サイドストーリー2.加田 浩紀 その2
浩紀が喜び勇んで入学した『学園』には、とんでもない異物が一人いた。
真壁 純。
何やら特別な理由で入学を許された、殆ど一般人のような弱小能力者。
いつもヘラヘラ笑い、申し訳なさそうな顔をしつつ端をうろつき、身の程も弁えず毎日登校してくるヘボ能力者。
浩紀だって馬鹿じゃない。なにか特別な理由があるのだろうと、最初のうちは真壁に対しても一応の敬意をもって接するように注意はしていた。
というのも、一昔前の浩紀は「強い効果や影響がある強力な超能力が優れている」というステロタイプの能力絶対主義者であったが、ネットでの論争を戦う中で思うところがあり、近頃流行りの「メタ・サイ」という新しいタイプの能力者を認める心境の変化があったのだ。
だから『学園』に入ってからの浩紀は、頭ごなしに相手を見下そうとせず、きちんと相手の事も認めようと気を付けるようにしたのだ。
この浩紀の態度のおかげで、例えば丸山といった次世代能力者とは親交を深めることが出来た。
真壁 純を語るうえで丸山という男はとても良い比較対象となる。
丸山の能力は『発動した他人の能力の強弱を測る』というだけの、それ単体では何の効果も影響もない役立たずの超能力ではあるが、一方で能力者達それぞれの力の大小、上下を測定してくれるという素晴らしい価値を生み出しており、今後の超能力社会にとってとても有用な存在であることは浩紀にもよく分かる。
そんな丸山は政府機関などの要請を受け、学校をちょくちょく休んではあちこちへ出張しに行っている。
それで帰ってくると、例えば「先週は岡山に行って強力なテレポート能力を持つ小学生の女の子の鑑定をした」とか、あるいは「この間は大学の研究室に呼ばれて訓練による能力向上を測るための実験に協力した」といった話を色々と聞かせてくれる。
丸山が語る話はどれも面白い内容ばかりで、スゲー奴もいるんだなと、素直に相手を認めることが出来たのだ。
だから高校に入ってからの浩紀は丸山を受け入れ、さらにはハイ・サイと呼ばれる精神干渉系能力者である館山などとも仲良くなった。
なるほど彼らは純粋な力の強さで言えば下の方だ。学園内でも五指に入るほどの強力な能力者である浩紀とは比ぶべくもない。
だが、能力の質が違うのだ。
例えば丸山のようなメタ・サイは、これまで超能力そのものを測ったり調べたりといった事が出来なかった世界に対し、物差しを用意してくれたのだ。
あるいは館山のようなハイ・サイは、超能力が人間の精神にのみ開かれた力であるが故に、人の心に直接作用する力が他人の能力に与える影響力は計り知れない。
そんな彼らの事をよく知らずにどこか馬鹿にしていた中学までの自分が恥ずかしくなった。
それでそんな気持ちを素直に丸山に白状すると、丸山は「気にすんな」と笑って答え、それで浩紀は彼らとあっという間に仲良くなった。
浩紀は『学園』に入ったことにより知見が広がり、自分が成長する実感を覚えることが出来、喜びにあふれていた。
浩紀は持ち前の社交性を発揮し、クラスのみんなと次々に仲良くなり、自然とクラスの中心人物へと成り上がっていった。
だが、そんなクラスの雰囲気に全然馴染もうとしない人物が一人だけいて、それが真壁 純であった。
真壁 純という人間は本当に謎の能力者だ。
そもそも『学園』においての能力とは、お互いに明かし合うものだという不文律がある。
というのも『学園』とはお互いの超能力を認め合う中でそれぞれの能力をより高めてゆくという目的に沿って作られた施設である。
だから、浩紀は自らの能力を真っ先に皆に公開したし、最初は遠慮がちだった他の生徒も、それぞれ自分の能力を皆に見せあい始めた。
担任の神崎センセーもそれを推奨しているようで、センセー自身の能力をみんなの前で披露してくれた。
「私は第二世代だから、第四世代のみんなに比べればかなり見劣りすると思うわ。」などといった前置きの上で見せてくれた神崎センセーの念動力はちょっとしたもので、みんなでスゲースゲーともてはやしたところ、神崎センセーは顔を真っ赤にして恥ずかしそうにしていた。
そんな中で真壁 純だけが異質だった。
「僕の能力は大したことないから……」などとヘラヘラ笑いながら、一向にみんなの前で能力を使おうとしなかった。
それでも強く何度もしつこく問い質すと、「ちょっとだけだよ。」などと言いながら何かをして見せるそぶりをするが、何をしているかさっぱり分からない。
本人曰く、なにかを「動かしている」そうなのだが、その何かがさっぱり伝わってこない。
「あいつ、何なんだろうな?」浩紀が丸山に話を振ると、「うーん。」と丸山は唸り声を上げる。
丸山はその優れた能力が買われ、それこそ小学生のころから様々な能力者を鑑定してきたそうなのだが、そんな丸山をもってしても真壁のような能力者は見たことがないという。
あまりにも弱々しい力の発動。その発露も内向きに籠って真壁の中で完結しており、丸山から見ても「真壁の能力についてはさっぱり分からない」というのが実情らしい。
そんなある日、丸山がこんなことを言い出した。
「これは能力庁の人達から噂として聞いた話なんだけど、なんか能力者の力の開発・向上に関係する特殊なプログラムが『学園』で始まっているらしい。
