士を怒鳴りつける。


「医療班の天幕はどうなってるの!」

「か、変わらず南500メートルの林の中に……」

「馬をよこしなさい!」


 戦場で傷を負った者のために治療の出来る小姓こしょうや男らを待機させている天幕がある。

 とにかくそこにトバイアスを連れて行って傷をふさぐしかない。

 これ以上、血を流せば死んでしまう。

 アメーリアは譲り受けた馬を駆って必死に戦場を駆け抜けていった。


 取り残される部下たちが困惑の表情を浮かべてアメーリアを見送るが、もはや戦況などどうでもよかった。

 とにかくトバイアスをこんなところで死なせるわけにはいかない。

 その一心でアメーリアは南の平原へ駆け続けた。


☆☆☆☆☆☆


 アデラは震えるボルドの手を取ったまま、さらし台の上から注意深く周囲を見渡す。

 戦場は無数のムクドリが飛びい、混乱を極めている。

 その様子にアデラは内心で鳶隊とびたいの仲間らに感謝した。

 そして脱出への道のりを冷静に考え続ける。


 大陸コンドルによる鳥渡りは自分1人の体重を支えるので精一杯であり、ボルドと2人で使うことは出来ない。

 かといって今のボルドを1人で鳥渡りさせることなど危険すぎる。

 それに鳥渡りは空中で無防備になってしまうため、弓矢でねらい撃ちされたら避けようがないのだ。


 先ほどは暗い夜の空を不意打ちで敢行かんこうした結果、アデラは誰にもねらわれることなくここまで辿たどり着くことが出来た。

 だが、一か八かのけであり、たまたま運が良かっただけだ。

 今のこの状況では飛び立つ際にねらわれ、使うことは出来ないだろう。

 とするとさらし台から降り、この混乱に乗じて徒歩で逃げるのが最も確実に思えた。

 だが、そこでアデラは思い留まる。


(きっとブリジットならば、すぐにここまで来て下さる)


 ならばブリジットと合流してから動くべきだと思った。

 アデラはボルドをうながしてさらし台のふちで身を低くする。

 まだボルドの手は震えていた。

 無理もない。

 彼は人を刃で刺せるような人間ではない。


 それでもやらざるを得なかったのだ。

 アデラを救うために。

 そのことに申し訳なさを覚え、アデラは彼の手を強く握ったまま、その背中を優しくさする。

 ブリジットの情夫に対して恐れ多い行為だが、今はそうしてあげたかった。


「ボルドさんはアタシを救ってくれました。あなたがああして下さらなければ、アタシは今頃、殺されていたでしょう。今ここにアタシの命があるのは、ボルドさんの勇気ある行為の結果です。感謝してもし切れません」


 アデラの言葉にボルドは青ざめた顔で静かにうなづく。

 だが、のど強張こわばって声を出すことは出来なかった。

 理屈ではないのだ。


 トバイアスの体に刃物を突き立てた時の感触が今も手に残っている。

 そして彼の体から噴き出た血のにおいが今も鼻の奥にこびり付いているようだった。

 いくら自分を落ち着かせようとしても、ままならない。

 ボルドは成すすべなくただ呼吸を繰り返し、アデラの指示に従ってその場に身をせていることしか出来なかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