29
ナージェが帰還し、アンジェの体調がある程度戻って数日、すっかり梅雨の時期を迎えて雨がよく降るようになった。
そんなある日、アーサーの側近に呼び出されてユーロの執務室へ案内された。
「三週間近くも放っておいて済まなかったね。体調が悪くなったと聞いたけど、具合は大丈夫かい?」
執務室の窓際に置かれたローズウッドの机に両肘をついて頬杖をしているアーサーが申し訳なさそうにこちらを見ている。肘をついている段階で本当に謝罪をする気があるのかと言いたいナージェは内心悪態をついてアンジェの後ろで見守る。
すると、まるで心を読んだのかと思うほどのタイミングでその格好をやめろと言いたげに睨ないみつけ陛下の隣に立つユーロは吐息した。
ユーロの反対隣にはレオンが居るがこちらを見ず窓の外を見ていて表情がわからない。
「だいぶ良くなりました。ご心配をおかけしてしまい申し訳ございません」
ペコリと頭を下げ、声色だけは本心から申し訳無さをにじみ出しているが、表情はいつもどおり無表情だ。どこか感情を殺しているようにも見える。
真意をはかりかねたアーサーは「本当に悪かったね」と姿勢を正して再度言ったが、アンジェはまた頭を下げるだけだった。ユーロはそれでは納得行かなかったのか、アンジェの前へと歩み寄り、目の前に立つ。
明らかに背の高いユーロを見上げ、顔を覗き込むと、瞳は揺れており、何かこちらへ訴えかけるような眼差しを感じる。
「……何故怒ったりしないのだ?」
言葉が見つからなかった。
そうだ、本来ならば何故部屋に閉じ込めた?なぜ正当な理由もなく三週間も謹慎にした?なぜ政略結婚として出向いてきた和平を求めて差し出させた王女へこのような扱いをしたのだと怒り狂ってもおかしくは無い。それをアンジェは逆に怒る事なく謝罪をしたのだ。
硬派で実直な彼は、きっと怒って欲しかったのだろう。毒を盛られた時でさえアンジェは決して怒らず、逆に間に割って止めに入った。だから、ユーロはそれが気に入らなかった。
アンジェは、返す言葉を探す為に視線をそらし俯いた。大の男に囲まれ、視線が集中する中、不安で手を胸に当て深呼吸する。
――大丈夫、私の思う事を話せばいいの……。
「私は、怒る事で事態が解決に繋がるとは思えないからです」
意を決し、顔を上げて再びユーロに視線を向け、思っている事を告げると、強気な瞳が驚愕で見開かれた。女性なら確実に怯えて震えて言葉も出ないであろう状況に屈する事なく、アンジェははっきりと言い放った。
「アストレリアの教会で育った頃、マザー・シスターは私達にこう言いました。つらい事や悲しい事はきっと笑っていろと言われても難しい事かもしれない、けれど、悲観して激怒していては切り開く事は難しいのです。冷静に、よく考える事が重要なのですと。私はこの間はそれに倣い、ずっと思うところを考え、本を読んで過ごしました。体調が悪かったのは私の弱さです」
「……そうか」
アンジェの主張に、これ以上何か言えば価値観の押し付け合いになると考えたユーロは折れた。
付き添いにアンジェの傍に控えているナージェは内心「先日寂しくて泣いていましたけどね」と口に出ないように心がける。
「ははは、俺達もあまりこういう事はやりたくなかったんだけどそういう事にして貰えるなら助かるよ」
「いえ…まだ婚約者といっても私は部外者なので、介入や詮索するのはどうかと改めましたので……」
「謹慎という名目で君を閉じ込めたのには訳があるんだ」
突然本題に話題が移ったアーサーの台詞に面食らった表情になるが、そのまま話を聞く。
ユーロはアンジェに椅子に座るように促すと、そこに素直に腰掛けた。傍にいたナージェは、紅茶を入れる為に一時退席する。その間に話してしまおうとアーサーは凛とした国王の顔となり、姿勢を正した。
「先日、君が言っていたジャカルト帝国の件だけど、レガート宰相に問い詰めてみたよ」
「……そうですか」
自分を攫った野党たちはもうこの世にはいないのだ、聞く事ができる対象はこの国ではレガート宰相だけになってしまったのだろう。
落ち込んだ様子を見て、まだ調子が悪いのだろうかと心配そうに顔を傾けてアンジェの顔を伺う。
「大丈夫です。続けてください」