なんか、全然能力がない人間を、特殊な方法で目覚めさせるみたいなことを実験するみたいな。
真壁って多分、その実験の関係者なんじゃないかな? あいつ明らかに力がないし、毎日神崎センセーとなんか放課後にやってるし。
あいつの能力を強化するための実験とか検証とかしてるんじゃないかな? 分かんないけど。」
ああそうか。
浩紀はその話を聞いて全てに得心がいった。
能力者は、周囲に強力な能力者がいることで干渉を受け、強力な能力に目覚めることがあるといった話を聞いた事がある。
その為には『学園』のような場所は実験にうってつけである。
なるほど真壁はその実験の被験者なのだろう。
もともと大した能力も持ちえない一般公募の弱小能力者が、強力な能力者が集まる『学園』で過ごすうちに本人の能力にも変化が出てくる。
丸山も言っていた。大学では能力の向上などの研究が盛んだと。
そういった検証の一環として真壁のようなヘボ能力者が『学園』への入学を認められるのは大いにあり得る話だ。
確か似たような検証をイスラエルかどこかで実験している記事を読んだ覚えもある。
浩紀が自分の考えを丸山に説明すると「確かにそれなら説明がつくな。」と丸山も大きく頷いてくれた。
そこで浩紀はクラスの皆に真壁の事情を説明してやり、真壁の事はみんなして生暖かい目で見守ってやるということになった。
初めのうちはそれで何とかうまく回っていった。だが、少しづつ歯車が狂いだす。
特に問題になったのが、能力授業の時間だった。
『学園』は超能力者同士が安全な範囲内で互いに能力を使い合うことを推奨しており、その為の授業時間まで設けられている。
そこで、1年の1学期の間はランダムにペアを組み、それぞれの能力をお互いに見せあったり、互いの能力について話し合ったりする授業内容になっていた。
ネットで能力開発関連のカリキュラムに関する知識を得ていた浩紀はこの授業のコツのようなものをすぐに理解した。それで例えば自らの重力操作能力と相手の風を操る能力を組み合わせてより大きな風を起こしてみせたりまた、能力の大きさを測れる丸山と組んだ時には、どういったふうに能力を発動させたときが一番強く能力が働くかといった検証をしたりと、なるべく互いの能力が影響し合うような工夫をして見せ、担任の神崎センセーを大いに喜ばせた。
みんなも自然と浩紀をマネして工夫するようになり、それで実際に能力が向上したものがでたり、新しい能力の使い道が生み出されたりして、この授業の時間は皆の楽しみとなっていった。
そんな和気あいあいとしたクラスのムードに一人で水を差しているのが真壁であった。
とにかく真壁は自分の能力を一切使おうとしない。その上、ペアとなった人間が自分の能力についての意見を求めても「すごいねー。」とか、「僕には出来ないよー。」とか、おおよそ何の価値もないつまらない意見しか言わず、何の参考にもならない。
それで真壁とのペアは殆ど罰ゲームのような様相を呈してきたので、浩紀が神崎センセーに「真壁は能力開発の時間は見学にさせた方がいいんじゃないですか?」と提言してみたのだが、いつもはニコニコ笑っている神崎センセーは眉間に皺を寄せながら「決まりだから全員参加です。」と吐き捨てるようにそういうので、どうやら神崎センセーにはどうにもならない『学園』側の事情があるのだなと、浩紀はそう察した。
だからみんなでお荷物の真壁の面倒を順番に見ることになり、浩紀も一度真壁とペアになって無為な1時間を過ごしたこともある。
そんな中でちょっとした問題が起きた。
秋津という女の子が真壁とペアを組まされ、例によって何の訓練にもならず1時間を過ごす羽目になったのだがこれが結果として酷いことになった。
秋津はちょっと変わった能力者だ。『カウンター』といって、相手の超能力をはじき返すという特殊な力の持ち主で、他人の超能力に対して直接作用するメタ・サイの中でも特に変わった発動の仕方をする。
だから訓練のためには相手が能力をぶつけてあげなければいけないのに、真壁の奴は何にもしなかったのだ。
いや、最初から「何もしない」と言っていればまだよかった。
真壁は「自分の能力をちゃんとぶつける」と宣言しておきながら、何もしなかったのだ。
「えー? 真壁くん、それ本当に能力使ってるの……?」秋津が何度も質問を重ね、対する真壁が「うん。」だとか「使ってるつもりなんだけど……。」とか「どうかな?」とか口ではあれこれ言うものの、秋津の話ではどう見ても何の効果も影響も感じられなかったそうだ。
それで、最初は遠慮がちだった秋津も途中からどんどん険しい顔になり、「お願いだからちゃんとして。」「出来ないなら出来ないって言って。」「これじゃあ訓練にならないから。」等と促すも、真壁は「あれれ……。おかしいなぁ……。」などと適当な事を言いながら、いつものようにヘラヘラ笑うばかりだったのだ。
それで秋津は最後には、「もうやだぁっ!」と泣き出してしまい、周りの女の子たちが慰めてその場は何とか収まったのだが、浩紀としてはさすがに見過ごせない状況になってきた。
だからその後、浩紀は真壁に言ってやったのだ。
「お前さ。『学園』が超能力者のための学校だって分かってるよな?」
「う……。うん。」真壁がヘラヘラ笑いながら頷いてみせる。いちいち浩紀をイラつかせるムカつく表情だ。
