魔族令嬢に幸福な食卓を
「私がそうしたいからするんです! だから、私のために食べてください!」
特に食事にこだわりがないアリアは、パンとスープがもらえるだけで十分だと本心から告げていたのだが、シルフィの言葉に目を見開く。
自分がしたいから、する。それはアリアが憧れている、かつての魔族の在り方に通じるものだったからだ。
感謝も復讐も闘争も、己が望むから成すことであり、他者の柵に縛られて行うものではないのだと。
「それでは……ありがたく、ご馳走になります」
気付けばアリアは、そう答えを返していた。頬が自然と緩む。シルフィの言葉と自分の憧れが通じたのは偶然だろうけど、まるで幼き日から続く憧れが認められたみたいで、嬉しくなったのだ。
返答を聞いたシルフィは、これから働くのは彼女だというのに、嬉しそうに満面の笑顔を咲かせる。まるで野に咲く花のような笑顔だと、アリアは思った。
「じゃあさ、姉ちゃんが飯作ってる間に旅の話を聞かせてよ!」
「これ、フォルテ! アリア様は疲れていらっしゃるじゃろうから、無理を言ってはならん!」
話が纏まるのが待ち遠しかったとばかりに立ち上がるフォルテを、ブラウ村長が諌める。
確かにアリアは少し疲れていたし休みたかったが、話をするくらいの余裕はある。
「では、ベットで休ませていただきながら、フォルテ君とお話しましょうか」
「やった! じゃあ、俺の部屋に行こうよ! ベットは綺麗にしてあるからさ!」
言うが早いか、フォルテはアリアの手を引いて「こっちだよ!」と自身の部屋へ案内しようと駆け出す。
ブラウ村長が怒った声で「フォルテ!」と呼びかけたが、アリアは「構いませんよ。しばらく、席を外させてもらいます」と告げて、少年と共にリビングを後にした。
〇
案内されたフォルテの部屋には、冒険者に関わるものが多く並べられていた。といっても武器や防具の類ではない。
現在各地で活躍しているという冒険者達の似顔絵や、大陸の地図が壁に張られている。本棚には冒険者に必要な知識を書き記した本が並んでいた。
「似顔絵は小遣いをちょっとずつ溜めて買ったんだ! 地図と本は、父ちゃんのお下がりだけどね」
「たしか、ロバートさんは昔、冒険者をしていたんだったね」
「そうそう! けっこう稼いでたらしいぜ。引退してからは狩人と、ええと、村を守る……しゅ、いや、しぇ?」
「守衛、のことかな。盗賊から村を守ったとも言っていたものね」
「それ! その守衛っていうのをやってるんだ」
アリアの見立てでは、ロバートという人間はかなりの実力を備えていると感じていた。
体調が快復したのなら、今でも現役で冒険者稼業を行えるのではないかと思うほどだ。
一目でそれだけ分かる程に、彼の肉体は鍛え上げられていたのだ。おそらく冒険者を引退してからも、休まず鍛錬に励んでいたのだろう。
「冒険者してた時の金は、世話になった孤児院にほとんど寄付して、あとは村の人達のために使ったらしくて、ほとんど残ってないんだって」
「世話になった、か。ロバートさんはその孤児院の出身なのだろうか」
「いや、この村を飛び出して冒険者になったらしいよ。……あれ? そういや父ちゃん、なんで孤児院の世話になったかは言ってなかったな」
息子であるフォルテにも話していないということは、ロバートにとってそれは話したくないことなのかもしれない。少年も詳しく知らないことだし、これ以上は詮索しない方が良いだろうと考えたアリアは話題を変えることにした。
「こちらの大陸地図は……魔族領のところは描かれていないね」
「人魔大戦以降、魔族領についてはまともに調査できてないらしいから、どの地図買ってもそんな感じなんだぜ?」
