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それから二日後の夜――
アンジェは、いつも通り用意された天蓋付きのお姫様が寝るであろうベッドに潜り込んでナージェにおやすみを告げ、すやすやと規則正しい寝息を立てて眠っていた。
――はずだった。
初夏にもかかわらずベッドに入っている割には肌寒い。夜の寒さで身震いをしてふと目を覚ますと、見知らぬ平民の使う布の屋根が付いた荷馬車の中で夜着のまま縛り上げられて寝かされていた。
呼吸も微かに息苦しいと感じると、口元には布で通され後ろ手縛りつけられており、喋る事も出来なさそうだ。
荒々しく走る馬車は、身軽なアンジェをいとも簡単に跳ね上げる。荷馬車の荷台に叩きつけられるように落ちるたびに腕や素足に擦り傷ができてチクチク痛む。
「んん!」
「おっと、起きたか」
「っ…――」
馬を操作する男は、ガレンディアに向かう際に襲撃しアンジェを拉致したリーダー格の髭男だった。アンジェの予想通り、捕縛されずに上手く逃げ出したのだろう。
案の定、アンジェを捕まえる為に再びガレンディアへと来ていたのだ。そしてまるで平民が犬の散歩をする時のようにアンジェを縛り付け余った縄を持つ主に目を瞠る。
「っ……んん」
「ごきげんよう、アンジェ様?こんな時間に起きてもまだ朝日は上がりませんよ?」
ガレンディアから配属されたアンジェの侍女、コーティカルテはそう言うとニヒルな笑みを浮かべた。
なぜこのような事をしているのかと動揺を見せたが、喋る事が出来ない為アンジェはどうすればいいのか縛られた体をくねらせてながら身動ぎをして抜け出せないか試みるも縄はきつく縛られていてビクリとも動かない。
「嬢ちゃん、前みたいに手を縛ると逃げられちまうからな、今回はしっかり縛らせてもらったぜ」
前回はナイフを使う為にわざと手前に縛るように指示をしたが、二度目は通用しない、それは理解していた。
流石に眠る時まで夜着に仕込ませる事は出来ず、前のようにナイフは胸元にはない。
アンジェは、降参を示すためにわざとらしく肩を落として大人しく項垂れた。
「へっ、分かればいいんだよ」
にいっと勝ち誇った笑みを見せる髭男は、コーティカルテをちらりと見やり、何かの合図なのだろうかそれに応えるように頷いてアンジェの首へ、刃が曲がった形のククリナイフを向けられ喉がひゅっと鳴る。
騒げば危険な事は脳が危険信号を出した気がして、冷静にちらりと馬車の外を見やると森の中のを走り抜けているようだった。
「ん、んんっ…」
「さぁ、教えて。貴女は聖王女よね」
そういえば少し前にファルティリがそのような事を言っていた。それを聞いて図書館に行って恋愛小説と一緒に、アストレリアの聖王女について軽く調べていた事を思い出した。
アストレリアには、数十年に一人、アストレリアの血を引く人間の中でアストレリア神の加護を強く受け継ぐ人間がいるという事だ。
その事を思い出し、少し考える素振りを見せると、突きつけてきたククリナイフを喉の皮膚に触れた。
「ん、んんん、ん!」
「あぁ、そういえば口を塞いでいたわね」
強引に口に押し付けられた布を取り除くと、一気に肺へと十分な酸素が行き渡った。
侍女の時は丁寧で明るかったコーティカルテは、その面影を微塵も感じさせない他人を見下すような笑みに変貌しており、それが悲しくなったてい。
「王妃ファルティリが前に言っていたじゃない。私聞いていたのよ?貴女が聖王女かも知れないってね」
「……私には分かりません」
「…っ…だったらどうして王族育ちでもない毒に慣らされていないあんたは…、毎日毎日私の運ぶ昼食や紅茶に毒を盛っているのに、そんなに元気なのよ!」
悲鳴にも似た、恐怖混じりの叫びにビクリと肩を震わせ、聞き捨てならない言葉に目を瞠った。
「毒を…、私の食事に…?」
「そうよ!昼食は毎日私が運ぶ当番だったから貴女の料理に入れる事なんて簡単なのよ。それなのにあの林檎の件で騒いだ日からずっと入れ続けているのに…」
思いがけないコーティカルテの悪事を知り、自分が毒に耐性があった事にも驚きを隠せなかった。
なにより侍女だった目の前の彼女の行動が一番信じられなかった。
今は誘拐されているというのに、毒を盛って自分を殺すつもりだった彼女は一体ここでこの髭男と何をしているというのだ。考えが追いつかない。
「毒が…?回っていない……?」
「それこそ、アストレリアの加護を強く引いている聖王女を証明しているわ!」
興奮気味のコーティカルテは、アンジェの後ろ手に縛る縄をグッと引っ張り海老反りになる。アンジェへ向けたナイフを首筋に押し付けたまま力を込めると、そこからじわりと血が滲む。
首が裂かれるような感覚に苦しげに表情を歪めれば、優越に浸るような感覚にコーティカルテは表情が緩んだ。
