4. 重力操者:加田 浩紀
もうすぐ寮にたどり着く、といったところで、道の真ん中で仁王立ちになった加田くんが待ち構えていた。
「真壁おめー! どこ行ってたんだよ!」
加田君が大声を張り上げる。
後ろには丸山くん、館山くん、矢崎くんといったいつものメンバーもいた。
これは少し後になってから純が聞かされた話であるが、純がいつまでたっても帰ってこない事が問題となり、寮監の人があれこれ聞きまわる中で、複数のクラスメイトが加田くんの昼間の一件を証言したため、加田くんがイジメをしていたのではないか? それで純にもしやの事があったのではないか、そう寮内で大騒ぎとなったのだそうだ。
純を夜まで拘束していたのは担任の神崎先生だったが、寮監の人が神崎先生に電話で確認したところ、「間違いなく寮まで送り返した!」と強い口調でそう伝えたため、問題はその後起きたとそのように解釈されたようだった。
それで加田くんが自分の無実を証明するために純を探しに飛び出した、といった経緯があったようなのだ。
もちろんこの時の純にはそんなことは分からない。雨宮先輩と二人で並んで歩いているうちに、遠目にも街灯の下に数名の人間がたむろしているのが見えて、近づくにつれそれが加田くん達であることが分かり、純としては嫌な気持ちがむくむくと鎌首をもたげたのだが、すたすたと雨宮先輩が歩いて行ってしまうので並んでついていくしかなかったのだ。
そうしたら数メートルくらいのところで何やら怒った様子の加田くんに呼び止められ、純と雨宮先輩は立ち止えらざるを得なかったのだ。
「えっと……。」純がともかく何か返事をしようともごもごと口を動かしているうちに、
「あんたら何?」雨宮先輩が静かに声を上げた。
その声色は、先ほどまでの可愛らしい鈴のような音色ではなく、一段トーンが下がった冷え冷えとしたものだった。
「は?」一瞬ぽかんとなった加田くんだったが、気を取り直したのかそう返してくる。「ていうかお前こそなに?」加田くんの声も明らかに敵対的な声色だった。
「あたしは2年の雨宮 れいな。真壁君の知り合いみたいなもん。で、あんた誰?」雨宮先輩は加田くんを睨みつけるようにしながら、そう静かに言葉を返す。
「はっ!」加田くんは一瞬、鼻で笑うような仕草を見せてから、純に向き直った。
「テメーどこ行ってたんだよ! テメーのせいでオレがなんか疑われたじゃねーか、ヘボ能力者! テメーは大人しく寮で引きこもってろっつったじゃねーかよ! 人の話聞いてんのかよ、このクズがよぉっ!」
「クズはてめぇだろクソ野郎!」ドスの利いた声を荒げたのは雨宮先輩だった。
「あたしが名乗ったんだからテメーも名乗れよ! 脳味噌ついてんのかクソ野郎! テメーそれで自分がカッコイイとか思ってんのかよ! クズが粋がってんじゃねーぞ!」
純はあまりの事にびっくりしてしまった。さっきまでの可愛らしい雨宮先輩はどこにもいなかった。その変容にただただ唖然とするばかりだった。
だが、そんな純以上にびっくりしたのが加田くんのようであった。加田くんは目を真ん丸にして数秒ほど雨宮先輩を見つめた後、「はあーっ?」と唸るように声を上げた。
「てめぇ今なんつった? クズ? はあっ? クズはここにいる真壁だろうが。真壁みたいなクズとつるんでるならテメーがクズだろうが。はあ? お前なんなの? マジなんなの?」
そんな加田くんを馬鹿にするように雨宮先輩が笑い声をあげた。
「えーゴメン? なに言ってんのかわかんない。もしかして日本語? それ人間の言葉? サルがキーキー鳴いてるようにしか聞こえないんだけど。
あたしはお前誰って聞いてるよね? 誰なのお前? 名乗れよ。人の話聞けよ。そして答えろよ。
キミ人間? ていうか生き物? 人の話聞かずに一方的に喚いてるだけの置物かなんか? 脳味噌ついてる? ていうかお前、誰?」
そしたら加田くんが「ちょっと可愛いからってイキってんじゃねーよ!」と、大声で絶叫した。
それと同時にものすごく大きな能力のうねりが爆発するように加田くんの身体から噴き出した、ように純には感じられた。
そしてその矛先が真っすぐに雨宮先輩に向けられていることが、純にははっきりと見て取れた。
真壁家の家訓の一つに、酷い目、大変な目に遭いそうな女性がいたら可能な限り助けろ、というものがある。
だから真壁家の男達は例え相手が見ず知らずの女性であっても、ともかくまずは反射的に助けようと動いてしまうのである。
それが先ほど仲良くなったばかりの可愛らしい先輩ということであれば言わずもがなである。
純は神崎先生か自らの能力を他人に絶対使うなと厳命されていた。
知ったことか!
