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アストレリア王国の城に来て、早くも六日が経過しようとしていた。


成人式が春だった為、まだ夏には程遠くやんわりとした優しい風が吹き抜ける。


エリーゼがしたためた信書を使者に預け、ガレンディア王国へ向かわせている間にアンジェに嫁ぐために必要最低限の王宮教育を受けてもらう事になった。


寝泊まりする為に用意された客室は豪奢で、人をもてなすには完璧すぎる程の美しい装飾品や調度品が揃えられ。流石は教会や孤児院の立て直しを命じる程の財力を持つ先進国だと頷く。


その部屋のベランダで、やっと座り慣れた綺麗な椅子に腰を掛けてズキズキと痛む胸元に手を添える。


あの後、すぐさま神聖魔法の付与儀式が執り行われた。


しかし、アンジェは教会暮らしだった事もあり、体が平均女性より一回り小柄で、ナナリアと同じ印を押す事が出来なかった。


そこで、最新の印を用意させていたものが都合よく届いたおかげで、それを押される事となった。


「アンジェ様、胸元は痛みますか?」

「ありがとうございます。まだ少し痛みますが、これくらいで根をあげていてはいけないと思うので」

「……ご立派でございます」


女性の体に大きな印を押すのは、流石に身に余るものがあるというエリーゼのはからいで、近年印を新しくする計画が進んでいた物がそれだった。


今までは背中に押されていたものが胸元に変更する事で、一目でアストレリア王国の神の恩恵を授かっている者だと分からせると言う意図もあった。背中では服を脱がないと見せる事もできないからはしたない行為だと言う事で廃止になる予定だ。


人を癒す力はどこの国でも重宝される、そしてアストレリア王国の人間にしか扱う事が出来ない代物で、それも神との約束事なのだそうだ。


「アンジェ様は、その…大変優秀で私から教えられる事が殆どございません。どこかで教養を受けられていたのですか?」

の目尻を少し垂らしながら尋ねると、淹れてもらって間もない紅茶を一口啜る。今日は葡萄のフレーバーだ。


アンジェは口の中に含んだ葡萄の風味を堪能しながら飲み込むには熱い温度を少し舌で整え、小さくコクッと音を立てて喉に通しハンナの顔を見た。


「…貴族の令嬢方が、やんわり作法を教えてくださったのです」

「然様でございますか、それにしては母君にとても…」


納得のいっていない様子のハンナを極力無視し、王族としての心得のようなものが記された本を読み終えるとゆっくり立ち上がった。


「ハンナさん、私――」

「アンジェ様、もう貴女は王族の一員なのです。下の者を敬称で呼ぶのはお控えください」


何かを言いかけた時にさっと注意をするハンナに、また怒られてしまったと困ったように肩を竦めるアンジェ。


しかし、愛情ゆえの指導という事は理解できるからこそ、次回からは気をつけようと反省した。


「では、ハンナ」

「なんでしょうか」

「私、ダンスを覚えておきたいので…おきたいの。教えてもらえる?」


頑張って敬語を取りやめようと努力する姿が伺えるアンジェ。


この短い間に十分過ぎる程の事を覚えたにもかかわらず、さらに詰め込むようにダンスの教育を頼むアンジェに「まだ六日目ですよ、少しお休みください」と笑いながら返されると、学ぶ事が好きな彼女は不服そうに肩を落とした。


――コンッコンッ


ノック音がして音のする方に視線を送ると、エリーゼが入ってきた。


用事があるならば女官達に任せればいい事を、自ら訪れてくるという事は何か重要な要件があるという事だ。


アンジェは立ち上がったまま淑女の礼をして迎え入れる。


「ごきげんよう、女王陛下」

「えぇ、まだ六日しか経っていないというのに見違える程王族らしくなったわね、挨拶が綺麗になったわ」


クスッと笑いかけて「先日紅茶を吹き出した少女とは思えないわね」と付け加えてアンジェの顔を赤らめて俯いた。


無表情のアンジェの表情を上手く操れているエリーゼは、それ程彼女を気に入ってしまったという事だ。微笑ましげに見守るハンナも立ち上がって挨拶をする。


「女王陛下、今日はどのような?」

「ハンナ、申し訳ないのだけれどこの部屋を出て人払いをして、あと誰も来ないように見張っていてちょうだい」

「仰せのままに」


一度恭しく頭を下げて出て行ったところを見送った後、エリーゼは先程ハンナが座っていた席に腰をかけ、アンジェを手招きしてこちらへくるように動作をする。


素直に従い、アンジェはエリーゼの前に立つと白く細い腕が伸びて彼女の淑女にしては小さく細い体を抱き締める。


「はぁ、疲れたわ」


アンジェに心を開ききっているのか、アンジェの体をまるでぬいぐるみを抱くかのように抱き締めるなりふぅっと深い息を吐く。


エリーゼの立場はそれ程に重荷なのだろうと、アンジェは叔母にされるがまま受け入れ、背中に手を回してポンポンと優しく叩く。


この動作に、先日アストルフォにされた事を思い出しくすっと笑った。


――あれは家族にする行為なんだわ。


そう考えると少し面白くなり、突然笑ったアンジェの変化に「何か面白い話でもしていたの?」とエリーゼに問われて考えていた事を話すと、にこりと笑って「父親っていいものよね」と答えた。


先代の国王と女王は、エリーゼが即位する前に亡くなっていた。つまり、祖父母はもうこの世にはいない。


やっとエリーゼが満足してアンジェを解放すると、そのまま向かい合うように先程座っていた椅子に座り直した。


「人払いをしたのはそれだけの用件ではないのですよね?」

「貴女は察しもいいのね。感心するわ」


エリーゼは、細身な胸元に隠していた紙を一つ取り出してそれをアンジェに渡す。


なんて所に隠しているんだと言いたい気持ちを堪え、渡された紙を受け取って開く。


「ガレンディアの刻印ですね。…政略結婚の話が進んだのですね」

「えぇ、第三王子のレオン様がまだ未婚だから貴女の婚約者に決定したわ」

「レオン様…、どのような方なのですか?」


名前は聞いた事があるが、いかんせんお国の情勢に詳しいわけではない為、アンジェはレオンの人となりを聞くと、エリーゼは何かを探すように視線を迷わせ少し悩んだ。


「二十五、六歳くらいだったかしら。騎士団に所属していらっしゃると聞いた事があるわ。あちらの陛下と切磋琢磨して国を向上させるのに尽力をされていると聞いたわ」

「素晴らしい方なのですね」


感心していると、「けれど…」と何か言いたげに形のいい顎に細い指を添える。


「少し粗暴な方だとも聞いた事があるわね、どんな方かは実際にお会いしなければ分からないから心配するのは会ってからの方がいいわ」


街の人たちと関わってきた事もあり、多少乱暴な人の話し相手は出来るが、王族でしかもこれから夫になる人間があまり乱暴だと、それ以降の日々が少し怖いと思うアンジェだった。



◇◇◇

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