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魔法使いにできること  作者: リファム
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地獄の終わり

 バゼル・バレットにとって、睡眠は苦行と同一だった。目を閉じれば鋭敏になった五感が実験によって繰り返し刻まれた肉体の傷と軋む霊殻の痛みを訴える。しかし生物である以上、いつまでも眠らずにはいられない。眠気に耐えきれなくなり意識を失えば、もう戻ることの出来ない、故郷で弟同然に自身を慈しんでくれた姉の様な女性との記憶が甦る。その甘く優しい夢から覚めれば、またいつもと同じ奴隷としての地獄の様な日常へ帰される。その落差は人間の心を折るには十分過ぎる毒だった。

 それに耐えられたのは、ある少女の存在のお陰だった。少女の名はヒサメ・ヨルギリ。中央大陸の東の海に浮かぶ島国の出身で、旅の途中で拐われこの地獄に来たという。ヒサメはバゼルを兄の様に慕い、バゼルも「姉」がしてくれた様にヒサメを妹の様に可愛がった。バゼルが痛みで魘された時、ヒサメが「仕事」で怪我を負った時、二人で最悪だと溢しながら笑い合った。これこそ組織が二人に着けた首輪だった。暗示や洗脳は魔法能力を弱め易く、暴力では抵抗された時に被害が大きい。だからこそ二人を絆という鎖で縛り上げ、どちらかは必ずアジトに居る状況を維持した。バゼルがその事に気付いた時には、もう少女を裏切る事が出来ない程に術中に陥っていた。

 そんなバゼルが、ヒサメが居ない場所で安らかな寝息を立てたのは初めてだった。

 村の思い出とは程遠い、ほんの数日前に有った鮮烈な記憶。脳裏どころか瞼の裏に描かれる光景。その始まりはヒサメが「仕事」に出た翌日の事だった。


 バゼルは鍵付きの小部屋から、いつもの様に広間へ連れてこられた。また身体中を弄り回されるのかと辟易していると、男たちは意外な命令を下してきた。

 曰く、数時間後に「敵」が攻めて来るので広間の物を出来るだけ壊せ。そうしなければ痕跡から「敵」は妹を殺すだろう。その「敵」は必ず殺せ。そうしなければ「妹」もいずれ殺されるだろう。

 そう残して男たちは去っていった。その言葉に僅かでも真実が有ればヒサメに危険が及ぶ。バゼルは淡々と命令通りに手を動かした。自身の改造に使われた魔法陣や術具を壊すのは存外に気持ち良かった。

 暫くして、荘厳な祭壇めいていた広間は他の部屋と同じく廃墟同然に荒れ果てていた。その惨状を眺めながら、バゼルはふと今なら逃げ出せるのではと考え至った。

 身体を休めるついでに、その考えを掘り下げてみる。

 第一に、逃げずともやってくる「敵」の軍門に下る。……下策だ。どうせ今と変わらない扱いを受けるだ。

 第二に、逃げ出した場合。この広間はこの遺跡の最奥に在る。どうせ外に行くまでの道中にほかの奴隷達が配置されてるに決まってる。「敵」への対策と同時にバゼルが逃げ出すのを阻止する狙いも有ると容易に想像がついた。バゼルと違い強力な暗示で縛られている彼等は死兵だ。皆殺しにして出るのは不可能じゃないが多少の怪我は免れないし、自分と同じ被害者の立場である彼等をそうするのは気が引けた。

 第三に、もし外に出られたとしても奴隷を助けてくれる奇特な人間が居るはずが無い。主人殺しの奴隷と思われ捕まるか野垂れ死ぬのが関の山だ。

 そして前提として家族(ヒサメ)を裏切る気は更々無い。彼女が一緒であれば兎も角、バゼルにとって一人で逃げる事は有り得ない選択肢だった。

「つまり全部戯言なんだよね」

 そう零してバゼルは思考を打ち切った。休憩ついでとは言え無駄な時間を過ごした。

 男たちの言う「敵」がやって来るまで、遺跡自体の魔力に反応して光る輝鉱石の淡い光を座ってぼぅっと眺めていることにした。


 それからどれだけの時間がたっただろうか。微かな振動と共に遠くから争う音が聞こえてきた。周囲の魔力もざわついていて、「敵」が魔法使いだと判った。音は刻一刻と経つに連れ近付いて来るが、隠すつもりの無い足音は少なくなっていった。

そして広間に繋がる最後の小部屋、バゼルからでも声が聞こえるほど近いその場所で「敵」の発した言葉に耳を疑った。

「私は君達を保護しに来た王国の者だ!君達は不当な扱いを受けている奴隷で有る事は理解している。いま引けば一切の罪は特赦し、新たな……正規の扱いを行う主人の元へ預けると約束しよう!!」

 その少女の声を信じるなら、自分達を救いに来た集団だという事だ。暗示を受けた他の奴隷は兎も角、バゼルには戦う理由も無い。集団の足跡が徐々に減っていったのは負傷も有るだろうが、本当に奴隷を保護し外に運び出している何よりの証拠だ。

 だからこそバゼルは落胆した。妹さえ此処に居れば一も二も無く飛び付いた。それどころか二人で他の奴隷達の捕縛に協力しただろう。しかし現実は甘くない。そうならない様に連中はヒサメを連れ出していた。

「……この人に不意討ちは失礼だよなぁ」

 バゼルは立ち上がり「救い主()」の到着を待った。会話は出来るだけしない方が良い。もし目を見て同じ話をされたら断るのに酷い罪悪感を感じる羽目になる。だからこそ彼女の敵として立ちはだかろう。精一杯の抵抗をして、それでも負けたらその後の事はそのときに考えよう。


