意地悪
音階...いわゆるドレミファソラシドってやつ。
ハーモニー...いくつかの音を合わせたもの。ピアノだとジャーンって感じの。
テンポ...曲の速さ。1分間に何拍あるかでいうので、テンポ60だと1秒に1拍ってことになる。おっそいよ。
スコア...総譜。オーケストラとか吹奏楽とか色んな楽器で曲を演奏する時に使う、全部の楽器の楽譜がまとめて書いてあるやつ。
「いつもはどんな練習をしていますか。」
深谷先生が指揮台の上にたってから聞いた。
「音階とハーモニーをやって、曲練習をしてます。」
村田先生が食い気味に答えた。村田先生抜きで、と誰かが付け足さないよう、厚かましい笑顔で部員の方を見た。
「ではその通りにしましょう。いつも使っているのはこれですね。テンポはいくつですか。」
深谷先生は微笑んで村田先生の方を向いた。村田先生は少し顎を引いた。
「60です。」
宮嶋が答えた。この人は分かっていまの質問をしたのだろうか。微笑みはちっとも意地悪ではなかったが、無意識にしては村田先生の顔をしっかり見すぎていた気もした。どちらにしても村田先生は答えられないのだから、そういう嫌がらせのようなのを宮嶋は嫌っていたので、宮嶋があっさり答えた。
「では、それで。やりましょう。スピーカーでテンポを流します。」
ああついに、この人に音を聴かれる、前のおふざけじゃ聴かれなかった、俺の音が聴かれる。緊張で息を吸ったか吐いたかわからなかった。しかしどうやら吸ってはいなかったようで、サックスに息が入らなかった。キュッと嫌な音が出て、そこから音が鳴った。宮嶋が深谷先生の顔をチラリと見ると、深谷先生と目があって、すぐ楽譜に視線を落とした。音階とハーモニーが終わるまで、深谷先生は一言も話さなかった。
「ずいぶん丁寧にチューニングされてますね。とても良いですよ。」
終わってから、深谷先生が微笑んで言った。宮嶋にとっては拍子抜けであった。
「では曲練習をしましょう。いつも練習している曲のスコアはこれですね。」
宮嶋は下唇を噛んだ。緊張よりも好奇心が勝った。
「始めからやります。」
宮嶋はサックスをくわえた。