アリアにとっては生まれ育った土地である魔族領は、人間達にとっては未知の大陸として扱われているのだろう。地図上には魔族を示している悪魔の絵と、紫雲で覆われた大地が描かれているだけだった。
この大陸は西側が魔族領、東側が人間領と分かたれている。この勢力図は主に人魔大戦時に形成されて、その時代からは大きな変化はしていないらしい。
人間も魔族も、疲弊した国力の回復と、期を窺っていた同族による反乱への対処に追われて、種族間で争う余裕が無くなったからだ。
今は互いに国として安定しているから戦争は行えるだろうが、お互いに過去の恨みを除けば戦争をする利点がないのだ。
まだまだお互いの領地には改善するべき土地が余っており、資源の枯渇も見られない。戦争を行い勝利したところで、得られるものがないなら国が痩せ細ってしまう。
そのため、種族間の和平が結ばれた訳ではなくとも、互いに関わらずに自国領内の改善に努める形になっていた。
平和な時代である。しかし何かきっかけがあれば崩れてしまう、危うい平和だった。
「なあ、姉ちゃんは何で旅をしてるんだ?」
フォルテに尋ねられて、アリアはどう答えたものかと迷う。
実は魔族なんだけど、婚約者に国を追い出されたからこっちに逃げてきました、なんて言えないのは当然だ。
そもそも、王子による国外追放の宣言はおそらく彼の独断で行われたものであり、正式な手続きも常識も無視した不条理なものだ。故に抵抗することもできたのだから、旅人になる直接の理由とは違う。あくまでアリアは婚約破棄と国外追放の一方的な宣言に、今まで溜め込んでいた不満が堪えきれなくなり、自分から故郷を飛び出してきたのだ。
しかし故郷を飛び出すにしても、魔族領からは出ずに人里から離れた場所に隠れ住んでもよかったはずだ。わざわざ人間領に来る必要はない。
改めて、自分が何故人間領に来ようと思ったのかを考えた時にアリアの脳裏に浮かんだのは、過去の魔族の在り方についてだった。
「そうだね、うん……子供の頃に憧れた人達のような生き方がしたかったから、かな」
魔族領はその昔、生きていくには極めて過酷な環境だったらしい。
吹き荒れる瘴気。闊歩する魔物。安住の地を持たぬ人々。アリアの生まれた時代からは想像もできない程の厳しい大地。
瘴気は魔族にとって確かに糧となるが、何事にも許容量というものがある。過剰に瘴気に晒されれば、魔族とて心と身体を蝕まれるのだ。故に瘴気から逃れられる場所が安住の地となるが、そのように恵まれた土地は限られている。奪い合いなど珍しくもなかったそうだ。
そんな大地を逞しく生き抜いて、生存圏を勝ち取ってきたのが魔族の先祖達だった。
未知の土地を探索して、魔物に襲われたのならばこれを打ち倒し、武勇を以て人々を導く者が王となる闘争の時代。
生き辛い世界を、強靭な武力と意志で切り拓いて未来を勝ち取ったというご先祖様達の御伽噺は、アリアにとって心の支えであり、憧れの姿だった。
今の時代では先祖達が作り出したいくつもの魔法技術によって、瘴気を抑え込む魔法具なども生み出されている。何より魔族自身がいくつもの世代を経て瘴気に順応しており、瘴気に蝕まれて倒れる魔族というのは近年では聞いたことがない。
だからだろうか。先祖のように逞しい魔族など今では見当たらず、アリアにとっても物語を通して伝え聞くだけの存在となってしまった。
しかし遠い過去の存在であろうと、時代遅れであろうとも、その生き方に憧れた。その在り方に心焦がれた。結局はそれが、アリアが種族を隠してでも人間領へ飛び出してきた理由だった。
己の人生を縛り付けてきた人々の元を離れて、自分の力で未来を勝ち取りたかったのだ。
貴族としての責務を果たさねばと、心を押し殺して役目を演じ続けてきたが、もういいだろうと思う。王子が好き勝手にしたように、自分も好きなように生きてやる。あの日、一方的な婚約破棄の宣言がされた瞬間、アリアはそのように心を決めたのだ。
