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ドライブ日和

満天の星の下

作者: 弐逸 玖

 既に日も落ち、誰も居ない道路。


 所どころに『転回場以外での転回禁止!』や『場内10キロ厳守』、『走行時はライト、ハザード、回転灯点灯』の標識が立てられ、新品の舗装にはまだ白線すら引かれていない。

 屋根に黄色の回転灯を乗せ、『工事用車両021』。と書かれたマグネットをボンネットに貼り付けた白いステーションワゴンがハザードランプを点滅させながらゆっくりと進む。



「今日はウチが最後……。Aゲートのガードマンさんももう帰っちゃったかな。門閉めなくっちゃいかんのかぁ、一人じゃ面倒くさいなぁ」


 何も無い盛り土の上の道路。ライトの光は最大効率で前を照らし、黄色の回転灯は音もなくただ定期的に周りの景色を一瞬だけ黄色く染める。

「……おっと」


 彼は出来る限り静かに車を止め、車から降りるとトランクから白い土嚢袋を取り出す。

 作業服にネクタイ、黄色の反射チョッキ。二本の線が回ったヘルメット。左腕に安全の文字が書かれた緑の腕章。首から安全衛生責任者。と書かれた名札がぶら下がる。


「全く、何処の班だよ。この辺りは斉藤さんのチームだな?」

 彼はまだ30手前ではあるが一応現場を任された現場監督。

 当然、今回工事をしている道路、約10キロ全てでは無いにしろ彼の会社が請け負った部分については彼が責任者。


 近隣住民への迷惑にならないよう、工事中はもちろん、作業終了後も見回る義務がある。

 紐の切れ端や段ボールなどはもってのほか、毎朝彼が朝礼でラジオ体操のあとに、


『近隣への飛散、風散等の無いように面倒でも作業ごとの片付けをお願いします』


 と、メガホンで言っていることの徹底がなされていない。――若いから舐められてんのかなぁ。土嚢袋どのうぶくろを車に放り込んで車に乗り込もうとしたとき、個人用の携帯電話が音楽を流し始め、それに合わせてリズミカルに震える。

