第10話「事件2」
「うぐぅぅぅ……」
唇を強く噛み締めた表情で男はこちらを睨む。
彼の右腕は既に消え去っていた。
つまり、先ほど聞こえてきた肉と骨が断たれる音はアリアネではなくこの男からであった。
微かに香る火の匂い。ジークの炎術で燃やし尽くしたのだろう。
「すまんな。うちの娘に手を出す悪い男を偶然見かけたもんだからついつい頭に血が上っちまったよ」
眉間に皴を寄せ静かに怒る。そこにいるだけでも身体が震えるほどの魔力を感じる。
「なんで、師匠がここに……は、アリアネは?」
探そうと周囲を見渡すとアルの横で倒れている。
「おい、アリアネ、しっかりしろよ!」
急いで脈を図る。大丈夫、まだ生きている。見たところ大きな外傷もない。
恐らく強い光と衝撃で気を失っただけだ。
「師匠、アリアネは無事です!」
そうか、と言い、ジークは大きな指笛を鳴らした。
音が消えると同時に、遠くから大きな足音が聞こえてくる。地面が削れ、建物が崩れる音が聞こえた。
何がやってくるのか。その正体は数秒後に判明した。
「来たかドロ! アルとアリアネを担いでとっとと失せろ。ここからは俺がやる。此奴は危険だ」
ドロダンゴはここに来る時以上に忠実な魔犬としてジークの指示を素直に聞き入れる。アルとアリアネを咥え、自分の背中に見事に放り投げた。主人の指示であればアルのことも背中に乗せることは厭わないようだ。
しかし、アルはこの状況で逃げるような男ではない。
アリアネをこんな目に合わせてしまったのには少なくとも自分にも責任はあると感じている。
「し、師匠、僕も残って戦います! アリアネを襲おうとした奴なんて放っておけないですよ!」
「医療魔術しかできねぇテメェに何ができる! いいから俺の言うことに従え!」
悔しいけど、確かにそうだ。自分は戦闘向きでないことは事実。この場にいても邪魔にしかならない可能性が高い。現に今恐怖で手が小刻みに震えているではないか。
「いいからお前は先に家に帰ってアリアネを休ませてやれ。それが今お前ができる精一杯の師匠への貢献だ」
「……分かりました。すぐに追いついて下さいよ」
「よし、行けドロ!」
ドロダンゴに乗せられた二人の姿はすぐに市場から消え去った。
周囲は静けさに包まれた。
ジークと男はにらみ合ったまま動かない。
「ようやくこれで二人っきりになれたなぁ、アンノウンの『ルビーナ』」
「何故その名を!?」
男の表情が曇る。その名を知るものは少なくともいないはずだ。なぜなら彼はこれまで移動するたびに偽名を使いま、尻尾をつかまれないように活動してきたのだから。
「なんで名前を知ってるのかって顔だな。俺の仕事はお前らアンノウンのメンバーを消すこと。毎週依頼書が届いてな、そこに消す人間の情報が全部入ってるってわけさ。どんなに隠したって無駄だぞ。提供源は『エガリテ』だからな。今日はお前ってわけだ」
「エガリテ……なるほど、先ほどの魔獣といい貴様、ジーク・ルートヴィヒだな」
「ご名答。俺のことを知ってくれているなんてファンか何かか?」
「ふざけたことをぬかすな。アンノウンの中では貴様は非常に危険な存在だとして知られている。見つけ次第殺せともな」
「じゃあお互い目的は一致しているな。俺もお前を見つけ次第殺さなければならなかったんだ、よ!」
話し終えた瞬間、ジークはルビーナに飛び掛かる。
ジークは右手から炎の塊を出し、ルビーナの顔をめがけて鋭く振り下ろす。
不意打ちにも関わらずルビーナは即座に反応し、左に数歩ずれて、再び高圧縮の雷破をジークの腹部に向かって打ち込む。
「ぐぅ!」
数メートル吹き飛ばされ、体制を立て直そうとする間に、ルビーナは即座に間を詰める。
呼吸をする隙すら与えず、また鋭い一撃を加えた。
「おいおい、危険人物扱いされているからどんなもんかと思ったが、案外勝てそうだなぁ! 俺の右腕を奪った恨み、貴様を殺して晴らさせてもらうぞ!」
ルビーナは懐から魔術で加工済みのナイフを取り出し、ジークの首をめがけて切りかかる。
このナイフには致死性の魔術が仕込まれており、軽く刃に触れただけでも死に至る。
「そしてぇ! ジーク・ルートヴィヒを殺した英雄としてアンノウンで俺は崇めらえるんだよぉ!」
振りかざしたナイフがジークの首に触れる瞬間、ジークの姿が消えた。
「まだ勝負は始まったばかりだろ。調子に乗るなよ若造」
「な、貴様、さっきのは幻術か」
「さっきもなにもお前は最初から幻と戦ってたんだよ」
ジークは地面に向かって両手をつける。地面にひびが入り、大地が揺れ始める。
「この術には準備に時間がかかるからな! お前が幻とやりあっててくれたお陰で十分時間は稼いだ」
「何をするつもりだ!」
「魔獣錬成・連」
*
(師匠、大丈夫かな)
アル達はジークの家まであと半分というところまで来ていた。アリアネはまだ気絶したままである。
アルにできることは医療魔術だけ。役に立たないことは分かっていても、いざそれを言われると改めて自分の才能が特化しすぎていることに嫌気がさす。
「ソウ頭ヲ垂レルナ。ジーク様ハツヨイ。オマエガ心配スルコトナイ」
「ん?」
「聞コエナカッタカポンコツ」
「ええ!」
アルは驚嘆の声を上げた。魔犬が、ドロダンゴが喋ったのだ。人の言葉で。
「ドウシタ。犬ガ喋ッテハイケナイノカ?」
そもそも魔犬に知能などはない。動物の死骸を組み合わせて錬成しただけで、どのみち死骸であることには変わりない。臓器も脳も腐敗しきっているか、溶けてなくなっているのが通常だ。
「なんで魔犬が喋ってるんだよ。聞いたこともないぞ、喋る魔犬がいるなんて」
「ソレハソウダ。オレハジーク様ノ最高傑作ダカラナ。ソコラノ死骸ノ寄セ集メトハ違ウ。知能ガ与エラレタンダ」
「あり得るのかよそんなこと!」と若干興奮気味にアルは言い、同時に彼の血が少し騒いだ。
「な、なあ、ドロダンゴ。一体どういう仕組みでお前が喋れているのか気になっちゃったんだけど」
ドロダンゴの顔の方に前のめりになって話しかける。
「この事件解決した後でいいからさ、ちょっとだけ解剖させていただけないかなって……」
「食イチギルゾ」