第323話 『白い死神』
「ア、アデラさん!」
まるで空から舞い降りて来たかのように晒し台の上に颯爽と現れたのは、鳶隊の少女・アデラだった。
トバイアスはアデラに頭を蹴り飛ばされて晒し台の上にひっくり返っている。
そして突如としてその場に現れたアデラに驚いたのはボルドだけではなかった。
その場にいたもう1人、イーディスは予期せぬ事態にさすがに初動が遅れる。
「い、一体どこから……」
そこでアデラは右手をサッと天に伸ばし、左手で指笛を吹く。
不思議な抑揚の音色が響き渡ると、上空からフォォォォッという風を切る様な音が鳴り響く。
イーディスはハッとして頭上を振り仰いだが、その時にはすでに遅かった。
無数の鳥が滝のようになってイーディスに向かって舞い降りてきたのだ。
その様子にボルドは思わず目を見開く。
(天雷!)
それはボルドが以前に一度だけ見たアデラの恐るべき鳥使いの技法だった。
宙を流れる帯のように一連の流れとなって高速で降下してきた鳥の群れが、イーディスを飲み込んでいく。
俊敏な彼女でもそれを避けることが出来なかった。
「うわっ!」
イーディスは体のあちこちに傷を負い、鳥の勢いに押されてよろめくと、晒し台の下へと落ちて行った。
鳥たちはすぐさま再び上空へと上っていくが、数羽の鳥がイーディスと激しく衝突したようで、晒し台の上に落下して体を痙攣させている。
すでに虫の息となっていたその数羽を見るとアデラは悲しみに満ちた表情を浮かべた。
「ごめんね。どうか許して」
そう言う彼女だが、躊躇せずボルドの後ろに回り込む。
そして手にした短剣で、切れかかっている拘束用の縄を断ち切ろうとした。
だが、アデラは咄嗟に身を伏せる。
そんな彼女の頭の上を一本の短剣が通り過ぎて行ったのだ。
「会いたかったぞ。小娘」
短剣を投げたのはトバイアスだった。
先ほどアデラに頭を蹴られて転倒した彼は、怒りの形相で立ち上がると、獣のような唸り声を上げてアデラに襲い掛かる。
アデラは応戦しようと手を上げたが、トバイアスのほうが一歩早かった。
「させるか!」
そう言うとトバイアスはアデラの両腕を掴み、その腹に膝蹴りを叩き込む。
「ゴフッ!」
アデラはみぞおちにまともに膝を受けて、気が遠くなりそうになりながら仰向けに倒れた。
そんなアデラの赤い髪を掴んで乱暴に引き起こすと、トバイアスは彼女をボルドの前方の床に叩きつけ、そのまま馬乗りになった。
アデラは懸命に起き上がろうとするが、みぞおちに食らった膝蹴りのダメージが大きく、体に力が入らない。
そんな彼女にトバイアスは容赦なく暴虐を働く。
「さあ、まずは身動きを封じさせてもらおうか。小細工されたくないんでな」
そう言うとトバイアスはアデラの右手を床の上に広げて押さえつけ、腰帯から抜いた1本の小刀をその手の平に突き立てた。
途端にアデラが大きく目を見開き、その口から悲鳴が噴き出す。
「ぎゃ……ああああっ!」
それでもトバイアスは容赦なく小刀を手の平深く押し込み、手の甲の骨を断って突き抜けた刃は、床に深々と突き刺さってアデラの右手を磔にした。
あまりの痛みでアデラの目からひとすじの涙が零れ落ちると、それを見たトバイアスは嘲りの色をその目に浮かべて笑う。
「おいおい。おまえは本当にダニアの女か? 痛みで涙を流すなどと、やはりまだ小娘だな。まだ右手だけだぞ?」
そう言うとトバイアスは同じようにアデラの左手をも小刀で突き刺して磔にした。
再び喉が張り裂けんばかりの悲鳴をアデラが上げるのを聞き、トバイアスに背中を向けられる位置にいるボルドは怒声を上げた。
「ああっ! アデラさん! ト、トバイアス! やめろ!」
