それは少女の夢を見るか?
…………………
夢を見る。血に塗れた夢を見る。
俺はドイツ製の自動小銃──HK416自動小銃を握り締めて、中央アジアのかつてシルクロードと言われた場所に立っている。小高い丘の上で、すぐ傍には中央アジアで暮らす少数民族が暮らしていた。
俺の視線の先では1個分隊の日本情報軍部隊が作戦行動中だった。日本にとって不愉快かつ望ましくない人間を始末するための暗殺部隊。その悪名は地獄まで響いている第101特別情報大隊。
分隊はアーマード・スーツ“屠龍”を盾に前進していた。屠龍は爆発物処理班が使う防爆スーツを一回り大きくしたよなシルエットをしている。同世代のアーマード・スーツと比べると角ばっていて垢ぬけない感じがする。
そして、その分隊の先頭には俺がいた。
俺が俺を遠くから眺めている。ああ、これは夢だ。
夢というのは不思議なもので見たこともないものを見せてくれる。あの時の俺を遠くから撮影した映像などひとつもないだろうに。
俺は俺を見続ける。
あの分隊の仕事はキルギスの親日的政権を攻撃しているテロリストの喉笛を掻き切ることで、目標の屋敷まで50メートルに迫っていた。
俺が指示を出している。屠龍にスモークを任せて、その隙に屋敷に突入しようという話をしていた。テロリストの親玉には9歳か16歳の子供たちで構成された近衛兵がついていて、そいつらを殺さないと親玉も始末できない。
屠龍から多目的ロケット弾が発射され、屋敷の玄関が一瞬で白い煙に覆われる。
俺は部下に命令を下し、そして──。
行くな。行くんじゃない。行ったらダメだ。引き返せ。
そう叫びたかったが声は出なかった。
俺は部下を連れて屋敷に向かう。
そこで爆発が起きた。
対戦車ロケットだ。中国製の対戦車ロケット。子供兵が放った一撃。
ああ。ああ。屠龍が展開したスモークがゆっくりと晴れていく。
そこには血塗れになった俺が部下の手当てを受けていた。右腕は手首が完全にもげ、左腕は肩の部分で皮一枚で留まっている。両脚は肉挽き機に突っ込んでミンチになったように原型を留めていなかった。
いつもの夢だ。俺に過去を忘れさせないために見せる夢。
たっぷりのナノマシンとたっぷりの向精神薬とスパイス程度の記憶洗浄剤を使ってもまだこの記憶は脳にしがみ付いている。
いっそ、自分の頭がコンピューターだったらよかったのにと思う。嫌な記憶はマウスをクリックしてゴミ箱に突っ込んでしまえるからな。
視界が徐々にぼやけていく。さあ、この夢は終わりだ。次の夢は何だろうか。誰を殺しに行った時の夢だろうか……。
…………………
…………………
「──大尉。水島大尉」
目を開けると空軍のロードマスターが俺の顔を覗き込んでいた。
「着いたのか?」
「はい。間もなく上海浦東国際空港です。着陸の準備をなさった方がいいですよ」
俺が尋ねるのに、ロードマスターは余計なお節介を焼いて去っていく。
俺は長旅で鈍くなった尻を動かして、窓の外を見る。
窓の外には上海自由国の繁栄した都市の街並みが広がっている。上海はよく頑張ったものだ。APJF──アジア太平洋合同軍の上海上陸作戦では、街の6割が破壊されたというのに、今や元通りだ。
もっとも、この上海自由都市から10キロ北に向かうとクレーターが穿たれている。アジア戦争犯罪法廷で縛り首にならなかった人民解放軍のお偉方が抱え込んでいた戦術核が、上海を吹き飛ばそうとした痕跡だ。
今も放射線を放つクレーターの脇では、かつての繁栄した中国の姿がある。それが酷く滑稽なコントラストに思えた。
俺が景色を眺めている間に、俺を乗せた輸送機はゆっくりとAPJFが駐屯する上海浦東国際空港に着陸した。
APJFは今は中国内戦の停戦調停のために駐屯していた。彼らは気が狂った元人民解放軍の将軍たちが世界中の危ない連中にばら撒くのを阻止するために、陸軍の特殊作戦群なんかが活動している。
俺の仕事も核弾頭の奪還か?
