第310話 『苦しい戦い』
新都東の攻防は昼を過ぎても激しく続いていた。
なだらかな斜面にはすでに多くの戦死者の躯が積み重なっている。
そのほとんどは南ダニア軍のものだ。
当初1万6千人ほどいた南ダニア軍は、この2日間の戦いで2千人以上の死者を出し、その数を減らしていた。
一方の統一ダニア軍の死者はまだ300人に満たない。
全体で5千人ほどいた兵力はまだ9割以上が生き残っており、戦局は守る統一ダニア軍の優勢に見える。
昨日から絶えず稼働し続けている巨大弓砲の威力がそうさせていた。
だが仲間から残りの巨大矢の本数を聞いた弓兵部隊のナタリーとナタリアは、この戦況が思った以上に早く変化するであろうことを悟った。
それは自軍にとって悪い変化だ。
巨大矢の本数が当初の予定よりも早く減っている。
本来ならば明日の夕方まではもつはずだった。
だが、この調子で使い続ければ明日の昼過ぎには全ての巨大矢を使い果たしてしまうことが予想された。
その原因は明確だ。
南ダニア兵の突撃が苛烈なまま衰えることがないため、予想以上の回転率で巨大弓砲を稼働させ続けなければならなかった。
そのため想定よりも早めに巨大矢が尽きてしまいそうなのだ。
「思っていたより敵勢力を削れていない。肉弾戦になれば圧倒的に数の少ないこっちは削られるだけだ。そうなれば……」
ナタリーはそう呟くと右手の前方で、巨大矢をかいくぐって来た敵兵を討ち倒しているベラとソニア率いる歩兵部隊を見た。
あの2人はナタリーから見ても信じられないほど強い。
だがそれでも数の力には敵わないだろう。
「アーシュラが連れてくるっていう援軍はまだなのか?」
隣に並び立つナタリアはそう言って拳を握る。
南の方角に目をやっても、地平線の彼方が見えるだけで、それ以外には何も見えなかった。
こうした状況下ではどうしても期待してしまう。
この苦境をひっくり返す新勢力の登場を。
だが、待てども待てども南の地平線には影も形も現れることはなかった。
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「これは厳しいな……」
新都から1キロほど離れた高台の丘から両軍の戦いを見守るイライアスは、やや落胆した表情でそう言った。
父親である共和国大統領の命令でこの新都を巡る戦いを視察しに来ていた彼は、内心で統一ダニア軍の勝利を祈っていた。
彼女たちが新都を防衛して新たな都市国家を建国すれば、共和国にとっては魅力的な取引相手となるかもしれない。
イライアスはそうした未来を思い描いているのだ。
だが戦いを見守って3日目。
イライアスの目には戦況は芳しくなく映っていた。
現時点では統一ダニアが有利に見える。
しかしイライアスが今いる後方視点から見ていると分かりやすいが、南ダニア軍は兵力の層が厚い。
そして前衛と後衛を後退させながら兵にしっかりと休息を取らせているため、前線で戦う兵が常に精力的に動くことが出来ている。
「時間が経つほどに攻める側の優位が増すな」
そしてさらには新都の南の方角でも統一ダニア軍が別の南ダニア軍と激突しているのが見える。
ということはそちらの戦力を東に回して補充することは出来ないということだ。
すぐ背後で従者である双子の姉妹がじっと自分を監視していることも構わずに、イライアスはぼやく。
「まだ隠された戦力があるなら別だが、これは俺の希望通りにはなりそうもないな。つまらん」
すでに太陽は天頂から降りて西へと傾いている。
この丘の上での不便な天幕生活の結末が自分の望んだそれになりそうもないと思うと、イライアスは途端に感じる重苦しい疲労感にため息をつくのだった。
☆☆☆☆☆☆
「くそっ! アデラ! 一旦南門へ引き返せ!」
アデラを護衛する兵たちは、自分たちの倍の数の敵兵を相手に奮闘しながら叫んだ。
アデラは懸命に馬を狩って周囲に目を配る。
ここまで来たからにはボルドの元へ駆け付けたい。
だが、ブリジットと事前に打ち合わせをしたボルドの救出方法は、自分1人では出来ないのだ。
「くっ!」
アデラが馬首を巡らせて数百メートル先の平原を見やると、まだブリジットやクローディアたちは敵軍深くまでは切り込めていない。
この状況ではボルドの救出は極めて難しいだろう。
「ぐああああっ!」
アデラを守って戦っていた護衛の兵が2人、3人と倒れていく。
彼女たちも意地で敵兵を1人ずつ倒していたが、数の多い敵を相手に耐え切れなかった。
最後に残った1人が複数人の敵に囲まれながら必死に声を上げる。
「アデラ! 逃げろ! 行けっ!」
今自分に出来ることは逃げることしかない。
そう感じたアデラは唇を噛みしめ、必死に声を張り上げた。
「必ず任務は成功させます! 必ず!」
そう叫ぶとアデラは馬に鞭を入れて一路南門へと引き返して行った。
後方から護衛の女の断末魔の悲鳴が聞こえてくる。
アデラは歯を食いしばり、後ろを振り返らずに馬を走らせ続けるのだった。
☆☆☆☆☆☆
「驚いたな。女王2人に銀髪の従姉妹殿まで揃い踏みか。こちらの予想を超える戦力をつぎ込んできたな。大胆な発案者がいるものだ」
そう言うとトバイアスはアメーリアに視線を送る。
「さすがにあれでは兵たちも辛い。アメーリア。手伝ってやってくれ」
そう言うトバイアスだが、アメーリアはわずかに顔を曇らせた。
「ここはトバイアス様お1人で? 少々危険では?」
「イーディスの手が空いているだろう。こいつの見張りは彼女に任せる」
そう言うとトバイアスはボルドの肩をポンッと叩く。
鞭でさんざん叩かれて傷だらけの肌に触れられたボルドは、思わず痛みに顔をしかめた。
そんなボルドの表情を見て嗜虐の笑みを浮かべながら、トバイアスはアメーリアに言う。
「出来れば俺の目の前にブリジットを引き込んでくれ。こいつのこのミジメな姿を見せてやりたい。ブリジットはどんな顔をするかな」
危険を承知でそれをものともせずに平然と計画を進めようとするトバイアスの危うさは、アメーリアの胸を高鳴らせる。
しかし一方でこの主の前にブリジットを連れてくることの危険性にアメーリアはわずかに不満げな顔を見せた。
それでも彼女はトバイアスの意向を何よりも重視するのだ。
「……ブリジットのことは善処いたしますわ。クローディアについてはお約束は出来かねますが」
2人の女王を同時に相手にしても負けるつもりは毛頭ない。
だが、その場にトバイアスがいるのであれば、彼を守りながらの戦いとなってしまい、さすがのアメーリアでも条件が悪過ぎる。
アメーリアの言葉にトバイアスは肩をすくめつつ笑みを浮かべた。
「おまえは心配性だな。だが愛する妻となる女の言うことは無碍には出来ん。おまえに任せるよ。アメーリア」
「トバイアス様……」
2人はボルドの目の前で臆面もなく抱き合い、深い口づけを交わすのだった。