この能力は他人に見つかってしまっては純が狙われるから、絶対に秘密にしなければならないと強く言われていた。
だからどうした!
人に決してバレぬよう、誰かに見せることを禁止されていた。
今はそれどころではない!
真壁家の家訓は社会のルールより重いのである。たとえ後で自分が厳罰に処されようとも、目の前の女性を守れない事の方がよっぽど重大な過ちであった。
純は自らの能力を雨宮先輩を守ることに使うのに、なんの躊躇もなかった。
だから純は、加田くんの能力を動かした。
加田くんが雨宮先輩目掛けて干渉してきたよく分からない能力、――恐らく重力を使った何かなのだろう――を捻じ曲げて、真っすぐに働かないように横へと逸らした。
直後、斜め横にあった針葉樹が大きな力の干渉を受け、幹の部分が弾けとんだ。
そのままメキメキと音を立ててゆっくりと木が斜めに倒れていく。
「は?」加田くんが間抜けな声を上げる。背後にいた丸山くんも目を大きく見開いた。
少し遅れて振り返った雨宮先輩も、びっくりした表情で純を見つめてくる。
「お前今、何をした? なんか今やったよな? お前、何してくれたんだ?」
純は答えない。真っすぐに加田くんと正面から向き合って、とにかく油断せずに身構える。
加田くんの身体の中では、マグマのように煮えたぎった能力のうねりが激しく渦巻いており、いつまた外に溢れるか分からない。
「答えろ真壁! お前オレに何をした!」叫びながら、再び能力がどろりと塊になって飛び出してくる。今度は純目掛けて!
純は再び動かした。能力の流れそのものを動かして、今度は真上に進むように調整してやる。
純達の頭上から、何かが震えるような圧力が降りてきた。加田くんの能力が上空でなにがしかの発動をして、その余波が上から伝わってきたのだ。
加田くんは「てめえっ!」と大声を張り上げながら、さらに続けて能力を発動させようとする。
これではらちが明かないと考えた純は、加田くんの能力そのものに干渉し、加田くんの能力のもととなる部分そのものを横にずらした。さらには能力が噴き出す道のようなものを手当たり次第に捻じ曲げ、切り離し、適当につなぎ合わせた。
加田くんの能力は行き場をなくし、辺りにぶしゅっと噴き出して、一瞬あたりを揺らすような感触が純のところまで伝わってきたが、そこから先は弱々しい残滓のようなものが加田くんの中をやたらめったら動き回るばかりとなった。
純のこの能力は超能力という人類が新たに獲得したデリケートな何かをめちゃくちゃにするもので、これをされた相手は大変不快な思いをするらしい。
今回純はかなり強引に加田くんの中を動かしたから、加田くんにとってはよほど苦しいものだったのだろう。
加田くんは真っ青な顔になって膝から崩れ落ちるようにその場にへたり込み、さらには地面に向けて「おええええっ!」と胃の中のものを嘔吐し始めた。
純はそんな加田くんの様子に一瞥をくれると、そのまま今度は丸山くんの方を向いた。
「丸山くん。その……。」
純が丸山くんに声を掛けると、びくりとなった。
「お、おう。」丸山くんが恐る恐るといった様子で返事をくれる。
「その、丸山くん、さっきから僕に向かって能力使おうとしてるの、気持ち悪いから止めてもらっていい?」
「え?」丸山くんがよく分からないといった表情になる。
「丸山くん、僕を測ろうとこっちに能力飛ばしてるよね? それ、気持ち悪いからやめてほしいんだ。お願い。」
純にとって、丸山くんの能力はなんだかざらざらと何かを削るような嫌な感じがして、実のところ以前からずっと嫌だったのだ。
純は神崎先生から『人前で能力を使わないよう』に厳命されていたから、今までの純は、丸山くんが能力を使うたんびに嫌々ながらも受け入れるようにしていたのだが、今この場で純に向かって使われるとどうしてもイライラしてしまうのだ。
「お、おう。」丸山くんは返事をした。