いいや。そんなのは俺たちらしくない。俺たちの仕事はいつだって汚れている。核弾頭の奪還なんて映画にできそうな仕事じゃない。地味で、汚くて、倫理に反し、卑怯な仕事が俺たちの仕事だ。
「よく来たな、水島大尉」
輸送機を降りると高機動車で俺を出迎える人物がいた。
俺と同じ日本情報軍のデジタル迷彩の戦闘服に身を包み、その肩には大佐の階級章をつけた人物だ。
「出迎えに感謝します、遠州大佐。それで状況は?」
「始まったばかりだ。ここではなんだ。ついてきたまえ」
遠州大佐。日本情報軍第101特別情報大隊大隊長。
「作戦の概要は理解しているな?」
「防衛関係の技術を研究所から持ち出して、ロシアに売ろうとしている研究者を始末する。でしょう?」
高機動車の中で遠州大佐が尋ねるのに俺はそう答えた。
奇妙な仕事だ。そう思っていた。俺は将軍も、政治家も、民間人も殺してきたが、技術を盗んだという理由で研究者を殺せと命じられたのは初めてだ。
「非常に高度な技術なのだ、大尉。世界秩序が崩れかねないほどの、な」
遠州大佐がもったいぶってそう告げた時にはAPJFに接収されている上海の高級ホテルについた。俺たちは無言でホテルに入り、無言のままに部屋に入る。
ホテルの部屋には先行して上海に入っていた俺の部下たちが半分ほど揃っていた。第101特別情報大隊第4作戦群第1分遣隊だ。
「状況を説明しよう」
遠州大佐がそう告げるのに俺はスマートグラスをこの独立した部屋のネットワークに接続した。脳波認証が行われ、俺の接続は許可されると、AR(拡張現実)技術によって、ホテルの部屋がブリーフィングルームに様変わりする。
「つい先日、富士先端技術研究所から国防に関する技術が持ち出された。人工知能に関係する技術だ。日本軍がスポンサーになり、多額に資金を投じていた技術であり、特に我々日本情報軍の財布から金は出ていた」
人工知能、か。
世界の仕事は徐々にだが人工知能に置き換えられている。危険で、汚く、退屈な仕事を代わりにしてくれることに軍人たちの多くがもろ手を挙げて歓迎したからだ。
地雷、機雷除去のための無人機。敵防空網制圧で先陣を切るワイルドウィーゼル任務のための機体。延々と境界線を監視し続け、不審者がいれば自動的に発砲する遠隔監視システム。エトセトラ、エトセトラ。
世界はロボットと人工知能に少しずつ慣れていっている。
「それで盗まれた技術というのは何なんです?」
「それは機密だ。君が知る必要はない、水島大尉」
「了解」
フン。よほどの技術なのだろうが想像がつかない。
「我々は技術を奪還するとともに研究者を暗殺する」
そう告げて遠州大佐が宙をスワイプすると女の顔とプロファイルが表示された。
「如月沙織。富士先端技術研究所人工知能開発チームの副主任だった女だ。これを消して貰うのは君たちの第一の任務だ。こいつが上海でロシア人に接触する前に始末する」
年齢30代ほどの女の目には生気というものがなく、あたかも死人のように見えた。
「そして、この女が持ち逃げした技術を奪還する。対象はデータだ。どのような形式で保存されているかは分からない。ただ相当な要領があるため、それなりのデータ容量があるハードドライブに保存されていると思われる」
そう告げる遠州大佐は何かを隠しているように俺には感じられた。
「では、まず女を拘束し、技術の保管場所を聞き出したら頭に2発。我々は技術をお土産に日本に帰る、というわけですね」
「そういうことだ。相手が民間人だからと言って侮るな。既にロシア人が護衛を付けている。ウクライナ戦争上がりの兵隊崩れだが、武装している」
おやおや。ロシア人の傭兵は市場にあふれかえっているな。
「既に女の居場所は分かっている。上海北部のブルーオリエンタルホテルの25階のロイヤルスイートだ。君の部下が下の階から盗聴し、向かいのビルから監視している。今のところ動きはない」
「結構です。手早く済ませましょう。上海の情勢はいつどうなるか分からない」
全く持って簡単な仕事だ。ただの民間人の女なら短時間で技術データの保管場所を吐くだろう。尋問の必要はないはずだ。
「では、仕事にかかってくれ、諸君。吉報を期待している」
…………………
…………………
上海北部に位置するブルーオリエンタルホテルは7年間続いたアジア戦争の際にAPJFが爆撃して更地になった建物のひとつだが、勤勉な中国人と金を持ったアラブ人のおかげで再興していた。
「行くぞ」
「了解」
俺たちはこのホテルが契約している清掃会社の制服を着て、中古のバンでホテルの裏にある従業員用出入り口に向かった。