 画面を見て、ふぅ。と一つため息。少し表情を緩めて電話に出る。



「――はーい、もしもしぃ」

『お兄ちゃん、お疲れぇ。……もう仕事、終わった?』


 電話は彼の高2になる従姉妹からだった。彼女は従姉妹とは言え自転車で行ける圏内に住んでいた。

 結果、双方共働きで簡単に迎えに行ける。

 どころかなんなら自転車さえあれば自力で帰ってこられる。

 と言う理由で彼の妹と、彼女の姉。4人はほぼ兄妹のようにして育った。


 現在は仕事や学校の都合で彼女以外はみんな家を離れては居るが、その辺の兄妹よりはよほど仲が良いと言う自負もある。


 お父さんとお母さんが二人ずつ居るから、何かあっても一個ずつスペアがあるから安心だ。

 等と軽口をたたき合うほどに家族仲だって良い。

 その長兄に当たるのが彼、一番下の妹に当たるのが電話の彼女である。


「まだ現場」

『あ、ゴメン』

「良いよ、もう職人さん達は帰った。用事があるんだろ」


『うん、直接電話した方が良いと思って。お母さん、予定通り、今日帰ってきたよ』

「そうか、良かった……。お前がタクシーで迎えに行ったの?」

『それが今日、学校から帰ってきたらもう茶の間でお茶飲んでてさ。びっくりした』


「え? 普通に自分で歩いて帰ってきたのか? ……だったら」

『ううん、でも右手はね。……直るらしいんだけど、まだ上手く動かせないみたいで』


 突然職場で倒れて救急車で病院に運ばれた、と連絡があったのは先月のこと。

 当初は半身にかなりの麻痺が残る、と言われていたのだが奇跡的に回復、

 彼が先日の日曜に見舞いに行ったときには本来右利きのはずの彼女は、左手を器用に使って鶴を折って見せた。


 ――女の子はか弱い生き物だけれど、おばちゃんはしぶといのよ。おばちゃんに生まれて良かったわー。そう言って笑ったのを覚えている。


「リハビリが必要って事だろ。……だったらこれからの方が大変なんだ、だから」

『わかってる。……ねぇお兄ちゃん。その現場、いつまで?』

「今月いっぱいで支社に帰れると思う、だからあと一ヶ月、どうせおじさんは生活の役には立たないから、お前がおばさんを支えるんだ。頼むぞ?」

『うん、がんばるからお兄ちゃんも早く帰ってきてね』

「あぁ」



『ところでさぁ、……その現場、○○峠でしょ? 二つ有名なことがあるんだけど、知ってる?』

 ……また始まった。コイツのオカルト好きにも困ったもんだ。

 彼は電話で見えないのを良い事に少し渋い顔をする。


「もう近所の人達にさんざん聞いたよ。旧道にお化けが出るってんだろ? この辺の人はみんな旧道通るときはドアをロックするって言ってた」

『うん、そう。それそれ! ちょうどお兄ちゃんくらいの年で凄く可愛くて、でもずぶ濡れなんだって、間違ってもクルマに乗せちゃダメだよ。ちょっと古めの格好してるって言うからそれで見分けてね』


 ――雨の日に美人が遭難したら助けて貰えないな、それは……。この辺は初心者向けの登山コースでも有名な土地柄である。


「で、もう一つってのはなんだ。UFOの基地でもあるのか? この辺に」

『ううん、違う違う。……星が凄く綺麗なの。空気が澄んでて光害もほぼ皆無。プロの天体カメラマンが撮影しに行くの、日本でも指折りなんだよその辺』


 オカルトマニアの天文部か、良い趣味してるよ全く。

 言われて改めて彼は頭上を見上げる。


 星座など北斗七星しか知らないが、近所に工場や商業施設がない土地柄である。

 吸い込まれそうな、とか星が降るような、とかそう言う言葉で語るのが陳腐に思える美しい星空が広がっていた。

 あまりそういう事を思わない彼が、今まで損してたな。と思ってしまうほどに。



 電話を切って後も、しばらく星空を見上げること数分。

「おっと、いかんいかん。先ずは現場事務所に帰んなくっちゃ部屋にもたどり着かん」


 そう呟いてクルマのドアノブに手をかけたとき、背後に気配を感じる。

 振り返ると同世代の会社帰りと見える女性が『第3カルバート 東A口』と書かれた階段から道路へと上がってくるところだった。


「あの。すいません、えーと、おばんです」

「はい、いっつもご苦労様ですぅ」


 振り返った笑顔はいかにも彼の好みである。

 美人ではあるだろうけど、……心の声が濡れては居ないよな。

 と、つい確認してしまった自分を恥ながら続ける。


「工事現場内は立ち入り禁止ですよ。危ないから入ってはダメです」

「もう今日は工事は終わったんでしょう?」

「工事中だから危ないところがあったり、危ないものが置いてあったりします。夜だとますます見えないですよ。だから工事現場には入らないようにお願いします」


「すいませんでした。下のトンネルが今日は使えないもんだから、近道しようかと」

 ――いえ、まぁ次回から気をつけて頂ければ。答えながら女性が、右手に杖を持ち長めのスカートの下、足に包帯を巻いて居るのが見えた。


 道路の下に数カ所あるトンネルが使えなければ場所によっては冗談抜きで2キロ以上の遠回りになる。

 確かに足が不自由で多少大変でも、仮設の階段を上った方が良い。と思うかも知れないな、

 とは彼も思う。



「下が使えない、第三が? ……この下の道路、通行止めだったですか?」

 その工事の担当は彼とは別業者だが、今日通行止めにはするとは聞いていない。

「通行注意、って書いてあってピカピカしてたから。ごめんなさい、通っていけないものだとばかり」


「担当はウチの会社じゃないですけれど、でも立ち入り禁止の時はガードマンさんが居るはずですから言って下さい。地域の方には通行止めにはしてないはずです」

「なんかご迷惑になったようで、ゴメンなさいねぇ」

 そう言いながら彼女は来た道を引き返そうとする。


「えーと、どちらまで行かれるんですか? 仕事用の汚れたクルマで申し訳無いですが、仕事も終わりですし、良かったらお送りしますけど」

 彼の後ろには白いワゴン車が黄色の回転灯を回して止まっている。



 ――決して下心なんか無いぞ。近隣住民の方の役に立っておけば工事にも協力して貰える。そういう事だ。彼はこの場には居ない誰かに対して心の中で言い訳をしながらクルマをみる。



