水晶に灯るは希望の灯り
今宵の寝床としてアリアが案内された部屋は、綺麗に整えられていた。しかし長く使われていないのか、生活感が感じられない。
とはいえ必要な家具は一通り揃えられている。今日のように客室として使うために用意されているのかもしれなった。
荷物を置いてベットに横たわると、先程の夕食が与えてくれた幸福感と長旅の疲労感が入り混じり、心地よい眠気に包み込まれていく。
「ああ……幸せって、こういうものなんだな」
このように安らかな気持ちで寝床につけたのは、いつ以来だったか思い出すこともできない。
眠れば母が亡くなった日の悲しい夢を見て、目覚めれば王子の婚約者としての教育に忙殺される毎日。心安らぐ瞬間は、僅かな自由にできる時間に読み進めた過去の魔族達を語る物語に夢中になっている時だけだった。
勇ましく難敵に立ち向かい、真っ向から戦い抜いてこれを打倒する。そうして人々を守り、大地を巡り、国を拓いていった勇士達の物語だ。
運命を自らの手で切り拓いた先人達の生き様は、アリアの心に眩い希望の光として灯っていた。自分もこの偉大な人達の血を受け継いだ魔族の末裔なのだ、きっといつかは自らの運命を掴み取ってみせる、と幼い頃は物語を読む度に心を奮い立たせていた。
しかし、成長と共に思い知らされる。先祖達のように生きようとすることは、自分の立場では許されないのだと。
公爵令嬢としての責務。王子の婚約者としての責務。未来の王妃としての責務。運命を切り拓こうと己を磨く程に周囲の期待は強くなっていく。
望んでなんていなくても、人々の期待に応えなければならない。それが貴族として生まれ育った者の責務であると、否応無しに自覚させられていった。
最もレイス王子は、そんなアリアのことなど欠片も望んでいなかったのだろうけど。根拠のない証言ひとつでアリアの人生そのものを切り捨てようとしたのだから。
結局は王子の一方的な婚約破棄の宣言で我慢の限界を迎えて、今では人間領に忍び込む身となっているのだから、人生とは分からないものだとアリアは思う。
色々と辛いことはあったけど、今夜からは穏やかに眠れそうだと考えると、それだけで幸せを感じられる。
夢に恐怖せず眠りにつけることに安堵しながら、アリアはそっと瞳を閉じた。
〇
夜の静寂に紛れて、蠢く人影があった。暗闇に溶け込むように進む十を超える影達は、松明を掲げながら夜闇を歩む。
揺れる松明の火が闇を照らし、彼らの顔を僅かに浮かび上がらせる。その人相は穏やかとは程遠く、真っ当な人間のそれではない。
一週間前にコルット村を襲撃した盗賊達であった。彼らは今宵、再び村を襲おうとしていたのだ。
「お頭、まもなく村に着きますぜ」
「言われんでも分かってらあ。てめえら、この日のために1週間も待ったんだ。抜かるんじゃねえぞ」
盗賊団の頭領である男の言葉に、部下達は思い思いに答える。これから行う襲撃によって得られる利益と快楽を脳裏に描き、彼らは下衆な笑みを浮かべていた。
「あいつが寄越したこの魔法の水晶玉のおかげで、村の連中は既に虫の息だ。あとは俺らに刃向かったことを後悔させながら甚振り殺してやる……」
「お頭、復讐もいいですが女は当然……ね?」
「ああ。楽しむなり売り払うなり、好きにしようや」
頭領の手には夜闇より尚暗き漆黒に染まる水晶玉が握られている。拳大のその玉こそが、村人達を襲った病の正体であった。
一週間前に村を襲撃した際に返り討ちにあった盗賊団は、この魔法の水晶玉を手に入れてからというもの周辺に隠れ家を作り、瘴気に冒されて衰弱していく村人達の様子を偵察して機を狙っていたのだ。
そして昨日の偵察時に、これならばもうまともに抵抗はできないだろうと判断した彼らは、今日の襲撃を決意したのだ。
「あのロバートとか言う野郎は俺が殺す。
盗賊団『狂犬の牙』に逆らったことを後悔させてやる……!」
そう凄む頭領の男の顔は、禍々しい怨恨に歪んでいた。
やがて盗賊団の面々はコルット村に辿り着く。草木も眠る深い夜だ、住人達は夢の中だろう。これから自分達の手で永遠に眠らされるか、あるいは悪夢のような現実を味わいながら死に絶えることになる村人達の末路を思うと、頭領は薄気味悪い表情で嗤った。