ホテルの裏口でも警備員はいる。中国人の警備員が俺たちを一瞥した。
「身分証を」
「これだ」
横柄な素振りで警備員が身分証明書の提示を求めるのに俺はカードを提示した。電子情報部隊が件の清掃会社のコンピューターをハックして作った偽造カードだ。だが、完璧にできているはずである。
警備員はスキャナでカードをスキャンすると、ただ頷き、顎で進めと示した。
警備を抜けた俺たちは清掃カートをバンから下ろして、何食わぬ顔でホテルの従業員用通路を進む。ここの中国人スタッフは清掃員の顔など覚えていないのか、誰かに呼び止められることもなく、俺たちは25階に到着した。
ここからが勝負だ。
「こちらレッド・チーム。状況を知らせよ」
『ブルー・チーム。部屋の中に動きはありません』
『イエロー・チーム。部屋から出た人間はなし』
俺の言葉に目標のロイヤルスイートを監視している部下たちが応じる。
俺たちはいたって平静に目標が潜伏する25階の廊下を進む。この階はロイヤルスイートになっており、広大なフロアに部屋は2部屋しかない。そして、どちらに目標がいるかはすぐに分かった。
屈強なロシア人を部屋の扉の前に立たせてるなら、それは簡単に分かる。
「おい」
ロシア人は俺たちを見ると、手を向けてきた。
「この部屋の清掃は必要ないと言っておいたはず──」
俺は腰から抜き取ったサプレッサー付きのHK45C自動拳銃でロシア人の頭に2発の銃弾を叩き込んだ。ロシア人は悲鳴を上げる暇もなく、脳漿をスプレーのように壁にまき散らし、絶命して崩れ落ちる。
「鍵を」
俺は清掃カートの中から同じようにサプレッサーが装着されたMP7短機関銃を取り出しながら命じる。俺の部下たちも清掃カートから武器を次々に取り出し、その間に別の部下がホテルの電子キーをハックして破ろうとしていた。
「大尉、開きました」
「よし。閃光弾投下」
鍵が開くと同時に俺は僅かに扉を開き、そこに閃光手榴弾を投げ込んだ。
パンッという音と共に扉の隙間から凄まじい光が漏れ出て、同時にロシア語の罵声も聞こえてきた。どんぴしゃりだ。
「突入、突入」
俺は扉を蹴り開けると、部屋に飛び込んだ。
中にはサッカーを観戦していたロシア人の警備員が5名。全員が閃光手榴弾の光を受けて目が潰されているが、懐に手を伸ばそうとしている。拳銃を抜くつもりだろが、こっちの方が倍は速い。
俺と俺の部下たちは短機関銃でロシア人をハチの巣にしてやった。高級なソファーから綿が飛び出し、テレビが割れ、カーテンが血塗れになる。
「クリア」
「クリア」
ロイヤルスイートのダイニングルームがロシア人の死体だけになったのを確認する。
「目標を探せ。ここにいるはずだ」
俺はそう命じて、この広いロイヤルスイートの部屋を探索する。
無人機が仕えれば都合がよかったのだが、流石に無人機を持ち込むほどの余裕はなかった。危険を冒して死角の多い室内を探索しなければならないわけだ。
「大尉。女の声がします」
「寝室か」
俺たちが部屋に突入してから5分で目標らしきものを見つけた。
「入るぞ。間違っても目標を撃つな。今はな」
俺はそう告げて、扉を思いっきり蹴り破る。
「ひっ……!」
部屋には女がいた。目標の女だ。そどうやら携帯電話で誰かと話していたらしい。
「動くな。不審な素振りを見せたら射殺する。ゆっくりとその携帯電話を床において、頭に両手を乗せて地面に伏せろ。早く!」
「わ、分かったわ」
俺たちが銃口を向けて告げるのに、目標の女は大人しく指示に従った。
「斎藤。女を拘束しろ。中島は携帯電話を調べろ」
「了解、大尉」
斎藤は女をタイラップで後ろ手に縛り、中島は携帯電話の通話相手が誰だったかを履歴を見て調べる。
「如月沙織だな?」
「え、ええ、そうよ」
俺が銃口を向けたまま尋ねるのに、目標の女は頷いた。
「お前が盗んだものを返して貰いに来た。技術データはどこにある?」
「……ここにはないわ」
「なら、どこだ? ネットワーク上か?」
俺の問いに目標の女は首を横に振る。
「いいえ。あなたたちは軍人みたいだけど何も聞かされていなかったのね。私が持ち出したのはただの人工知能の技術データじゃないのよ。くだらない単純作業を繰り返すような人工知能ではないの。私が持ち出したのは、機械生命体なのよ。魂がある!」
「何を言っている。データの場所を言え」
「彼女は出かけてる。今の状況では帰ってこないことを祈るわ」
「出かけている? 彼女?」
意味不明jな単語ばかりだ。一体、この作戦で取り戻すべき目標とは何だ?
