第307話 『痛みと屈辱に耐えて』
「ブリジット。鳶隊のアデラ。ただいま参上いたしました」
ブリジットに呼ばれてこの南門へ赴いた鳶隊のアデラは、主の前に跪くとそう言って深々と頭を下げた。
ブリジットはそんな彼女の肩に手を置いて言う。
「ああ。アデラ。頼む。ボルドを奪い返すにはおまえの助けが必要だ」
「はい。必ずお役に立って見せます」
アデラは穏やかな彼女にしては珍しく強い決意をその顔に滲ませていた。
彼女は他の者たちよりもよく知っている。
ブリジットとボルドがどれだけ愛し合い、互いを大事に想い合っているのかを。
今、ブリジットは非常に苦しい立場に置かれている。
本当ならば何もかも放り出して、ボルドの元へ救出に飛んで行きたいはずだ。
だからこそ自分の力がボルドを救う一助になるのならば、自らの命を賭してでもやり遂げる覚悟がある。
それが自分を見出してくれたブリジットへのアデラの忠義の果たし方だった。
☆☆☆☆☆☆
新都南門から数百メートル離れた平原で待機していたトバイアス軍からどよめきの声が上がる。
それもそのはずだった。
唐突に新都の南門が開いたのだ。
そしてそこから大勢の騎馬兵たちが出撃してくる。
皆、紅き翼の意匠を鎧に刻印した、統一ダニア軍の赤毛の女戦士たちだ。
その先頭を馬で駆けて来るのは金髪の女王ブリジットと、銀髪の女王クローディアだった。
トバイアス率いる南ダニアの女戦士たちはいつでも戦えるよう臨戦態勢を整えていたので、これをすぐさま迎え撃つ。
「トバイアス殿! 統一ダニア軍が出撃してきました! 先頭に立つのはブリジットとクローディアです!」
トバイアスの天幕にアメーリアの部下が報告に駆け込んで来た時、トバイアスはアメーリアと優雅に食卓を囲んで昼食の最中だった。
「そうか。2人で来たか。勝負をかけて来たってことだな。面白い」
「情夫くんを呼びますか? トバイアス様」
葡萄酒のグラスを洒落た仕草で傾けながらそう尋ねるアメーリアにトバイアスはニヤリと笑う。
「そろそろいい具合に仕上がっているかな。ボルドは」
トバイアスの歪んだ笑みにアメーリアも口の端を吊り上げて禍々しい笑みを浮かべるのだった。
☆☆☆☆☆☆
「くっ……うぐっ……」
痛めつけられ、嫐られる苦痛の時間が続く。
ボルドは意識が徐々に朦朧としてくるのを感じていた。
イーディスはボルドが先程の頭突きのような抵抗が出来ないよう、さらにきつく縛り、彼は文字通り身動きが取れなくなっていた。
「あらあら。顔が虚ろよ。もう音を上げるの?」
イーディスはそう言うと赤く上気した頬を歪めてニヤリと笑う。
彼女はボルドの顔は傷つけなかった。
だが、水を無理やり飲ませては腹を殴りつけて吐かせるという行為をもう十数度繰り返し、ボルドはすでに息も絶え絶えになっていた。
彼の体はまんべんなく鞭で叩かれたために、あちこち引っかき傷とミミズ腫れだらけだ。
そんな彼の痛ましい姿を見てイーディスの顔は歪な興奮に彩られる。
「かわいそうね。せめてものご褒美よ。傷口に接吻してあげる」
卑しい目付きでそう言うと、イーディスは嫌がるボルドの体に口づけをしていく。
唾液が傷に沁みて痛みが走り、ボルドは懸命に身をよじるがイーディスは容赦なく彼のミミズ腫れを舌で刺激した。
彼が嫌がれば嫌がるほど、苦痛の声を漏らすほどにイーディスは暗い喜びに満ちた顔で彼を嫐る。
初めは気乗りしなかったこの任務だが、今はイーディスを大いに興奮させていた。
