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第316話 『魔女の純愛』

「ふぅ。さすがに疲れたわね」


 そう言うとクローディアは弾む息を落ち着かせるため、腰帯にくくり付けていた竹筒の中の水を飲んだ。

 ぬるい水でも乾いたのどには心地良く、クローディアは全て飲み干してしまいたくなるのをグッとこらえた。

 水も限られているため、配分に気を付けて飲まなければならない。


 彼女の視線の先ではブリジットが敵兵である5人の女戦士らと戦い始めている。

 つい先ほどまでクローディアは10戦連続で敵兵らと戦った。

 つまり50人の敵を斬ったのだ。

 さすがにダニアの勇猛な女戦士らを立て続けに50人相手にすると疲れが出て来たので、クローディアはブリジットと交代したところだった。


(やっぱりダニアの女は敵に回すべきじゃないわね)


 クローディアは10回に及ぶ戦いをてあらためてそう感じていた。

 最初こそ楽々と敵を退しりぞけていたクローディアだが、戦いを重ねるごとに相手もこちらの戦いぶりを目で見て学ぶ。

 最初は功をあせって我先にとかかってくるだけの烏合の衆に過ぎなかったが、5戦目あたりから5人組が連携を見せるようになっていた。

 こうした戦いへの貪欲な研究姿勢はダニアの女の特性の一つだ。


 ゆえに戦うほどにクローディアは心身の疲労感を感じるようになっていた。

 これを20戦30戦と続けられると、自分でも切り抜けられるか分からない。

 クローディアは静かに息を整えながら、腰の小袋の中から干し肉の欠片かけらを取り出し、それを口にふくんだ。

 疲れた体に塩気がみていく。


 視線の先ではブリジットが3人目の敵を斬りせている。

 クローディアはさらに視線を転じて、ボルドのとらわれているさらし台を見た。

 トバイアスとアメーリアはいつの間にか用意させた椅子いすに座り、テーブルの上に葡萄酒ぶどうしゅびんとグラスを置いて談笑しながら戦いを見物している。


 そのすぐ後ろではしばり付けられているボルドに、赤毛の女が乱雑な態度で革袋かわぶくろの水を飲ませていた。

 捕虜ほりょとしてすぐに死なせるつもりはないようだ。

 クローディアはボルドの疲れ切った様子に胸を痛める。


(ボールドウィン。辛いでしょうに。待っていなさい。必ず助け出すから)


 そう思いながらクローディアは憎々しげにトバイアスとアメーリアをにらんだ。

 あの2人にとってこれは余興みたいなものなのだろうか。

 だとしても戦時中にやることではない。


(トバイアスはそんなにもおろかなのかしら? こんなことして兵を無駄むだに死なせるなんて)


 もし自分たち2人を殺すのであれば、これだけ取り囲んでいるのだから数の力で押しつぶせばいいのだ。

 さすがに周囲をグルリと囲まれたこの状態で押し寄せられたら、自分やブリジットにも成すすべはない。

 死あるのみだろう。

 それをしない理由がクローディアには分からなかった。


 何にせよ必ずボルドを救い出してここから離脱するチャンスは来るはずだ。

 だがクローディアはもう一歩踏み込んだことを考えていた。

 せっかくここまであのアメーリアやトバイアスに近付くことが出来たのだ。


 この機に乗じてあの2人を亡き者に出来れば、南ダニア軍は総大将と指揮系統を失うこととなり、その影響は決して小さくない。

 戦況は必ず統一ダニア軍の優位にかたむくだろう。

 クローディアはその瞬間を虎視眈々(こしたんたん)ねらっていた。


 ☆☆☆☆☆☆


「トバイアス様。これでは悪戯いたずらに兵力を失いますわよ。5人組などと条件を付けずに全員で一斉にかからせればいいのです」

冗談じょうだんはよせ。アメーリア。本気で言ってるのか?」


 そう言うとトバイアスはおどけた表情でグラスの中の葡萄酒ぶどうしゅに口をつける。

 アメーリアには分かっていた。

 トバイアスはこの状況を楽しむことをやめないと。

 そして彼にはこんな遊びのようなことをする真の目論見もくろみがあることも。


「こんなチャンスは二度とないぞ。女王2人は孤立し、周りは我が軍の兵しかいない。この機を利用して必ずブリジットとクローディアを生け捕りにするんだ。あの2人をギリギリまで疲れさせて動けなくなったところでアメーリア、おまえが出て行って取り押さえる。それで俺は女王2人をこのさらし台にくくりつけて首都へ凱旋がいせん帰国する。そういう筋書きさ」