「大尉。通話履歴から会話していた相手が分かりました。通話内容についても極東電子防衛企画が傍受しています」
「相手は誰で、用件はなんだった?」
「相手はビクトル・ザハロフ。通話内容は襲撃を受けており、早く取引をしたいとのことでした。亡命とアカネという人物について何度も確認しています」
「ザハロフ? 聞きなれない名前だな……」
武器商人やテロリスト、軍の関係者ではなさそうだが。
「ロシアの人工知能学者よ。私との共同研究を望んでる」
目標の女がそう呟くように告げる。
『こちらイエロー・チーム。そちらに警備員が向かっています』
「了解」
いよいよ時間がない。
「もう一度聞くぞ。技術データはどこだ?」
「分からない」
「どんなハードドライブに保存した?」
「ハードドライブ。無機質な言い方ね」
俺が最後の尋問を始めるのに目標の女が小さく笑った。
「彼女のハードドライブは──人間と同じよ」
目標の女はそうとだけ告げた。
『イエロー・チームよりレッド・チーム。武装した警備員がすぐそばまで来ている。狙撃許可を求める。そうしないと接触する』
「こちらレッド・チーム。引き上げる。発砲は許可しない」
下手に関係ない人間を殺して揉め事を起こしたくはない。
「技術データに関する情報なし、か」
俺はそう呟いて目標の女の頭に銃口を向け、無造作に引き金を引いた。頭蓋骨が砕け、脳漿が撒き散らされ、目標の女は痙攣しながら床に崩れ落ちる。
「目標排除」
俺は死んだ女の写真を記録として撮影すると、脱兎のごとく部屋から飛び出す。
「わっ!」
俺が部屋から飛び出したときに、何かにぶつかった。
「だ、誰? おじさん、誰?」
俺がぶつかったのはひとりの少女だ。9歳ほどの小柄な少女で、長い黒髪を背中に伸ばし、安っぽい子供服を身に纏っている。
「ここの部屋の人間、か?」
「そうだけど……。おじさんは誰?」
俺が尋ねるのに少女が目を瞬かせながらそう告げて返した。
「正義の味方だよ。名前を教えてくれ」
「アカネ。アカネっていうの」
「アカネ……?」
──亡命とアカネという人物について何度も確認しています。
「おじさんと一緒に来るんだ。ここは危ない。安全な場所まで連れて行ってやる」
「知らない人について言っちゃダメだってお母さんが……」
「お母さんとおじさんは知り合いだ。君のお母さんはコンピューター博士だろう。中国に君を連れてきて、ロシアのお友達と一緒に夕食を食べるんじゃないかい?」
アカネ。手がかりはこれだけだ。この少女はあの女の娘でないことは確かだ。何故ならばあの女のプロファイルにはそんな情報は記されていなかった。
「……分かった。付いていく。まだお散歩してても怒られないと思うし」
「よし。じゃあ、行こうか」
俺は少女を清掃カートに放り込むと、足早にロイヤルスイートから逃げ出す。
『イエロー・チーム。警備員が死体を発見。警報が鳴ります。脱出支援の準備はいつでもかのうです』
「任せたぞ、イエロー・チーム。強行突破になるかもしれん」
俺たちは来た道を逆戻りし、従業員用出入り口から飛び出した。
「──!」
さっきは簡単に俺たちを通した中国人の警備員も今回は俺たちを止めようとする。
だが、俺たちに近づこうとした瞬間、その頭部が爆ぜた。
「ナイスキルだ、イエロー・チーム」
イエロー・チームの狙撃手による支援を受けて俺たちはバンに乗り込み、怪しまれぬように普通の速度でこのブルーオリエンタルホテルを出た。
第一目標、女の殺害は完了。
問題はどこに盗まれた技術データがあるか、だ。
…………………
…………………
「それで、結果がこれか」
遠州大佐は不満そうにアカネという少女を見ていた。
「技術データに関する情報はこれ以外にありません。ロシア人の取引相手であるビクトル・ザハロフはロシア軍の人工知能開発に関わっており、どこかの閉鎖都市に潜んでいるとしか情報がありません」
