22
翌日、早く寝てしまったせいで日が昇る前に目が覚めてしまったアンジェは、昨日の会食の事をぼんやりと思い出していた。
レオンに怒鳴られてしまい、自分自身の事を二の次にしてしまった事を素直に猛省して、サイドテーブルに置かれたコップ一杯の水を飲もうと手にかけたがぴたりと止まる。
また、昨日のグラスの事を思い出して飲むのを億劫にさせた。しかし、これを置いたのはおそらくナージェだと水の分量で解釈して一口飲む。なんともないと確信して全て飲み干すと、またサイドテーブルへと戻し置いた。
「まだ誰も起きていないかしら」
平均女性より背の低いアンジェは、豪華なこのベッドだと背が高く、降りる為に足をぶらつかせてずれ落ちるようにゆっくり降りる。
足元に置かれていた室内専用のスリッパを履くとベランダの方へと行き、閉められていたカーテンを物音立てず少しずらして外の様子を伺う。
まだ外は暗いが、奥の方から日が見え始めていた。日が昇るのを見られた日はいい事があると今や母であるナナリアに聞いた事を思い出して扉を開けずにカーテンと扉の間に入って地べたに座り膝を折って胸へ寄せて身を丸くしながら眺める。
狭い所で生活していた事もあって少しこの窮屈な感じが落ち着いてしまう。
自分の決意が寝る直前は揺らぎかけたが、一度睡眠をとる事により少し勇気が回復したような気がした。
「ナージェに弱音を吐いてしまって、まだまだ子供だと思われてしまったかもしれないわ…後で忘れてってお願いしないと…」
一人の時に出る独り言は止めどなく湧き水のように出てくる。
普段から荒事を避け、出来る事なら自分の言葉を聞いてもらえない方がいいと言葉を飲み込んで我慢する癖があった。時折自分だけの反省会をこうやって行う。
言いたい事を言って、誰かを傷つけてしまうのが一番嫌だからだ。
こんな弱い部分は王族になってしまっては殊更見つかるわけには行かない、だからこそ…
「昨日のは、本当にとてもいけなかった…。はぁ…」
寄せた膝に顔をうずめて深く吐息を吐く。こんなみっともない姿を誰かに見られでもしたらきっと笑いものになるだろう。もしかしたら、レガートのように命を狙う人間につけ込まれてしまうかもしれない。
舐められないように振舞うには、やはり無駄な事は言わず、最低限何も言わないほうがいい。
そんな事を考えていると、目の前が少し暗くなる。
さっきまで朝日が昇りかけていて明るくなり始めていたのに雲に隠れてしまったのかと顔を上げると、目の前にはレオンが騎士服を纏って扉越しにそこにいた。
「れ、おん…さま…?」
こんな時間になぜここにいるのだと慌てて立ち上がり鍵を開け扉を開けるとふわりと肌寒い風が入り込みカーテンが靡き、レオンは無言でしゃがみこみアンジェの顔を覗いてくる。
「泣いていたのか?」
「い、いいえ。寝起きでぼんやりしていただけです」
「まだ朝にもなっていないからな。いつもこんな時間に起きているのか?」
そうではないと首を横に振り否定すると、レオンは目を見て泣いたあとも無い事を確認し、中に入り込んで扉を閉めた。
まだ結婚もしていない淑女の夜着姿のままの部屋に入り込むなんて、ナージェがいたら大目玉を食らってしまうだろうと片隅に考えながらも春の日光がないうちはとても冷え込む。気を遣ってくれたのだろうと思うと追い返す事も出来ない。
「昨日は――」
「昨日は、怒鳴って悪かった」
「…え?」
「お前を部屋に連れて行ったあと、侍女に言われた。俺に嫌われたんじゃないかって言っていたと」
まさか先に言われてしまうとは思わなくてかっと顔が熱くなる。心なしか、婚約者というレオンを少しずつ異性として意識している事がバレてしまわないかと恥ずかしくなった。
この場合、婚約者なのであればそれが知られてしまっても良いわけなのだが、恥というものがある。
「私こそ申し訳ございませんでした……」
「いや、すぐにグラスや他の食器に手をつけなくて正解だった。毒が塗られているとよくわかったな」
「それは……」
アンジェは、あの時アーサーに合図をもらっていたと教えると、そういう事かと納得し、先程アンジェが座っていたように地べたに腰を落として外を見た。それに合わせて、距離感を測りかねて少し離れて座った。
「淑女が地べたに座るなんてはしたないですが、見なかった事にしていただけますか?」
「ベランダを開けた音で侍女が起きて来たら誤魔化しようがないけどな」
ふっと笑った横の彼にアンジェは、見とれているうちに外は更に明るくなり始めていた。
「なんで外を見ていたんだ?」
「前に、母から朝日を見るとその日とてもいい事があると聞いた事があるんです」
「ナナリア王女、か……会った事あるのか?」
懐かしむように語ると、それに倣って外の朝日をじっと見つめ、アンジェの墓穴にさり気なく問うと、意味深に笑って答えなかった。
ひと一人分の距離に居る二人は心の距離を表しているのだろうか、アンジェはそのひとつ空いた空間をちらりと見て、自分からも踏み出してみようかと勇気を出して腰を浮かせてその穴を埋める。
