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3. 2年生の雨宮先輩

東京都稲城市・多摩市に跨る一帯に、かつて米軍が管理していたレクリエーション施設だった場所がある。

多摩川を南に渡って少しのところにある広大な敷地は、世界に超能力という新しいファクターが産み落とされてから大きく変わった世界情勢の余波を受けて、アメリカから日本へと返還された後、強力な超能力者達のための研究、保護、育成施設へと生まれ変わって現在に至る。


純が通う『学園』や寮も敷地の中にあり、うっそうと茂る森やゴルフ場跡となる芝生の草原などが点在する広大な土地のほぼ中央にポツンと建っているため、そこから離れ、暗い夜道を少し歩いただけで、自分がどこにいるのかさえあっという間に分からなくなる。


いつの間にか、純は迷っていた。少し前に舗装された道を外れ、草むらの奥へと進み始めてからどこを歩いているかはっきりとしなくなり、コンクリートでできた、何やら古臭い壁だか建物だかのようなものの前に出た。

不思議な趣のある建物で、丘の下をくり抜くようにして中に部屋が造られた、半地下の倉庫のような施設であった。


純は吸い寄せられるようにしてふらふらと建物の中へと足を踏み入れた。

建物の中に入ってしまうと中は真っ暗で、振り返ると月明かりだけが入口を照らしていた。

純は訳もなく安堵感を覚え、しばしの間時が経つのも忘れその場に佇んだ。


「うわっ!」


不意に可愛らしい女性の声が鳴り響き、純は思わず振り返った。

入口には一人の女性らしき人物が立っていた。


「ゴメンなさいっ! 中に人がいると思わなくて!」


月明かりを背に入口に立つ女性の容姿ははっきりと分からなかったが、何やら慌てた様子でそう言葉を続ける。


「ゴメンなさいっ! ちょっと散歩のついでに覗きに来ただけなんです……。ってあれ? もしかしてあたしと同じ『学園』の人?」


女の子は途中で声のトーンが代わり、恐る恐る、といった様子でそう質問を投げかけてきた。


「あ、はい。1年B組の真壁 純です。」純もおっかなびっくりしつつもそう返事をする。


「えー! びっくりしたー! 見回りの警備の人かと思ったよー。」女の子は安堵した様子を滲ませつつ、建物の中に入ってきた。

「あたし、2年生の雨宮 れいな。ええっと、1年の真壁君、だっけ? もしかして真壁君もここによく来るの?」

そう言いながらも、純の前にまでやってきた雨宮先輩。白いパーカーにジーンズのラフな格好で、手にはコンビニ袋を提げていた。

暗がりの中でも夜目に慣れた純には、大きな吊り目がちの瞳をぱちくりとさせる可愛らしい雨宮先輩の顔がはっきりと見て取れ、家族とは違う甘い女性の体臭と相まって、純の心臓はどうしようもなくドキドキと波打った。


「ええっと。今日が初めて、です。」純はどうにか上ずった声で言葉を返す。


「えーそうなんだ! ここ、なんかすごいよねー。なんか、もともとこの場所って、第二次世界大戦中は日本軍の施設だったらしいよー。戦争遺構っていうの? それがアメリカ軍に押収されてゴルフ場になったりして、でもこうして今も当時の建物が残ってるみたいなんだよねー。」

雨宮先輩は純の様子に気にした風もなく、そんなふうに話しかけてくる。


「それでまあ、敷地が広いから警備の人もときどきしか見回りに来ないし、一人でぼーっとしたいときとかにすごくいいんだよねー。……あっ!」

雨宮先輩はしまった、という顔になった。


「もしかして真壁君、一人になりたかった? あたし邪魔しちゃった? ゴメン!」

雨宮先輩はそう言いながらもぺこぺこと頭を下げた。


「あ。大丈夫です。別に一人になりたかったわけじゃないんです。ただちょっと……。」純はそこまで口にしてから、次の言葉に迷ってしまった。


自分はどうしてこんなところに来てしまったのだろう?

どうしてここにいるのだろう?