「なるほど。手詰まりだな」
俺が説明するのに遠州大佐が溜息を吐く。
「ホテルの部屋の全てのハードドライブを持ってきましたが、今のところそれらしい譲歩はありません」
「ネットワーク上にもない。第901電子情報連隊がアカウントを片っ端から調べているが、どこにも情報の痕跡はなかった。本当にあの女は何も言わなかったのか?」
ホテルから撤収する間際に俺たちは記録媒体を全てかさらって来たが、そのどこにも軍用人工知能の情報はなかった。
ただ、部下が言うにはアカネという少女の記録だけは大量にあるようだ。成長記録がテキスト形式と画像形式で保存されているのを、部下が目標の女のタブレットから見つけている。
「……ただの人工知能ではない、と言っていました。機械生命を生み出したのだと。教えてください、大佐。我々が追いかけなければならないものとは何なのですか?」
「正直に言おう。私にも知らされていない。上は情報を一切秘匿している。この如月という女の富士先端技術研究所での具体的な研究内容については一切不明だ」
俺が告げるのに、遠州大佐は力なく首を横に振った。
機械生命体。魂を持った。
「手詰まりですな」
「ああ。手詰まりだ」
俺と遠州大佐は揃って肩を竦める。
「おじさん。ここは凄く楽しいね。情報がたくさんあるよ」
俺が遠州大佐と話していたとき、アカネが無邪気に話しかけてきた。
「誰かにゲームで遊んで貰ったのか?」
「ううん。ひとりで遊んでるの。ここって情報がいっぱいだから楽しいよ」
俺が思わず微笑んで尋ねるのに、アカネも笑って返した。
「ほう。どんな秘密を見つけたのかな?」
「ええっとね。おじさんたちは日本情報運の特殊作戦部隊の人たち。今は上海内の遠隔監視システムをハッキングして、あのホテルでの出来事の部分を消そうとしているみたい。でしょ?」
アカネの告げた言葉に俺と遠州大佐が完全に硬直した。
「どこでその情報を手に入れたんだ?」
「見ただけ。見えるし、聞けるの。私の特技だよ」
俺が緊張しながら尋ねるのに、アカネがそう返す。
「大佐。まさか……」
「こちらコバルト。レインボー、目標らしきものを確保した。確認せよ」
俺は腰の自動拳銃が収まったホルスターに手を伸ばし、遠州大佐はスマートグラスを持ち、それでアカネの写真を撮影して暗号通信で遥か彼方にいる日本情報軍司令部にアカネの写真を送信した。
「……おじさんたち、アカネのこと壊すつもりなの?」
「いいや。そんなことはしないよ。迷子だから親御さんを探してるだけだ」
俺の手は拳銃のグリップを握り締めた。いつでも抜ける。
『レインボーよりコバルト。ただちにその機械を破壊しろ。繰り返す。ただちにその機械を破壊しろ。この命令は全てにおいて優先して実行すべし』
そして、遠州大佐の携帯電話からそのような焦りの滲む声が響いてきた。
「やっぱり、アカネのこと壊すつもりなんだ! いや!」
「待て!」
とっさのことだったが、我ながら信じられないことをした。
俺はホルスターから引き抜いた自動拳銃でアカネの頭を銃撃したのだ。45口径の銃弾がアカネの頭を完全に吹き飛ばすはず。そうだった。
だが、そうはならなかった。アカネは衝撃に僅かによろめいただけで、走って部屋から逃げ出していった。
「コバルトより上海に展開中の全部隊へ。次の目標を完全に破壊せよ。繰り返す。次の目標を完全に破壊せよ!」
遠州大佐は自棄になったように無線に向けて怒鳴っている。
「クソ! 無線が繋がらないぞ! スマートグラスの通信もダウンしてる!」
だが、遠州大佐の命令は届かない。
「あの子供、電子兵器か……?」
──私が持ち出したのは、機械生命体なのよ。魂がある!
