その3!試練とエリート
世の中が悪いと不平を言うのは間違っている。
優秀な人間が無視され続けた例は、見たことがない。
成功できないのは、たいてい本人のせいなのだ。
〜ベン・ジョンソン〜
【試練その1:全部飲んだらクリア】
壁面の文字と、目の前の机に置かれたコップを見て、一同が固まる。
そんな中、僕はジャグに手を伸ばし、中の液体をコップに注いだ。
色は……無色。匂い、特に無し。
「水ですね」
僕は振り返り言った。
「はぁ、水か」
「そう、水なのね」
「……」
「うぅ〜。やっぱ水かぁ」
「お水なの?」
容器の中身が判明した事に対し、それぞれが苦い表情で呟いた。
オウム返しの反応、ありがとう。その先を言いたくない気持ちはとてもよくわかる。
水だ。水なのだ。酒でも牛乳でも炭酸飲料でもない。
誰もが好き嫌い無く飲む事が出来る、この世で最も平等な飲み物。
断る理由はない。逃げ道もない。今からこの水を飲むのだ。全員で、全部。
「くっくっく、いいぜ。上等だよおい。
面白くはねぇが、その挑戦、受けて立つ!兄貴の弔い合戦だ!
正直、ちとキツいが、まったく飲めないほど余裕がない訳じゃねぇ」
舎弟さんはやる気のようだ。胸の前で、自らの拳を手のひらに打ち付けると、声高らかに打倒試練を宣言した。でもポークビッツの兄貴はまだ死んでないからね?
「勿論、私も協力するよ。トイレは行きたいけどまだ余裕はあるし」
「あいも、我慢できるよ!」
「うぇ〜、やる気だよこの子達。まぁ仕方ないかしらん」
女性陣も試練の攻略に協力的だ。
結構ハードな試練だけど、これならクリアできるかもしれない。
「いや、ここは自分に任せてもらえないだろうか?」
ここで意外な人物が手を挙げた。
先程まで沈黙を守っていた、あのイケメン君だ。
「そんな、一人でか?無茶だぜ!」
「そ、そうだよ!私も協力するから」
「ふん。いーんじゃないの?やらせてあげれば?」
舎弟さんと丸之内さんは困惑気味にイケメン君に駆け寄る。
OLさんは最初から一貫して、自ら動きを見せる様子がない。自分以外どうなってもいいという気持ちは僕にもあるが、女の子達が頑張っている中、自分だけ助かろうとするほど冷血漢でもない。それは何も、女の子に限定しての話しではない。イケメン君が格好をつけるために無謀な行動に出ているのなら、それを禁め、僕も試練の攻略に協力したい。
「僕も無茶だと思う、流石に一人で6リットルは飲めないよ」
「無茶ではない。これはボーナスステージだ」
無茶ではない?ボーナスステージ?何を言っているのか。
そう言う事は、素手で車を破壊してから言って欲しい。
波動的な拳や、昇竜的な拳の使い手なら、安心して任せられる。
手足が伸びてもOKだ!
いや、インド人じゃないならKOか。
と、くだらない考えが頭を過るが、イケメン君が巫山戯ている様子はない。
一先ず、最後まで話しを聞いてみよう。
「それで、何か考えがあるの?」
「……暴食迷宮グラトニーグラッセ」
「えっと、何それ?限界迷宮じゃなくて?」
「色欲迷宮ラストトラスト、怠惰迷宮スリーピングスロウスピッグ」
頼むから、QにはAで返して欲しい。
「ゲームの話し?」
「違う。僕が今までクリアした迷宮だ。
今回の様なケースは、実は何回もある。表沙汰になってないだけでな」
急に鋭敏な答えが返ってきて驚いた。と同時に納得もした。
彼は同じような出来事の経験者だったのだ。
道理で一人だけ落ち着いている訳だ。
一人で納得をしていると、隣にいる舎弟さんから、ゴクリと息を呑む音が聞こえた。
おそらく同じ事を考えているのだろう。そうだ、聞かなければならない。
楽園へ至るために!!!
「具体的にはどんなダンジョンだったの?
