第5章 記憶をさかのぼる旅
アランが異世界日本で捜索している頃、シルベスタも東の地で重要なヒントを見つけます。じわりと見えてきた過去から連なるなにか。。。
ハワードの心境の変化もお楽しみに。
第5章 記憶をさかのぼる旅
アランは再び母子手帳を手に取り、何か手掛かりはないかと調べなおした。そして、個人の電話番号を見つけた。
「そうだ。翌月の予定や予定変更の連絡は直接自分に電話してほしいと言われていた」
アランは早速その薄れかけた番号に電話をしてみた。数回のコールの後、誰かが電話に出たが、アランが名乗ると、すぐさま切られてしまった。なんだか様子がおかしい。考えた末、アランは公衆電話を探し当て、偽名を使い、荷物を頼まれたと偽って約束を取り付けた。
駅前のファーストフード店は平日の昼間ということもあり、混雑していると言うほどでもなかった。飲食コーナーの隅に陣取って帽子を目深にかぶり、アランは平田がやってくるのを待っていた。約束の時間を少し過ぎたころ、角のとがった眼鏡をかけ、傲慢な表情を隠しもしない平田がやってきた。しばらく様子を見ていると、コーヒーを一杯飲み干した後、落ち着かない様子で周りを見渡したし、「まったく」とでもいう様に、いらだった様子で席を立って店を出た。
アランはその後ろ姿を見送ってから、なんでもないように自分も席を立ち、距離を取りながら後を追うことにした。あの頃も独特な雰囲気をまとっていたが、それは今でも変わらないようだ。当時はそれどころではなくて気づけなかったが、あれはベビーシッターに向いているとは思えないな。
しばらく歩いた先に大きな邸宅の門が見えてきた。平田はちらっと左右を確かめると、その横にある小さな通用門からするりと中に滑り込んだ。アランがその家を確かめようと近づいた時、突然、後ろから何者かに目隠しされ拉致されてしまった。
同じころ、シルベスタは元の王国の中心部があったサルビィの丘にやってきた。30年の月日でずいぶんと震災の跡は風化しているが、誰も住まなくなった街は荒れ果てたままだ。じっと目を閉じ、蔵書のありかを探っていくが、なかなか目当ての物は見つからない。避難所のあった丘から少しずつ谷を下りながら、シルベスタはその度神経をとがらせて調べ上げた。
気が付けば、陽が傾きひんやりとした空気が辺りに満ちてきた。片手を上げて、ハンモックを設置し、焚火と小さなテーブル、そしてそれらを囲む結界を張ってささやかな夕食を摂る。カバンには魔石をふんだんに入れているので、旅慣れたシルベスタには、造作ないことだった。食事を終えるとハンモックに横になる。木々の間から覗く星空は、昔と何も変わらない。ガウェインと二人で旅をしていた時もこんな風だったな。シルベスタは過去に思いを馳せていた。
災害のあった時、シルベスタは17歳、一つ年上のガウェインはいとこにあたる。その頃の王には3人の息子と2人の娘がいた。ガウェインは三男で、幼いころから帝王学を学び王としての教養を叩き込まれていた上の二人の兄と比べると、比較的自由に遊びまわれる存在だった。あまりに自由奔放にしているので、見かねた王はもう少し見聞を広めて来いとガウェインに言い渡し、補佐役に自分を指名したのだ。思えば楽しい旅だった。不思議なことに、近隣諸国を回るほど、自国の良さに気づかされた。王は国民に理解のある人で、国政は至って安定していた。酪農と工業がとても盛んで、切り立った岩場からの美しい滝も人気の観光スポットだった。
懐かしい風景を思い浮かべながら眠りにおちそうなシルベスタは、寝返りを打った拍子に目の前の草むらに何かが月の光を浴びて光っているのに気が付いた。
そろりとハンモックを降りて近づいてみると、小さなペンダントが泥に半分埋もれていた。風雨に晒されたのか、少し泥が流されてそこに月の光が差し込んで青く輝いていたのだ。その青はシルベスタの青空のような瞳の青ではなく、海原のような深い青。
