第303話 『怒りと焦りと』
仮庁舎前には漆黒の鎧や兜が地面に転がっている。
どれもすでに動かぬ骸と化していた。
全て統一ダニアの女戦士らに打ち倒された敵兵だ。
彼らは地下通路を通ってこの新都に侵入し、先ほど仮庁舎の中から続々と姿を現したのだ。
一方、その近くに設けられた天幕の下では、大勢の負傷兵たちが治療を受けている。
皆、黒い兵士との戦いで傷付いた者たちだ。
中には果敢に戦って命を落とした者もいる。
さらに地下に避難していた避難民のうち4分の1ほどの人員が敵兵に襲われ死亡した。
今、赤毛の兵士たちが仮庁舎の奥から避難民の遺体を運び出している。
そうした痛ましい光景の中、作戦本部では2人の女王が顔を突き合わせていた。
「くそっ! アメーリアめ!」
ブリジットは作戦本部の机が壊れてしまうのではないかと思うほど拳を強く打ちつけた。
その剣幕に、周りの屈強な女戦士らが思わずビクッとしてしまうほどだ。
黒き魔女アメーリアの手によってボルドが攫われた。
それも新都の中で最も厳重に警備されたはずの仮庁舎内の避難室からだ。
「アタシの責任だ」
そう言って唇を噛みしめるブリジットを見て、クローディアは何とも言えない表情を浮かべる。
クローディアも思いは彼女と一緒だ。
ボルドが今あのアメーリアの手に落ち、その身を危険に晒しているのだと思うと、怒りと焦りで胸が焼け焦げそうになる。
だが、ここでブリジットと一緒になって感情的に怒るわけにはいかない。
クローディアはボルドへの想いを胸の奥底に押し込み、努めて冷静でいようと自分を律する。
女王が2人いるのだから、どちらかが熱くなっている時はもう一方は冷静であるべきだ。
「ブリジット。ボルドと一緒にいた小姓たちの話だとアメーリアは黒髪を赤く染めていたのよね? けどボルドを抱えて逃げようとするのなら、絶対に目立つはずよ。そういう目撃情報は寄せられていない。おそらく地下通路を戻って西へ逃げたのね」
そう言うとクローディアはいち早くブリジットの手を掴む。
そうしなければ彼女が今にも飛び出していきそうだと思ったからだ。
そしてブリジットが何かを口にする前にクローディアは言った。
「だとしたら今から追っても間に合わない。まずは南にいるトバイアス軍を注視しましょう。アメーリアの言う通りならボルドはトバイアスの元よ」
そう言うクローディアにブリジットは自分の初動の見誤りを悔やんだ。
ボルドが連れ去られたと知ったその時、ブリジットはたまらずに仮庁舎の中を駆け回って探し、どこにもいないと分かるとすぐさま外に飛び出し周辺を探し回った。
だが、それらしき人物はどこにも見当たらなかったのだ。
この時点で地下通路からの侵入に気付いていれば、すぐに走って追うことが出来たはずであり、その場合は追いついていた可能性も十分にある。
(冷静さを欠いていた……情けない)
ブリジットは自戒した。
ボルドが攫われたことで取り乱してしまったのだ。
クローディアは落ち込む彼女の背中をポンと叩いた。
「アメーリアに一杯食わされた。南に向かったのは獣女だけで、まさかアメーリア本人は仮庁舎に向かってくるなんてね」
統一ダニア兵たちは夜の闇の中で敵を追いかけていき、南門に到達した時点で獣女が1人であることに気付いたのだ。
そして獣女は飛び交う矢をくぐり抜けて、壁を駆け上ると、街の外へ脱出していったのだった。
クローディアは部隊を率いて周辺地域を探ったが、アメーリアはどこにも姿を見せなかった。
消沈するブリジットとそれを気遣うクローディアの元に、各方面からの報告をまとめ上げたウィレミナが駆け寄ってくる。
