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ガレンディア王国の敷地内に併設されている随一の王宮図書館の使用許可を無事に手に入れたアンジェは、その日のうちに意気揚揚と顔には出さないものの足取り軽めに向かった。
もちろん護衛にタクティクスと、侍女のナージェも付き添いに来ている。エシリアは最近忙しいようで、とくにアンジェの身の回りで余程の事がない限りは別の仕事をしているようだ。
王宮から徒歩ですぐに行ける別棟に建つ巨大な施設には全て本と重要書類がおさめられているらしい。
今日は一日護衛として傍に居られそうだと喜ぶタクティクスは、どこか孤児院の頃に年上の男の子達が妹のように接する彼らと同じものを感じていた。だからなのか、特に何も考えず懐いているのかもしれない。
アンジェは王宮生活の知識をアストレリア王国でひと月学んでいたおかげもあり、何かと戸惑う事は少なかった。そのせいもあり、湯浴みの際に侍女が洗ってくれたり、身の回りの事をほとんどやってくれたり、何かする時は必ず護衛をつけなければならないと教えられていた為、一人で出掛けようものならタクティクスに迷惑がかかる事も理解していた。
時折頑固だが、アンジェは身の程を理解しているつもりだった。慣れない生活にも出来るだけ自分の常識を主張しないようにする事もここに嫁いでくる為の自分の中での決まりだった。
今はアストレリアとガレンディアの仲を上手く取り持つ為の人質として、そして自分の幸せをここで一緒に手に入れる事が重要なのだと思った。
その為にもこの図書館でいろいろ勉強をしなければいけない。本当に〝色々〟と……。
初めて入る図書館の前に立ち、今朝とは違う緊張の鼓動のおさまらない胸に手を当て、深呼吸をしてからゆっくりドアノブに手をかけて開くと、入って正面奥にカウンターがあり、その傍に椅子をおいて座る男の老人が「ほうっ」と声を漏らした。
「ここに人が来るのも珍しい……どなたですかな?」
「アストレリア王国から第三王女の代理で嫁ぐ事になりました。アンジェと申します。よろしくお願いします」
完璧な淑女の礼を見せ、その姿に少し小難しい表情になる。
おそらく現在アストレリアとの政略結婚についてあまり詳しくないようだ。アンジェの自己紹介に対してゆっくり頷いてしっかりと蓄えた白髪の髭を撫でながら後ろに仕える二人を見やる。
「おや、そなたはナージェ様ではないかな」
「……ホースバレン書庫長ですか?これは、ご無沙汰しております」
ナージェの知り合いらしく、ぺこりと頭を下げて軽く挨拶をする。その姿をみて、アンジェの時とは違いにこやかに笑って受け入れる。こんな反応をされたのは初めてで戸惑うアンジェは、ナージェの方を見た。
視線に気付いたナージェは、微笑みながら大丈夫と小さく頷いてみせる。
「アストレリアの城の図書館は閉鎖されてしまってな…。ここに招かれたのだ」
「何かあったのですか?」
「アストレリアの図書館は十年前程にな、孤児院併設の教会に寄付をするからと突然言われて断ったら追い出されたわい」
あの常識的な女王がそんな横暴をしたのだろうかと思い出してみるが、よくよく考えると十年前にたくさん教会に本が並べられ始めた事を思い返すと大変申し訳ない事になっている事実を知って少し落ち込んだ。
「叔母様が申し訳ございませんでした…」
「ほぉ、素直ないい子じゃないか。いやいや、儂も駄々を捏ねすぎたのだ。別にかまわんよ」
ほっほっほっといかにもな笑い方をするホースバレンは、「よっこいしょ」と声を出しながら立ち上がり、アンジェの前で立った。
すると、老いぼれの自由が減った体を重たげに動かして膝をついた。
こんなに歳の行った人間にまで膝を付かせる王女という立場は本当に恐ろしい役職だと思い知らされる。
「先程は失礼いたしました。ホースバレン・クルドゥスと申します。若い頃はそちらのナージェ様の館で執事を努め、六十で定年を迎え、アストレリアの図書館で管理者をしておりましたが、先の通りの一件で今はガレンディアの図書館を任されております」
「様はおやめください、ホースバレン書庫長」
「ありがとうございます。体がおつらいでしょう、お座りください。タクティクス、支えて差し上げてください」
「はい」
指示されて嬉しいのかタクティクスはさっと動き支えた。先程よりは楽に椅子に座るホースバレンの体は小太りで体への負担がさらに倍増しているように思える。
少し落ち着き、ちらりとアンジェを見てから今日は何用かと言う視線を向けた。
「その許可証を持っていらっしゃるという事は、王家の機密書類でも見にこられましたか?」
「いいえ、そんなつもりで許可を頼んだわけではないのですが、レオン様が持たせて下さりました」
「はて、では一体今日はどのようなご用件で?」
こんな仰々しい物を持っていれば確かに何事かと思われてもおかしくはないと思う。
ただただ、自分の知らない事を知る為に本を探しに来たのだが、その目的の本を明確に伝えるのが恥ずかしくてどう伝えようか悩んでいると、ナージェが「自分で選んだ本がよろしいようなので、少し自由にさせてあげてくださいませ」と助け舟を出してくれた。
それを聞いて、驚いたのかホースバレンに軽く頭を下げアンジェは沢山ある本棚を一から回り始めた。
「普通ならあれこれの本が欲しいから今すぐ用意しろと言う方が多いからこれは意外でしたわい」
「アンジェ様は勤勉で真面目なので人の力を借りるのが下手なのです」
アンジェの様子を見守るナージェはそう答えると、興味深そうに彼女の動向を観察するように眺めていると、タクティクスがアンジェの後ろをついて回り、それを居心地悪そうにするアンジェ。
「アンジェ様、高くて届かないところは私にお任せ下さいね!」
「あ、ありがとうございます。頼りにしています…」
嬉しいが、欲しい本が本なだけにこれがいいなどとは言えず、でも心遣いが嬉しくてふわりと表情を緩めると、タクティクスは左胸を抑えてナージェの所に戻ってきた。
「いかがされました?」
「アンジェ様は天使過ぎます…。レオン様の言うとおりです…」
ナージェは呆れてタクティクスの頭を手刀で叩くと、痛くはなかった事もあってえへへと笑った。その顔を見て、気の抜けた表情になった。
その二人のやり取りにもまた面白そうに見守る年寄りが隣にいた。
しばらくして、アンジェが戻ってきてこれを借りますとホースバレンへと見せると大声で笑いながら好きにしなさいと行った。
「はっはっはっ!本当にも愉快な王女様だ!」
かあっと顔を赤くするアンジェを見て、一体何を借りたのだと本を覗き込むとほとんどが恋愛小説だった。余りにも意外な選択にナージェとタクティクスはお互い見合わせて予想外のアンジェの図書館を利用した目的に気づいて微笑ましげに笑った。
ホースバレンはいつでもまたお越しくださいと言い残して図書館の奥へと消えていった。
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