再開と再会
少女の言い争う声でバゼルの意識は現実に引き戻された。目を開けるとそこは崩落した遺跡の中ではなく、奴隷になる前でも見たことの無いほど豪華な寝床に横たえられていた。視線を声のする方に向けると二人の少女が居る。一人はパトリシアと名乗ったあの少女だ。革張りの立派なソファーに身を預け辟易とした表情を浮かべている。その右腕には包帯が巻かれていて、見るからに痛々しかった。もう一人は青みがかった雪のような白髪の少女がパトリシアの前で仁王立ちしていた。こちらに背を向けているから表情こそ伺えないが、声と態度から相当ご立腹のようだ。
「パティ、貴女が優しいのは知ってるしそれは美徳だと思うわ。だけどね、自分が重症だっていう事くらいその猪じみた頭でも理解出来るでしょう!?」
「そう思うなら声を抑えてくれ。頭に響く」
「あっ、ごめんなさい……じゃなくて!そんなに辛いなら、なんで貴女のベッドに奴隷を寝かせて貴女がソファーに居るのよ!?普通なら奴隷なんて牢屋にでも放り込ん---」
傷を負っているパトリシアを心配した言葉を、彼女は冷たく平坦な声で遮った。
「レイ、君の怒りは尤もだし心配してくれるのも嬉しい。こうして私に面と向かって文句を言ってくれる人物はまず居ない。だが彼を侮辱する発言は君でも許さない。彼は悪意では無く、自身の家族の為に立ち向かってきた一人の勇士だ。言葉は選んでくれ。君との友情を失いたくは無い」
その静かながらも刃物を突きつけられた様な迫力に、レイと呼ばれた少女は押し黙った。もしかしたら本人も自身の言葉が乱暴だと思ったのかもしれない。その様子に満足したのか、パトリシアは声と表情を緩めて続けた。
「何度も言ったが、霊殻の損傷具合も身体の傷も彼の方がずっと酷い。イドが流れ出るどころか、魂が霊殻に収まっているのが不思議なくらいなんだ。栄養失調や拷問による怪我も有るし重篤な状態だ。直ぐにでも専門の知識のある魔法使いに診せるべきだし、それまでは可能な限り安静にさせておくべきだ。私の霊殻異常なんて自然治癒に任せても一ヶ月も有れば治る。肉体的には無傷その物だ。
君は私が認める数少ない魔法使いだ。そのくらい理解できるだろう?」
その言葉に反論できないのか、白髪の少女は溜息を吐き頭を振った。
「貴女がそこまで言うならもう何も言わないわ。貴女も正しいし私も間違ってない。これ以上は平行線みたいだし帰るわね」
「済まないな。録に持て成せなくて」
「……謝る所がそこなのも貴女らしいわね。こっちこそ、熱くなって貴女にもそこの彼にも言い過ぎたわ」
バゼルが起きた事に気付いていたのか、少女はちらりとバゼルにも視線を投げ掛け部屋を後にした。
今の会話から察するに、ここはパトリシアの私室なのだろう。彼女も手傷を負っている以上、先ほどの少女の言うとおり、パトリシアがこの寝床で休むのが道理だろう。そう考えたバゼルが身を起こそうとすると、パトリシアから鋭い声が飛んだ。
「君まで私がベッドを使うべきだとか言い出さないでくれよ。間違いなく君の方が重症なんだ。そんな君をソファーに放り出して私がベッドに入っても私の気が休まらない」
有無を言わせぬ強い口調に、バゼルは喉を通りかかった言葉を飲み込むしかなかった。
「あの……その、ありがとうございます」
どんな時も礼はちゃんと言いなさいという「姉」の言葉を思い出し、その好意に甘えて体を戻した。この状態が普通とはいえ、霊殻の軋みと傷だらけの身体は休息を求めていた。
そんなバゼルを彼女は興味深そうに眺め、不意に笑みを溢した。溢れたそれは波打つように大きくなり、仕舞いには彼女の上品さとは程遠い大笑いになっていた。
「この状況で謝罪ではなく礼を言うのか。本当に面白いな、君は。実は私を笑い死なせようとする刺客なんじゃないか?」
微塵もそんな事は思ってない、冗談だとわかる口調でパトリシアは言った。バゼルの返事を求める訳でもなく、ただただ腹を抱えている。その様子を眺めていると、バゼルは自分の口角も上がっていることに気付いた。自覚すると、今度は自然と笑い声が漏れてきた。その声を聞いて怒鳴り込んで来る連中は居ない。それどころか、バゼルが笑みを見せた事を喜ぶように、パトリシアもその向日葵の様な笑顔を一層咲き誇らせた。
暫くして笑いが止むと、パトリシアが改めて口を開いた。
「私が言えた事では無いが、それだけ笑えるなら話くらいは聞けるかな?おっと、身体は起こさないでくれ。急に倒れられた時に支えられないからな」
口調こそ優しいものの、その声音は遺跡で対峙したした時同様の真剣さを帯びていて、表情も神妙なものに変わっていた。
「まず、我々王族や政に関わる者が不甲斐無いばかりに、君や他の子たちにも苦労を掛けた。
私の権限で身元の確認を急がせている。君は私に名乗った名前で管理局に照会を掛けているところだ。売買履歴から正確な違法奴隷堕ちの時期が分かり次第、成人し市民権が復権される際に支払われる給金に賠償金を上乗せして支払うと約束しよう。
それに君の妹君の所在も併せて捜索させている。あれほどの規模の組織だ。直に尻尾は捕まえてみせる。どうかそれまで待って欲しい」
すまなかった。そう彼女が頭を下げると同時に、バゼルの脳裏に地獄の日々が舞い戻ってきた。
殴られ、蹴られ、魔法陣を体に彫られ、それが消えないように魔法で焼かれ、魂が砕ける寸前まで魔法の使用を強要され、ただ苦しさだけに満ちた記憶が駆け巡った。
しかも、ヒサメはまだその地獄の底に取り残されているのだ。そのことを理解した途端、さっきまで彼女に感じていた親近感も楽しさも並みのように引いていった。
「頭を上げてください。不敬なことを言わせて貰いますが、頭を下げたところで何にもならない。
その謝罪で僕らの傷は治りますか?
