私はラジオ体操ができない
最近、明らかに運動不足である。
しかし、ジョギングや筋トレなど、想像するだけでぞっとする。面倒なことはしたくないのだ。三日坊主になる以前に、一日目を始めることすら不可能であろう。
そんな私にもできる簡単な運動はないのか、ということで思いついたのが、ラジオ体操であった。
ラジオ体操はなかなかうまく考えられているらしく、小学生にもできるくせに、真面目にやると結構身体に効くらしい。しかも、わずか数分で終わるのだ。完璧ではないか。
試しに軽くやってみようとしたが、私はすぐに動きを止めてしまった。理由は単純である。例の音楽とナレーションがかかっていないので、順番が分からないのだ。小中学生の頃、うんざりするほどやらされたはずなのに、人間の記憶なんていい加減なものである。
そこで、ネットからラジオ体操の解説をダウンロードして印刷してみた。生きた人間の手本ではなく、紙に書かれた図解は初めて見る。なかなか新鮮だ。
さて、ラジオ体操の最初は深呼吸である。さすがに私でもこれは分かるぜ……と、そこで変な指示が入っているのに気がついた。
かかとを浮かせろ、だと?
意味がわからない。ラジオ体操とは、地に足をつけてやるものではないのか。一体これはどういうことか。
しかも続きを見ると、二番目のポーズにも、三番目のポーズにも、かかとを上げろとの指示がある。
困惑しながらも、私はやってみた
最初の深呼吸。……ぐらつく。かなり危険である。
二つ目の運動。……かかとを浮かした一拍目の時点で足が痙攣寸前である。かかとを下ろす二拍目にどうやってもたどり着けない。
数分にして、私はリタイアした。
ラジオ体操とは、かくも難しいものだったのか。
真面目にやれば効くという話は、おそらく嘘ではないだろう。しかし、そんな霊験あらたかなるらしいラジオ体操も、できなければ全く意味がないではないか。
私はすっかりふて腐れてしまった。
私にラジオ体操ができない、という事実は、事実として認めよう。
しかし、微妙に納得がいかなかった私は、自分と同じくらい運動神経が壊滅的な姉に尋ねてみることにした。
「ラジオ体操って、かかとを浮かせるって知ってた?」
「は?」
全く覚えていないらしい。首を傾げた姉だったが、紅茶を飲んでいたテーブルから慎重に距離を取ると、直立不動の姿勢をとった。
最初は深呼吸である。私は、姉のかかとを凝視した。……何ということだ、しっかり浮かせているではないか。
二番目の動きに入った。姉のかかとは、軽やかに上下している。三番目の動きでも、やはり、かかとを見事に使いこなしている。
姉はそこでやめて、席に戻った。
「うーん。覚えてなかったけど、かかと、浮かせてたみたい」
ちょっと待て。私たちは小学生の頃、夏休みのラジオ体操を一緒にやっていたではないか。
なぜ、姉にできて、私にはできないのだ。そもそも、なぜ、私だけが知らなかったのか。
姉も一緒に考えてくれたが、分からないものは分からない。
私は更なる敗北感に打ちのめされたのであった。
認めよう、私は結構根に持つタイプである。
同世代が駄目でも、年上なら同類がいるのではないかと考えたのだ。ちょうどいいサンプルがいる。母だ。
私は早速聞いてみることにした。
「は? かかとを浮かせる?」
母も全く覚えていないらしい。考え込んだ母だったが、おもむろに掘りごたつから立ち上がった。
直立不動の姿勢をとるところは姉と同じである。
しかし、なぜか鼻歌で前奏を歌い始めた。膝がリズムに乗って動き出す。完全に嫌な予感がした。
最初の深呼吸。……母のかかとはビシッと揃って浮き上がった。私よりも三十歳年上のくせに、ぐらつきもしない。
二番目の動きでも、三番目の動きでも、母のかかとは軽やかに上下している。
母は、神棚や掘りごたつやストーブを巧みに避けながら、鼻歌交じりに最後までラジオ体操をやり切ってみせた。そして、こたつに戻ってくるとこう宣ったのである。
「ラジオ体操でかかとを浮かせるなんて、当たり前じゃない!」
さっきまで覚えていなかったくせに、この言いぐさである。しかし、かかとどころか、順番まで完璧に再現してみせた相手に向かって、一体何が言えようか。
私は深く絶望するしかなかった。
私はラジオ体操ができない。それは純然たる事実である。
かくして、私の運動不足も解消されないまま、現在に至る。