「……具合が悪くなったら言うんだよ。レガート宰相が毒を盛ったのは自分の仕業だと言っていた。ただ、この政略結婚を妨害するようにはジャカルト帝国の皇帝に言われて実行したそうだ。ちなみに、君を攫う為に雇ったのはレガートでもなければ、アストレリアの貴族でもなかったよ」
誘拐する際に生け捕りを目的にしていた野党達の口ぶりだと皇帝の指示だったのだろう。動揺する事もなくこくりと頷く。この反応は予想外だったのか、アーサーが「君は…」と言いかけてナージェが戻ってきた。
しかし、ナージェは諜報員の為、とくに遠慮する必要はない。改めて聞く事にした。
「君はどこまで気付いていたんだい?」
「…レガート宰相が私をよく思っていないのは、ガレンディアに到着した日から分かっていたので、あと毒を盛る程に私を疎ましく考えてらっしゃったので疑うには十分すぎる程――」
「では質問を変えよう。君は、ジャカルトの皇帝がレガートに吹っかけた事も気付いていたようだけど、それも自分で導き出したのかい?」
「……ジャカルトへ、第二王女が嫁がれて現在は幽閉されていると聞いたので、おそらく何かそれが関連しているのではないかと考えました」
お前が喋ったのかとちらり、アンジェの傍で紅茶を淹れるナージェを見やるとそっぽを向いた。それくらいはいいでしょうという事だろうか、ふふっと軽く笑い飛ばし、両手を上げて「降参だ」と言った。
突然部屋中の空気が穏やかに変わり、淹れられた紅茶をアンジェは気休めに飲んだ。
「試すような事して悪かったね、うちは争いに特化した国だ。なよなよした子だったらレオンの妻として精神的にもたないだろうと思ったんだけど、十分すぎたみたいだ」
「お褒めに預かり光栄です」
アンジェは立ち上がりドレスの裾をつまみ上げ膝を折って見せる。アーサーはいいよいいよと手をひらひらとすると、座り直した。
レオンは未だに外を見たまま動かないが、それが気になって体を傾けてレオンの顔を見ようとする。しかし、上手く隠れており全く表情が読めなかった。
申し訳なさそうな顔をするような人ではないと解釈している為、きっと怒っているんじゃないか、そう思った。根は優しい彼は、アンジェがこの件に関して関わる事を望んでいないだろう。
「アストレリアの貴族に関してもお調べになられましたか?」
「あぁ、ナージェに頼んで一週間程アストレリアに戻ってもらったんだ。君ももう知っているかと思うけど、彼女はうちとアストレリアの女王の双方の情報を渡す仕事を担ってもらっていてね、そのついでにあちらの貴族に関する事も調べてもらったんだよ」
多くを語らなかったナージェ不在の詳細が今明らかになった。
アンジェはこれで一つ心のつっかえが取れた気がした。自然と表情が緩むと、ユーロは不思議そうに顔を歪めた。
「お前は笑っていた方が良いな」
「……何の事でしょうか?」
ユーロに言われてアンジェはよく分からずいつもの無表情で首を傾げる。無自覚で表情が動いている事を知って少し眉間の皺を伸ばした。
硬派な彼の渾身の褒め言葉が見事に潰されてしまったのだからそうなるのも仕方がない。アンジェは未だにわからないまま紅茶を啜った。
「第二王女が幽閉された原因は知らないんだね」
「粗相をしたという事だけ伺っています」
はいと頷くと、呆れた表情で額に手を当てた。
余程の事をしてしまわないと和平の為に招いた国の王女を娶ったにもかかわらず幽閉をするはずもない、そう考えたが、そうなると誰かを殺めてしまっただとか、その位しなければこういう事態にはならないだろうと推理したが、結果はわからないままだった。
「第二王女はね、ジャカルトへ行く前から素行が悪かったんだ。それでね、まあ結婚したその日の夜に皇帝に怪我を負わせたんだそうだ」
「……具体的にはどのような…?」
結婚後、自分だって気をつけなければならない事かもしれない、今後の参考の為や今後の知識としても知るべき事だと勇気を出して尋ねてみる。
アンジェの姿を見て言うべきかを迷っているようだ。
まごまごしていると、ユーロがそんな兄であるアーサーの気持ちを無視するかのようにアンジェを見て容赦なく言い放った。
