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天才に雨を  作者: 有泥
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一目惚れ

 宮嶋にとって、大学時代というのは一番充実していた時であった。音楽理論を学ぶこと、自由に音楽を聴けること、何より一人暮らしが楽しくて仕方なかった。周りには、有名な音楽家の二世や、良くも悪くも変わったやつがゴロゴロおり、宮嶋が目立ちすぎることもなかった。もとより作曲科は他の科より目立たなかったため、宮嶋よりも、ピアノ科で大手音楽企業の息子のキツネみたいな男の方がモテた。

 宮嶋は講義がない日も大学に行って課題をした。いろいろな棟で、いろいろな楽器が練習しているのを聴くためであった。入学して間もないころは、特に声楽科が練習している棟の近くが気に入っていた。声楽科の棟のすぐ横にある小さな古い資料室からは、いつもソプラノの練習が聴こえた。使われていない資料室は埃っぽかったが、ソプラノの清涼な歌声を聴くと、視界が良くなり、資料室が綺麗な場所のように思えた。

 毎日毎日通っていたが、その日はなぜかソプラノの声が聴こえなかった。宮嶋は場所を変えようかと思ったが、惜しいような気がしたので、少し待ってみることにした。もう少し、もう少しと待っているうちに、日は傾いていき、すっかり夕方になってしまった。資料室の照明が弱くて、これ以上暗くなると課題ができないので、もう帰ろうと宮嶋は席を立った。

 資料室から出て扉を閉めた時、宮嶋はハッと美しいソプラノの声に気がついた。すっかり暮れた太陽が見せる赤い光と、その歌声の透明さがあまりにも綺麗で、やっと聴けたその歌声に惹かれ、無意識に宮嶋はその歌声の方へ向かった。声楽科の棟を見ると、一階の窓が一つ窓が開いていたところがあったので、つい窓の中を覗いたら、ただ一人、茶髪の女性がいた。

 その女性は夕日に向かって歌っていた。色素が薄くて、存在感があまりなかった。髪はサラサラと窓からの風を受けて、光を透かし輝きながらなびいた。ソプラノの声も本当に綺麗だったし、声量も十分あったが、あまりに綺麗で耳にすうっと入ってくるので、いつも待ち望んで聴いていなければ気付きづらかった。窓の前を歩くちらほらした生徒達も、窓の方を注意して見ることはなかった。何より、彼女自身が他の存在に気にしていないらしかった。窓からの宮嶋がじっと覗いていても、彼女はちっとも気が付かないようだった。彼女は楽譜に目を落とすことなく、夕日をまっすぐ見ながら歌いきった。歌い終わって、ふうっと息をつくと、宮嶋と目が合った。

「っ…はっ…!?」

 彼女は本当に驚いたようで、声を出さず、息を漏らした。

「あ、や、あ、」

 彼女は宮嶋を見て、おそらく学生だと判断したのだろう、ゆっくり近づいてきた。

「…あの、何か、うるさかったでしょうか。」

「あ…や、いつも…聴いてて、今日はまだかなと思ってたら聴こえて、窓が開いてたので…。」

 彼女の顔を見たが、夕日に照らされて表情がわからなかった。ただ、彼女の目が、ビー玉のように光に透けているのがわかった。

「あ、そうですか…。」

 宮嶋は気まずかった。彼女もそれは同じようで、彼女はふいと後ろを向いて楽譜やらを片付け出した。宮嶋はその様子をただ見ていた。彼女が荷物をまとめ、窓の方にまたやってきた。

「えっと…じゃあ…。」

 そう言って彼女は窓に手をかけてゆっくり窓を閉めようとした。

「あ、明日も来ますか?」

 彼女は宮嶋がそう訊いてきたのが意外なような顔をした。

「はい。」

 彼女は宮嶋の目を見ずに答えた。

 結局課題は終わらず、どうやって家に帰ったかも覚えていなかった。

 ただ、風呂に入ったとき、彼女の光に透けたビー玉のような瞳が、何度も頭の中に浮かんだだけだった。

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