「そっか……なら、俺と同じだ! 俺は父ちゃんに憧れて、絶対冒険者になるって自分に誓ったんだ!」
アリアの言葉を聞いたフォルテは、子供らしい活発な笑顔を浮かべていた。
えいっ、やあっ。少年はそんな掛け声を出しながら、剣を振るう動作を見せた。
「父ちゃんに修行もつけてもらってさ、けっこう頑張ってるんだぜ!」
その少年の瞳に、迷いはない。世間を知らないだけだと嗤う大人はいるかもしれない。しかし幼い子供ながらに、彼が真剣に自分の願いを叶えようと努力していることは伝わってきた。
まっすぐで純粋な意志を宿した瞳は、アリアにはまるで宝石の様に輝いている。自分が子供の頃には、このような綺麗な目はできていなかっただろう。
自分にはできなかったことを当然のようにしている少年を見ていると、人間が低俗だなんて決して思えなかった。
種族なんて関係ない。夢を追いかける者の心は、かけがえのない宝物なのだと。フォルテの姿は、アリアにそう強く感じさせた。
「うん。きっとなれるよ。君の願いは、こんなにも輝いているんだから」
フォルテのきらきらと輝く瞳に思わず見惚れて、アリアは少年の頬にそっと手を触れながら彼の瞳を覗き込む。
情熱的な真紅の瞳は、さながら炎を讃えたルビーのように輝いていた。
「ちょ、姉ちゃん! か、顔が近いって!」
「ああ、すまない。あまりに美しくて、つい見惚れていたよ」
「う、美しいって……男が言われても、嬉しくなんかないんだからな!?」
そう言ってそっぽを向く少年の頬は、彼の瞳よりさらに赤くなっていた。
少年の内心を知らぬアリアは、風邪でも引いているのかと彼の額に自分の額を合わせて、少年をさらに慌てさせることになるのだが、余談である。
〇
「さあ、どうぞ召し上がれ!」
夕食時となり、シルフィに呼ばれたアリアとフォルテがリビングに向かうと、見るからに美味を感じさせる料理の数々が並んでいた。
パンは焼き立て、スープからは心地よい香りが漂ってくる。他にもベーコンやソーセージに、新鮮な野菜をふんだんに使ったサラダにはハムとスライスエッグが乗せられて、見ているだけで食欲をそそられた。
「すっげー! いつもケチな姉ちゃんの料理とは思えねえ!」
「ケチじゃなくて節約上手と言いなさいよ、もう!」
アリアが魔族の公爵令嬢として過ごして日々の中で、もっと豪華な見た目の料理を、それこそ食べきれない程に並べられたことはある。
貴族としてのテーブルマナーを学ぶためもあり、幼少期からそのような食事は見慣れていた。
しかし、どれほど豪華な素材が使われていても、食べきれぬ程の量があっても、あの頃の料理のひとつとしてこの料理には叶うまい、とアリアは思う。
裕福とはいえない生活の中で、これだけの料理を用意することは大変な苦労だろう。それを快く差し出してくれるその心が、何よりも嬉しかった。
「こんな素晴らしいご馳走を用意していただいて、本当にありがとうございます」
「どういたしまして。さあ、冷めないうちにどうぞ食べてください!」
素直に好意に甘えて、アリアは席に着いた。フォルテやロバート、シルフィも共に同じテーブルを囲む。
食前の祈りを行う彼らに倣い、アリアも黙祷する。それが終われば、フォルテが機嫌良く笑いながら料理を次々に頬張り、シルフィに叱られながらも「うっめー!」と叫んでいた。
思えば国を飛び出してから、持ち出した携帯食くらいしか口にしていなかったアリアは、ようやくまともな食事にありつけると喜んで、さっそく目の前のパンを齧った。
――美味い。フォルテのように叫びそうになる気持ちをなんとか抑えて、口の中の至福をゆっくりと味わう。柔らかいパン生地は軽く噛むだけでさくっと音を立てた。