「これは、あの子の…」
シルベスタの心は一気に過去へと引き戻される。
幼いころからもてはやされていたのは、何もアランだけではなかった。美しい銀髪、透き通るような白い肌に青空のようなブルーの瞳。本人は嫌がったが、多くの者がその容姿に憧れていた。しかし、剣術ではガウェインに勝てないし、勉強も優秀程度だ。王位継承権に至っては王の息子3人と叔父に続いて5番目だった。シルベスタは中途半端な自分に嫌気がさしていた。そんな時、自分の容姿をほめない女の子が現れたのだ。彼女は幼いころから勉強に打ち込む才女と言われていた。
「生まれ持った容姿や立場に胡坐をかいているなんて、かっこ悪いことだと思うわ。自分の中の特別って言えるものを持つべきよ」
自分の容姿にピクリとも反応しない彼女は、まっすぐにこちらを見返して、そう告げたのだ。自分の中の特別、その言葉が頭から離れなかった。それからというもの、シルベスタは狂ったように魔術の特訓に明け暮れたのだ。そして、今がある。
翌朝、シルベスタは荷物をまとめて王宮へと戻ると、すぐさまガウェインの元にペンダントを届けた。
「これは…。キャロルの自慢のペンダントか」
「そうだ。海のような深い青がキャロルの瞳とそっくりだと母親からもらったんだと自慢してた」
王族の遺品はいくつか見つかっていたが、災害時、別の場所にいたらしいキャロルの遺品は見つかっていなかった。ガウェインは、すぐさま専門家を呼んでペンダントの洗浄を依頼した。シルベスタは再びサルビィの丘に向かうため、魔石や鉱石を準備すると言って部屋を出た。
ガウェインはその後ろ姿を見送って、小さなため息をついた。キャロルはシルベスタにとってもガウェインにとってもいとこにあたる。普段はおとなしくて冷静な少女だった。ガウェインがキャロルの想い人に気が付いたのは、シルベスタと旅にでることが決まった時だ。王からの指示があったとなにげなく伝えた時、珍しく動揺するキャロルを見たのだ。
その頃からシルベスタは麗しい容姿で女性たちから絶大な人気があった。それがうっとうしくて逃げたい時、いつも自分を遊びに誘ってきたのだ。キャロルはそんなシルベスタの内面を見ていたのかもしれない。見た目よりずっと心細く、不安をいっぱい抱えたあいつの本当の姿を。シルベスタに告げ口すればよかっただろうか。そうすれば、あの震災の前に、あるいはあの子にとって幸せは展開があったのかもしれない。
思いを巡らせているうちに、ペンダントはきれいに汚れを落とされ、元のように美しい姿になって戻ってきた。ガウェインがそっと手に取ってみると、裏側に刻まれた文字があることに気が付いた。
再びサルビィの丘に向かおうとするシルベスタは、伝令により王宮に立ち寄ることになった。
「シルベスタ。これは、お前が持っていてくれ」
「え?でも、これは王族の…」
怪訝な顔でそれを受け取ったシルベスタは、海のような青い宝石の裏側に刻まれた文字に愕然とする。
「LOVE SELV. Carol…」
いつも飄々としているシルベスタが、急いで口元を抑えた。それでも美しいその顔が悲しみにゆがんでいく。その背中にそっと手を添えて、ガウェインは言う。
「シルベスタ・サーガ。もう一度これのあった場所を探してくれ。思い出したんだ。俺たちが旅立つ時、あいつは古文書を抱えてただろう?俺たちが帰るまでに読み切って専門家になるんだと」
普段はおとなしい少女が珍しく明るい笑顔を見せて、それが少しやせ我慢のようにも見えたのだが、古ぼけた本を胸に抱えて目標を語って手を振っていた。シルベスタは手のひらに収まる小さなペンダントを握り締めると、「行ってくる」とつぶやいて、足早に王宮を飛び出して行った。