「すいません。わたし、ちょこっと事情があってクルマは。……それにもう、ホント直ぐそこですから」

「そうですか、……じゃあ今日はもう良いですからそのまま渡って下さい。俺が見てますから。でも次回からはダメですからね? ホントに危ないんですから」

 ゆっくりと杖を頼りに歩く女性。

 彼はそれに付き添うような形で、道の端から端まで時間をかけて移動する。


「階段、大丈夫ですか? その、よろしかったらお手伝いしましょうか。降りる方が大変でしょうし」

「大丈夫ですよぉ。すいませんねぇ、何から何まで。……実際、ただ歩くだけでもみなさんの迷惑になっちゃって。本当に、なんか、もう」


 典型的な田舎で有り、それ故何処に行くにも長距離の移動は必須。そこで足を怪我しては大変だろう。

 彼の脳裏には先ほどの従姉妹との会話が蘇る。

 その上自動車に乗れないと言うからにはクルマにでもはねられたのだろうか……。



「気にしないでも良いですよ。今ウチの叔母も右手に麻痺があって。それでも毎日鶴とか折ってるそうで……。あ、すみません。余計なことを」

「いいえ、わたしみたいのにお気遣い頂いて。……おばさん、早く良くなると良いですね、――ここまでで良いですよ。本当に、ありがとうございました」


 彼は、本当は階段を一緒について行きたかったのだが、ポケットから取りだした懐中電灯でゆっくりと一段ずつ階段を降りていく女性の足下、仮設階段の鉄の踏み板を照らすにとどめた。

 階段を降りた女性が振り返って少々大袈裟にお辞儀をするその姿は、満天の星明かりに照らされて彼にはハッキリと見えた。

 だから彼も懐中電灯を消すと少し大きめにお辞儀を帰して、砂利道をゆっくりと行く彼女をしばらく眺めていた。



 次の日の午後。


「別に通行止めじゃないですが、中で作業してるから気をつけて下さいよ? この先になんの用事? なんにもないのに」


 『第三カルバート 進入前必ず停車・確認』、と工事用の仮の看板を付けられた住民用トンネルの前には、頭の上に黄色の回転灯を付けた白いワゴン車。

 彼は窓から身を乗り出すようにしてガードマンと話している。


「どうやら朝礼前に資材が飛ばされたみたいで、ちょっと確認したくって」

「今朝方、なんか風吹いたもんね。そう言えば。そりゃお役所に聞こえたら大変だ」

 ガードマンは肩に付いた無線のマイクに手をやる。


「こっちはいつまで? ウチも来週3人くらいお願いしたいなぁ。やっぱり地元の人が居ると心強いんだよね」

「そう言ってもらえると嬉しいね。ここの所長には今週中って聞いてるよ。……こちら東A、どうぞ。――工事車両通すぞ。白のフィールダー。末尾09。以上一台」

『東B、白のフィールダー。末尾09。了解。車両、歩行者無し、オーライ』

 無線機の潰れた声が答える。

「はい、どうぞ。……この先は狭いんで気をつけて。――はい車、通りまーす!」 


 ほんの短いトンネルをくぐると、昨日女性が歩いて行った道。

 ほぼ道幅いっぱいでゆっくり進む白いワゴン車は、しかし直ぐに進めなくなる。

 三台ほどでいっぱいの雑草の生えた駐車場、そして小高い丘。道の直線上に申し訳程度の階段。

 クルマを止めて安全チョッキとヘルメットを車の中に放り込むと、彼はそのまま階段を上る。



「……こんな、まさか」


 階段を上りきった先は、開けて広場のようになっている。

 そして10基ほどの刻んである文字さえ判読できないほどに寂れた墓石。

 他には何も無い。もちろんその先には道などある訳が無かった。


 一基だけ花のおいてある墓石に気が付く。

 但し、花はほぼ乾き、コップの水も緑色、茶碗に注がれたお茶も既に元の色はわからなくなっている。


「昨日、あの人ここへ来たんでは……。ならば、いったい何処に……」

 