ボルドは実に虐め甲斐のある相手だ。
その時、天幕の外から声がかかった。
「イーディス様。アメーリア様がボルドを連れてくるようにとお命じです。ブリジットがボルドを取り戻しに南門から出撃してきました」
その言葉にイーディスは舌打ちをした。
(まだお楽しみの途中だってのに……)
イーディスは外の兵士にすぐ行くと伝え、ボルドに目を向けた。
「ご主人様がもう取り戻しにきてくれたそうよ。あなたよほど大事にされているようね。憎らしい。意地悪したくなるわ」
そう言うとイーディスはボルドの頭を両手で押さえつけ、彼の首に唇をつけた。
そして思い切り彼の肌を吸う。
ボルドは必死に暴れるが成す術なく、彼の首に赤い口づけの痕がくっきりと残された。
それを見たイーディスは唇をペロリと舐めると満足げに笑う。
「ふふふ。他の女に接吻されましたって愛しい女王様にちゃんとご報告するのよ。女王様はさぞかし悔しがるでしょうね。いい気味だわ」
そう言うとイーディスはボルドから離れ、天幕を出ていく。
「すぐ迎えに来るから、いい子で待ってなさい」
1人残されたボルドは痛みと屈辱に身を震わせながら、ブリジットのことを思った。
(ブリジットが私を助けに……どうかご武運を)
ブリジットなら必ず自分を助けに来てしまうと、ボルドは心のどこかで分かっていた。
それは嬉しくもあり心苦しくもある。
今はとにかくブリジットを信じ、彼女の無事を祈るしかない。
ボルドがそうしていると、不意に天幕の入口の戸布が吹き込む風に翻る。
そして風と共に人が入ってきた。
イーディスが戻ってきたのだと思い、ボルドは身構える。
しかし彼はふいに異様な臭いを感じ取り顔をしかめた。
見ると天幕の入口付近に奇妙な人物がいる。
それは赤毛に褐色肌の女であるが、四つん這いでそこに座っていた。
そして獣のような臭いがひどい。
まるで黒熊狼が入り込んできたかのようだ。
ボルドは本能的な身の危険を感じて息を飲む。
「あ、あなたは……」
「ウグルルルル……」
その女はまさしく獣のごとき唸り声を上げながら、少しずつボルドに近付いてくる。
見たこともないような異様な様子の女を相手にボルドは恐怖で身がすくみ上がり、声も出せずにいた。
少しでもこちらが身動きすれば飛びかかってきそうな気がして、ボルドはピクリとも動けないまま固まってしまう。
獣女は少しずつ距離を詰めて来ると、ボルドの足元で彼の爪先から頭までを食い入るように見つめた。
ボルドは恐ろしくてわずかに震えながら必死に顔を背けようとする。
獣女はそんなボルドの匂いを嗅ぎ始めた。
その獣くさい鼻息がボルドの肌を舐める。
そして実際に獣女はボルドの足の親指をペロリと舐めた。
「ひっ……」
ザラザラとした舌ざわりの不快感にボルドは思わず悲鳴を漏らした。
それを聞いた獣女は口からジュルリと涎を垂らし、入口の方へと歩いていく。
ボルドは心臓が恐怖で早鐘を打つを感じながら考えた。
先ほどイーディスに痛めつけられていた時よりも遥かに怖いのはなぜか。
それは理性のあるイーディスと違って、今この目の前にいる相手には一切の道理が通じないような気がしてならないからだ。
獣女はそのまま外に去っていくかと思いきや、そこでクルリと踵を返してボルドを見た。
その目が爛々と輝いている。
それは腹をすかせた肉食獣が獲物を狩る時の目だった。
「ウガウッ!」
獣女は唸り声を上げて、その肉を食らおうとボルドに飛びかかった。
「うああああああっ!」