王宮を出て4日が経っていた。ペンダントを握り締め、キャロルの気配を感じるものを探すシルベスタだったが、3日目からは雨になった。アイスフォレストから持ち出した魔石も残りわずか。しとしとと降りやまない雨は、大魔術師と誉れ高いシルベスタでも、じわじわと心をえぐられる。
―どうしてあの時、手を振り返さなかったんだろうー
―どうしてあの時、素直に「そうだね。」って言わなかったんだろうー
―どうしてあの時、「待っててね」って言わなかったんだろうー
その一つ一つが人生の岐路だったような錯覚に打ちのめされ、シルベスタは大きく枝を茂らせた木の下に座り込んでしまった。
「キャロル…今頃自分の気持ちに気づくなんて愚かだね。」
青く光るペンダントを見つめながら、深いため息をついた。雨は降りやむ様子もなく、枝のあちこちからタンタンと水滴がリズムを刻む。
「ああ、これはまるでダンスのレッスンのようだな。ヒカルはハワードとうまく踊れるようになっただろうか」
そんなことがぼんやり頭をかすめた。その時ふいに先日のヒカルの言葉がよみがえった。
「あ、そういえば、急に雨が降ってこまった時は、全力で雨雲を追い払うおまじないとかしてました。これ、ほんとに効くんですよ!ふふ。」
うん、ヒカルを連れてくれば良かった。あの子なら本当に雨を吹き飛ばしてしまいそうだ。ヒカルのことを思い出すと、なぜだか心の中がカラリと晴れ渡っていく気がする。
「よし、もう少し、がんばってみるか」
シルベスタが立ち上がると、見下ろす谷の途中になにやら白いものが見えた。すぐさま近づくと、雨に溶け始めた紙きれのようだ。シルベスタは慎重に周りの土をかき分け、その本体を何とか引き出した。
「これは、何かの本だな」
ページがバラバラにめくれ、半分ほどは泥と水分でにじんでいるが、あの日、キャロルの握りしめていた古文書の表紙と同じ色をしている。シルベスタは大急ぎで荷物をまとめると、再び王宮へ向かった。
王の執務室に先の会議のメンバーが集まった。ここにアランがいないことをみな心のどこかに想いながらも、今は目の前の古文書に集中していた。
「やはり大部分が解読できないようですね。」
洗浄と乾燥をすませた古文書を用心深くめくりながらクランツがつぶやく。ガウェインはそれをじっと見つめていたが、ふと思い立って古文書を受け取ると、クランツが見ていたところよりずいぶん先のページをめくりだした。
「確か最後の方だっただろ。あ、ここだ。遺伝の種の文字が読み取れる」
「ああ、確かに!」
頭を寄せ合い、中を確かめていると、この術を施されたものは通常の魔術には影響されないと記されているのが分かった。
「そんな…、ではどうすれば」
「ジーク、気持ちは分かりますが、少し落ち着きましょう。わざわざ古文書に記しているのですから、なにか伝えるべきものがあったのでしょう。シルベスタ、あなたもこれを読んだことがあるのでしょう?なにか思い出せないかしら」
鋭い視線がシルベスタに突き刺さる。その後ろで何か言いたげなガウェインは、ふいに振り向いてふんわりとほほ笑む銀髪の妃に何も言えない。
「う~ん、確かに何かあったような…」
シルベスタはガウェインから古文書を受け取ると、どんどんページをめくり、最後のページでぴたりと手を止めた。
「あった。けど、半分消えているな」
7人の視線が再び古文書に集まった。
「亜種を…、探せ? 亜種?」
「それじゃまるっきり、ハワードが話していた物語と同じじゃないか」
「どういうことですの?」
「進化の途中でまったく違ったものに変異することを生態的異変というのですが、前回の会議でヒカル王女が遺伝の種の術の条件に一致しているのにおかしな行動をしていないと言う話がありましたが、それがこの亜種に相当するかもしれないということです。」
「とりあえず、アランの帰還を待とう。この話はそれからだ」
ガウェインの一言で、会議は皆の心に不安を残したまま、お開きとなった。