浩紀は自制心をもって自分を押さえ、努めて冷静であるよう心がけてから言葉を続ける。
「お前さ。分かっててその態度なわけ? やる気がないならお前、学校にくんな。みんな迷惑してるからさ。
お前、寮でずっと引きこもってろ。な?」
この勧告は、浩紀としては老婆心のつもりであった。
というのも『学園』には優秀な能力者が全国から集められていたが、結果として各々の学力についてはバラバラだった。
つまり、頭の良いものも悪いものも、全部が一緒くたにされて同じ教室に押し込められてしまっていたのだ。
だからその授業内容は、中学まで私立の有名校に通っていた浩紀からすれば拍子抜けするようなものだった。
それでも一部の生徒にとってはとても難易度が高く感じるらしい。事情があって学校を休みがちな丸山などは頭を抱えながら教科書とにらめっこしていて、そんな丸山を浩紀は色々助けてやったりもしたのだ。
そんな中、少し前の5月下旬に行われた最初の中間考査の際、中にはずいぶんひどい点数を取ったものも大勢いたようだが、殆どのものが赤点にならなかったのだ。
その結果に浩紀はびっくりしてしまったのだが、仲良くなった2年生の先輩が事情を教えてくれた。
『学園』は強力な能力者を一か所に集めることを第一の目的としているため、勉学はあまり重要視されないらしい。それで、中にはテストを白紙で提出したにも関わらず進級し、そのまま卒業までしていった先輩などもいるそうだ。
それどころか学校にほとんど来ずに3年間寮で引きこもっているような人間であっても、最低限の補習だけで卒業させてもらえるらしい。
むろんそのような最低の成績で卒業したものの大学進学は絶望的だし、まっとうな仕事に就職できるはずもない。
だがそもそも、超能力者に対する社会の在り様はまだはっきりしていないのだ。
例え成績が最低であろうとも、世間に対して有用な超能力を持った人間が然るべき職業につくことが出来ればその価値は計り知れない。
例えば透視能力者が医療関係の職業につく時、高校時代の成績や評価はあまり重要視されない。むしろどれだけ優れた透視能力があるかがよっぽど大切なのだ。
超能力はこの世界に生まれたばかりお新しい力で、世界はまだこの新種の特別な力に最適化されておらず、超能力者のための適切な高校生活というものは全く分からない状態だった。
だからどのような成績でどう『学園』を過ごし、どう卒業しようとも、こと超能力者である限りは何が正解かは先の未来になってみないと分からない。
3年間引きこもっていても、案外それがそいつの人生にとっては正着だった可能性だってあり得るのだ。
正直な話、浩紀としてもひでぇ話だとは思う。真面目に勉強するのが馬鹿らしくなるような話でもある。
だがそれでも、今の真壁のような人間については3年間引きこもるというのも、これはこれで選択肢の一つとしてありなのではないかと思うのだ。少なくとも秋津のような女の子が泣く思いはしなくて済むのだから。
だから浩紀は真壁に諭してやるのだ。
「お前は知らないかもしれないけど、この『学園』は特殊な学校だから、別に毎日学校に来なくても大きな問題にならないんだ。
だからお前は寮の自室で引きこもってろ。
それでもちゃんと卒業できるから、お前は余計なことせず寮の部屋でじっと大人しくしていろ。
頼むからもう教室に来るな。みんなお前がいるだけでなんとなく嫌な気分になるんだ。な? ガキじゃねーんだから分かるだろ? な?」
「う……、うん。」真壁は分かったような分からないような曖昧な返事をした。
だから浩紀はこれで話が通じたと思ったのだ。だから真壁が次の日も平然とした様子で学校にやってきたとき、浩紀は堪忍袋の緒が切れてしまった。
「お前、人の話聞いてたのかよ? もう学校に来るなってオレが昨日言ったよな? テメーうんって頷いたよな? テメーなに考えんだよ!?」
対する真壁の返事がまた、浩紀の怒りに対して火に油を注ぐようなものだった。
「でもうち、貧乏だから……。」
なんだそれは! 貧乏であることとクラスの迷惑と何の関係があるのだ!!
なんなんだこいつは! なに考えているんだ!!
それでもう、浩紀の真壁に対する評価は一挙に地の底まで落ち、後はなし崩し的に真壁への攻撃が始まった。
真壁 純は異物だ。クラスから排除せねばならない汚物だ。
浩紀の心を強い正義感が支配していた。
クラスのみんなは浩紀の味方だった。ここまでの一連のやり取りは休み時間に教室の中で行われ、みんなが経緯を聞いていたからだ。
それでも真壁は毎日学校に登校してきた。
浩紀の真壁への攻撃も少しづつ度が酷くなっていった。
そんな中、事件が起こった。
真壁がいつまでたっても寮に帰ってこず、大騒ぎになったのだ。
正直浩紀としては、真壁のようなヘボ能力者がちょっといなくなったところでどうしたこともないだろうといった印象なのだが、寮監や管理人が騒ぎ出し、いざというときのために学園に常駐している警察の人達を巻き込んであっという間に大事になってしまった。
そんな中で真っ先に疑われたのが浩紀であった。
ここ最近の休み時間での浩紀と真壁のやり取りはみんなの知るところだったから、誰かが事情を話したのだろう。
浩紀は警察官に1時間近くも拘束され、かなり厳しくあれこれ追及された。
ふざけるな!
