有名
次の日の朝、鈴木が話しかけてきた。
「なあ宮嶋ぁ、昨日急に吹部きた人いるじゃん?深谷センセー。」
「ああ。」
「あの人さ、超有名人っぽいのよ!昨日の帰りにセンパイがさ、なんか知ってる名前だって言ってて、家帰ってから調べてみたんよ。そしたら、ウィーン?のオーケストラの指揮してたって!音楽界の人で''SIGEO FUKAYA''を知らない人はいないーみたいな感じでさ、今朝センパイに言ったらメッチャ悔しがってたんだよ、なんで俺は今年で引退なんだよ〜って。」
「…なんでこんな辺境の吹奏楽部に来たんだろうな。」
「なんかあの人ここらへん出身らしいよ。もう引退してて、鬱病とか身体にガタがきたとか書いてあったんけど、そんな感じには見えなかったよな。」
「普通に引退して、ゆるくやってこうみたいな感じか。」
「まあ多分な。」
宮嶋は驚いていた。深谷茂雄が有名人だったことが衝撃的だったのか、それとも、普通の友人同士のような会話が出来たことに驚いたのか。一日中、その驚きの違和感が胸について離れなかった。宮嶋が今までお客様扱いだったのは、宮嶋自身に原因があることであった。家が金持ちなのもそうだが、宮嶋自身が、常に、周りと一線を引こうとしていた。宮嶋は幻想に囚われていた。ここは辺境で、閉じ込められているが、いつか、今まで気がつかなかった自分の才能が判明して、色々なしがらみから抜け出して、大いなる一歩を踏み出せる、と。この田舎の子供は、始めはみんなそう思っている。しかし、小学校に入り、中学校に入り、だんだんと気づき始める。自分は平凡だと言うことに。そして、家の農業を継ごうとか、普通に結婚しようとか思い始める。田舎の子供は大人になるのが早かった。だが、宮嶋だけはいつまでも子供だった。自分が主人公であることを、無理やりにでも信じようとした。特別な何かになることを渇望して、この街とここの人々を、プロローグとしか思っていなかった。
その日は、あっという間に日が流れ、すぐに放課後の部活の時間となった。