語り継ぐ世界は、
ちょっと責任が重い。
どうしてもうちの子たちにはもう過去の記録だ。
ママはばあちゃんから、ずーっときいていたけど、あんまりききたくない話にはいる。
大人になって、職業柄、話はきいてきた。ご家族には言わない話も私たちには、話されるケースがあった。
だけど、やっぱりママにはばあちゃんの記憶が強い。たんに極端なばあちゃん子ていうか、ママはばあちゃんに育てられてるので、中学まで自分の部屋がなくばあちゃんとシングルベッドにねていた。
毎晩のようにきかされた話があった。が、それをうちの子たちには、言ってない。
ただ、まだまだこの日本で生きている声だと、それだけは、忘れてほしくない、って思いながら、書いてたけど、
…むりかな。
も思う。
直にきいていたママですら、歴史の教科書でしか知らない。
お墓参りに、ただお供えする。
子供たちは、
ーひいばあばのお墓という。たまに、小さなじいじのお姉ちゃんとは、言うけど、
ひいじいじがいないは、知ってる。
戦争に行ったけど、たどり着く前に輸送船がしずんじゃったんだ。
だから、遠い外国の海に眠ってるよ?だけ伝えてる。
ふと、思い出す祖母は、
ーなんでこげん太くなったかいね?こまかままでよかとに。
と、晩年寂しそうに、ママの身体をビシャとたたいて、言ったことがある。
ーえっ?クラスでもチビだけど?やせてる方だけど?
だったけど、
なにも言わなかった、というより、言ったらダメだは何回かあった。
4歳で赤痢から栄養失調で亡くなった娘とママを重ねてたは、なんとなく感じていて、たぶん私が、おばについて、いちばん祖母から話されている。
ママは自分の部屋がなかったから、中学までは祖母の狭いベットで一緒にねていた。昼間の祖母は、あまり言わなかったけど、お酒のんで、寝入りがけに、よく祖母がまだ若い日の記憶を、子守唄のようにきかされていたからだ。
いちばん多かったのは、空襲の話だけど、ばあちゃんの娘、4歳で亡くなったおばさんや祖母の子供時代の話だった。
記憶の中のばあちゃんは、亡くなった娘と祖父の帰りを祖母は待ってた。
子守唄がわりに、いろんな話をいちばんきかされたママだけど、
ー絶対にママからは遠方に住む姪っ子たちには話さない。けど、自分の子達には、おばがいたんだよ?は、小さな時から、伝え続けてる。
お墓に子供用のお供えをして、身近な存在におきた話だよ?とは伝えてるけど、
親が教えないなら、むりに知らなくていい派だ。
だけど、
ーあいたい。
それだけを願って、苦しむ人々がいまなおいる。
ーこの日本に。
それは忘れてほしくないって思うけど、思うだけでいいとも思う。
だって、素直に幼心に祖母の話は、
ー怖かった。
大雨の音は、いろんな記憶がごちゃごちゃになって、だけど、たくさんの生の声をきいたから、あまりに、つよくて、むごくて、苦しくて、
ー兵隊さんは?まだ帰らんとね?私よりも若いとよ?かえってこないかん!
私はまたんといかん。
…いつまで苦しむの?
って思うんだ。
夏はきらいだ。
たくさんの記憶が交差して、けど、
…いつかうちの子供達に見つけてほしいから、フェイクをかけて残すんだろう。
いつかすべてが土にかえるだろうけど、まだまだ生きてる苦しみなんだ。
あの方は、兵隊さん、たち、に、であえたのかな?
ーばあちゃんが、死んでも、ここには、おらんとに、ね。
自分が建てたお墓で、ぼつりとつぶやいた祖母は、なにを考えてたんだろ?
大丈夫だよ?ばあちゃん。いつかママが一緒にはいるから?
と幼心に誓ったが、
だけど、いまなら、かえしは?
ーばあちゃん、楽したいから、あの世まで子守りはやめてくれ?
か?
爆笑だよな。
って思う。大丈夫だよ?少なくてもうちの子たちは、おばもひいじいじも、存在したってなんとなくわかって育ってる。
その存在は確かに、うちの子達に伝わってる。
けど、ママは姪っ子たちには話してない。姉や弟には、祖母はあまり話してないだろう。
なんとなく、もう、それでいいとも思う。けど、語り継ぐべきもわかるから、そっと願いをお墓にお供えしながら、子供達にたくすんだ。
そして、やっぱり、思ってしまう。
ーいまの日本でまだまだ生きてる苦しみだと。
もう傷つけないでほしいんだ。