浩紀は怒り心頭であった。警察官にチクったクラスメイトの事も腹が立ったが、それ以上に真壁のやらかしたことがムカついて仕方がなかった。
浩紀は真壁に「寮に引きこもっていろ」とそう言ったのだ。『学園』からいなくなれと言ったわけではないのだ。
それがどうして寮に帰ってこないのだ。お前がすべきことはそうじゃない!
警察の事情聴取うから解放された浩紀は丸山などに声を掛けて寮の外へと飛び出した。
何が何でも真壁を見つけ出して、おのれがすべきことを頭に叩き込んでやらねば気が済まない。
そうして皆で辺りをうろうろと探し回る中、果たして真壁が道の向こうからやってきた。
ちょっとびっくりするくらい可愛い女の子と二人して並んで、何やら楽しげな様子で。
この野郎!
だから浩紀は思わず声を張り上げてしまった。
「真壁おめー! どこ行ってたんだよ!」
そうしたらどういう訳だか、肝心の真壁ではなく隣にいた女が噛みついてきた。
見た目の可愛らしさに反してえらく口の悪い女で、あからさまに喧嘩を売っているような態度と、当の真壁は女の陰に隠れ庇われてヘラヘラ笑っている様に、浩紀は完全に頭に来てしまう。
浩紀は感情が爆発すると制御が出来なくなるきらいがあると、自分でも自覚している。子供のころはそれでもまだあれこれ自制できていたような覚えもあるのだが、いつのころからか、感情が押さえきれなくなると突発的に動いてしあう癖がついてしまったのだ。
結果として「加田くんはキレさせると何をするか分からないから」などと周囲に気を遣わせる事が多くなり、色々と都合がよい事の方が多かったので浩紀はむしろ自らのこの質を気に入っていた。
だから今回も激情の赴くまま、成り行き任せで能力を発動させてしまった。
いままではこうもあからさまに能力を発動させることはなかったのだが、ここは学園で、この場にいるほぼ全員が能力者で(ただし真壁を除く)、多少大げさに力を使ってもどうにでもなるだろう、そんな目論見もあった。
まあ、いつもよりは強めに力が発動してしまっていることは認めるが、そこまで本気な訳じゃない。この程度の事で暴走とか言ってくれるなよ?
だいたい元はといえばこの俺をイラつかせた真壁が悪いんだからな?
それが結果として……。
浩紀はどうしてこんなことになったのかよく分からない。身体中を怖気が走るような何かが動き回り、浩紀の能力が滅茶苦茶にされる感触がはっきりと伝わってきて、浩紀は気持ち悪さのあまり立っていられなくなり、うずくまるようにしてゲーゲー吐いてしまった。
それから浩紀は自分の能力を発動させようとして、何の反応もない事に気が付いた。
浩紀の能力はどこかに行ってしまった。重力を操ってものを弾いたり押しつぶしたり自分を浮かせたり、そんなすべてが一切出来なくなっていた。
なんだこれは? 何が起きた? どうしてこんな事になった?
混乱した浩紀の頭の中で、一つだけ分かっっていることがある。
これをやったのは真壁だ。真壁が何かをして、浩紀はこうなったのだ。
そして丸山に対しても同じことを行い、何やらやり取りが聞こえてくる。
「あれ? 真壁、いま、俺になんかした?」
「あーうん。……後で戻すから、今は我慢してもらってもいい?」
「お、おう。」
「真壁、てめぇっ……。」浩紀は顔を上げ、真壁を睨みつける。
そして今までのように脅しをかけてやる。
「てめぇっ……。オレの能力も元に戻せ……。ふざけんなてめぇ……。さっきっから全然能力が使えねぇじゃねえか。てめえ、自分が何したのか分かってんのかよ。今すぐ能力を元に戻しやがれ……。」
だが、浩紀を見下ろす真壁の顔は能面のようにのっぺりとしていて、何の感情も持ち合わせていないようだった。
そんな真壁が無表情のまま言葉を発する。
「ごめんなさい、加田くん。加田くんの能力はもう戻せない。」
「は?」浩紀には真壁が何を言っているのか分からない。
「加田くんはさっき雨宮先輩にヤバい感じの能力を使おうとしたから、二度と発動しないように滅茶苦茶にした。だからもう戻せない。」
「は?」真壁が何を言っているのかさっぱり分からない。
「僕も焦ってたから加田くんの能力、とりあえず適当にぐちゃぐちゃにしちゃった。だからどうなってるのか分からなくなっちゃった。だからもう元には戻せないです。」
「は?」「は?」「は?」浩紀には真壁の放つ言葉の意味が分からない。
混乱した頭が状況を咀嚼するのに時間をかけている間、いつの間にか大勢の人間があたりに集まってきていて、警察官が浩紀を抱えるようにして押さえつけ、そのまま引きずられるように浩紀は寮の一室へと押し込まれた。
そこは寮内での浩紀の自室ではなく、問題を起こしたものを押し込めておくための監禁部屋のようなところであったが、状況がうまく呑み込めない浩紀はまんじりともせず朝を迎えた為、結局そこがどこだったのか最後までよく分からなかった。
朝になり、簡単な朝食が用意され、そのまましばらく放置され、太陽の日差しが高くなってきたころに警察官に腕を掴まれながら、寮内の一室へ呼び出された。
そこには大勢の人間が詰めかけていた。
警察官らしきものが数名、学園の生徒が数名、背広を来た人間が後ろに数十名。
浩紀はこれらの人間と向き合うようにして正面に一人座らされた。
なんだこれは?