純はその理由が自分でもよく分からなくなっていたのだった。


「ふうん……?」雨宮先輩の声色が変わった。

「もしかして、『学園』で何か嫌な事でもあった?」


純はドキリとした。まさにそうだ。純はどうしようもなく嫌になって、それで逃げ出すようにしてこの場所までたどり着いたのだ。


返事も出来ずにただ黙る純に対し、雨宮先輩は優しい声だった。


「そっか。嫌な事あったんだね。それはしょうがないね。」雨宮先輩はそう言って、くすくすと笑いだした。


「あたしも嫌な事あったらよくここに来るよ。別にそれで何も良くはならないけど、なんとなく気分が落ち着くよ。

だから真壁君も嫌な事あったらここに来ればいいと思うよ。

あっ! でも警備の人がわりと良く見回りに来るからそれだけ気を付けてね! 奥の柱の陰でじっとしてれば、警備の人は中までは入ってこないからやり過ごせるよ!」

薄暗闇の中、そんなふうに笑いながら話してくれる雨宮先輩。


そんな雨宮先輩の声を聴いているうちに、純は自分が何に悩んでいたのかも忘れてしまった。それでハッと気づいてしまった。

雨宮先輩は嫌な事があったらここによく来ると言っている。つまり、今日も何か事情があってここに来たのではないか?

すると、先にいた自分こそが邪魔者なのではないか?


それで純は慌ててしまい、しどろもどろになりながらも声を上げた。


「僕! 大丈夫ですから! 先輩の邪魔はしませんから!」


それから純は雨宮先輩の脇を抜けて、外へ飛び出そうとする。


「待った!」そんな純を、雨宮先輩が呼び止める。

「ちょっと待った! あたしが邪魔したんだったらあたしがいなくなるから! 君はここにいていいから!」


「でも僕、もう充分ですから……。雨宮先輩の邪魔になりますから……。」

純がそう返すと、雨宮先輩は「はあーっ。」とため息をついた。

「どっちが邪魔とかそういうのはいいよ、もう。別にあたしは邪魔とか思ってないし、そっちも邪魔じゃなけりゃそれでいいよ。……それより真壁君はもういいの? 気分転換にはなった?」

「はい。」純はこくりと頷く。

「それで真壁君はどうするの?」

「えっ?」純は意味が分からず、思わず聞き返してしまう。


「このまま『学園』を逃げ出してどこか遠くに行こうっていうなら、警備の人が知らない抜け道教えてあげるよ? 馬鹿正直に門のところに行っても止められるだけだよ? フェンスが破けてて出られる場所、あたし知ってるんだ。」


「ええっと。」

純は混乱してしまった。逃げ出す? 抜け道? なんでそういう話になっているか分からない。

だから思ったことをそのまま口にする。

「このまま寮に帰りますけど。」


そしたら雨宮先輩に「そうなの?」ちょっとびっくりされてしまった。

「真壁君なんだか、さっきまで、何もかもが嫌になってどこかに逃げ出したいって顔してたよ? だからてっきり『学園』から逃げるつもりなのかと思った。……ゴメン。」

雨宮先輩は顔を赤くしながらそう言って頭を下げた。


これにびっくりとなってしまったのはむしろ純の方だった。

雨宮先輩には純がそんなふうに見えていたらしい。確かに先ほどまでの純は、どうしようもなく何もかもが嫌になり、ともかく当てもなく遠くに行きたいと、それで訳もなくふらふらと歩いているうちにここに辿りついたのだった。


けれども、そんな純の心も、雨宮先輩とちょっと話しただけで全てがどこかに消えてしまった。

雨宮先輩はすごく純に気を使ってくれている。それで、一生懸命心を砕いて言葉を選んで話しかけてくれている。

それだけで純は、ここ2か月の間誰とも心を通わせずに荒んでいた心が晴れていくのを感じていた。

なんてことはない。純は人とのコミュニケーションに飢えていたのだ。誰かと心を通わせるような会話がしたかっただけなのだ。

図らずも、純のその小さくとも大きな望みは、目の前にいる雨宮先輩のおかげで叶ってしまったのだ。

純はそれですっかり心が軽くなり、今までの悩みが馬鹿らしいものになってしまっていた。

だから純は、雨宮先輩にこう返事をする。


「僕、他に行くところがないんです。だから、『学園』しか他にないんです。」


それから純は心の中でこう付け加える。


――僕の家、貧乏だから……。タダで通える高校、他にないんです。


でもそれは純にとっては恥ずかしい事なので、雨宮先輩には黙っていた。


雨宮先輩はそんな純の気持ちを知ってか知らずか、「そっか。」と言いながらまた笑った。

「確かにあたし達、他に行く場所ないよね。」雨宮先輩は笑いながらも、その声はどこか悲しそうだった。


「あたし達能力者って、特殊な力があるせいで一般社会ではどんな影響が出るか分かんないからね。ねえ? 真壁君? 真壁君はなんで『学園』がこんな場所にあるか、知ってる?」