「第二王女は初夜の日に嫌がって暴れて抵抗した。そこで、近くにあった蝋燭を押し付けて顔に火傷を負わせたらしい。政略結婚として招いた他国の王女だからという事で情状酌量で処刑にはならず、男人禁制の塔に幽閉されたのだ」
「初夜に抵抗…あばれ…?」
聞きなれない言葉にナージェが補足するようにアンジェに耳打ちをする。どういう事かを遅れて理解し、かっと顔が熱くなり、両手で顔を覆った。
第二王女は素行も悪ければ身の程もわかっていなかったのだと、ナージェのいう台詞にアンジェは平静ではいられず「まぁ……!」と動揺してみせた。
「あははは!…君は喜怒哀楽が薄いけれど、素直な反応は出るようだね。可愛くて面白いよ」
面白いものを見る子供のように笑う国王にアンジェは、はあぁと息を吐き出して首をぶんぶんと横に振った。
アーサーのアンジェに対する「可愛い」という発言が気に入らなかったのか、レオンがここでようやくこちらを見た。それは三週間ぶりに合った深い青の瞳。アンジェは、それに食い入るように見てしまい、はしたないと目をそらした。
「心の中ではどう思っているかはわからないけど、レオンを怒らないであげてくれるかい?謹慎を命じさせたのは私だから。レオンは最初は反対していたんだよ。自由を奪ってしまったらてん――」
「アーサー!!」
「おっと、これは内緒だったね。ごめんごめん」
わざとらしくヘラヘラと笑うアーサーにレオンは舌打ちをし、横目にアンジェを見て再び窓の方へ向いてしまった。せっかく見れた顔が隠れてしまい、胸がちくりと痛んだ。
二人の様子に肩をすくめたアーサーは、再び話を戻した。
「第二王女がそういう状況だからね、ジャカルトの皇帝はもしかしたら君を娶るつもりだったかもしれない」
「そうですね」
「これも気付いていたのか……、君は名探偵かな?」
茶化して逆に知らない事はないんじゃないかと何を話そうかと顎に手を添えて考える。その間、紅茶のおかわりをしてまた啜り始めた。今日も林檎フレーバーだ。
気分を変える為に、あらかじめ用意されているシナモンを少しだけかけた。
すると、突然変わる香りに誰もが気分を安らげた。
「君は林檎の紅茶が好きだね」
「はい、林檎が好きなので」
「流石はアストレリア育ちだね。料理人が林檎をわざわざアストレリアから仕入れさせる程だからね、王妃も君が林檎を好きだと知ってすぐに侍女に林檎関連の品物を揃えさせる程だから」
ガレンディア王国に来た日、着替えの最中に侍女に扮したファルティリがほかの侍女に耳打ちをしたのはそのせいだったのかと今更になって納得した。
だから林檎の紅茶や、林檎のお菓子などすぐに用意できたのかと人の行動力とは凄まじいものだと感心した。
――行動力?
その言葉に何か引っかかり、口に運ぼうとした紅茶の入ったカップの手が停止した。
「ジャカルトへ連れて行くのも相当な行動力がないとできませんよね…。人数も大所帯でしたし…、一人くらい逃げていても分かりませんよね」
ふと思った事を言葉にして出すと、そうだなとその場の人間は頷いた。
そしてしばらく経過してから、アーサーは机を叩いて勢いよく立ち上がった。
「私は、もう少し自分の身の回りの危険に気を付けよう――」
「待ってくれアンジェ!今のはどういう…――」
「私は拘束する所も立ち会っておりません。もう居ない野党の事も把握することはできません…なので、もし残党がいたとしても――」
私にはわかりませんと言いかけた時、アンジェの言いたかった事がわかったのか肺にある酸素をすべて吐き出すかのようにはぁーーっと吐き出すと、頭を抱えた。
「君はあの拘束していた時に残党が居るかも知れないと言いたいんだね」
「……はい。私を攫ったリーダー格の髭の男の方が見当たりませんでした」
そうはっきり言うと、レオンはちらりとこちらを見たが、また視線を逸らした。
「とりあえず、しばらくは気を付けて過ごしますのでもう謹慎は…」
「わかったよ、それに関しては本当に謝罪する」
アーサーは、頷いて謹慎を完全に解くと宣言してくれた。
ユーロには「常日頃から気を付けてくれるとと助かるのだが」と言われてしまい、ナージェも後ろから全くその通りだと強く頷いた。
◇◇◇
内容を大幅に変更しました。
2019/05/11済