浩紀の疑問に答えるかのように、女生徒の一人が返事をする。
「これから昨晩の一件に関する聞き取り調査を行うわ。といっても法的な拘束力のない単なる事情聴取みたいなものよ?」
「三森君。」隣に座った警察官らしき男が鋭い声を上げた。
「君は試験調査のための特別要員なのだから、許可のない発言は控えるように。」警察官はぎろりと三森という女生徒を睨む。
「申し訳ありません。」と謝った三森はそのまま「こちらの加田君は訳も分からず引きずられてきて、どういう状況か全く理解できずに困っていたようでしたから。」と、大して悪びれる様子もなくそう言葉を続けた。
その話を聞いて浩紀は思い出した。この三森という女は3年生で、かなり強力なテレパシストだったはずだ。確か親がそれなりに有名な政治家で、その影響から『学園』内でもかなり強い発言力を持っている女だと聞いた事がある。
浩紀としてもいずれ個別に会うことになるだろうと考えていた女だが、その初めがまさかこんな形になるとは思わなかった。
そんな三森に対し「三森君!」と警察官が声を荒げるが、ここで後ろにいたスーツ姿の男性の一人が「おや? 今日の取り調べの件は昨日のうちに全員に説明しておいたのではないのかね?」と口を挟んでくる。
警察官は「どういう事だ?」と隣に座る若い警官をぎろりと睨みつけ、若い警官は「すみませんっ! バタバタとしていたもので、説明が漏れていたかもしれませんっ!」と上ずったような声でぺこぺこと頭を下げる。
なんだこのグデグデの茶番劇は。
こいつらは大人のくせに、ろくに準備もせずに浩紀を無理やり呼びつけて、それでおままごとのような取り調べをしようというのだ。
こいつら馬鹿か?
浩紀はよそゆきのすまし顔をつくりつつ、心のうちでこの場にいる全員を見下すことにした。
浩紀は知っている。こういう時は黙っていればよいのだ。ともかく余計なことはいっさい口にせず、最後まで黙っていれば超能力者を罪に訴える手段はない。
だから浩紀は全員に対しにっこりと微笑んでみせながら、口を堅く横に結んだ。
ところが状況は浩紀が思わぬ方向へと転がっていった。
警官が発する質問に対して浩紀が黙秘を続けていると、隣にいる三森が代わりに口を開くのだ。
「君はどうして真壁君がこの学園には不似合いだと考えたのかね?」と警察官。
「……。」対する浩紀は黙っているが、
「加田君は『学園』には優れた能力者のみが通うべきだと考えているようです。超能力者優生人類説の熱心な信奉者のようですね。そのような言説を熱心に支持している意識が垣間見えます。」と、このように三森が浩紀の心を見透かしてみせるのだ。
まったく恐るべき能力だ。さすがに『学園』に通うほどの強力なテレパシストだ。
純は慌てて質問に耳を傾けないようにし、なるべく関係ない事を頭の中に思い浮かべようとしたが、そんな浩紀の心の機微すらもすべて三森にはお見通しなのだ。
「加田君は意図的に聞かない工夫、考えない努力を始めました。」
そうしたら質問者が警官から学生の女に替わった。メガネをかけた地味な女で、浩紀が知らない女だった。
浩紀は初めのうち、これは与しやすい相手になったと安堵を覚えた。高圧的な態度を崩さない警官相手よりも、目の前のメガネのブサイクな女の方がまだやりやすい。
だが、そんな浩紀の考えはすぐに打ち砕かれる。
『学園』に通う生徒に半端ものは一人もいない。この女もまた恐るべき能力者だった。
「あなたはどうして真壁くんを排除しようと考えたのですか?」
メガネの女の口から鈴の音のようなコロコロと丸っこい声が鳴り響くと、浩紀はその声に引き込まれ、否応なしにその意味について考えてしまう。
女の声には、精神に訴えかける何かがある!
そしてそんな浩紀の心の声を、恐るべき正確さで三森が拾い上げてゆく。
「加田君はクラスのまとめ役としてみんなが協力し合える関係づくりに腐心していたようですね。それで非協力的な態度を取る真壁君を悪く思うようになっていった。そんな中、秋津さんという女性が真壁君のことで泣き出す一件があり、これがきっかけで排除する決心をしたようです。」
クソがっ! 浩紀は心の底から怒りが沸き起こったが、そんな浩紀の心情などお構いなしに取り調べは続いてゆく。
――あなたは雨宮という少女に対して恣意的に能力を行使しましたか?
……違う、オレは。ただつい感情が爆発してしまって、能力が抑えきれなくなっただけだ。別にあの女を狙ったわけじゃない。
故意ではない。偶然だった。
――あなたの能力はまっすぐに雨宮という少女に働きかけたという第三者証言もありますが、それでも故意ではなかったと?
……あのまま真壁が邪魔をしなくても、どのみち力がぶつかる直前で止めるつもりだった。オレは能力のコントロールに自信がある。ちゃんと止めるつもりだった。
それを邪魔した真壁が悪い。
――あくまで偶発的だったと考えているのですね?