「……見張りがいやせんね?」
「平和ボケした村なんてそんなもんだ。普段から見張り役してるやつが倒れたら、誰も代役なんてやりたがらねえ。そして俺らの格好の餌になるのさ」
部下の一人の言葉に頭領が答えを返す。辺境の村の見張りなど潜伏して近づき暗殺すればいいのだから、いてもいなくても彼らには大して違いはないのだが、手間が省けるのは楽でいいと喜んだ。
今頃は瘴気に冒されて寝込んでいるのか、あるいは死んだのか。どちらにせよ村の連中は無事に済ますつもりなどない盗賊団にとって、見張りの男のことなどどうでもよいことだった。
「さあ、手始めにそこの家からだ。
派手な焚き火でパーティの幕開けといこうぜ」
「へい、お頭!」
手近にある家に火を放つように命じられた部下が、松明を放ろうと振りかぶる。木材で組まれた質素な家は瞬く間に燃え上がるだろう。
盗賊達は、これから起こる惨事に、ためらうどころか邪悪な笑みを浮かべている。
しかし、火種を放り投げようとしたその瞬間、盗賊達の頭上から大量の水が降り注いだ。いくつものバケツをまとめてひっくり返したような水流は、明らかに盗賊達を狙った攻撃であった。
突然の事態に混乱する盗賊達。彼らの持つ松明は火を失い、最早ただの棒切れと成り果てていた。
「だ、誰だ!? 姿を見せやがれ!」
何者かの襲撃を悟った頭領が怒声を上げる。
しかし、その時には既に勝敗は決していた。
先程降り注いだ水は松明の無効化だけのためではない。盗賊達を一網打尽にするためのものでもあったのだ。全身がずぶ濡れになった盗賊達の元に、頭上から激しく雷が落ちる。水に塗れた彼らの身体を電撃が激しく駆け巡った。
魔法の一撃だと理解しても抵抗などできない。元々彼らは、魔法を扱う技術も対抗する方法も持っていないのだから。いち早く敵襲に気付いた頭領もまた例外ではない。部下達と共に雷撃をまともにくらい、膝から崩れ落ちる。瘴気を放つ魔法の水晶玉を除けば、彼もまたちっぽけな盗賊団で大将を気取る小物に過ぎなかったのだ。本物の魔法に太刀打ちなどできるはずがなかった。
「あ、が、ぎぃ……」
感電した彼らはまともに喋ることもできず、先程降り注いだ水によって泥となった地面へと倒れるしかなかった。
倒れ伏す盗賊団の耳に、夜闇の中から足音が響く。ゆっくりと歩んでくるその足音の主が呪文を唱えると、眩い光が生まれて周囲を照らした。
「我が眠りを妨げたるは、貴様らか」
足音の主の正体は、盗賊団の知らない女性のものだった。魔法の光に照らされた黄金の髪が夜風になびく。盗賊達を射抜くように細められた瞳からは、鋭い視線が放たれていた。
昨日まで村にはいなかったはずのその女性は、憤怒を隠そうともせず盗賊団の面々を冷酷な瞳で見下している。
何者だと問おうとした口はまともに動かない。そんな頭領の思いを知ってか知らずか、女性は一方的に話を続ける。
「先日村を襲ったのも、村人達を瘴気に冒したのも貴様らのようだな。自ら名乗り出てくれるとは、手間が省けてありがたいが……このような夜分の訪問、無礼だとは思わなんだのか?」
「て、めえ……なにも、のだこらあ!」
痺れが残る口を動かして、頭領が叫ぶ。しかし女性は冷ややかな視線を向けて見下すだけで、怯む様子など欠片もない。
地面に蹲り、呂律の回らない口でいくら叫んだところで、ただ滑稽なだけだった。
「貴様らに問う資格などない。我の質問にだけ答えてもらう。例えばその奇妙な玉の出所とか、な」
「だ、だれがてめえなんかに……」
「話さぬというなら、話したくなるようにするまでのことだ」
女性が再び呪文を唱えると、新たな光が生まれる。一瞬の後に、女性の手元には黄金の輝きを放つ淡い光が一握りの剣の形を成していた。
「ひ、ひぃ……ころさ、殺さないでぇ……」
盗賊の一人が恐れをなして命乞いの声を上げる。頭領はその男を叱り付けようとしたが、できなかった。
先程の電撃で痺れたせい、ではない。命乞いの言葉を聞いた女性が放った一際強大な気迫に、圧倒されたからだ。
「……我に弱者を甚振る趣味はない。しかし、貴様らは弱者ではない」
女性は語る。冷酷な光を宿した瞳で、足元に蹲る愚者達を見つめながら。