 愉悦ゆえつの表情でそう言うトバイアスだが、アメーリアはいつものように同調する気分にはなれなかった。


「それでは兵が納得しませんわ。女王を討ち取った者に将軍職をお約束されていたじゃないですか」


 新都を陥落かんらくさせて奪った後、トバイアスらは公国首都へ帰還する予定だが、新都の新たな守護者が必要になる。

 奪って手に入れた瞬間から今度は守らなくてならないのだ。

 その守護者としてグラディス将軍を首長の座に就任させる予定になっていた。

 その将軍職の後釜あとがまえる者として、ブリジットあるいはクローディアを討った者ならば適任だしはくが付く。


「それならあの2人のどちらかに傷をつけた者を選出すればいい。女王に傷をつけた者であれば、その奮闘をたたえて将軍の座にけたとしてもおかしくあるまい? それに文句を言う奴がいたら、おまえがひとにらみしてやればだまるだろう。どうした? 今日はやけに神経質だな。おまえらしくもない」


 そう言うトバイアスにアメーリアは浮かない表情でうなづいた。 

 アメーリアは先ほどトバイアスがクローディアに矢でねらわれた時から、何か嫌な予感がぬぐえなかったのだ。

 ブリジットとクローディアを自分の力で押さえ込む自信はある。

 だがアメーリアは決してあの2人をあなどっていない。


 いざとなればどちらも相当な力を見せるだろう。

 そんな2人の攻撃が届く距離にこうしてトバイアスを置いておくこと自体が不安だった。

 常に自分が彼のそばにいて守ってやれるわけではないのだ。

 現に先ほども自分が離れているすきにトバイアスはねらわれた。 


 イーディスが咄嗟とっさに反応して彼を守らなかったら、今頃トバイアスはすでに死体になっていたかもしれない。

 そのことを考えるとアメーリアはゾッとする。

 老若男女、この世のどんな人間が死のうともアメーリアはとも思わない。

 だがトバイアスだけはダメなのだ。

 彼の死だけは受け入れられない。


 トバイアスと出会ったことで自分という人間が全く別人に変わったことをアメーリアは感じていた。

 生まれ故郷の島でその気性と力をうとまれ、足にかせをハメられて海に沈められたあの幼き日から、アメーリアにとって他人は全て敵だった。

 自分以外の他人を害することだけがおのれの生きる理由だと思ってきた。

 そのためならば自身の命すら惜しくない。

 今もこの世の全ての人間を殺してしまいたいという怨念おんねんは消えていない。


 だが……トバイアスだけは特別だった。

 彼のことを守りたい。

 彼の命を守り、そのかたわらでその息吹を感じていたい。

 それは他人の命も自分の命もかえりみない無敵の存在だったアメーリアの中に生まれた初めての弱さだった。


「トバイアス様……ワタクシからこのようなことを申し上げるのは恥と承知の上で申し上げますわ。この戦が終わったら、ワタクシとの婚礼の儀を行うとお約束いただけませんか?」

「……アメーリア」

「もちろん大々的に喧伝けんでんしてほしいなどとは申しません。ただ、ワタクシはあかしが欲しいのです。あなたにとって自分が何であるのかというあかしが」


 そう言うアメーリアのいつになく不安げな表情を見たトバイアスは、目を閉じて大きくため息をついた。


「やれやれ……困った奴だ。戦場で明日の約束をする者は死ぬのだという迷信を知らんわけではあるまい」


 そう言うトバイアスをアメーリアはだまって見つめる。

 するとトバイアスは静かに笑みを浮かべて彼女を見つめ返した。


「……だが、この俺に限ってはその迷信は当てはまらん。死神は俺を地獄に連れていくことなど出来ないからだ。なぜなら俺にはおまえという最強の死神がついているからな」


 そう言うとトバイアスはアメーリアの左手を取り、その薬指に口づけをした。

 そして彼女を見上げるとその手を握り締めたまま告げる。


「約束しよう。勝利のあかつきにはあの新都で婚礼の儀を上げると。俺とおまえだけの約束だ。俺はおまえを妻にする。おまえは俺を夫にするのだ」

「……ありがとうございます。トバイアス様」


 アメーリアは喜びをみしめて静かにうなづく。

 それでも胸の中から一抹の不安が取り除かれることはなかった。

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