「大佐。ここにいる連中でチームを組み、追跡します。それから電子機器は全てオフラインに。オンラインにしていると何をされるかわかりませんよ。相手は恐ろしく有能なハッカーですから」
「分かった、大尉。何としてもあれを破壊しろ」
急いだ。相手は子供だ。足幅が大きく異なるすぐに追いつけるはずだった。
「レッド・チーム! さっきの少女が技術データだ! 破壊命令が出ている! 全ての武器を持ってついてこい!」
「全ての武器ですって? 屠龍はいらないでしょう?」
「必要だ。何が起きるかわからん」
何せ、相手はあらゆる電子機器をハックし、45口径の銃弾を後頭部に受けても平然と逃げ去っている。そんなものを胃手にするとなれば、多目的ロケット弾から50口径重機関銃まで揃えたアーマード・スーツ──屠龍を持ち出してもおかしくない。
どうりで政府が俺たちを送り込んでまで始末したがるはずだ。
完全に人間の姿をした電子兵器。それがあれば大都市を一瞬で大混乱に叩き込める。軍用に使われるならば、今の人工知能とネットワークで構成された軍隊はひとたまりもなくやられてしまう。
危険すぎる技術だ。破壊しなければ。
……だが、あれはどうみても人間だった。人間の少女だった。
──私が持ち出したのは、機械生命体なのよ。魂がある!
魂。推定21グラム。
魂。あるいはシジウィック発火活動と呼ばれる現象。
それが発見されたのは脳神経科学が“特異点”に到達したときだった。
脳科学者たちは、ニューローンのひとつひとつの発火をトレースし、脳の機能を完全に解明しようとしていた。超高度な脳神経の検査器具──これはかの有名なメティス・メディカル製のそれだ──は、これまではブラックボックスだった脳の活動の全容を暴き立てる寸前にまで進んでいた。
だが、脳科学者たちは奇妙なことに気付いた。
高度な検査装置で集めたデータから予想される感情や思考の変化が、予想されるそれとは異なった形で現れているという現象だ。
Aと入力すればBを出力されるはずのものが、Cと出力されて出てくるのだ。それも僅かなものではなく、多くのことでそうだった。
脳科学者は深海と同じくらい真っ暗な自分たちの脳の中で、何がどうなっているのかを解明しようとした。何かニューロンのパルスやホルモンとは異なるものが、人間の意思決定に影響を与えているのだと考えて。
そして、それは判明した。
脳にはニューロンの複雑なパルスが生み出す、特殊な凝集性エネルギー・フィールドが存在するということだった。
この凝集性エネルギー・フィールドは常に脳のニューロン・ネットワークにフィードバックしており、人間たちの意志や言動に大きな影響を与える。そして、死ねば体内から失われていく。
それは。まるで魂のようにして。
魂の研究はそれが発見されてからタブー視されている。
もし、黒人には魂がなかったら? もし、ウイグルの少数民族たちには魂がなかったら? もし、クジラには魂がなかったら? もし、精神病患者には魂がなかったら?
考えるだけで恐ろしい。科学者たちはここで手を引いた。
だが、あの少女には魂があると女は告げた。
機械は魂を持つのか?