その頃、王太子の間では、春の宴に向けてヒカルがドレス選びをしていた。菜の花色のサテンのドレスや、淡い紫の上品なドレス、レースをふんだんに使った豪華なドレスなどクローゼットには多くのドレスが並べられている。それを一つ一つ眺めては、ため息をつくヒカルだった。
「王女様、こちらの水色のドレスはいかがですか?色白な王女様のお肌によく映えますよ」
「ん、そうかな」
返事はするものの、心ここにあらずである。父親のアランからは何の連絡もないまま、宴の準備はどんどん進んでいる。か細い肩を落として沈む姿をベスはどうしたものかと考えていた。その時、窓の外でリッキーを呼ぶ声がして、ベスはそっと窓辺に寄ってみた。
「あ、リッキーの友達の人…」
こちらに向かっているところを見ると、リッキーは今からが出勤なのだろう。そのリッキーに親し気に話しかけているのは、同じ第一騎士団の仲間のようだ。ベスも見たことがあるので、リッキーが親しくしている仲間だろう。少し話し込んで別れていたのを見て、今のヒカルの状態を自分もリッキーに相談してみようと思い立った。
仕事帰り、いつものようにリッキーがベスを迎えに来ると肩を並べて歩き出す。
こんな風に素直になれたのも、ジーク様のおかげだわ。あのお茶会の後、呼び出された時はてっきり罰を受けると思っていたのに。
「こんなことで仕事に支障をきたすとはどういうことだ。お前たち、いい加減早くくっついてくれ。独り者の俺には目に毒だ!」
ふふふ。いい人だなぁ、ジーク様。ベスは胸のあたりがぽかぽかするのを覚えていた。
「ねえ、リッキー。最近ヒカル王女様、元気がないのよ。宴のドレス選びも以前ならそれは楽しそうにしていたのに、もう見ていられないぐらい。」
「そうだなぁ。王太子殿下からなんの音沙汰もないなんて、ちょっと考えられないんだが。いや、待てよ。殿下が水晶玉をなくしていたら…」
「リッキーじゃあるまいし、それはないと思うけど」
う~ん、と二人は押し黙ってしまった。
「そうだ、元気がないと言えば、さっき騎士団仲間のルドルフに会ってさ。あいつからも相談されたよ。ジーク騎士団長が元気ないんだとか。」
「ああ、王太子殿下が転移するとき、一緒に行こうと思ってたらしいもんね。でも、殿下がいないとなると、クランツ首相はジーク団長に残ってほしいだろうしねぇ」
「なぁ、もし、もしもだけど、もう一度異世界に転移することになったら、待っててくれるか?」
ベスは足を止めてきっぱりと言い放った。
「いやよ!その時は私も一緒に行くわ」
「駄目だ!向こうではきっと王太子殿下をさがすことになる。俺の仕事中にベスが危険な目にあったら、また前みたいなことがあったら絶対に嫌なんだ!!」
仕事中はベスを優先できない。そのことがリッキーを焦らせていた。ベスの両腕を掴んで懸命に説得しても、きっとベスはウィリアムに頼んで異世界に来てしまうだろう。だけど、向こうにだって危険な連中はいるはずだ。自分が仕事をしている間に何かあったら、とても耐えられない。気が付くと、リッキーはベスを抱きしめて懇願していた。
「いやなんだ。ベスに何かあったら…いやなんだよ!」
「リッキー…、分かったわ。」
ベスはそっとリッキーの背中に手を回して宥めるようにトントンと優しくリズムを刻んだ。そうして、そっと体を離すと、まだ不安げなその頬を両手で挟んで祈るようにつぶやく。
「だから、お願い。ちゃんと無事で元気に帰って来てね」
「うん、分かった」
頬を包むベスの手を握りしめてキスを落とすと、もう一度頬に寄せてベスの瞳を覗き込んだ。
「ベス、好きだよ」
頷いた瞳は潤み、頬はバラ色に染まっていた。
翌日、早朝から出勤しているベスを置いて、リッキーはシルベスタ邸を訪ねていた。呼び鈴に答えたのは、珍しくシルベスタ本人だった。
「すみません。急に来てしまって。ハワードさんと相談したいことがあって…」