……そもそもオレは能力を使って相手を痛めつけようなんて考えていない。
あれはそう、ちょっとしたおふざけの一環だ。それを本気にとらえた真壁が悪いんだ。
――真壁くんの行動は正当防衛だという考えもありますが、これについてはどう思いますか?
……正当防衛? 過剰防衛の間違いだろう。本気と冗談の区別もつかない人間の方がよっぽど危険だ。危険なのは真壁のほうだ。あいつを何とかしないとまずい事になるだろう。
浩紀を取り囲む大人達の中から失笑が漏れた。
浩紀はイラッとなり鼻で笑ったやつを睨みつけようとしたが、ともかく大勢がその場にいるので、どいつが浩紀を馬鹿にしたのか分からなかった。あるいはこの場にいる全員が浩紀を馬鹿にしているようにも見えた。
だから浩紀は代わりにドスを利かせた声でこう宣言してやる。
「あいつのやったことは犯罪行為だ。この俺の能力をめちゃくちゃにしたんだからな。あいつはどんな手を使ってでも罪を償わせる。
賠償もさせてやる。
オレの父親の知り合いに腕のいい弁護士がいる。あいつはこの俺の能力をめちゃくちゃにした。その罪は絶対に償わせてやる。」
大人達は顔を見合わせた。
そんな中、三森がため息交じりにこんな事を言い出す。
「あのねぇ加田君。超能力って科学的に証明できないから、例えあなたがどんな目に遭っても真壁君は一切罪に問われないのよ? 刑事罰もないし、民事でもあなたは絶対に勝てないわ。だって証明のしようがないことだもの。
超能力を使った加害行為ってそういうものなのよ?」
浩紀の怒りは爆発した。
「ふざけるな! あいつはこの俺の能力をめちゃくちゃにしたんだぞ! どう見ても犯罪じゃないか! あいつが悪いに決まっている! あいつはこの俺の人生をめちゃくちゃにしたんだぞ!」
対する三森の返事は冷ややかだ。
「それはご愁傷様。でも加田君。残念ながら現時点では真壁君の行為を証明をする手段がないわ。」
「だったらこの取り調べはなんなんだよ! さっきっから人の心をさんざん覗き見しやがってよ! 事情聴取じゃねーのかよ!? こんだけさんざん人の心調べてるんだから、証拠なら山ほどあるだろうがよ!?」
三森は首を横に振ってみせる。
「これはただの実験よ。近い将来、超能力を使った事件捜査が正式に認められる未来に向けての臨床実験。私の能力も中谷さんの『言霊』も、現時点では証明能力が実証されていないから単なる参考情報どまりの内容よ。裁判になっても証拠として取り扱ってもらえないわ。今の時点ではね。」
「ふざけるな! こんな馬鹿な話があってたまるか!」浩紀は椅子をけるようにしてその場に立ち上がる。
皆が一斉に浩紀を見上げるような視線になる。
浩紀はその一人ひとりを順番に睨みつけてやる。
そんな中、三森が一人でくすくすと笑いだした。
皆の注目は三森に移る。
三森はひとしきり笑い声をあげると、楽しそうな声でこんなふうに言ってくる。
「では加田君。あなたは自分の罪も認めるという事でいいのね?
あなた今回、自分が何をしたのか分かっているの? 樹齢100年を超える大木を能力でへし折ったのよ?
少なくとも学園内の樹木に対する器物損壊の罪だけでも容疑者として拘束される立場なのよ?
それが超能力による犯行であるというだけで見過ごされているの。
けれども現行法でも容疑者の自供があれば充分に罪に問えるだけの効力はあるわ。
あなたは自らの能力を使って学園内の樹木を傷つけた罪を認めるという事でいいのね?」
「オレは何もやっていない!」浩紀は即座に反論する。
「では真壁くんも何もしていない。おあいこ様でいいでしょう?」
「ふざけるな!」浩紀は金切り声を上げる。
「いい加減にしろ!」
ドンッ!
激しい音を上げて机を強く叩きつけながら、怒鳴り声を上げたのは警察官の男だった。
「加田 浩紀! それから三森! お前らいい加減にしろ!」
部屋の中が一瞬で静まり返る。
たっぷり10秒ほどもぎろりと辺りを睨みつけてから、警官の男が言葉を続ける。
「加田 浩紀。お前の犯した罪はいつか必ず暴いてやる。今回の一件も、中学校時代の不審な事故の全ても、小学生だった頃の山本少年への傷害致傷事件も、全てをだ。
だが安心しろ。
真壁 純という少年が罪を犯したのであれば、必ずそれも暴いてやる。罪が正しく罰せられる世の中にしてやる。
だからそれまで大人しく黙ってろ。」
なんだこいつ? というのが浩紀の率直な感想だった。
いい歳こいた大の大人が感情に任せて机を殴りつける。高校生相手に大声を上げる。
顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。
おおよそまっとうな人間のすることではない。そりゃあ一番最初は少しばかりびっくりしたが、少し冷静になればすぐにわかる。こいつはどう見ても常軌を逸している。
こいつ本当に警察官なんだろうか? 警察手帳を見せるように言ってやった方がいいのではないだろうか?
誰か今の言動を録音、録画していたものはいないだろうか? 然るべき機関に映像、音声を持ち込んで告発すれば簡単に懲戒免職に出来そうだが、誰か録画していなかっただろうか?