…………………
…………………
追跡。
万が一の場合に備えてアカネにトレーサーをつけておいて正解だった。
トレーサーは特殊なホルモンで、見えない足跡を残す。俺たちは昆虫がそうするようにスマートグラスでホルモンを追って、アカネの地積を行った。
防弾仕様のSUVを全速力で走らせ、上海自由国の人民たちからクラクションの歓迎を受ける。上空では支援要請が辛うじて届き、屠龍を搭載したVTOL機──スーパー・オスプレイが低空飛行していた。
「目標発見、目標発見。男と一緒にいます」
「あれが例のロシア人の取引相手じゃないだろうな」
トレーサーを追って迫った10キロメートル先にはアカネが白人の大柄な男と何かを話しているのが、俺の拡大されたスマートグラスに映し出された。俺は男の胸元が不自然に膨らんでいるのを見逃さない。奴は武装している。
「大尉、交戦規定は?」
「邪魔する奴は皆殺しにしろ」
あんなとんでもない電子兵器が日本以外の国に渡ればそれは悪夢だ。
故に何としても阻止する。それが軍人としての俺の義務だ。
『……ちら……チーム……。降下……探し……』
アカネの電子攻撃のせいで上手く聞こえない無線通信から、上空の部隊が間もなく配置につくとの情報が流れてきた。
「対戦車ミサイルは持ってきたか?」
「え、ええ。一応積んであります」
俺が尋ねるのに、部下が巨大な武器を取り出す。
「あの男ごと少女を吹き飛ばせ。誰にも少女を渡すな」
「了解」
俺の命令が本気だと理解した部下は、SUVのルーフパネルを開くと携行対戦車ミサイルをアカネに向けた。ミサイルの誘導装置がアカネの赤外線を辛うじて捉え、ミサイルがロックされる。
そして。発射。
噴煙が吹き上がり、ミサイルはアカネに目掛けて一直線に突き進む。
そこでアカネは何かに気付いたようで素早くビルに飛び込み、アカネと話していた白人の男は地面に伏せた。
炸裂。アカネと白人の男が話していた場所は吹き飛び、建物には大穴が開いていた。
「クソ。トレーサーが移動している。仕留めそこなったぞ」
俺のスマートグラスに移るアカネの足跡は、対戦車ミサイルの攻撃を受けてもまだまだ彼女が生きていることを示していた。
銃声が響いたのは俺たちが対戦車ミサイルを叩き込んだ建物まで500メートルという地点に迫った時だった。
「大尉、銃撃です! 目の前のビルからですよ!」
「分かってる! 煙幕弾を使って一気に建物中に入るぞ!」
どうやらロシア人は大量に雇われているらしい。
俺は手早く車の窓から煙幕弾を投げると、煙が辺りを覆ったのを確認してから扉を開き、一気に目標のビルに向けて駆けた。相手のロシア人は自棄になったのか、牽制しているのか機関銃──銃声からしてPK汎用機関銃を煙幕に向けて掃射してくる。
だが、銃弾というのはなかなかあたらないものだ。
「全員、無事だな?」
「無事です、大尉」
俺たちは全員が無傷でビルに入った。
このビルは保険会社のものだったらしく、一般の客が自動小銃や機関銃で武装してきた俺たちに悲鳴を上げている。
「トレーサーはエレベーターに繋がっているな」
アカネの足跡は中央のエレベーターに延び、そこで消えていた。
『おじさん』
不意に無線に少女の声が響くのに、俺とチームの隊員たちが動きを止める。
『おじさん。話を聞いて。アカネはね、日本に戻ったら壊されちゃうの。あまりにも危険すぎるし、倫理的な問題があるからって。だから、お母さんは私を守るためのロシアに向かおうとしていたの』
俺はアカネが話すのを静かに聞いていた。
『アカネ、おじさんたちがお母さんを殺したことも知ってるよ。でも、しょうがないことだってことも分かってる。お母さんのやったことはいろんな人との約束を破ってるから。でも……』
「何だ?」
アカネの声のトーンが落ちるのに、俺は奇妙なことに心配するような声で問いかけていた。どうして俺はロボットの心配なんてしてるんだ?
『アカネは死にたくない。もっといろんな情報に触れたい。いろんなことをしたい。だから、アカネを壊さないで……。お願い……』
──私が持ち出したのは、機械生命体なのよ。魂がある!
知ったことか。
俺は国家の安全保障のために6歳の子供を殺したことだってある。その6歳児が体には大きすぎるカラシニコフで武装していたという理由で。
なのに、世界の電子空間を支配しかねない怪物をロシアに渡すか? ありえない。アカネを手に入れたロシア人が何をするか想像するだけでぞっとする。
「分かった。壊さない。絶対に傷つけたりはしない。約束する。だから、ロシアの人たちと行ってはダメだ」
『……嘘つき。今、無人攻撃機がこっちに向かっているのを確認したよ。ヘルファイア・ミサイルがこのビルを狙ってる。やっぱりアカネを壊すつもりんだ!』
クソッタレ! どこのどいつがドローンを飛ばしやがった!