「地下通路に馬を入れて偵察を行ってきた者が戻ってきました。すでにアメーリアらの姿は無く、途中の大扉は錠前が外側から破壊されてすぐには開きません。敵の工作でしょう。アメーリアらは間違いなく地下通路を通じて外に出たのでしょうね。今、西の地下通路出口付近に調査隊を向かわせています」
その報告にブリジットは頷くと、拳を震わせながら立ち上がる。
「行ってやろうじゃないか。トバイアスのところへ」
「落ち着きなさい。ブリジット。敵の出方も分からないじゃない」
諌めるクローディアにブリジットは思わず声を荒げそうになる。
こうしている間にもボルドがアメーリアによってひどく痛めつけられて苦しんでいるかもしれないのだ。
「クローディア。小姓らから聞いた。アメーリアの奴は言っていたそうだ。戦略的優位を得るためにボルドを人質にするわけではないと。奴はボルドをただ痛めつけて愉悦のためだけに殺すかもしれないんだぞ!」
それはないとクローディアにも言い切れない。
戦略的優位を得るためでなければ、トバイアスはまさに楽しむためだけにボルドを殺すかもしれない。
トバイアスという人物が卑劣漢であることは自分もブリジットも知っている。
(たとえばブリジットの目の前でボールドウィンを……)
そう考えただけでクローディアはブリジットが胸に抱く怒りがそのまま自分にも伝わってくるように感じられ、思わず唇を噛んだ。
そしてブリジットの手を掴んだままのその手に静かに力を込める。
自分も気持ちは同じだという思いを込めて。
「ブリジット。気持ちと行動は切り離していきましょう。そんな顔を見せてはトバイアスの思うつぼよ」
「……ああ。すまない」
ブリジットは怒りを飲み込むような声でそう言うと、クローディア、それからオーレリアとウィレミナの顔を順に見回してから、真摯な口調で言った。
「次の一手を講じなくてはならない。皆の考えを聞かせてくれ」
ブリジットの話にその場の全員が神妙な面持ちで頷くのだった。
☆☆☆☆☆☆
ボルドはようやくアメーリアの肩から下ろされると、顔に被せられた麻布を剥ぎ取られた。
久々の光を浴びて視界が真っ白になる。
頭上から差し込むのは薄日だったが、今のボルドには十分過ぎるほど明るい。
そこはどこかの天幕の前だった。
眩しさを堪えるように目をグッと閉じているボルドの耳から耳栓が取り除かれる。
先ほどアメーリアがボルドの耳を塞いだ物だ。
どうやらアメーリアは途中でトバイアスと合流したらしく、その少し前にボルドは耳を塞がれた。
そのため、それ以降の会話を聞き取ることは出来なかったのだ。
だが、そうして視覚と聴覚を奪われていたせいか、先ほどまで感じていた重苦しい頭痛は消えていた。
今は頭がスッキリしている。
そんなボルドの目の前に1人の男が顔を近付けてきた。
「よう。情夫殿。あの谷戸での夜以来だな」
その声にボルドは息を飲みながら、ようやく焦点の合ってきた視界の中でその男の顔を見た。
トバイアス。
真っ白で輝くような頭髪が特徴的な、美しい顔の男だった。
だがボルドにはその美貌がまるで禍々しい死神のように見える。
「あなたが……私を人質にしろと言ったのですね」
「ああ。女王様方をお招きして楽しい祭りを開催しようと思ってね。主役は貴殿だ。ボルド」
そう言うトバイアスの目が妖しく光る。
ボルドは腹の底に力を入れて自分に言い聞かせた。
自分はブリジットの情夫だ。
愛する彼女のために自分の命と人生の全てを賭ける。
その思いを胸にボルドはトバイアスの目を静かに見据えた。
「……覚悟は出来ているという顔だな」
「あなたの思う通りにはなりません。ブリジットに刃を向けたこと、必ず後悔することになります。必ず」
2人の男は互いの立場を自覚しつつ、その視線を交わし合うのだった。




