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ギョべクリテペ

以下、モンキーハンティングを解説して下さった博士様から解説?です。



>シュメールは、世界初の文明と言われていますが、約7000年前に、文明と認めらる都市構成をしていたそうです。


人類は、狩猟採集生活から、1万年ほど前に、メソポタミアで、農業を基にする定住生活へと切り替えとされています(もちろん、シュメールは、メソポタミア内にありました)。


農業と定住のお陰で、貧富の差が生まれ、村から町へ、そして都市化したと。これが、世界で最初に起こったのが、メソポタミアのシュメールであるため、シュメールが史上初の文明と呼ばれています。


しかし、90年代に、ドイツ人考古学者が、トルコ東部で、1万年以上も前に建てられた石の建造物からなる大型遺跡を発見しました。


ギョベクリテペと呼ばれ、今では世界遺産です。周りには、大規模な定住地(村や町)があった証拠はなく、又、農業をやっていた証拠もありません(遺跡近くで発掘された骨や穀物等を遺伝子検査すると、野生の動物や植物であったため)。


この遺跡の発見は、上記のように、農業と定着した生活の後に、大規模な集団生活を行い始めた(その結果、文明が生まれた)という、考古学の定説を覆えす大発見となりました。



狩猟採集民族が、このような大規模な遺跡を作れたということは、定住なしでも、文明は発展できた可能性はあるといえると思います。


ただし、現在の「文明」定義では、農耕と定住が必修条件とされているため、ギョベクリテペを立てた民族を文明とは命名していないと思います。


https://worldclub.jp/turkish/gobeklitepe/


実は、この遺跡を建てた民族が、後に、メソポタミアへ移動し、農業をはじめ、都市を作ったと言う説も生まれています。


遺伝子で、民族間の繋がりがあるかどうかは検定されているでしょうが、結果は読んだことがありません。ウキには、書いてあるかもしれませんね。


移住したのではなく、メソポタミアの北部に位置するこの地域と交流があって、影響を受けたとしても不思議はないと思います。(シュメールとゴベクリテ間の距離は東京ー福岡間よりも近いです。)



ちなみに、いま、八つ当たりみたいなの質問してますが、博士の専門は、


ー物理。


と言われてますが相手してくださってます。ありがとうございます。

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