「ふふ、いい気味ね。貴女が第三王女に似なければジャカルトの皇帝に目を付けられる事もなかったのに」
「ジャカルト…?今ジャカルトに向かっているのですか……?」
「そうよ、貴女最初に連れて行かれそうになったでしょう?あれが失敗したから私がガレンディアへ派遣されたの」
「……そういう事ですか」
「ハッハッハ、やっと手に入れた!私の聖王女よ!!」
突然髭男は高笑いをし、まるで渇望していた事が叶ったとでも言いたいかのようで、悪役のようなその様にアンジェは不快感を顕にして眉間にシワを寄せる。
「第三王女に似ていると何があるのですか?」
「第二王女は使えないからな。あの女は希望すれば返してやろう」
第二王女をまるで利用価値のある物で、そして利用価値の無くなったものだから使い捨てるというような言い草に胸の中がざわつく。
「陛下は第三王女を政略結婚を要求したにもかかわらず、アストレリアがそれを拒否したのよ」
「それは!…違います。第三王女は、行方をくらませたのです…。それに似た私が代わりにここへ来たのです…」
「ならばガレンディアへ第二王女をくれてやるから、お前がこちらへ嫁いでこれば良い話ではないか」
「しかし……!」
「口答えするんじゃないわよ!」
続けようとすると、コーティカルテはアンジェの首にかけているククリナイフを更に押し付ける。そろそろ最悪の場合は致命傷になりかねないため、それ以上続ける事を諦めぐっと堪えた。
「……そろそろ国境か、ならば大丈夫だろう」
近辺を確認してそう呟くと、馬車を走らせたまま右腕につけられた腕輪を外す。
すると、みるみるうちに無造作に生える黒い髪と目の色が銀髪に変わり、口周りの無精髭薄くなりそして次第に消えた。過剰に日焼けしたような肌は、次第に少し日焼けをした程度になり、先程とは見て分かるほどに印象の違う容姿へと変わっていく。
先程まで老けて見えた顔立ちは、本来整っていたようで比較的若々しく見える。
しかし、はっきり分かるようになったその顔には全体を覆うような大きな火傷の跡が痛々しく見えた。
その変わり様に驚きを隠せず、目を見開いて顎が緩み口が開く。
「俺はジャカルト帝国皇帝、ハディ・ジャカルトだ」
「……ジャカルト帝国の皇帝がこのような所へわざわざ私を攫う為にお越しになられたのですか?」
そうだと頷くと、アンジェは呆れたと言いたげに溜息を吐いた。
コーティカルテは、アンジェの様子に違和感を感じたのか眉を顰め荷馬車にかけていた松明を持ちアンジェの体を全体を見る為に明るく照らした。
「陛下…妙です」
「何がだ…?」
コーティカルテの様子に、ハディは馬を一旦止める。
明るくなった馬車の中で、コーティカルテは何かに怯えるような声を上げて松明を咄嗟に外へ捨てた。
「だから何がだ!?」
「この王女……偽物です!!」
「何だと!?」
化物を見たような目でコーティカルテは、持っていたナイフと縄を離して後ずさった。
「ハディ皇帝、奇遇ですね。その魔道具……」
アンジェを偽る女は、その可憐な容姿に似つかわしくない程のにやりと意地の悪い表情で笑いながらうつ伏せに倒れた状態から体を横にして見上げる。
そしてスッと丈の長い夜着から細い足を放り出すかのように出すと、ころんと足から先程ハディが外した物と同じ腕輪の魔道具が転がった。
「私も使っているのです。……お揃いですね?」
ふっと笑ったアンジェの偽物は、次第に金色の巻き髪が赤毛に変わり、翡翠の瞳はアイスブルーへと変化した。その正体は、アンジェの侍女のナージェだった。
それを知りコーティカルテは「ひぃぃ!」と悲鳴を上げてガタガタと震えながら更に後退る。
「コーティカルテ、貴女はそう言えば私の事が苦手でしたね。アンジェ様の監視が強くてさぞ軽率に近寄り難かったでしょう」
ニコリと微笑むナージェの笑顔はアンジェならばきっと天使のように見えたかもしれないが、彼女だとまるで悪魔のように恐ろしい。しかし縛り上げられているナージェには何もできない。
しかしその笑顔が一変し、ぐっと力を込めるとはらはらと後ろ手に縛られた縄は落ちていった。とんでもない怪力の持ち主だ。
「伊達に裏方の仕事をしておりません」
馬車で叩きつけられただけの体力の消耗はあったがゆらりと立ち上がり、夜着を持ち上げて膝辺りできつく縛り上げ、コーティカルテが落としたククリナイフを持ちあげる。
「珍しいナイフですね。扱った事はありませんが、何とかなるでしょうか」
さっと体を動かして腰が抜けて動けないコーティカルテの背後へと回り込み、恐怖で悲鳴を上げる彼女を容赦なく首元へ刃を当てる。先程まで強気だった様子からは想像もつかない程に顔は青ざめている。
「ぐっ……本物の王女はどこだ!?」
「……私はここです。ハディ皇帝陛下」
動揺にハディがナージェへ叫ぶと、荷馬車を囲む森の奥からレオンの馬に乗せられた夜着にガウンを羽織った――本物のアンジェがいた。
◇◇◇