「……いえ。」純は知らない。元米軍施設だった広大な敷地にどうして今は『学園』だけがあるのか、考えたこともない。


「例えばあたしの能力なんかさ、最大で半径500m位まで影響あるんだよね。しかも、制御が不安定だから暴発する可能性がいつでもある。

だから街中でもしものことあると、ものすごい数の人間にすごい影響が出ちゃう。

だから人のいない場所に隔離しないといけないんだ。


隔離施設なんだよ、この『学園』は。周りに迷惑かからないように、無理やり押し込めてるんだ。他にやりようがないんだよ。この世に新しく出たばかりの未知の力だから、無理やりこんな場所に隔離するしかなかったの。

だからどこかすっごく息苦しい場所なんだ。


あたしも何度も逃げ出そうと思ったよ? でも外に出たらみんなに迷惑がかかるかもしれないから、それを考えたらここにいるしかないんだよ。


『学園』ならあたし以上に強力な能力者が何人もいるから、あたしが力を暴発させても誰かがあたしを止められる可能性が高い。

あたし自身の能力も、他の誰かの暴発した止める力として働く可能性が高い。

そんなふうにしてあたし達は、お互いの強力すぎる能力を使って互いに監視、抑止し合う以外にこの能力を制御する方法がないんだよ。

だからあたし達はこんな場所に押し込められている。


超能力って新しく生まれたばかりの未知の力だから、そんなふうにして管理するしか他にやりようがない。


だからあたし達はみんな、他に行く場所がないんだよ。」


そう言いながらケタケタと笑う雨宮先輩。

純は申し訳ない気持ちになってしまった。純が『学園』に通わざるを得ないのは純粋に学費の問題なのだ。

純の能力はヘボだから、別に周りに迷惑がかかる事なんて何もない。ただただお金がないから仕方なく『学園』に通うしかない、それだけの事なのだ。

雨宮先輩には特別な理由があって、辛い事もいっぱいあって、でもそれは純の辛いとは全然違うのだ。


すっかり申し訳ない気分になった純は、雨宮先輩のそばにいるのも申し訳ない気持ちになってきていた。


「僕、寮に戻ります。」純はぺこりと頭を下げて、今度こそ建物の外へと歩き出した。

「あー、うん。」雨宮先輩はそれだけ言って、今度は引き止められなかった。


それで純が道に出て少し歩いていると、再び雨宮先輩の呼び止める声が聞こえてきた。

「待って!」


純は何か問題でもあったろうかと不安を覚えつつも振り返る。


「真壁君、待って!」小走りの雨宮先輩が可愛らしい声を張り上げながら、純に追いついてきた。

「ゴメン、真壁君。その。迷惑かと思ったんだけど、どうしても気になっちゃって。」


純はそんな雨宮先輩の言葉に不安が大きくなり、ドキドキしながら聞いてみる。

「何か、あったんですか……?」


「あーうん。」雨宮先輩は少し顔を赤くしながらも「その。真壁君、寮とは反対の方に歩いていくから、なんか心配になっちゃって。」


「えっ?」純は思わず聞き返してしまった。


そういえば純はそもそも、ここがどこだかわからない。純はともかく雨宮先輩の邪魔になりたくないから出てきただけで、寮に帰るにはどこへ向かえばいいか、さっぱり分からない。