「そうか。じゃあ、ここを使ってくれ。今彼には奥で仕事を頼んでいたんだけど、急ぎじゃないからいいよ。私は奥で休んでいるから、気にせずゆっくりしていってくれ」
「あの、シルベスタ様、どうなさったのですか?」
リッキーにもシルベスタの顔色が良くないのが分かった。少し疲れているだけだよと笑う姿さえ、哀愁を誘う。そんなシルベスタがハワードを呼ぶと、力になってやれと言い残して奥の部屋へと下がっていった。主を見送ったハワードは、サルビィの丘から帰って以来食事も進まず、黄昏たような状態が続いているのだと美しい水色の瞳を翳らせた。
「ところでリカルド殿、珍しいですね。どうされました?」
トレイに乗せた紅茶と焼き菓子をテーブルに並べながら、穏やかにほほ笑むハワードだったが、どうもこちらもお疲れ気味の様子だ。
「ちょっと相談に乗ってほしくて。」
今までのいきさつをハワードに話し、せめてヒカルの力になってやってほしいと頼み込む。
「え、あのヒカル王女様が? そうですか。お父様が長らくいらっしゃらないのですもんね」
悩んでいると、奥からシルベスタが現れた。
「私が沈んでいるのはプライベートな事だ。どんなに悩んだってどうしようもないことなんだよ。気にしないでくれ。ハワード、どうせこちらの仕事はしばらく足止めだ。ガウェインも王太子殿下が帰ってからまた話し合おうと言ってたし。今は、あの子の力になってやりなさい。」
「承知いたしました。では、少し出かけてまいります」
そういうと、リッキーと連れ立って二人は王宮を目指した。
「リカルド殿、私にちょっと考えがあります。協力していただけますか?」
「ああ、もちろん」
「ヒカル王女様の性格からすると、そのまま励ましても意味がないと思うのですよ。」
二人が相談しながら王宮の入り口近くまで来ると、リッキーを呼ぶ声がした。
「おーい、リッキー! 団長のこと、どうなりそう? 俺で役に立ちそうなら言ってくれよ」
「ルドルフ! あ、紹介します。こいつは俺と同じ第一騎士団のルドルフです。こちらは、大魔術師シルベスタ・サーガ様の執事のハワードさん。」
「よろしく」
「あ、ちーっす」
「こら! こいつ、俺以上にマナーとかダメなんですよ」
リッキーが出来の悪い我が子を紹介するように言うので、ハワードは思わず笑ってしまった。
「これからヒカル王女様のところに相談に向かうところなんだ。団長のことを相談に乗ってもらおうと思って。あ、お前も一緒に行くか? 最近の団長の事分かるだろ?」
「え、いいの? じゃあ、一緒に行くよ。」
なんとも不思議な取り合わせが王女の元を訪ねると、すでにヒカルが談話室で待っていた。
「ヒカル王女様、急に押しかけてしまい、申し訳ございません。」
「ハワードさん、リッキー、いらっしゃい。あの、こちらは?」
ハワードがスマートに挨拶すると、ヒカルも慣れた様子で部屋へと促した。そして、こちらと言われた本人は、部屋の入り口に突っ立って、おろおろしていた。
「おい、ルドルフ。早く入れよ」
「え、お前、なんでそんなに簡単に部屋に入ってんだよ。大丈夫なのか?こんな豪華な部屋で」
「いいから!ほら、ちゃんと名乗らないと」
リッキーにつつかれて、なんとか部屋に入ったルドルフだったが、初めてのことだらけでここでもおろおろだ。
「私は、ヒカル・アイスフォレストです。はじめまして」
すっかりいたについた淑女の礼をすれば、ルドルフも慌てて膝をついて名乗りを上げた。
「私は、第一騎士団のルドルフ・ベイカーです。えっと、リカルドとは訓練校からの仲間です。ってか、うわぁ、本物の王女様だぁ。」
「ふふふ。そうなんですね。どうぞ、おかけください」
ヒカルに促されて、3人はソファに落ち着いた。それなりに鍛え上げた男3人を前に、微笑みを浮かべるヒカルは華奢でどこか頼りなげだ。4人に紅茶を出した侍女はヒカルの合図でそっと席を外した。
