第9話「事件」
出発してから早1時間、アリアネとアルは市場付近に到着した。
「ここで止まって、ドロダンゴ。あなたは市場には入れないからね。ここでちょっと待っててね」
アリアネはドロダンゴの背中から勢いよく飛び降りる。
「着いたよ、アル。あら顔色が悪いね。大丈夫?」
「・・・・・・死ぬ」
1時間もの間激しい揺れに食いちぎられるのではという恐怖感。これで元気な方がおかしい。とにかく頑張った。自分を褒めたたえたい。
「ドロダンゴ、アルを離してあげて」
ドロダンゴはぶっきらぼうに口からアルを離し、地面に落とした。
「もう少し丁重に扱ってほしいですよ・・・・・・」
出発前のドキドキ感はどこへやら。今のドキドキ感はただの動悸だ。既に疲労困憊である。
「おいしいスイーツごちそうするから元気だして」
そんなやり取りを後に、二人は市場へ入っていくのであった。
一般市民から魔術師までご用達『ゾーネンアオフカング市場』。食料品はもちろんのこと日用品やアクセサリー、民芸品にビアガーデンととにかく何でも揃っている。町を歩けば新鮮な野菜の香り、ソーセージの焼ける音、酔っ払いが大騒ぎ。全くもって感覚器官が飽きさせてくれない。それがこの市場の特徴だ。
「よう、アリアネちゃん! とびっきりのうまい肉入ってるぞ!」
「あら、アリアネちゃん、今日とれたての新鮮野菜あるわよ!」
「お、ジークのとこの娘さんかい。どうだ、珍しいマテリアルが手に入ったんだが買わんかね?」
市場を歩くごとにアリアネに声がかかる。まるでここのアイドルだ。まだ市場に入って数分しかたってないのに彼女の周りには人だかりができてる。中には拝んいる人も。
「アントンおじさんありがとー。じゃあお肉をそれとそれ5つずつ頂戴ね。あ、ベルタおばさんそこに並んでるの全部お願いします! オイゲネさん、それまた偽物でしょ。ジークこないだ怒ってたわよ。またパチモンつかまされたって」
慣れた様子でテキパキ買い物をこなすアリアネ。アルはただその勢いに圧倒されてばかりで全然役に立っていない。せめて手伝いに来たのだから荷物ぐらいは持ちたい。人ごみをかき分け彼女の元へ何とかたどり着く。
「アリアネ、僕がその荷物を持つよ・・・・・・って、え?」
「あら本当? 助かるよ!」
明らかに常軌を逸した量の品がアリアネの周囲に積み上げられている。目測でトラック一台分ほどだ。
「いやー今日はちょっと買いすぎちゃったかな」
「いや、ちょっと買いすぎたって量に見えないけど」
ここに来て規格外のことには多々遭遇しているが、買い物でさえも大がかりとは。
「ドロダンゴのご飯もあるからね。これくらいにはなっちゃうかな? とりあえずこの荷物をドロダンゴのところまで運ぶよ。何回か小分けにしないといけないね」
そう言いながら買ったばかりの大きな新鮮な肉をよいしょと持ち上げた時、どこからか悲鳴が聞こえた。市場がざわつき始める。
「おい、今悲鳴が」
「ちょっと見てくる」
「あ、ちょ、アリアネ」
流石は亜人、身体能力が人間の遥か上をいく。走りだしたと思ったら既に追いつけない距離に行ってしまった。
「まずい、もしアリアネの身に何かあったら大変だ。すぐに追いつかないと」
アリアネの後を追ってアルも走り出す。どんどんアリアネの姿が小さくなっていく。
「くそ、早すぎるだろ」
何とか着いていき、やっとアリアネの元へ追いついた。場所は市場のはずれ側であろうか。人影はほとんど見当たらない。険しい表情のアリアネ。『あれを見て』と彼女が指し示した方向には、若い女性が仰向けで倒れていた。既に息をしていないことは明らかだ。血の匂いが鼻を突きさす。死体の胸は抉られ、心臓がむき出しになっていた。
「酷い。一体誰がこんなことを・・・・・・」
アルは医療魔術師であり、こうした状態の人間を見ることには抵抗はない。ともかく原因を突き止めるべく死体の調査を始めた。傷跡から察するに魔術によるもの、しかも雷術系によるものだ。首にも切り傷があり、恐らく殺害してから胸を抉ったのだろう。しかし、何のために抉ったのか。アルは探偵ではない。答えを見つけるのは専門家の役目だ。
「アル、今から警備員を呼んでくるからちょっと待ってて」
「分かった。アリアネ頼むよ」
アリアネが広場に向かおうとした瞬間、彼女の目の前に、黒い衣服で身を包んだ男が現れた。
「お、なんだいるところにはいるじゃないの」
不敵な笑みを浮かべてアリアネを見つめる。
「な、なにあなたは・・・・・・」
ただの人間ではない。経験でもなく直観でもなく、本能がそう示している。凶暴な獣に首を掴まれたような、もう助からないと言われているような状態だ。
「まーまー気にしなさんな。初めまして亜人のお嬢さん。そしてさようなら。最後の遺品に君の心臓くださいな雷破」
高圧縮の雷術が彼女を襲う。強い光で何も見えない。ただ分かったことがある。嫌な音が聞こえた。肉が引き裂け、骨が砕ける音が。
「アリアネー!」
視界が徐々に開けてくる。見たくはないものが見えてしまう。
「くっ・・・・・、アリアネ」
だが、アルが見た光景は予想とは違う結果となった。
「よう、お二人さん、大丈夫か」
目の前にはジークが立っていた。