第212話 『急変する情勢』
「公国への出頭。ワタシは断るつもりよ。ブリジット。あなたの考えを聞かせてくれる?」
屍の森におけるブリジットとの緊急会談でクローディアはそう告げた。
ブリジットはわずかに考え込むとクローディアを見て言う。
「この話……少し妙なところがあると思わないか? 公国軍が今は王国側に付いている分家に警告を出すのは分かる。そうすることでクローディアを始末するか、あるいは難癖つけて王国との開戦に持ち込みたいのだろう。だが、どこの国にも属さぬ無頼漢である我ら本家に警告を出すことで、逆に警戒した我らが分家と結託して王国側に付いてしまうとは考えなかったのだろうか」
そうなれば公国は敵対する王国に余計な援軍を付けてしまうことになる。
ブリジットら本家に警告を出した理由が純粋に自国領を赤毛の集団に攻撃されたからだとしても、開戦間近の緊張状態にある一国の判断としては、いささか軽率に思えるのだ。
そう言うブリジットにクローディアはしばし考え込む。
「確かにそうね……この筋書きを描いているのは本来ならば公国のビンガム将軍のはず」
公国は政治的な最終決定は大公に委ねられているが、軍務に関して実質の舵取りはビンガム将軍が行っていることは知られている。
公国として正式に警告文書を出すならば、それは必ずビンガム将軍が内容を決めているはずだった。
だが、そのビンガムに何らかの影響を与えられる人物がいるとすれば……。
「トバイアスだな。あいつは戦果を上げて公国内での発言力が増している」
「そして落とし児とはいえ将軍の血を受け継ぐ息子。しかも最近はビンガム将軍も妻子を失って意気消沈していると聞いたし、そんな時にトバイアスが何かを吹き込んだら……」
「その妻子もおおかたトバイアスが裏で手を回して始末したのだろう。あいつはそういう姑息な男だ」
その時だった。
天幕の外でホウッという鳴き声と羽音が響き、同席していたアデラがハッと顔を上げる。
「鳩便の到着です。失礼します」
アデラは一礼してそう言うと席を立ち、天幕の外に出る。
この出張中も緊急の報告を受けられるよう、アデラは鳩便を受ける用意をしていた。
要するに鳩とともに舞い降りたのは緊急の報告ということだ。
すぐにアデラは伝書鳩がもたらした文を手に戻って来た。
「……本家からの報告です。王国領の南部都市ロダンが、公国軍旗を掲げた赤毛の女集団に襲われて陥落。現在はその軍勢の支配下にあるということです」
「公国軍旗だと?」
その言葉にブリジットは声を上げ、クローディアは目を剥いた。
「そういうことか……多分、それは本家の仕業に仕立て上げるつもりね」
「本家は公国軍についたと世間に思わせるつもりか。我々は両国の開戦に向けて機運を煽るための濡れ衣を着せられたわけだ」
ブリジットとクローディアは互いに目を見合わせる。
「いよいよのんびりしている暇は無くなったな。王国は今頃、分家への出動指令書をしたためている頃だぞ」
南部のロダンはダニアの街から馬で3日の距離だ。
王国は尖兵として早々にクローディアにロダンの街を取り返すよう命じるだろう。
「でしょうね。実はね……ダニアの街では皆にいつでも出国できるよう準備をさせてあるわ。オーレリアが今頃、大忙しで動き回っているはずよ」
「そうか……街を出てどうする?」
ブリジットにそう問われたクローディアはチラリとボルドを見やり、すぐにブリジットに目を戻した。
「すでに新都に多くの人員を送り込んで、住環境を大急ぎで整えさせているの。満を持して、というわけにはいかないけれど緊急避難できる先があってよかったわ」
「分かった。前にも言ったが、出国前に必ず母上を取り戻しておくんだぞ」
ブリジットのその言葉にクローディアは微笑んで頷いた。
ブリジットはその場にいる一堂を見回して言う。
「こうなれば公国への出頭命令に応じる必要はない。ただし、我らが一連の襲撃犯ではないことは明確に意思表示せねばならん。我ら本家は軍を取りまとめ、一路ロダンに向かう」
その言葉にクローディアは眉を潜めた。
「ロダンに? もしかして砂漠島の軍団を叩くつもり?」
「いや、数では到底敵わん。一撃離脱が関の山だろう。ただし、奴らが悪夢を見るほど強烈な一撃を食らわせてやるさ」
そうすることで自分たちが一連の襲撃犯ではないことを示すつもりだ。
ブリジットのその言葉にクローディアは頷くと、ブライズとベリンダに目を向ける。
「ブライズ、ベリンダ。あなたたちもこのままブリジットに付いていって。分家の旗を立てて、派手に襲撃してくれる?」
その言葉にわずかに驚く2人だったが、すぐに笑みを浮かべた。
「ああ。派手に暴れて、分家はロダン襲撃には関わっていないことを示してやる」
「けれど、これで本家と分家が手を組んだことを世に知らしめてしまいますわね」
そう言うベリンダにクローディアは覚悟を決めた顔で頷いた。
「ここが分水嶺よ。運命が動き出したの。腹をくくりましょう」
皆の意見がまとまった時、再び外に羽音が響く。
だが、今度は鳩ではなく、キィッという鋭い鳴き声だった。
その声にアデラの顔色が変わる。
それが隼による便りだと分かったからだ。
隼を使うということは、不慮の事態が唐突に起きたということを示している。
アデラは再び天幕の外に出ると、青ざめた表情で戻って来た。
「……ほ、報告があります」
その目は動揺に泳ぎ、その声は掠れ、届けられた文を持つ手が震えている。
そんなアデラの様子に皆が息を飲んだ。
「……今度は何だ?」
訝しむようにそう尋ねるブリジットに、アデラは受け取った隼便の書物を握り締めながら、必死に声を絞り出した。
「宿営地で……ユーフェミア様が何者かの襲撃を受け……お、お亡くなりに……」
それ以上は言葉を紡ぐことが出来ぬアデラと同様に、報告を受けたブリジットは息をするのも忘れて立ち尽くした。