「ふう、これで普通にしてても大丈夫だよな。」
「リカルド殿、それはあまりにも砕けすぎでは?」
ハワードが苦笑いで言うと、ヒカルが反応した。
「ううん、いいよ。ここでは王女様だけど、お茶会仲間の間ではそのまま名前呼びしてもらった方が気が楽だもの」
「え、あの。王女様相手になんてこと…。リッキーお前、どんだけ顔が広いんだよ」
「あれ?お前知らないかったの?俺は今ヒカルの護衛だよ。ま、その前に友達だけどな」
「そうなんですよ。私も以前こちらのお二人に助けてもらってから、このように親しくしてもらっているんですが、みんな気さくな方たちです」
リッキーとハワードの説明に、な、なんかすげぇ。とつぶやきながら、まだまだおろおろがとまらないルドルフだった。
「ところで、今日お邪魔したのは、ジーク騎士団長のことなんです。ヒカル王女様…」
「ヒカル! ヒカルって呼んでください」
「えっと、では、ヒ、ヒカル? 最近のジーク団長について気が付いたことはなかったですか?」
リッキーはちらっとハワードを見上げ、ニヤッと笑った。なんで耳が赤くなってんだよ。呼び捨てしたことないのかよ。リッキーのつぶやきを、咳払いでごまかすと、ハワードはヒカルの答えを待った。
「ごめんなさい。私、お父さんがなかなか帰ってこなくて、そればかり気にしていたわ」
「多分、ヒカルの前ではちゃんとしてたんじゃないかな、団長も。だけど、団長の執務室では、じっと考え込んだり、うなだれてため息ついたりばっかりしているんだ。今まで時間には厳しかったのに、遅刻してくるやつに注意の一言もないし」
まいったなぁといわんばかりに顎を撫でるルドルフに二人から突っ込みがはいる。
「お前は慣れ慣れしすぎるんだよ!」
「君、王女様とは初対面だろ。それは看過できないな」
うっす。と簡単な返事で流すルドルフをよそに、ヒカルは心配そうに眉を顰める。
「お父さんから話は聞いていたの。陛下やクランツ首相たちとの会議で、もう一度日本に戻って調べものをする必要ができたとかで、事情を知ってるお父さんが向かうことになったの。以前もお父さんが長らく日本に行くことになったのは団長さんが提案したことだったって言ってたから、また異世界に向かわせてしまったと後悔しているのかもしれない。」
「だけど、今度は転移の指標になる水晶を持って行ってるはずだろ?それでこちらに帰ることは十分可能なはずだ」
「そうね。でも、だから余計に心配してるんだと思う。どうしてお父さんが帰ってこないのかって」
目の前のカップをじっと見つめながら、そこまで言い切ったヒカルの唇はわずかに震えていた。
「ヒカル、殿下はそんなやわな男じゃないだろ? 日本に転移したとき一緒に行ったボーグ伯父さんとはぐれても、立派にお店を切り盛りしてたじゃないか。きっと何か調べもののヒントを見つけて、追い詰めているんだよ」
「え…。あ、そうか。私にとってお父さんはお父さんだけど、ここでは王子様なんだもんね。あんな風に自分でなんでもできるってこと自体、努力してたってことだったんだ。そっか、もっとお父さんを信じてあげなくちゃ。私、団長さんに会いに行ってくる!」
ヒカルが席を立った時、入り口のドアがノックされた。
「ヒカル王女様、失礼いたします。」
入ってきたのはジーク第一騎士団長その人だった。
「ん? 君たち、どういうことだ?」
「あ、えっと…」
「ジーク団長。失礼しております」
一礼するハワードには会釈でこたえつつ、リッキーとルドルフに向き直る。
「護衛のリカルドは良しとして、ルドルフはこの部屋に入ってよい立場ではないな」
「ええー、あのー」
おろおろするルドルフを抑えて、ヒカルが声を掛けた。