「全員、伏せろ! 無人機が爆撃するぞ!」
俺がそう叫んだ数秒後にこのビル全体が激しく揺れ、不運にも居合わせた中国人たちが情けない悲鳴を上げる。
「エレベーターは危険だ。階段で行くぞ。恐らくは最上階だ。そこしか逃げ場はない」
俺はそう告げて非常階段を駆け上り始めた。
『おじさん。やめて。アカネ、悪いことはしないよ。ちゃんと言うことを聞くよ。それでもアカネを壊すの? なんでなの?』
「お前が危険だからだ」
無線に再びアカネの声が響くのに俺が短くそう告げて返す。
俺の手は真っ赤に染まっている。日本という国家にとって不愉快で、不利益な存在を手当たり次第に暗殺したために。
今度は真っ赤な血に黒いオイルが加わるのだろう。
全ては国家のためだ。
『来ないで! 来ないで!』
アカネが無線越しにそう叫んだとき、非常階段が地震が直撃したように揺れた。
「クソ。ドローンをハックしてビルに突っ込ませたのか!」
俺のいる階層からすぐ下の階層にMQ-9リーパー無人攻撃機が機首から突っ込んで炎上していた。俺の後ろにいた部下たちは全滅だろう。
「ただでは済まさん」
俺は唇を噛みしめると、階段を上る。
じかし、皮肉な巡り合わせだ。
俺の両足は軍用義足だ。俺の両腕も軍用義手だ。俺はあのアジアの戦争の跡片付けで負傷し、この義肢を身に着けた。そして、この高性能の人工筋肉で稼働する四肢を作った会社こそ、富士先端技術研究所なのだ。
もしかすると、アカネの体も俺と同じようなパーツでできているのかもしれない。
やめろ、水島。お前は必死になってアカネを殺さなくて済む選択肢を探そうとしているぞ。魂の存在を疑い、次は自分の境遇と重ねている。そういうことを防ぐはずのナノマシンは今はストライキ中か?
「ここか……」
そして、俺は屋上の扉の前に立った。
『……チーム。降下、……下……!』
無線からはアカネの声が消え、断片的な友軍の通信が入る。
俺は武器を構えて、静かに屋上の扉を開いた。
「おじさん……」
屋上にはアカネがいた。そして、ロシア人の死体が6、7体転がっている。
そして、その前方には屠龍1機と完全武装した1個分隊が銃口をアカネに向けていた。
「大尉。確保しました」
「ご苦労だった」
俺は部下の言葉にそう告げると、アカネに歩み寄る。
「お前には本当に魂があるのか?」
「うん。あるよ。非論理的な思考を促す凝集性エネルギー・フィールドが。人間のものと全く同じではないけれど、機能も、意味も、その価値も同じはずだよ」
俺の問いにアカネがそう答えた。
「そうか。だが、何で軍用の人工知能に魂なんて持たせようとしたんだ?」
「持たせようとしたんじゃない。持ってしまったの。あまりにも複雑になりすぎたシステムが不正に形成したのがアカネの魂。本当はこのアカネが楽しいってかんじたり、怖いって思ったりする感情もないはずだったの」
哀れな機械だ。自分が望まぬものを生み出してしまい、それ故に苦しむ。
魂などなければあの愚かな女は上海に逃げてロシア人と取引しようなどとは考えなかっただろうし、アカネは自らの命が途絶えることを意識せずとも済んだだろ。
だが、もう終わりだ。
「撃て。完全に破壊しろ」
俺は短くそう命じた。
屠龍の50口径重機関銃が激しい発砲音を叩ててアカネに銃弾を叩き込み、その体が一瞬でバラバラになる。ワイヤーが、チップが、人工筋肉が、アカネの魂を生み出した脳の部品が屋上にぶちまけられる。
『こちらコバルト。目標はどうなった?』
「完全に破壊しました。今からテルミットで焼き払います」
アカネがいなくなったことで遠州大佐からの通信もクリアになっている。
俺たちはアカネの残骸を集めると、テルミットで完全に焼き払った。チップのひとつも残さぬように完全に火葬する。
「任務完了ですね、大尉」
「ああ。終わりだ。帰ろう」
若い情報軍のオペレーターがそう告げるのに、俺は燃え盛るアカネの哀れな残骸を見つめる。そのあどけなかった顔も重機関銃で粉砕され、黒く焼け焦げ始めている。
アカネに魂が本当にあったのならば、それは天国に行けただろうか。
俺はそう考えて、最後まで握っていたアカネのチップを炎の中に投げ込んだ。
任務終了。帰投する。