「弱者を虐げ、だが自らが傷つくことがない様にと姑息な手で他者を貶め、己は高みから愉悦に浸る――外道である」
その女性が何者なのか、盗賊団の誰も知りはしない。
だが、これだけは皆が理解した。
「外道にくれてやる慈悲はない。貴様ら……死んで楽になれるなどと思うなよ?」
自分達は、敵にしてはいけない人物を敵に回したのだと。
〇
「すいません、出番を奪ってしまいましたね」
捕り物を終えて、可能な限り情報を聞きだしたアリアは、物陰に控えていた男に声を掛ける。
ロバートであった。アリアと同じく襲撃者の気配に感づいて、物陰から盗賊達を待ち構えていた。
しかし彼が弓を放つよりも早く盗賊団を無効化したために、役目を失い事の成り行きを見守っていたのだ。
「いや。村を守ってくれて、ありがとう」
言葉少なく語る彼だが、その言葉には確かに感謝の意が込められていた。
そもそも盗賊団は見張りがいないと判断していたが、ロバートが彼らに気付かれずに潜伏していただけのことである。
前日までしか村を見張っていなかった盗賊達は、ロバートの体調が回復していることを知らなかった。故に一番最初に瘴気に憑かれて衰弱していたロバートが見張りについているとは思っていなかったのだ。
「捕縛も終わりましたし、彼らを閉じ込めておきたいのですが良い場所はありますか?」
「村に地下牢がある。俺が運んでおこう。貴女はもう休むといい」
ロバートの言葉にしばし考えたアリアは、彼に任せることにした。
盗賊達は完全に意識を手放しており、縄で縛り付けてある。彼一人でも何往復かすれば全員を運びこめるだろう。
戦闘はあっさり片がついたので大して疲れていないが、今からやっておきたい作業があった。だから素直にロバートの言葉に甘えることにしたのだ。
「では、すいませんが任せます。私はこちらを」
言って、アリアは盗賊から取り上げた魔法の水晶玉を掲げる。
尋問したところ、これは魔族から渡されたものらしい。持ち主の意志を汲み取り、敵に瘴気を放つことができるそうだ。
この魔法の水晶玉を用意した魔族が何を思ってこのようなことをしたのかは分からない。盗賊達にも目的は語らなかったそうだ。
だが、このような手段は魔族の益となったとしても、実に不愉快だったアリアは、名前も知らないその魔族の意図を叩き潰してやろうと考える。
「この水晶玉に込められた邪法を解除して、二度と今回のような騒動を起こせないようにしますので」
「……可能なのか?」
「明日の朝までには仕上げます」
術式は大して大掛かりなものではなく、書き換えも容易と見た。朝まで掛かるのは、再び瘴気を放てないように徹底的に強固な術式を編むためだ。
手っ取り早く水晶玉を破壊してもいいのだが、瘴気を取り除き術式を解除すれば、素材自体は中々良いものであり、壊してしまうのは勿体無い。
何より、魔族がこの村そのものに執着しているのなら、アリアがここを離れた後に今回のような事態がまた起こらないとも限らない。できるだけ対策をしておきたかった。この水晶玉はその対策に使うのにちょうど良い素材だったのだ。
「何から何まで、すまない」
「いいのです。私が好きでやりたいことなのですから、やらせてください」
アリアが答えると、ロバートはしばし目を伏せた。
再び開いた目をまっすぐに向けて、彼はアリアを見据える。
「貴女からの恩に、返せるものがない。何か俺にできることはないだろうか」
「いえ、どうぞ気になさらないでください」
「それでは俺の気が済まない。貴方の言葉を借りるなら、俺が好きで恩を返したい。俺に出来ることなら何でもいい」
申し出を一度は遠慮したアリアだが、ロバートは引き下がろうとしない。
これは好意を素直に受け取った方が良さそうだと考えたアリアは、ひとつの懸念を伝えることにした。
「では、私に常識を教えていただけませんか? この辺りの世情に疎く、金銭の価値もいまいち分からないのです」
自らの事情を明かす訳には行かないが、少々踏み込んだ内容のために躊躇っていた質問だった。
しかし、これから旅をするならいずれは学ばねばならないことである。他人の様子から少しずつ探るよりも、教授してもらえるのならその方がずっと良い。
