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暖かい風に包まれて惰眠を貪ってしまったアンジェは、夕食に起こされるまですっかり寝こけてしまった。目覚めてベランダの方を見ると、扉は閉じられており、カーテンもしっかりと閉められていた。
ふかふかで気持ちのいいソファで眠っていたおかげもあってか、体は痛まずに済んだようだ。軽く伸びをして小さく欠伸をするとテーブルに並べられた夕食をみて目をキラキラさせた。
サツマイモと林檎のレモン汁で煮たものを発見し、大好物の林檎に心を躍らせた。しかし、傍から見る限りではそれがどれだけ嬉しいことは伝わらない。
美味しく頂き、もう何度目かわからない社交マナーの本を開いた。
読みすすめていると、湯浴みの時間になり入浴を済ませると、ベッドメーキングを済ませられた寝床はいつもどおり綺麗に整えられている。夜着のアンジェは、いつもどおりベッドに潜り込む。
…しかし、昼寝をしてしまったせいでひとつも眠くならない。
このままでは夜ふかしをして、顔色の悪いままレオンに会ってしまうか、はたまた寝坊をして待ちぼうけをさせてしまうかのどちらかという事は誰でも予想がついた。
せっかくレオンの貴重な時間をもらえるというのに、迷惑はかけないようにしたい。
「……ナージェ」
「はい?」
眠れませんか?といつもなら聞いてくれるナージェが、今日はなにがどうしてか言ってくれない。意地悪でやっているのか、はたまた無口の真似をして言わなくてもわかると言うような事をしているのか。
「ナージェ、怒っているの?」
「いいえ、何故ですか?」
本人は何も考えていなかったようで首を傾げられた。
ほっとしてアンジェは、傍まで来たナージェの服を少しつまんだ。突然のアンジェの行動にきょとんとする。おそらくアンジェが今どんな気持ちなのか想像がつかないのだろう。
「ごめんなさい、お昼寝してしまったせいで眠れないのです」
そこまで言ってあぁっと納得したのか、服をつまんだ手を優しく包むように握り、本当に仕方のない方ですねと微笑んだ。
アンジェは、その手の温もりで少し心が落ち着いたのか素直に掛布団へと入り込み目を閉じた。
「アンジェ様は、最近甘えん坊ですね」
「慣れない事し過ぎてホームシックなのかもしれないです…」
ナージェはまだ十六になる前だから仕方がないかと笑って、次第に規則正しい寝息を確認してゆっくりと起こさないように手を離した。
天蓋のレースカーテンを閉じて音を立てずに部屋を後にした。
部屋を出ると、タクティクスが少し神妙な表情で待ち構えており、その雰囲気に先程まで緩んだ表情が硬く締りのある諜報員の顔になった。
翌日、昼寝のおかげもあり、陽が昇る前に起きる事に成功したアンジェはゆっくりカーテンを開ける。
すると、少し曇り空だった。意気消沈気味に肩を落とすが、この格好で扉は開けられないとベッドの傍にかけていたガウンを羽織り再びベランダの扉の方へ戻る。
ここは王宮の二階で、簡単に下に降りる事はできない。
よくよく考えると、レオンはどうやってここのベランダに入り込んだのだろうと、ベランダの扉を開けた。ベランダに出ると危ないから出るなと言われていた為、ここから外に出るのは初めてだ。
足を踏み入れると、思ったより広いそこは手すりの方へ行く。まだ暗い外は月明かりで外が照らされている。少し早く起きすぎたかもしれないと、戻る為に振り返ると、目を瞠った。
「繋がっていたのね……」
隣はレオンの部屋につながっているようで、扉は閉じられており、カーテンも閉じられていて中は分からない。日光のない外は初夏にもかかわらず肌寒く、身震いをさせて部屋に戻る為に身を縮めて入ろうとすると、閉じられた方の扉が開かれた。
驚きの表情で音のする方を見ると、眠気眼のレオンがぼんやりとこちらを見ていた。朝日の赤が混じった橙色の髪は寝起きなのか、もとより少しはねた髪に寝癖がついている。
見た事もない無防備な姿に、アンジェの心拍は早まった。
「お、は…ようございます……レオン様…」
「……おはよう」
寝起きで更に低くなった声は離れていても耳に入ってきて、少し色気を帯びている。
雑に髪を指で梳きながら近寄ってくるレオンに、アンジェは落ち着かない胸の高鳴りを抑えながらぎこちなく挨拶をすると、レオンはアンジェの背中にさり気なく手を回して、アンジェの部屋へ連れて行く。
ぽかんと見上げると、まだ覚醒していないのかぼんやりとアンジェの部屋に入り、扉を閉めてその場にどかりと外に向いてあぐらで座り。アンジェにも座れと促した。
こくりと頷いてレオンの隣に座ろうとすると、アンジェは座る瞬間片腕で小脇に腕を回され自分の方へと座らせた。
