作曲
作曲科の勉強は、ハーモニーを学んだり他の曲を聴いたりする、変わりばえのしないものがほとんどであった。それなので、宮嶋がこの課題を課されたときは本当に驚いた。
「ソプラノの曲を一本書いてくれ。」
「僕がですか…。」
「声楽科でアンケートをしたら断トツで宮嶋が人気だった。」
「はあ。」
「問題ないな?よろしく頼むよ。」
「何のために書くんですか。」
「オーディションの課題曲だよ、ウィーン留学の。」
「そんな大役、僕じゃ…。」
「ああ、留学といっても夏休み中だけだ。詳細はこれに書いてあるから。」
教授から一枚のプリントを渡された。何分ぐらいの、こうこうこんな曲を書いてくれと載っていた。確かに、こんなに細かく指定があったら、プロの作曲家に依頼できない。作曲家の創造性を求めてないことになるため、とても失礼になる。それで生徒にやらせていた。
宮嶋がアンケートで人気だったのは、声楽科の棟に通って課題をしていたことで、『顔』が知られていたからであった。宮嶋はそんなことに気がつかず、自分の努力を認められたと思った。本来嫌な仕事である課題曲の作曲を、宮嶋は張り切って取り組んだ。
宮嶋は作曲するためにも、やはり声楽科の棟に通った。ソプラノを聴くためである。資料室でソプラノについて勉強しながら、彼女の歌声を聴いた。
宮嶋は始めこそやる気に満ちていたが、正直まったく筆が進まなかった。教授から渡されたプリントには、いろいろ言い方が変えられているが、要は「当たり障りのない曲を書いてくれ」という趣旨が載っていた。これは簡単なようでとても困ることであった。作曲というのはやはり創造であるため、才能のないものは頑張っても当たり障りのない曲しかできないが、才能のあるものにとっては、どうしたって多少は独創的になってしまうものである。宮嶋は才能があった。音楽自体の才能というより、秀でた感受性を持っており、それを曲にしていたため、人の心を揺さぶる曲が書けてしまうのである。宮嶋は無題から創造ができない。何かから感じたことをテーマにしてしまうため、当たり障りのない曲というのはありえなかった。
宮嶋が資料室で頭を悩ませていると、また彼女の歌声が聴こえた。なんて美しい歌声だろうと思った。清涼で、丁寧で、清潔で、印象こそ薄いが、よくよく聴けば良さがわかる。こういう曲を書けたらいいのに。こういうイメージだったら、当たり障りのなく、なおかついい曲が書けるのに。宮嶋は思った。彼女をイメージすればいいのでは?彼女を題にすればいいのでは。しかし彼女もこのオーディションを受けるとしたら、それはちょっと贔屓になってしまうのではないだろうか。どうしよう…。ああ、そういえばあのときは気まずかった。話しかけられてよかったけど、名前も聞けなかったし…。いや、なんで名前なんて知りたいんだ?話したこともないのに、名前を知ったって…。
…あのとき、窓を覗いたあのとき、夕日がすごく綺麗だった。彼女の歌声を溶かすように、遠く遠く、透き通っていた。あのとき、あのときの夕日…。
宮嶋の手が動いた。綺麗だったことを思い出して書くと、普通に書くより早く書けた。一度心に入った感動は、表現しやすかった。夕暮れどきの資料室で、彼女の歌声を聴きながら書くと、より鮮明に思い出せた。この曲を聴いたら、彼女はあのときのことを思い出してくれるだろうか。そう思って、はっと顔を触ったら、手がひんやりしてると感じた。いや、顔が熱かったのだ。