だが続く男の一言が、浩紀を大きく混乱させた。
「山本少年がその後どうなったか知っているか? 内臓なども大きく傷つけられ、彼は20歳まで生きられない身体だと言われている。今年の秋には4回目の大手術があるが、成功率は40%だ。
高額な治療費に両親は多額の借金を背負い、大変苦しい生活を余儀なくされている。
だが彼の一件は不幸な事故として処理され、加害者と思しき少年は今ものうのうと幸せな高校生生活を送っている。
こんな世の中が許されていいはずはない。
超能力者が犯した罪は必ず罰せられる世の中に私達がしてやるから、お前はそれまで黙って見ていろ。」
そんな警察官に対し、スーツを着た何人かが「まあまあ。」と抑えるような仕草を見せる。
何を言っているんだ? こいつは? 山本? 誰だそれ? なんで急にそんな訳の分からない奴の話が出てくる? こいつは一体何の話をしているんだ?
訳が分からない。意味が分からない。こいつはいったい何なんだ。顔を真っ赤にして、何をそんなにイキっている。どうしてそんなに腹を立てている。
浩紀にはさっぱり意味が分からない。
思わず茫然となってしまった浩紀を抜きにしてその場はお終いの雰囲気となり、皆が席を立ち、ぞろぞろと順番に出て行った。
それで浩紀はいつの間にか一人きりとなり、代わりに入ってきた学校の先生に促され、自室へと戻された。
今日はこの後休みにして、寮でゆっくりしていていいらしい。それで欠席扱いにならないらしい。
レベルの低い『学園』の授業が出席だろうが欠席だろうが浩紀にとってはどうでもよい事ではあったが、降ってわいた休みを断る理由もない。
浩紀は言われた通り素直に自室に戻った。
しばらくぼんやりとベッドの上で呆けてしまった浩紀だったが、時間が経つにつれなんだか無性に腹が立ってきた。
自らの能力が使えなくなった点については、正直今でも訳が分からず、気持ちの整理がとてもつかない。
だがそれとは別に、『学園』を始めとする超能力を取り巻く環境についてはあまりの稚拙さに怒りの矛先をどうぶつけていいか分からない。
先ほどの警察官はクソだし、三森とかいう先輩もクソだし、真壁もクソだし、学園の教師共もクソだし、どいつもこいつもクソばっかで、何に腹を立てていいのかも分からない。
そこで浩紀は、やり場のない怒りをぶつけるべく掲示板の超能力者板の『学園』関連のスレに以下の書き込みをした。
『学園』について語るスレ 46時限目
137 名無しの能力者さん
『学園』にヤベー能力者がいるwww
無実の人間の能力を滅茶苦茶にして使えなくさせたやつwww
すると程なくしていくつかのレスが付いた。
145 名無しの能力者さん
>137
その話、オレも噂で聞いたわ。今年の『学園』に超強力な次世代能力者が入ってきたらしいって噂。
なんか他人の超能力を弄って強化したり、逆に弱体化させたり使えなくさせたりも出来るらしい。ある意味究極のメタ・サイ。
ただ、あまりにヤベー能力なんで秘密にされてて、誰がそいつなのかが分からないらしい。
147 名無しの能力者さん
一昨日くらいから騒ぎになってたやつ、それなの? なんか能力暴走させようとして封じられた馬鹿がいるらしいって噂。
148 名無しの能力者さん
マジで!? そいつスゲーじゃん。いよいよ超能力の新時代始まったって感じだな。
151 名無しの能力者さん
ところで137のいう「無実の人間」ってなに? オレが聞いた話だと能力暴走させてでっかい木を叩き折ったとか聞いたけど?
それで仕方なく能力封じるしかなかったみたいな話が噂で流れてる。
153 名無しの能力者さん
>137
もしかして能力封じられた本人だったりしてwww
なんだこれは……? なんだそれは!?
他人の能力をいじくる究極の能力者? ヤバすぎるから秘密だった?
あの真壁が? あの何にも出来ないはずのヘボ能力者が?
浩紀は突然の情報に一瞬なんの事だか分からなくなった。
だが浩紀は気付いてしまった。丸山が言っていたではないか。「能力者の開発・向上を目指す特殊なプログラムが始まったようだ」と。「真壁はその関係者ではないか」と。
その話を聞いた最初、浩紀は何故か真壁が『被験者』であると思い込んでしまった。ヘボ能力者が能力を強化するために特別なプログラムを受けているのだと。
だが少し冷静になって考えてみれば分かりそうなものだ。この『学園』に入学するような生徒が普通なはずがない。
そもそもメタ・サイは特殊な能力だから、力の強弱だけで実力を測れるような単純なものではない。だから仮に真壁の力が弱かったからといって、それだけであいつをヘボと決めつけるのはとても危険な事だったはずだ。
能力の強弱についてはむしろ世代格差の方がよっぽど大きい。例えば担任の神崎センセーは第二世代の能力者だ。能力についての正しい理解や訓練が進む前、初期世代の能力者は、力の使い道を脳が正しく理解する前に成長しきってしまうため、押しなべてその能力は弱い。
そんな神崎センセーは、毎日のように真壁と謎の訓練を行っていた。
思えばセンセーが披露したサイコキネシスの力は旧世代の割にやけに強力そうに見えた。
であれば『被験者』とは真壁の事ではなく……。
「クソがぁっ!」浩紀はパソコンを壁に投げつける。高価な薄型のゲーミングノートPCが一瞬でジャンク品に様変わりする。
どうしてこんな簡単な事に気付けなかった! どうしてオレは真壁を安易に見下したりした!