柔らかいだけではない。強い味付けがされているわけでもないのに、舌に美味が溶け込んでくるようで、もっと食べたくなるのだ。
「アリアさん、よければこちらのバターもどうぞ」
手渡された木彫りの容器を覗けば、僅かに黄色味の混じる白い固体が詰まっているのが見えた。
アリアにとって未知であるそれが何なのかしばし迷うが、ふと周りを見ればフォルテがそのバターと呼ばれた固体を嬉々とした表情でナイフで取り、パンに塗って食べているのが見えた。
それを真似てパンにバターを塗る。そして恐る恐る口に運んだアリアは――思わず口元を押さえた。
「ア、アリアさん!? どうかされましたか、何かお口に合わないものでも……!」
「い、いえ。違うのです……あまりにも」
アリアの様子に何事かと慌てたシルフィが声を荒げるが、アリアはそれを手で制する。
落ち着くまでにしばらくの間を要したアリアだが、誤解させたままではいけないと、ゆっくりと口を開いた。
「あまりにもおいしすぎて……口がとろけるかと思ったんです」
そう語るアリアの表情は、幸福に満ちていた。
幼き日より貴族として、数々の料理に口をつけてきたアリア。
しかし、心のこもった料理にはどんな豪華な料理も叶わないだろうと、食べる前までは思っていた。
だが、その思いは完全に間違いだと確信する――見た目も、味も、食感も。料理を形成する何もかもが、魔族領のものでは人間領のものの、足元にも及んでいなかった。
パンはもっと固く、歯応えを楽しむようなものだと思っていたし、バターなんてものは存在すらしていなかったのだ。
他の料理にも、マナーを守っている余裕がないまま口をつけていく。
スープはこんなに、あさっさりとした中にも素材の味が染み渡ったものではなかった。サラダも健康のためにと嫌々食べさせられていただけで、こんなに美味なものだとは到底思っていなかった。
「こんなにおいしいもの、生まれて初めて……!」
「え、ええと……お粗末様です?」
「姉ちゃん、普段は一体何を食ってたんだ?」
フォルテに尋ねられて、アリアは過ぎ去った日々を思う。
操り人形のように周囲の環境に縛り付けられた毎日の中で食していたものは、幼き日から続いていたために食事とは、空腹を満たすためだけに行うものなのだと思っていた。
だが、今ここで食している料理は、一口食べるだけで幸せを感じられる素晴らしいものだ。
それと比べたら。この目の前の料理と比べたら、今までの人生で食べてきたものは何かとアリアは自身に問う。
「この素晴らしい料理と比べたら、今まで食してきた故郷の食べ物は……泥かな?」
搾り出した答えは我ながらひどいものだとアリア自身も感じたが、彼女には他にあの料理と呼ぶのもおこがましい故郷の食事を表す言葉が思いつかなかった。
一瞬、リビングの空気が凍ってしまったが、アリアを励まそうとするように、シルフィは声を張り上げる。
「アリアさん! おかわりもたくさんありますから、遠慮なく言ってくださいね!」
その言葉に甘えていいのだろうかと、アリアはしばし迷った。最初はパンとスープだけで満足だと言っていたというのに、さらに多くの幸福を望んでもいいのだろうかと。
迷ったのだが、アリアは欲望に勝てなかった。欲望のままご馳走をお代わりするのも魔族本来の在り方ですよねご先祖様、なんてわけの分からない言い訳を内心で呟いて、アリアはあっという間に空になった食器をシルフィに差し出す。
「す、すいません。では、お代わりさせてください……」
「あ、俺もお代わりー!」
「……俺も頼む」
アリアの言葉をきっかけに、フォルテとロバートも食器を差し出す。
楽しい食卓は、その後も賑やかに続くのだった。
ファンタジー世界で(主人公が)メシウマ(される)。
これもまたひとつのテンプレ……テンプレ?