特に色欲迷宮について詳しく教えてくれないかい?」
「だな。俺もそこが何か引っ掛かるぜ。
もしかしたらこの試練を攻略する鍵になるかもしれねぇ」
「「「…………」」」
女性陣の視線が痛い。
僕と舎弟さんは現状を打破するための情報が欲しいだけなのに。
嗚呼、神よ。これも楽園へ至るための試練だというのですか。
♂♀
「色欲迷宮ラストトラスト。強制的に発情状態にされる迷宮だ。
ここでのルールと同じく、エロい事をすれば即、社会的に抹殺される」
「「それで?」」
「あの時のメンバーは、60過ぎのババアに筋肉質の男、深海生物のような女と」
「「わかった、もう充分だ(です)」」
「僕は前と後ろの童貞を失いかけ、満身創痍で黒人のオカマから逃げ」
「「すいません、やめてください!!」」
「関取のような女が腐臭を放ち」
「「やめたまえ!!」」
二人してテンパって博士口調になってしまった。
少年よ大志を抱け。楽園亡き、この現代で。
♂♀
「とにかく、この試練は僕一人で充分だ」
きっぱりと告げるイケメン君。彼には何か策があるようだ。
ならば止める理由はない。サクっとやっちゃってください。
皆が静寂を守る中、テーブルの前に立つイケメン君。
彼は静かに瞳を閉じると、深呼吸を始めた。
何やら闘気のようなものすら感じる。
「まさかあいつ、マジで全部飲む気か!?」
舎弟さんはその空気に呑まれ、戦慄する。
僕も同じだ。身長も歳もほとんど変わらないだろうこの男が、とても大きく見えた。
そして僕は確信した。イケメン君こそこの物語の主人公、救世主なのだと。
僕に出来る事は精々、イケメン君を持ち上げる程度だ。
というか持ち上げておこう。
「彼は飲みますよ。そういう眼をしてますから。
ははは、本当にイケメンだな。
自分だってオションを我慢しているはずなのに。
それなのに、誰かのため犠牲になることに躊躇がない。
僕じゃ……いや、他の誰にだって真似できない。
自尊心、羞恥心、虚栄心、それらが葛藤し必ず迷いが生じる。
だけど彼は迷わず突き進む。
いったい何が彼をそこまで後押しするのかはわからないけど。
きっと今回の試練、彼は乗り越えてみせます。
ああ、男として悔しいよ。世界が逆立ちしても勝てない人がいるってのは。
だけど嫌いになれない。嫉妬する気すらおこらない。
むしろ応援したくなる。へへへ、なんてズルい人なんだ、彼は」
「は?お前、急に何いってんだ?」
「土方、ちょっと静かにしてて」
「えー、ちょっと……雰囲気作ってみただけなのに」
なんだ、この空気。致命的なまでに滑った。
舎弟さんも丸之内さんも、ちょっとノリ悪いな。
ははは、おしっこしたい。
もうイケメン君が試練をクリアしてくれるなら何でもいいや。
尿と時が流れれば、恥ずかしい記憶も流れるさ。
そう思いイケメン君に再び視線を移す。
今も尚、重苦しい空気が支配するこの部屋の中心で、イケメン君は言った。
「やはり多いな。まぁ最初から飲む気などないが」
僕が持ち上げた途端に諦めちゃったよ!
何それ、みんなグルで僕に恥をかかせたいのだろうか。
「おい迷宮の主、見ているんだろ?質問に答えろ。
この水、全部床に捨てたらどうなる?」
【水の満たされた容器が復活します。
飲みきるまで何度でもやり直しができます。
特殊素材で出来た床は、吸水速乾性に優れています。
床が水浸しになる心配もご無用ですから、さっさと飲め】
「ふんっ、そうか」
壁の文字を見て、鼻で笑ったイケメン君は、
ジャグに手を伸ばし、蓋を開け、容器を手に取り、天に掲げ……
引っくり返し、頭から水を被った。
「「「「「なっ!?」」」」」
何が起こったのか。
驚愕に眼を見開く一同を置き去りにするかのように、イケメン君の姿が消えた。
影も形も残さず消えた。
消えた、つまり。ルールを犯した。
漏らしたのだ。
ふぁっはっはーーー!!奴め!やりおったわ!!
散れ!ゴミが!!イケメン☆大・爆・発☆
ルールを破ってブタ箱行きだぁあああ、ざまあああああ。
一目見た時から気に喰わなかったんだよ、ばーかばーか!!
主人公は僕だ!!!これで地球は護られたぞ。第三部・完!!!!
おっといけない。これではまるで、僕が自分より若干顔の整った男に、嫉妬を覚えているみたいじゃないか。そういった感情は、へその緒と一緒に縁を切ったと思っていたが。もしかしてもしかするとだけど、少しだけ醜態を晒してしまったかもしれないな。ちょっぴりミクロン気をつけよう。
というか、水は復活するのに、飲む人員がまた一人減ってしまった。
思わせぶりな言動の割に、何の役にもたたなかったなぁ、あの人。
水は飲まないわ、漏らして消えるわ。
結局何がした……
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………はっ!?
気がついてしまった。ま、まさか、あの男。
「水を被る事で、スプラッシュを誤魔化したんだ!?」
「何、どういう事?土方」
その推論の正しさを証明するかのように、部屋が暗転し壁のスクリーンに映像が流れ始める。映像にはとある部屋が映し出されていた。学生である僕や丸之内さんには、そこがどういった場所なのか、すぐに理解できた。職員室だ。
兄貴さん同様、映像の中に突如として転移したイケメン君。
彼は涼しげな顔で、近くの机で作業をしていた教員らしき人に、近づき言った。
『このような姿で失礼します、岩谷先生。
登校中、学校の裏にある川で溺れていた子犬を助けようとしてずぶ濡れになりました。
下着までビショビショなんです。一度着替えを取りに帰ってもよろしいでしょうか?』
『お、おう。そうか。災難だったな。担任の先生には私から伝えておこう』
『ありがとうございます』
一礼をすると、映像の中のイケメン君は、教師に見えない角度でニヒルに微笑んだ。
畜生、なんで漏らし逃げした奴が一番得意げな態度で笑ってるんだ!
映像はそこで終わり、部屋が明るくなる。
理由はわからないが、何故だか負けた気分になってきた。
何これ、我慢してる僕の方が人として正しいよね?
え、違うの?あれ嘘なの?漏らしていいの?