「クソっ! クソっ!」浩紀は収まらぬ激情を言葉に代えて叫び声を上げ続ける。
隣の部屋のやつが壁をドンっと蹴とばしてきたが、知ったことではない。
だがその時、浩紀のスマートフォンの着信音が鳴った。
振り返り画面を見ると相手は父親の携帯電話番号だった。
浩紀の怒りは一瞬で霧散した。
今回の一件を学校が父親に報告したのだろうか? 父親はこの件をどう思ったのだろうか? 自分は父親になんと言われるのだろうか? どうすればいいのだろうか?
浩紀の頭の中はぐるぐるととりとめのない考えが駆け巡り、何十秒と鳴り続けるスマホを前に一歩も動けなくなった。
1分以上もの間鳴り続けたそれが静かになったとき、浩紀は心底ホッとなった。
そして、言いようもない罪悪感のようなものが溢れ出てきて、その場に崩れ落ちてしまった。
その後も何度か断続的に父親からの電話があり、浩紀は震える手でスマホの電源を落とした。
その日から浩紀は寮の自室から一歩も出られなくなった。
それでも毎日は冷酷にも過ぎてゆく。
『学園』には強力な超能力を認められた高校生が人間性や価値観の違いの別なく強引に集められる。
多感な少年少女が無理やり共同生活をさせられる中で、様々な事情から寮を出られなくなり、引きこもりになってしまう生徒は毎年一定数は現れる。
だが、彼らはどんな状態になろうとも、危険な能力を持つ強力な超能力者であることに変わりはない。
そんな彼らを『学園』の外に追い出すなどはもってのほかで、可能な限り学園内で抱え込むための仕組みが、早い段階で作られていた。
おかげさまで引きこもりになった浩紀の部屋の前に毎日3食の食事は届けられたし、替えの下着やシャンプーや歯ブラシといった生活品も定期的に届けられた。
寮の各部屋は備え付けのユニットバスや簡単なキッチンなどがあったから、必要な物資さえ届けられれば部屋から一歩も出ずに過ごすことが出来たのだ。
浩紀は風呂にも入らなくなり着替えもしなくなったから生活品のほとんどは無駄に溜まる一方だったが、食事だけは届けられたものをもしゃもしゃと食べるようになっていた。
最初のうちはこのまま飯も食わずに餓死してしまえばいいなどと考えていた。
だから扉の前に置かれる食事などすべて無視していたが、3日と立たずに空腹に負け、すっかり冷えたそれを貪るように食らい、そこからは転がるように自堕落な生活へと落ちていった。
自殺しようとは一度も思わなかった。かといって未来に何の希望も持てなかった。
何をどうすればいいのかも分からないまま、寮備え付けの安っぽいタブレットPCに入っていたしょぼいミニゲームを毎日続けた。
ソリティアとかマインスイーパーとか、一昔前の浩紀なら馬鹿馬鹿しくて見向きもしなかったゲーム達だ。
ゲーミングPCは壊れてしまったし、スマホも電源を入れることが言いようもなく恐ろしく、ずっとそのままになっている。
そんな浩紀が暇つぶしに出来る事が他になにもなかったのだ。
1日が25時間になり、毎日ちょっとずつ起きる時間がずれ、少し前まで夕方に目が覚めたのに、最近では真っ暗な夜に目を覚まししばらくすると明けの太陽が昇ってくるようになった。今日が何月何日なのかもよく分からない。
カーテンを閉め切った部屋の中で、ただただ毎日を無為に過ごすことしかできない。
それでも雨が降っている時だけは少しだけ違う。
カーテンの向こう側にある窓を少しだけ開けてやると、素敵なにおいが部屋の中に入ってくる。
遠くに聞こえてくるざああああっという雨音も耳に心地よい。
浩紀は不思議な平穏を心に覚え、何時間もの時間をかけてたっぷりと雨を味わった。
浩紀くんは、小学4年の時に傷つけてしまった山本くんに対し、罪を認め謝ることが出来ればこんなにねじくれることはなかったでしょう。
それが出来なかったのは浩紀くんの心の弱さでありましょう。
しかし果たして浩紀君だけが悪いのか。
裁判の都合で黙秘するように言ったのは父親で、その父親に従うしかなかったのは10歳の頃の浩紀くんのどうしようもない事情で。
その事に違和感を感じながらも言葉に出来ず苦しんだ浩紀くんの心情を、母親も誰も汲んでやれなかった訳で。
けれどもそれは本作品のメインテーマではないので私は取り上げずにそこらに捨て置くことにするのです。
本作中の浩紀くんはクズのままおのれの罪と向き合おうともせず、ただ無力感に苛まされ心を病んでいくばかりの憐れな引きこもり少年で居続けてもらいます。
これを果たして「ざまあ」と呼んでいいものか私にはわかりませんが、ともかく本作品はこんな感じで進んでまいります。
なお作者は、加田 浩紀くんの事をかなりすごーく気に入っています。
浩紀くん自身はどうしようもないクズだけど、私はあまりにも共感出来てしまうところが多々あるので、とても悪く言う気にはなれないのです。
やはり作者の分身は主人公の敵役として登場させるのが私の精神上好ましいのだなと実感する次第。
ラストの部分で引きこもり特有の空気感がうまく描けていれば幸いです。誰得な話ではありますけれど。