 戦闘音は直ぐに止んだ。ひとつの靴音と複数の硬い足音が徐々に小さくなっていく。それが聞こえなくなるとたった一人分の靴音が大きくなってくる。やがて足音は扉の前で止まった。バゼルにとっては言葉を交わす前に打ち倒してくれれば気が楽だっただったが、バゼルが不意打ちをしなかった様に相手もまた堂々と扉を押し開けてきた。

 まず連想したのは遠い昔に見た夏の日の太陽だった。弱々しい輝鉱石の光を反射させ黄金の如き長髪を煌かせ堂々と佇む姿は人の上に立つ人間のそれだ。油断無く、それでいて誰もを魅了して止まない光を湛えた瞳に、バゼルは心臓が踊るのを感じた。

「少年。私は……」

「あっ、投降の呼びかけならお断りです。ここの生活は最悪その物だけど、それでも大切な妹分の……家族の帰ってくる場所なんで。あいつらの命令通りなのは癪だけど、可能な限り抵抗させて貰うよ?」

 彼女はバゼルが思った通り、詠唱では無く語り掛ける言葉を紡ごうとした。だからこそ、自分で決めた様にそれを遮って言い切った。自分の苦悩は彼女には関係無い。悟られる事無い様あえて飄々とした声音を作った。

「そうか。ところで、その妹分というのはここに来るまでに配置されてた奴隷の中に居るのか?もしそうなら私達が全員保護した。君が争う理由は無くなるのだが」

 明確に敵になると発言したにも関わらず、少女は重ねて問い掛けてくれた。

「そうだったら良かったなぁ。そうすれば僕も助けてもらって『ハイ、お終い』だったんだけど。ヒサメは優秀らしく、仕事で外に行ってるんだよ」

 彼女のお人好し加減に苦笑しつつ、バゼルは返答した。

「それは残念だ。君みたいに理性的に話せる子は居なかったから、今回ばかりは話し合いで事が済むと思ったんだが」

 そうなればどれだけ良かったか。同意の意思を示すため軽く肩を竦め、直ぐに戦う姿勢を執った。もう話すことは無い。殺すか殺されるか二者択一の敵となる事を自分で選択した。

「私はパトリシア。パトリシア・メルトワール。第十位王位継承権利者にして『断絶』の魔術師だ。少年、君の名は?」

 それにも関わらず、その手を払い除けた自分に対して彼女は対等な相手で有るかのように名乗りを上げた。

「バゼル・バレット。連中から『バレル』とかいう魔導を植え付けられた、ただのしがない奴隷だよ」

 気付くと自分も名乗り返していた。奴隷に堕ちる前も農民の出だ。作法も知らないから見よう見真似だが、彼女にはそうすべきだと思った。


 刹那の静寂の後、バゼルは詠唱を開始する。

この身は一つの鋼(第一魔導式、起動)

 バレルは単純な魔法だ。霊殻を強化し、周囲の魔力を吸い上げ圧縮し、限界まで圧力を上げ、自分自身を銃身にして放つ三重構造の魔導。ただし、その規模が異常だった。連中が話すのを盗み聞いた中では神代魔導とかいう遥か昔に作られた魔導式で、明らかに人間が耐えられる魔力量を超えているらしい。それ故に連中はバゼルを含め、適正が有りそうな人間で実験を繰り返したのだ。

全を喰らい、個を砕く(第二、第三魔導式)暴虐の嵐(連続起動)

 何の因果かバゼルはこの魔導に耐え切れてしまった。もっとも耐えられるとは言っても、その過程で掛かる精神の軋みや霊殻への圧、それを処理する脳への過負荷は間違いなく身体を蝕んでいる。

 誇張無く、魂が砕ける程の魔力の奔流だ。避ける以外に術は無い。飲まれれば死、避けた所に次弾を放てばバゼルの勝ちだ。救いの主を殺してしまう絶望感に苛まれながらもバゼルは凝縮した魔力を放つ最後の詠唱を口にする。

善も悪も等しく滅せ(バレル)!!」

 背後に展開されていた魔法陣が収縮しバゼルの身体に飲み込まれた瞬間、少女に向けられた手から「バレル」は放たれた。

 彼女は、パトリシア・メルトワールは動かなかった。諦めたのかと思いきや、その眼に宿る光は死んでいない。迫り来る暴力的な魔法を前に、その細い腕を差し出した。

数秘紋断絶結界(3・4・2の意)待機術式(3に3)を重ねて展開」

 儀式魔法によって張られた物ならまだしも、戦闘中に一人の人間が紡いだ防御結界程度バレルの前には無いに等しい。結界ごと彼女が消え去る光景が目に映る……はずだった。

 彼女の張った結界はバレルの軌道を逸らしていたのだ。それは大河の洪水を人一人の力で変えるようなものだ。目の前の光景をバゼルは信じられず、ただ呆然としていた。

「痛みは無い。目が覚めた時には、君の地獄は終わっているよ」

 パトリシアの発した言葉で我に返り、彼女の慈しむような顔を認識した時には、バゼルは自分の意識が途切れていくのを感じた。第一魔導式(魔法)によって保護されていた魂にまで彼女の魔法は達していたのだ。


 立っていることも出来ず、体勢を崩れさせながら視界が白く染まっていく中、逸らされた「バレル」によって崩落した天井から、目が眩むほどの光を見た。

「あぁ、昼間の空って青かったっけ」

 零れ落ちる涙は負けた悔しさか、ヒサメを裏切ってしまった後悔か、久しぶりに太陽を見た喜びか。

「お疲れ様。今はゆっくり休むと良い」

 それとも、崩れ落ちるバゼルの耳に届いた、優しい少女の声音に安堵したからか。気絶するまでの僅かな時間では、バゼルには判断できなかった。

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