その賠償金とやらで僕らの時間が返ってきますか?」
こんなのただの八つ当たりだ。そう自覚しても引いていった感情が激情となって打ち返してきた。
「今更なに良い事した風に言ってるんですか?手遅れなんですよ!遅すぎたんですよ!!
貴女たちがのうのうと過ごしてる間、僕らは溝鼠のように扱われてきたんですよ!一欠けらのパンを巡って殴りあったことはありますか?昨日まで隣に居た奴が自分の実験の為に潰されるのを見たことは?大人の憂さ晴らしの為に刃物で刺された経験は!?
無いだろう!あんた等がしっかりしてれば、僕等はこんな目に遭わずに済んだんだ!!!」
バゼルが売られた時、彼女は成人すらしてなかったはずだ。責められるべきは当時の領主であることは理性では分かっている。それでも、津波となった感情がそんな理性を押し流した。
「……他の子たちはな、初めは怯えと疑心に満ちた目で錯乱していたが、落ち着くと泣いて感謝を口にしたよ。ありがとう、もう痛いことをされなくて済む、ご飯を食べても怒られない。って。
不誠実な話だが君に、私なんかには想像も出来ない地獄の中で理性を残していた君に責めてもらえて、私の方が救われた気分だよ。もし、君すら私を許していたら、大公の責任を忘れ『良いことをした』と思い込んでしまっただろうな。君の言うとおり、成すべき事を大いに遅れて成しただけだというのに」
自分が楽になるために謝ったのか。そう口を開こうとしたが、顔を上げた少女と合った視線がそれを許さなかった。あの場所でバゼルの心を捉えたその瞳が涙を湛えていたからだ。しかし、自分にそれを流す資格は無いと謂わんばかりに、気丈にも雫が落ちることを耐えている。そんな少女をどうしたら責められるだろうか。
バゼルは自分の無様さを自覚し視線を逸らすしかことしかできなかった。救われた恩を仇で返し、背負う必要の無い重荷まで小さな方に押し付けてしまった。気付いたところでもう遅い。今更どんな言葉を掛けたところで下手な慰めにもならないし、さっきの言葉は八つ当たりとは言え紛れも無い本音だったからだ。
二人の間に長い沈黙が下りる。窓から差し込む柔らかな日の光や小鳥の囀りとは対照的に、遺跡に居た時のような閉塞感をバゼルは味わった。
王族としての責任感と八つ当たりで憧れた少女を傷付けたこと。出所は違えど、二人は共に罪悪感に押し潰され言葉を発することが出来なくなっていた。
そんな空気が控えめなノックの音で破られた。
「パトリシアさまぁ。保護した方の治療で参りましたよぉ」
潤んだ目元を拭いパトリシアが入室を促すと、亜麻色の波打った髪を肩まで伸ばした女性が入室してきた。そのゆったりした口調や女性の雰囲気は見る人に安心感を与える優しさが滲み出ている。しかし、不思議とそれ以上にバゼルは懐かしさを感じた。
「さて、君の怒りももっともだし、王族の世話になんかなりたくないだろうが、保護した者の責任として治癒師を手配した。はっきり言わせて貰えば、君は生きてるのが不思議なほど霊殻……魂の入れ物が壊れているんだ。彼女は領内……いや、国内でも屈指の知識を持つ魔法使いだ。君の命を守るためだ。君が拒否しようと治療はさせるぞ」
そのやり取りで察したのか、さっきの怒声が外まで聞こえていたのか、女性はバゼルの傍らまで来ると顔を覗き込んだ。
「怪我人病人は大人しく治療されちゃいなさい。世話になるとか考えないでぇ…………え?」
バゼルの顔を見た女性は手に抱えていた治療道具や魔法書を取り落とした。信じられない者を、それこそ死人を見たかの様な顔をされたが、バゼルも同じ気持ちだった。
「BB……ちゃん?」
「その呼び方……、シビラ姉さんなの?」
ヒサメを除いて、バゼルが唯一心を許せる人が居る。幼い頃に暮らした村で共に過ごした、血ではなく絆で結ばれた家族。その呼び方は彼女だけが使っていた物だ。