第211話 『接待の夜』
「ああっ! トバイアス! いいわ!」
ベッドに横たわるトバイアスは何の感情も感じさせない目で、目の前で上下に揺れる白い背中を見つめていた。
昔は美しかったであろう背中には年相応の染みが色濃く浮かび上がっている。
今夜、彼の寝室を訪れたのは40歳を超える中年の女性だった。
いつものようにトバイアスが街で引っかけた娘でもなければ、街角に立つ娼婦でもない。
彼女はトバイアスの出資者だった。
「お綺麗ですよ。いつまでも変わらぬ美貌に感服いたします」
そう言ってトバイアスは身を起こすと女の背後から手を回し、たっぷりと脂肪の乗ったその豊満な乳房を両手で包み込む。
そして荒々しく女のうなじに口づけをした。
女が興奮のあまり甲高い声を発する。
いつもなら最高潮のところで相手の女の首を絞めて殺してしまうトバイアスだが、この夜はそんなことはしなかった。
なぜならこれは接待だからだ。
いつものように感情のままに荒ぶるのではなく、相手を喜ばせることにトバイアスは徹する。
甘い言葉と激しい愛撫を受けて中年の女は身を震わせ、ほどなくして絶頂へと達した。
そして倒れ込むようにトバイアスの胸に顔をつけて、荒い呼吸を整える。
そんな彼女の髪を優しく撫でながら、トバイアスは彼女の耳元で囁いた。
「レディー・ミルドレッド。変わらずにお美しい」
「お世辞はいいのよ。トバイアス。この夜があるからこそ、私はあなたに多くを与えたくなるのだから」
レディー・ミルドレッド。
彼女はこの公国の首都で数々の娼館の元締めを行う立場であり、数多の王侯貴族に対して多種多様な娼婦や男娼を宛がうことで権力者たちからの信頼を得ていた。
それだけではない。
表向きは禁止されている薬物などの売買にも手を染め、没落した貴族の領地や所有物を次々と買収してはその勢力を拡大し続けている。
娼婦上がりの彼女がそれほどの権力を手に入れ、公国裏社会の女王と呼ばれる立場を確固たるものに出来たのは、彼女がかつてビンガム将軍の愛娼だったからだ。
ビンガムにはトバイアスの母親ら数人の妾がいたが、その中でもミルドレッドは最も商売の才覚に溢れる女だった。
愛娼の立場でありながら数々の商取引をまとめ、単なる夜伽の相手以上の利益をビンガムにもたらしたのだ。
そのためトバイアスの母親を謀殺したビンガム夫人ですら、ミルドレッドには手出しが出来なかった。
「まさか父親と息子の両方から求められるとは思わなかったわ」
「それだけあなたがお美しいということですよ。父に嫉妬してしまいます」
「まあ、あなたの御父上は今はもう私を求めることなどないけれど」
「私がおります。レディー。いつでも喜んでお相手を務めさせていただきますよ」
そう言うとトバイアスはゆっくりと、ミルドレッドの肩を掴んだまま身を起こし、ベッド脇に置かれた夜着を彼女の両肩にかけた。
彼女はそれを着て帯を結ぶと、ベッドから降りる。
「さあ。仕事の話をしましょうか。トバイアス」
「ええ。例の彼女はすでにこの都に?」
「もちろん手配通りに。都の検疫官には賄賂が通用しないから苦労したわ」
「ご面倒をおかけいたしました。万が一にも都に疫病が流行ってしまえば、彼らは厳しい罰を受けますから。金では動かないのでしょう」
疫病は社会にとって恐ろしいものだ。
流行れば多くの人間が死に、社会活動は滞る。
そして疫病は他所の土地から来た人や動物が持ち込むものだった。
ミルドレッドは訝しむように言う。
「それにしても砂漠島から来た女どもは、逆に免疫が無くてこの大陸では風邪でもひいたら大量死するんじゃないの?」
「いえ。以前にダニア分家の女王クローディアが大陸から砂漠島を訪れた際に彼女の部下であるアーシュラという娘が経口薬による対症療法を伝え、それから大陸の人間を定期的に送り込み、すでに砂漠島のほとんどの島民が集団免疫を獲得しています。この大陸を訪れても彼女たちの健康状態は危機的な状況には陥らないでしょう。ただ、今回の彼女だけはアメーリアでなくては近付くことすら出来ませんので」
そう言うとトバイアスはベッド脇に置いた上等な葡萄酒をグラスに注ぎ、ミルドレッドに手渡した。
彼女はそれを受け取ると、グビリと一息に飲み干してベッドに腰掛ける。
「準備万端ね。それにしてもあなた、黒き魔女には随分と御執心じゃない。妬けるわ。まあ、30歳も手前であれだけの美貌があればそれも当然かしら」
「やめましょう。他の女の話など。今宵このベッドの上では、この世界には私と貴女しかいないも同然です。レディー」
そう言うとトバイアスは全裸を晒したまま再びミルドレッドを抱き寄せる。
ミルドレッドは自分の太ももに押しつけられるトバイアスのそれの固い感触を感じながら、再び目を細めた。
「もう復活したの? 相変わらずのツワモノね」
「恐れ入ります。夜は長いのですから楽しみましょう」
そう言うとトバイアスは再びミルドレッドをベッドに押し倒し、その夜着の帯を解いていくのだった。