「もしかして真壁君、やっぱり本当は寮に戻りたくない?」雨宮先輩が心配そうにそう訊ねてくる。


純はとんでもないと、首をぶんぶん横に振った。


「そしたら真壁君、寮に戻るにはどっちに行けばいいか分かってる?」


純は情けない気持ちになって、弱々しく首を横に振った。


「そっか。」雨宮先輩はくすりと笑って、「じゃあ一緒に戻ろう?」と言ってくれた。


純はそれを聞いてありがたいと思いつつも、すぐに先輩の迷惑になっていないだろうか? と思い直した。

そんな純の表情の変化を見て取ったのか、雨宮先輩が続けてこう言ってきた。


「もしかしてまた邪魔になってないかとか思ってない? ちなみにあたしは別に真壁君のこと邪魔とか思ってないよ。真壁君はあたしと一緒じゃなくて一人で戻りたい? あたしの事邪魔?」


純は首をぶんぶんぶんと強く横に振った。


「ホントに?」訝し気な雨宮先輩が純の顔を下から少し見上げるようにして覗き込んでくる。


純はこくこくこくと首を強く縦に振った。


そうしたら雨宮先輩はにっこりと微笑んだ。


「あたしも人に気を使いすぎるタイプだと思うけど、真壁君はあたし以上だねぇ。でも今さらだし、一緒に帰ろ?」


純はこくりと大きく首を縦に振った。


それで雨宮先輩はそのまま歩き出し、純はその斜め後ろを追いかけるようにしてついていくことになった。

雨宮先輩はときどき振り返り純がいることを確かめつつ、てくてくと暗い夜道を進んでゆく。

純は不思議な気分だった。

純は従姉や妹たちに頼まれて買い物の荷物持ちに付き合わされることがちょくちょくあるが、真壁家の女性たちはみな騒がしく、延々としゃべり続けるのを純は隣でひたすら返事をするのがいつもの習わしだった。


それが、雨宮先輩は全然喋らないので、二人とも特に言葉を交わすことなく、無言でどんどん足を進める。

けれども不思議と純には心地が良かった。特に無理して女性に話を合わせなくてもよいのが気楽で良かったのだ。



そんな中、不意に立ち止まった雨宮先輩が、見上げるようにしてぼそりとつぶやいた。


「今夜の月は、キレーだねぇ……。」


純は釣られて立ち止まり、そのまま先輩の横に並んで夜空を見上げた。そこには欠けるところのない奇麗な満月が浮かんでいた。


純は今初めて気付いた。今日はこんなに奇麗なお月様が夜空を照らしていたことを。


たった今の今まで、純はそんな事にすら気付けないほど心がひっ迫していたのだ。

だから、たった今気付かされた見事な月は、どういう訳だかとても強く心に響いた。


「はい……。」純は漏らすようにしてそう返事をした。


それで少しの間だけ二人で夜空を見上げていると、「あっ!」と雨宮先輩が小さく声を上げた。

それから純の方へ顔をむけて、

「今の、そういう意味じゃないからね! 会ってすぐのよく知らない年下の1年生にそういうのとかってないからね! 純粋に言葉通りの意味で言っただけだからね!」

何やら顔を赤くしながら、一生懸命わたわたと弁明らしきものを始めた。


純には雨宮先輩が何を言っているのかさっぱり分からなかったので、曖昧な返事をししつつ笑顔でニコニコとしていると、「はあっ」と雨宮先輩はため息をついた。


「……ゴメン、今の何でもないから。今のは忘れて?」


「あ、はい。」純はこくりと頷く。


それから二人はどちらからという事もなく並んで歩き始める。

ここまで来れば純も知っている道となり、あとは真っすぐに寮に戻るだけだ。


純はちらりと横に目を向けて、雨宮先輩の横顔を盗み見した。


月明かりに照らされた先輩の顔はどこか神秘的で、純にはとても美しいものであるように思えた。


純の心臓はどうしようもなくドキドキとした。

もうすぐ寮にたどり着いてしまう。

純にはなぜだか、その事がひどく残念であるように思えた。



■補足解説

多摩サービス補助施設


本作品中では日本に返還されて超能力者の施設となっておりますが、現実世界では2021年現在も米軍が管理する広大な施設。

Googleマップとかで見ると「米軍ゴルフ場」とか書いてあるけど、実際にはほかにもいろいろ複合したレクリエーション施設となっております。


ほとんど手つかずの森などがそのまま放置されており、東京都下にこんな広大な自然と旧日本帝国の陸軍遺構などがある事が不思議な気持ちにさせられる、そんなちょっと変わった場所です。



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