 その後苦労して方向転換をするとまた元のトンネル前まで戻る。



「あぁ、例の幽霊の話? うん、旧道の方は昔っからあるんだけど、最近またひろがってるね」


 ――んーとそうだな、一昨昨年さきおととしあたりかな。

 ――ちょうど監督さんくらいの女の子が大型と正面衝突してね、足が挟まれちゃったのさ。


 ――頭とかは平気だったんだけど、救助工作車が間に合わなくて、結局出血多量で亡くなっちゃって。

 ――それ以来なんか怪談みたいに話が広まって可哀想でさ、化けて出るようなそんな子じゃないんだって。


 ――この道路もそれがきっかけで止まってた工事が動いたんだから、感謝しないといけないのに。

 ――幽霊話になっちゃこっちも申し訳なくってさ。



「確かに家はこの辺だったよ。――ところで監督さん。誰から聞いたの? そんな話」

「いや、ウチの妹が都市伝説とか好きでね。現場が○○峠って言ったらそんな話をするもんだから。――じゃあ明日にでも営業には電話するんで、ウチの現場、来週よろしくね!」



 

 ほぼ昨日と同じ時間、ほぼ同じ場所に陣取った彼はクルマにもたれながら、携帯で写真を撮る。

 クルマのアイドリング、ハザードランプの定期的な音、そして回転灯が回る毎に天井に響くモーターの音。それより何も聞こえない。


 ネクタイを緩めながら、写真を見る。

「切りとっちゃうと、伝わらないかなぁ」

 仮設の階段の方に目をやる。彼女が何者であれ、昨日あれほど言ったのだからあがってくるわけがない。



「今頃この下をくぐってるかな。階段よりは絶対楽ちんで良いはずだけれど」

 ――杖をついて階段を上るよりは絶対楽なはずだよ、うん。彼はひとりごちた。

 誰も居ない道路の上、クルマの屋根に電話を置いてスピーカーで電話をかける。


『――もしもし、お兄ちゃん? どうしたの?』

「どうもしない。……おばさんはどうかと思って」

『それこそどうもしてないよ、必要以上に元気。さっきご飯食べたら、なんか疲れたって言って寝ちゃったけど』


「そうか。まぁ体力が戻るまではしょうが無い、大変だろうが付き合ってやってくれよ……。ところで」

 通話中の画面の上、彼は指を滑らす。

『ん?』


「……今、写真を2枚ほど送ったが見えるか?」

『へぇ、電話しながら送れんだね。ちょっと待ってね。…………えと、ファイルを開きますか。……はい、と』

 少し声が遠くなって電話の向こうでごそごそと音がする。

 意外にも兄妹で一番年少の彼女は。電話もビデオも使い方を今ひとつわかっていない。


『何これ、凄い夕日! ……ちょっとちょっと、二枚目取ったのいつ、コレ!』

「ついさっき。今も取った場所に居る」


『わたしも行きたいそこ! 今度の週末に望遠鏡とカメラもってそっち行く! 駅まで向かえに来て!』

「あのなぁ。だいたい、お前が居なくなったらおばさんの面倒は誰がみるんだ?」

『お母さんは強いから、1人でも生きていける!』

「そんな無茶な……」


『お父さんは何一つ役に立たないけど、土日は居るし。だから平気!』

「おじさんの評価が非道すぎだろ!」



 黒々と延びたまだ白線も引いていない盛り土の上の新しい道路。

 白いワゴン車がハザードランプを点滅させて黄色の回転灯を回しながら。

 満天の星空の下、小さい、短いトンネルの上に止まっていた。

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