何事だと破顔するアンジェは、おろおろと自分の状況を理解するのに必死になった。
「レオン様、あの…私重いので――」
「前みたいに地べたに座らせられるわけがないだろ」
ぶっきらぼうに、寝起きで少しかすれた声で返すとその声と息が耳にかかりびくりと体を震わせた。気付いていないのか、レオンはお構いなしで膝の上に座らせたアンジェの背中に少し体重をかける。
寝起きで体がだるいのだろうかと、自分を支えにしているレオンに嫌悪感を抱かずこんな事で役に立てるならと受け入れた。
「どうして誘ったんだ」
「……レオン様が避けるから…」
あんなに決意をしていたのに、上手く喋る事ができないアンジェは、はっきりしない口調で返す。
「長いあいだ、お前を付きまとうような事をした俺にこんなふうにされて気持ち悪いと思わないのか」
「思いません」
それははっきりと言えた。
流石に即答で驚いたのか、上を見ると、レオンの目を見開く顔がそこにはあった。視線が合い、しばらく見つめ合ったあと、ようやくアンジェは口を開いた。
「私は、覚えていなくて申し訳なかっただけで…、それで、幼い頃から好きだったと言ってくれて嬉しかったのです……。だから、嫌とかそうではなくて」
「そう、だったのか…」
レオンにとっては思いがけない事が多すぎたのか、少しずつ思考が覚醒してきた。
更によくよく考えると、レオンはアンジェを膝に乗せる事が最初から多かったように思える。
スキンシップが好きなのだろうかと、アンジェは勇気を出して小さい背をレオンの広いガッチリとした胸板に預けた。
さり気ない行動をお互いにやっていると、次第に曇り空が晴れて外が明るくなってきた。
きっとこんな事をしていると他の貴族が見たらふしだらだとか、破廉恥だと噂するだろう。しかし、二人の心の距離を埋める手段がここだけだったのだ。
素直になる事に不器用なレオンは、おそらく人前ではこんなふうにはしてくれないだろう。寝起きも相まってこうやって地べたで膝に座らせてもらえる格好も今後の二人だけの秘密となった。
お互いに無言で外を見ていると朝日が昇り、暗かった外は明るく世界が広がったように見えた。
ここでようやくアンジェが膝から立ち上がり、ぺこりと頭を下げると、ぽんっと頭を撫でられた。驚いてちらりと見やると、少し笑っていたため、離れてしまうときっと嫌だと解釈されそうだった為、素直に受け入れて表情が緩んだ。
その表情を盗み見て、レオンの口元もゆるんだ。
「タクティクスが、お前が頭を撫でられると喜ぶと聞いた」
「タクティクスが……?」
一体彼らは自分の情報をどこから仕入れるのだろうか、それよりも彼らが、自分の知らない所で自分の話をしているのかと考えると少し気になってしまった。しかし、ここは肯定してお礼を言っておく事にした。
「はい、ありがとうございます……」
しかし、これは今度タクティクスに聞こうと胸に刻み、今日はそれよりも頼みたい事を聞いてみる方を優先した。
話をかけようとレオンを見ると立ち上がり、ベランダから部屋に戻ろうと扉に手をかけていた。
「れ、レオン様!ひとつお願いが…」
「…なんだ?」たいの
「あの……、図書館を使いですが…」
よろしいですか?と聞く前に「少し待ってろ」と言い残して一度出て行ってしまった。
出て行って、すぐ戻ってきたと思うと、銀の細いチェーンに〝王族書類使用許可証〟という文字が刻まれたタグが付けられたブレスレットのようなものを渡された。
善し悪しだけ言われるだけだと考えていたアンジェは呆気にとられた。
「――これは…?」
「何か調べたかったわけじゃないのか?」
アンジェが調べ物をしたくて図書館を使いたいと解釈したのか、わざわざこんな重要なものまで渡すレオンは一体何を考えているのか甚だ疑問だった。
少し前までは、アンジェの動向を疑って行動に起こす事を止めたがっていたアーサーの事を考えるとこれは快く思わないのではいかと不安になるが、第三王子が許可するのなら大丈夫なのだろう。
「……そうではなかったのですが、せっかくなのでお預かりします」
恭しく頭を下げて礼を述べると、あぁっとぶっきらぼうに返して「またな」と言い残し部屋に戻っていった。
充実した朝にアンジェは、まだおさまらない動悸に耐えながらナージェを待った。自分で着替えると怒られる為、ソファに腰をかけ、先程もらった許可証のブレスレットを眺めて微笑んだ。
◇◇◇
レオンはスキンシップは実は好きだけど不器用オブ照れ屋さんなので二人きりじゃないと絶対できないタイプです笑
馬車の中でアンジェを膝に座らせたのは、汚い男に肌を晒させてしまった事によって内心パニックになったレオンがあんな事しちゃったのです。