「……そんなことでいいのか?」
ロバートはそんなアリアの要求に首を傾げる。世情に疎い、というのは辺境の村の出身なら大して珍しくもないことだった。ロバート自身、冒険者になった当時は読み書きもできなかったのだから。金銭の価値に疎いのも同様で、アリアが考える程には異常なことではなかったのだ。
旅に同行して護衛をせよ、と言われることも覚悟していたロバートにとって、アリアの申し出は村での日常を過ごしながらでも可能な、些細なことであった。
「信頼できる方から知識を学べることはとても大切なことです。そんなこと、では決してないですよ。
それでもまだ気持ちが納得しないのであれば……また、おいしいご飯をいただけますか?」
しかしアリアはそれ以上の要求はしようとしなかった。それどころか「ああ、むしろご飯だけでもいいです。あの至福を味わえるのならもうそれだけでも……」なんて、最初の申し出を取り消そうとすらしている。
その様子に、彼女が本心からこれ以上の要求をする気がないと察したロバートは、自分からいくつかの報酬を付け足すことにした。
「一番近い町と行き来している商人がこの村に来る予定が、約3日後だ。それまでの間に貴方に知識を教えて、毎日の食事と寝床を用意する……これでどうだろうか?」
「毎日の食事!? ……こほん。そ、それでは、それでお願いします」
食事と聞いて、とても嬉しそうに笑みを零すアリア。
彼女がしたことを思えば、もっと威張り散らして報酬を要求しても許されるというのに、彼女はとても満足そうだった。
ご馳走を食べられる、と喜ぶアリアの様子は、村人達の命を救い出し、盗賊を苛烈に討伐した女性と同一人物とはとても思えない。
しかし垣間見えた今の彼女こそが、本来の彼女が持つ本質なのだろうと、ロバートは感じた。
〇
寝室に戻ったアリアは、さっそく水晶玉の処理に取り掛かる。
幸い、施されている術式は単純なものであり、解除にはさほど時間は掛からないだろうと見ていた。
少し手間取りそうなのは、新たに水晶玉に書き加える術式の構成と、それを上書きされないように保護する工夫だった。
魔族領において瘴気を取り除くための魔法技術はいくつも研究されており、その関連で指定範囲内に瘴気及び魔物が侵入できなくする術式も存在する。
主に瘴気に弱い動植物や、生まれたての赤子を守るために発達した技術だった。魔族領の生活圏に関わる内容なので、研究も最優先で行われている。
その技術を応用すれば、周辺に瘴気や魔物、そして自分より格下の魔族を寄せ付けないための結界を張る効力を、水晶玉に宿すことが可能だ。
コルット村の規模なら、村全体を守ることも十分に可能だろう。
しかし結界の維持には魔力が必要となる。永続的に効果を発揮させるには、周囲のマナ――空間に漂う魔力の素を収集させる術式を同時に組み込まないといけない。
さらにはマナを吸収しすぎてコルット村周辺のマナを枯渇させないように、適量の吸収が行われるように調整する必要もある。
これらを計算して『コルット村をこれからも守ってくれる結界の術式』を一から構築するのが、少々手間取りそうだった。
けれど、アリアはそれを面倒だとは思わなかった。今までになく充実した思いで作業に取り組んでいるくらいだ。
今までアリアにとって、魔法とは王子の婚約者として相応しく在るためにだけ学ばされるものだった。だから、決して好きで習得したものではない。
だが今、その培った力を自分がやりたいことのために使えるというのが、嬉しかったのだ。
自分の意思で、思うが侭に、力を振るう。それこそが、アリアがずっと求めてきた生き方であり、自由であった。
誰にも妨げられず自由に振舞い、美味しい食事を馳走になり、安心して眠れる場所がある。こんなにも幸せなのだから、きっかけこそ最悪でも人間領に来たことは間違いではなかった。過去の魔族と同じとまではいかなくても、一歩近づくことはできただろうかと、アリアは思う。
アリアの魔力を注がれている水晶玉が、黄金の輝きを纏う。
その眩い輝きが、自分の未来を明るく照らしてくれる灯りに思えて、アリアは無性に嬉しく感じた。