序章 - 時代背景 -
この物語は、パラレルワールドである。
長く続いた戦国時代は、武将である徳川 家長が引き入る連合軍によって、終結した。
それは江戸時代の始まり、太平の世の始まりを意味してもいた。
家長とは兄弟であり、参謀として大活躍を果たした覆面の武将、徳川 康親は、思いつく限りの知恵を絞って満足のいく幕府を構築すると、
「太陽が二つもあっては、国の民が混乱しかねない」
と言って、副将軍の座すらも断り、姓を『松平』と改めて、陸奥国(現・福島県)は若松城の城主となった。
康親は決して贅沢はせず、民たちと一緒になって畑仕事や雪下ろしをしたり、お祭りでは一緒に踊ったりするなどして、城主らしからぬ余生を送ったという。
江戸幕府 初代将軍 家長は、大奥という制度を活用し、多くの子をなしたので、血筋のある世継ぎが途絶えるという心配はなかった。
とはいえ世代が代わるたびに、多少なりのいざこざはあったが、それでも決して将軍が欠けることはなかった。
―― 時は流れて、現在。
江戸幕府は、将軍は八代まで続き、徳川 慶家が その座についていた。
このデブ、いや、ぽっちゃりとした将軍は、幼い頃から甘やかされて平和ボケした生活を送って来ていた為、体型はその頃から一度として、普通だとか痩せ型とか、そういった体格になったことはなかった。
これとまったく同じ体型で、双子の弟に家國という副将軍がいるが、姓を『清水』に改めて、常陸国(現・茨城県)の水戸城の城主となっている。
三男もいる。
上の双子の兄たちとは違い、痩せ型で文武両道、幼い頃から体質として そなわっていたカリスマ性によって、大奥の女たちを狂わんばかりに魅了したほどだった。
今は駿河国(現・静岡県)の駿府城、城主となっている。
八代将軍 徳川 慶家は、息子の新之助を流行り病で亡くしていた。
その為、一人娘の椿姫の夫が次の九代目を継ぐのか、あるいは弟たちの子が世継ぎとなるのか、注目を それなりにされていた。
江戸の町人たちにとっては、自分の生活が一変するような恐れがないのであれば、退屈しのぎの話のタネ程度に口にするだけで、これといって興味を示すことはなかった。
深川の海辺大工町にある長屋に住んでいる浪人、霧島 俊太郎もまた、そのうちの一人だった。
夕暮れ時に、大きなあくびをしながら家から出てきた俊太郎は、口入屋で引き受けた仕事をしに、腰に大刀を一本だけ差して、江戸本町三丁目へと向かった。