ボルドはたまらず必死に暴れて抜け出そうとする。
だが手足を縛る縄はまだ完全には切れておらず、ボルドは動くことが出来ない。
そんな彼を肩越しにチラリと振り返り、トバイアスはその目に嗜虐の色を滲ませた。
その顔はまるで死神のようだ。
「おまえはそこから見ていろ。俺はこうして女を屈服させてきた。この女の今の姿は近い将来の女王たちの姿だぞ? おまえの大事なブリジットも、いずれこうして俺に組み敷かれることになる。今から楽しみだなぁ。ククク」
そう言うとトバイアスは血走った目をアデラに向け、痛みで弱っている彼女の頬を平手でバシンと張った。
「この程度で気を失うなよ? お楽しみはこれからなんだからなぁ。鳶隊のアデラ。以前は世話になったなぁ」
それからトバイアスは傷付き欠損した己の耳を彼女に見せつける。
「あの時はせっかくおまえを抱いてやろうとしたのに、この耳を鳥に食わせるなんて随分な扱いじゃないか。あれから耳が痛んで仕方ないんだ。今もズキズキと疼くんだよ。なぁ。どうすればこの疼きは止められると思う?」
それからトバイアスは歯を食いしばっているアデラの左耳に手を当てた。
「そうだ。おまえにも同じ痛みを与えてやれば、少しは俺のこの疼きも治まるかもなぁ」
トバイアスの言葉にアデラは唇を震わせながらも、気丈に声を発する。
「やりたければやればいい。アタシはおまえなんかに屈しない」
そう言うアデラにトバイアスはわざとらしく嘆息し、それから左耳を指で掴むと、ちぎれんばかりに強く引っ張った。
アデラが掠れた声の悲鳴を漏らす。
「あぐぅぅぅぅ!」
そんなアデラを見ながらトバイアスは薄笑みを浮かべて言った。
「俺は女には紳士的でありたいと常に思っている。おまえが心を改め、俺におとなしく抱かれると言うのなら、手心を加えてやらないでもないぞ。さあ言え。この俺に屈服し、その身を捧げると」
「ア、アタシはダニアの女だ! 殺されたっておまえなんかに屈しない!」
そう言うとアデラは痛みを堪えて必死に口笛を鋭く吹いた。
だがトバイアスはそれを予想していたかのように、瞬時に上半身を捻って小刀を振り上げる。
すると上空からトバイアスを狙って急降下してきた鳥が、胸をザックリと切り裂かれて鮮血をまき散らしながら床に落ち、息絶えた。
トバイアスはニヤリとするとアデラを見下ろす。
「二度目は通じない。そしておまえは口笛を吹けなきゃ鳥を呼べないんだろう?」
そう言うとトバイアスはあろうことか、床に落ちている鳥の死骸を掴み上げ、それをアデラの口に突っ込んだ。
アデラは涙を流しながら必死にそれを吐き出そうとするが、トバイアスはそれを左手で強引に押し込んだ。
そしてアデラの左耳に口を近付けて囁く。
「さあ、因果応報を味わう時間だ。アデラ。俺の痛みを思い知れ」
そう言うとトバイアスはアデラの左耳に強く噛みつく。
そしてそのまま噛みちぎろうと顎に力を込めた。
「むああああっ!」
くぐもったアデラの悲鳴が響き渡る中、その様子をトバイアスの背中越しに見つめるボルドはほとんど半狂乱になって暴れ狂った。
自分を助けに来てくれた友人がひどい痛みと苦しみの中にあるというのに、何も出来ない自分が悔しくて、ボルドは縄が手首や足首に食い込むのも構わずに必死に前のめりに体重をかける。
(アデラさんが……アデラさんが!)
彼女を助けなければならない。
その必死の思いとトバイアスへの憎しみが彼にいつも以上の力を出させていた。
荒れ狂うボルドを縛りつけていた縄の、切れかけていた避け目が広がっていき、ついにちぎれる。
ボルドは解き放たれると同時に、先ほどカラスたちを殺したイーディスの短剣を床の上から拾い上げていた。