「ジークさんの騎士団は、素晴らしい人たちなんですね。今日は、最近落ち込んでた私の事を心配して、それに同じように元気のない団長さんの事を励ましたくて、ここに集まってくださったんです。みんな団長さんのことが大好きなんだなあって、思いました。おかげで私、なんだか元気が出てきたんです。一人ぼっちじゃないんだって思えて」
「お前たち…。だからと言って、むやみに王女様の部屋にはいるんじゃないぞ、ルドルフ」
ヒカルの言葉に気をよくしたジークは嬉しいような困ったような複雑な様子だった。
「ええ、俺だけ?なんでぇ?」
困惑していてもどこか憎めないルドルフに、みんなから笑い声があふれた。
団長も、ベスからヒカルが元気をなくしていると聞いて様子を見に来たのだとのことで、安心したと言葉を残して部屋を出て行った。
「今日は突然押しかけた上に、フォローまでありがとうございました。また、いつでも呼んでください。主からもヒカルの力になってやれと許可をもらっています」
ハワードはそういうと、騎士団の二人を連れて王宮を辞した。
帰り道、ふと振り返ってルドルフが深いため息をついた。
「ヒカルちゃん、けなげでかわいかったなぁ。」
「ルドルフ、お前には手の届かない人だよ」
「お前はいいよなぁ、エリザベスちゃんがいるんだからよ。あー!俺も彼女ほしー!でもさ、今日会ったばかりの俺を助けてくれるなんて、もしかして、運命の人かも!とか思われたんじゃないだろうか」
「「それはない!!」」
「え?」
調子のいいルドルフの言葉にリッキーだけでなくハワードまでもがNOを突き付けた。
「失礼。では、わたしはこの辺で失礼します。リカルド殿、また次の機会に」
「ああ、今日は本当に助かりましたよ。俺たちじゃ簡単に王女様に謁見できなかっただろうし。それから、俺のこともリッキーでいいですよ。」
「俺もルドルフでいいよ」
「お前は違う!」
ええ、なんだようと口をとがらせるルドルフをよそに、ハワードは主の邸宅に帰っていった。
ハワードからその日の報告を受けたシルベスタは、一人考え込んでいた。手元からは香りのよい紅茶がほのかに湯気を上げている。一口飲んで、思い立ったようにハワードを呼んだ。
「ハワード、今日、何かあったのか?」
「は?いえ。特には…」
「ふむ、こちらも無意識か。今日はリカルドと二人で出かけたんだったな」
「はい、途中でリカルド殿の仕事仲間のルドルフ殿も合流されました。ジーク団長の事をとても心配されていて、状況を説明していただいた次第です。」
主の意図がつかめず戸惑いを見せるハワードを、観察しながら続ける。
「ほう、一介の騎士団員を王女様の前に連れ出したのか? 騎士団はなかなか女性と交流する機会がないから、浮かれていただろう」
「はい、確かに。悪い人間ではなさそうでしたが、王女様をかわいいとか、けなげとか、その、軽々しく…」
ハワードのこぶしが握りしめられているのをちらりと見て、シルベスタは楽し気に笑う。
「そうか。そりゃ仕方ないな。ヒカルなら、あと2,3年もすれば、美しい淑女に成長するだろうからな。さぞやモテるだろうな」
「シ、シルベスタ様、私をからかっていますね!」
「クックックッ」
シルベスタは耐えきれないでわらい声を漏らした。
「いや、すまない。君たちを見ていると、自分が過去に縛られて落ち込んでいるのが馬鹿らしくなるよ。君も知っている通り、この国はまだ若い国だ。身分制度で罰を受けることもない。ましてや、君やヒカルのいた国では、身分制度すらなかったそうじゃないか。伝えたい気持ちがあるなら、伝えるべきだと思うよ。私のように、何十年もくすぶってしまうことにはならないでくれ。」
「シルベスタ様!わ、私はそのようなことは…」
「はは、気にするな。今日の紅茶が少し渋かったから、余計なことを言いたくなっただけだ。明日はうまい紅茶を淹れてくれよ」
はっとして、失礼しました!とハワードは急いで紅茶を淹れなおした。
さて、次は再びヒカルが日本を訪れます!
え?アランに殺人容疑?!