それが思いがけない行動だったのか、驚愕の表情でこちらを見た。そして、また外を見て隣の夜着のままの婚約者の肩にゆっくり手を伸ばそうとするが、ここまでに幾度も膝に座らせたり横抱きにしていたレオンは甲斐性もなくすっと手を下ろした。
馬車の中で自分の事を頑なに膝から降ろさなかった人間がどうしてここで手を下ろしたのだろう、という野暮な疑問をぶつける事もなく、このままの勢いでドキドキする胸を抑えながら少しくっついてみようと、もうなけなしの勇気を出してすぐ隣にいる頭一つ分背の高い男の肩にゆっくり頭を置いてみる。
その瞬間、びくりと体がはね動いたような気がするが、暴れる事もなく大声を出して拒絶もされない事を確認してそのまま身を預けた。
きっと馬車の時から彼に身を預ける覚悟がついていたのだと悟った。だから会食の後も無理に自力で歩くなどという事も言わなかったのだと理解すると、はやる鼓動が相手に聞こえてしまわないか不安になった。
「れ、レオン様…重かったら言ってくださいね」
「あぁ……」
ガレンディアに到着した時の周りを呆れさせた下手な言葉を投げかけるわけでもただそれだけ返した。
それを察してアンジェは返事だけで満足し、じっと朝日を見た。
「朝日を見るといい事…か」
「…私は、早速いい事がありました」
聞こえないような小さな声で呟いた台詞は、朝日に気を取られているレオンには届いていないようだったが、都合が良いと心に言い聞かせ、同じように朝日を眺めた。
しばらく経過して、扉を叩き入ってきたナージェはベッドに誰もいない事に慌てうろうろと部屋の中を探し回ると、日に照らされたカーテン越しの人影を見つけて覗き込む。
そこには、また眠ってしまったアンジェの頭を膝に乗せて俯くように眠るレオンが居た。
微笑ましい光景だが、こんな所にずっと寝かせるわけにも行かず、まずはレオンの肩を軽く叩いて起こし、目を覚ましたレオンは眠気眼でアンジェを抱き上げてベッドまで連れて行き寝かせると、安らかにすやすやと眠る婚約者の髪をそっと撫でた。
「仲直りできたようですね」
「偶然だけどな」
「またそんな事言って…、アンジェ様は繊細なんですから、レオン様のような粗暴で不器用な方は特に気をつけて頂かないと優しい殿方にアンジェ様を持って行かれてしまいますからね!」
発破をかけてくる自分より身分の低い侍女に、そんな指摘をされるとは想像もつかなかったのか目を見開いて見つめ返す。
ナージェもこれくらいなら不敬にならないと思っているのか、若干容赦のない言葉選びをした。
「……どう扱っていいのか分からないんだ」
「殿方は口を揃えて同じように仰ります。女性は褒められれば嬉しいし、優しくされればそれだけ心に来るものがございますよ」
いち女性としての意見を述べると、難しいと頭を掻いて「参考にはさせてもらうが期待はするな」とぶっきらぼうに言い残して出ていった。
出て行った後の扉をじっと見たあと、ちらりとベッドを見やる。
「出て行かれましたよ」
「……起きてるっていつ気づきましたか…?」
少し眠そうな声がベッドの中からもぞもぞと聞こえてくる。アンジェは起きていたのだ。
「強いていいますと、レオン殿下に抱き上げられた際に少し顔が赤らんでいた時でしょうか」
「あぁ…、最初から……」
恥ずかしくて布団を引っ張って顔の上まで持ち上げると、ナージェに強引に布団を剥がされてしまった。
もう顔を隠すものがなくなり、両手で覆うと「湯浴みの用意をしますからさっぱりしましょう」と言い残して、部屋の奥にある衣装部屋とは反対方向にドアがある事に今気づいた。
ついて行って覗き込むと、中には少し広めの猫脚の浴槽に、上には何か不思議な如雨露の先端のようなものが壁から伸びている。床には、他の部屋とは違う材質の物が使われており水はけがよさそうだ。
入り口付近には、洗面所と鏡がつけられており、見た事もない浴室に圧倒された。
「ナージェ、その如雨露みたいな物は……?」
「はい、これはガレンディアの開発機関が作った魔導具でここからお湯が雨のように出ます。ここを切り替えると、勢い良くお湯も出て、湯船にお湯を張る事もできます。シャワーというそうですよ」
知らない道具の物珍しさもあり、説明しながらシャワーの使い方や、動作の説明も丁寧にする。
やってみたいと思い近寄ってみるが、高い位置に設置されているせいで届かない。
これはつまり、意地でも誰かの手を借りなければと入浴が叶わないと言う事だ。こればかりは諦めるしかないと落胆した。
二人で珍しい物に注目してお湯を貯め続けている魔導具の様子を眺めているうちに入浴の時間となった。
ナージェに手伝ってもらい、夜着を脱ぐと早速昨日入れなかった分の汚れをすべて落としてもらったのだった。
◇◇◇
現代アイテムっぽいものは魔道具で片付けられることに気づいてしまいました…。出来るだけ便利道具は控えます。
2019/05/11済




