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まだ騒動による慌ただしさを残しつつも、アンジェ達は私室にたどり着く頃には夜が明けかけていた。
自分に成り代わったナージェが触られたと聞いていても立ってもいられなくなり、レオンに頼んでそのままついて来てしまった。はしたない格好と重々承知だとしつつガウンだけは羽織っていた為、寒い思いもしなくて済んだ。
アンジェは部屋の前でぺこりと頭を下げて礼を述べ、部屋へ入ろうとする。しかし、このまま行かせて大丈夫かとレオンは唐突に不安がよぎった。
「――レオン様?」
ずっと穴が空く程に顔を直視する男に首を傾げ、不思議そうに見上げると身長差もあり見上げてくる目の前の天使を、こんな騒動の後どうして一人で寝かせられるだろうと脳内が侵されていくのを感じた。煩悩にまみれている。
「一人で大丈夫か?」
ふと思い浮かんだ事を口にすると、アンジェは少し困惑気味に目を逸らして林檎のように赤くなった頬を隠すように両手で覆った。耳まで赤くなっている彼女を愛しく思うこの幸福感を放り出して自分が私室へ戻る気にもなれない。
――せめて一緒に眠れたら…。
脳裏をよぎる下世話な事を頭を振ってアンジェの返事を待つ。
すると、少し落ち着いたのか、突然右手を差し出してこちらを見た。
「レオン様、私の手に触れて見てください」
アンジェはそう言うと、誘われるままにその手を包み込むように握った。
外から戻ったばかりにしては温もりのある手は小さく細い。まるで人形でも触れているかのような大きさに壊さないように優しく包む。その手はカタカタと震えていた。
その手の主の顔を見やるといつもどおりの無表情だ。
――一人にしないでください。なんて言えないわ……。
「……私の我儘を聞いていただけますか?」
そう問いかけられ、あぁと頷く。
頷いてその次に彼女の目を見ると、翡翠の瞳には少し潤んでいて庇護欲を掻き立てられる。泣きそうな彼女を今すぐ抱き締めたい気持ちを抑えて、彼女のいう我儘を聞き入れる準備をした。
すると、その手を引いてアンジェの部屋へと誘われ、ソファへと座らされ、その目の前でアンジェが両膝をついて祈るように握られた手に左手を重ねた。
「先日、レオン様と街へ行った時に仰っていました。この国をよくしていくのだと。あんな事にならないようにしていかねばならないのだと」
「あぁ…」
「ですが、私と結婚するとアストレリアにいく事になります」
「……そうだな」
「レオン様はガレンディアを変えていく為に、今まで尽くして来たのではないのですか?」
確認をするように見つめるアンジェの目は、いつにも増して本気の眼差しでまっすぐ捉えて離さない。しかし、やはり泣きそうだ。それをどんな気持ちで堪えているのかはレオンには分からない。
だが、何が言いたいのか悟った。
「ガレンディアは、お前が思っているよりもアーサーとユーロが尽くしている。お前の心配するような事は何もない」
「そう、ですか。では、私の我儘を聞いてください…」
すっと目を閉じると、目に貯められていた涙はスッと一筋を通り頬を通過してそのまま床へと落ちた。しかし、じっと口を閉ざしている。何か勇気を出しているようだ。翡翠の瞳は隠されて何も語らない。
しんと静まりかえった部屋の中で、外から差し込む朝日の明かりで部屋がじんわりとはっきりしていく。薄暗かった部屋は、明るくなり跪いたアンジェの姿がはっきりとした。金の髪が反射して輝いて見える。
――まるで天使のようだ……。
彼女を見て何度そう思ったか分からない程に神々しく見えた。
そして、決意が完了したように再び隠された瞳が現れ、レオンの顔を見てふわりと微笑んだ。
「私と、アストレリアを守っていただけませんか?」
淑女すっとからのプロポーズなど聞いた事がない。
しかし、それでもアンジェは自分の育った、愛した国を受け継いでいく為に、アーサーから聞いた話にきちんとけじめをつけたかったのだ。
それを言わせたレオンは、困ったような、情けないような表情で手で前髪を掻き上げる。そしてすぐにアンジェをすくい上げるように抱き上げ、膝に横向きに座らせるとぎゅっと強く抱き締めた。
「きゃっ…、れ、レオンさーー」
「お前はいつも強い…、だが弱い」
自分の告白話を聞かせ、アンジェに散々困らせ振り回した。不快だと嫌だと失礼だと叫ばれる覚悟もしていたのに妻となり、夫として迎えさせて欲しいと頼まれたのはこのガレンディアの歴史上初めての事かもしれない。それはアストレリアでもそうだろう。
「当たり前だ。こんな小さい女、俺しか守れない」
「違いますよ、アストレリアを守るのです」
少し不服そうに返すアンジェに、また愛しさが波のように押し寄せてくる。
抱き締めた腕を緩めると、たまらず目の前の婚約者の唇を奪うように重ねた。
「――んっ」
突然の事でもアンジェは、不思議と受け入れられ目を閉じてきゅっとレオンの服にしがみついた。
そして、十秒か、それ以上経過した頃ようやく離れてアンジェは頬を染めながら照れ臭そうに口をついた。
「本当に不器用な方です…。でも――」
――愛しています
そう言いかけてまた唇を奪われた。
レオンは口よりも行動が先に出てしまうようだと、アンジェは仕方ないとその先の口付けもおとなしく受け入れた。
◇◇◇