けれども、純が少し待っても相変わらず丸山くんの気持ちの悪い能力が、まとわりつくように純の周りに漂ってくる。
純は「はあっ」とため息をつくと、丸山くんの能力に直接干渉し、力の出どころとなっている流れをきゅっとせき止めてやる。
丸山くんは「うっ!」と小さく呻き声を上げて、それと同時に辺りに漂う気持ち悪い能力の気配があっという間に霧散した。
純は「はあっ」と、今度は安堵のため息を漏らした。
「あれ? なんか急に見えなくなった。あれ? 真壁、いま、俺になんかした?」丸山くんが何やら焦った声でそう純に尋ねてくる。
「あーうん。ちょっと気持ち悪いから一時的に止めさせてもらった。後で戻すから、今は我慢してもらってもいい?」そう純が言葉を返すと、「お、おう。」と丸山くんがちょっと泣きそうな顔をしつつもこくりと頷いた。
「真壁、てめぇっ……。」うずくまった状態の加田くんが真っ青な顔でゆっくりと顔を上げた。
「てめぇっ……。オレの能力も元に戻せ……。ふざけんなてめぇ……。さっきっから全然能力が使えねぇじゃねえか。てめえ、自分が何したのか分かってんのかよ。このオレは学年3位の能力者だぞ。今すぐ能力を元に戻しやがれ……。」
まるで幽鬼のごとき形相で、下からねめつけるようにして純を見上げる加田くん。
ちょっと前までならそれだけで純は恐ろしさのあまり震えあがったことだろう。
だが、今の純は不思議とまるでそんな気分にはならなかった。
なぜなら……。
「ごめんなさい、加田くん。加田くんの能力はもう戻せない。」
「は?」加田くんが変な顔になる。
「加田くんはさっき雨宮先輩にヤバい感じの能力を使おうとしたから、二度と発動しないように滅茶苦茶にした。だからもう戻せない。」
「は?」変な顔の加田くんが変な声を出す。
「僕も焦ってたから加田くんの能力、とりあえず適当にぐちゃぐちゃにしちゃった。だからどうなってるのか分からなくなっちゃった。だからもう元には戻せないです。」
「は?」「は?」「は?」加田くんの変な声が止まらなくなる。
純は目の前で変な声を出し続ける加田くんの事がちっとも怖くなくなっていた。
加田くんはもう能力者じゃない。そこらにいるただの人間と、なんにも変わりがない。
「真壁君……。」雨宮先輩の声に、純は慌てて振り返った。
もともと純は雨宮先輩を守るために加田くんに立ち向かったのに、途中から興奮状態になってしまい、肝心なことをすっかり忘れてしまっていた。
振り返って目にした雨宮先輩は、目に涙を貯めていた。
「真壁君……、真壁君って……。」
雨宮先輩は何かを言葉にしようとして、でもうまい言葉が出てこない、そんな感じだった。
純はどうしようもなく惨めな気持ちになった。純がヘンに格好をつけた結果、雨宮先輩に嫌な思いをさせたのに違いなかった。
あるいは雨宮先輩はこんな純を見て、気持ち悪いと思ったのかもしれない。
「真壁君、キミって……。」雨宮先輩が何か言いたそうな表情で、さらに純の名前を重ねて口にする。
純はそんな雨宮先輩にこれ以上嫌われるのが怖くなって、思わず数歩ほど後ずさってしまった。
そんな純に追いすがるよう、雨宮先輩の手が伸びて純の方へ近づいてくる。
純は逃げ出したい気持ちでいっぱいになった。
その次の瞬間だった。
「お前ら、何をしている!」と大きな声が鳴り響いた。
純も雨宮先輩も、丸山くんや館山くん、矢崎くんもみんなして声の方向に顔をむける。地面に這いつくばった加田くんだけが「は?」「は?」と小さく声を上げ続けている。
そこには完全武装で盾や警棒を持った人達が数名立っていた。彼らの服の胸元にはPOLICEと印字がされている。学園の各所に警備のため常駐している警察官の人達だ。
さらにその後ろには寮監の管理人さんや学校の先生らしき人達が何人もいた。
そしてさらにその横に、確か生徒会長?だったかの長い黒髪の奇麗な女の人がいた。
恐らくその女の人が使ってきたと思われる粘っこい超能力の干渉波が純の方へと飛んできて、純はそれを反射的に弾き返した。
さらには同じ波が雨宮先輩の方にもやってきたので、なんとなく気持ち悪く感じた純はそれも阻止した。
女の人は一瞬眉をひそめるような表情になったが、気を取り直したのか続けて能力を加田くん達へと使い、純としてはそれはどうでもよかったので特に何もせず様子を見守った。
一通り何かを調べたらしき女性が警察の人達に話しかける。
「すでに事態は収束したようです。そこにうずくまっている少年が主犯ですね。ですがもう危険はないようです。拘束してください。」
警備の人達は戸惑うような素振りを見せてから、お互いに頷きあい、加田くんのそばへと近寄ると、ちょっと強引に立たせ、そのまま加田くんの両手に手錠をかけた。
さらには両脇を抱えるようにして、そのままずるずると引きずるようにして寮の方へと引っ張ってゆく。
加田くんは「は?」「は?」とまだ小さくつぶやきながらも、大きな抵抗はせずにそのまま引きずられていった。
残された純達にも、女の人が声を掛けてくる。
「私の能力で皆さんの心は読ませてもらったので大体の状況は把握しましたが、事情聴取に付き合ってもらいます。全員ついてきてください。」
傍らでは警察官の男性が通信機らしき機械を耳に当て、「ええ。主犯と見受けられる少年の身柄は確保しました。三森さんの話ではもう危険性はないと言っています。……いえ。そのあたりの事情はこれから確認したいと思います。」などと、どこかに報告をしていた。
純達はともかく言われた通り、ぞろぞろと連れ立って寮へと戻る。
その移動の途中で、すっかりぺこぺこになった純のお腹がぐうーっと鳴り、それを聞きつけた雨宮先輩が手にしたコンビニ袋を差し出して「食べる?」と声を掛けてくれた。中には炭酸飲料やポテチの袋、チョコ菓子などが顔を覗かせている。
いつもの純なら申し訳なさから断っているところだったが、この時ばかりは思わず手に取ろうとして、振り返った女の人に、
「申し訳ないけど後にしてもらえますか? 今晩の聴取はそんなに時間を取らせませんから。」と止められてしまった。
それで雨宮先輩がすごく申し訳なさそうな顔になり、純もなんだか申し訳ない気分になってしまった。それで二人してお互いに目配せし合いながらも、ともかくみんなの後を並んでついてゆく。
夜の聴取は果たして簡単なものではあったが、「事態の解明のため全面的に協力する」みたいなことが書かれた誓約書のようなものにサインをさせられた。
あと、いざというときのために連絡先の電話番号を言うように指示されたが、携帯電話など持っていない純が事情を伝えると、その場にいた全員に変な顔をされた。
純は結局、夜はいっさいの食事を食べ損ねた。
純達は別々に取り調べを受けそのまま個別に部屋に返されたので、結局雨宮先輩のお菓子は受け取れずじまいだったし、純の部屋の冷蔵庫は空っぽだし、先輩以外に純の胃袋事情を心配してくれる人は一人もいなかったから、純は空腹を紛らわせるためとにかくたくさん水を飲んで誤魔化した。
それでそのままベッドの中にもぐりこんで布団を頭までかぶった。
けれども全然眠くならない。
純はどうしようもなく腹が立った。どういう訳だがムカついて仕方がなかった。
この2か月間、全部自分に問題があると考えて、色んな事を我慢して、小さな体を余計に縮こませて、波風立てずにやってきた。
そんなのが全部馬鹿らしくなってしまった。
純には雨宮先輩以外の全てが敵であるような気持ちが沸き起こり、腹が立つやらお腹はすくわおしっこは近いわでいつまでたっても寝付けず、気が付くと朝日が昇り始めていた。
純の怒りは夜が明けても収まらなかった。何に対してムカついているのか、どうしてこんなにイライラするのか、分からないまま純は身支度を始める。
シャワーを浴びて、歯を磨いて、服を着て。
「はあーっ!」大きく一つため息をつくと、純は部屋の外へと足を踏み出した。