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恩は巡りて少女に返る


 村の規模はとても小さなもので、アリアが全ての家を訪ね終えても大して時間は過ぎていなかった。

 アリアは慎重に観察したが村人達の病状は全て瘴気が原因となるもので、衰弱してはいるものの瘴気を取り除いた後の容態は安定しており、安静にすれば順調に回復するはずだ。

 そのことを伝えると、村長と少年は満面の笑みでアリアに感謝の言葉を述べる。


「ありがとう、魔法使い様! みんな元気になるんだよね?」


「ありがとうございます、旅の御方……おかげで村は救われました……!」


 むしろアリアからすれば瘴気が糧となってありがたいくらいだったのだが、彼女はそのことは秘密にすることにした。

 せっかく魔族であることが隠せているのに、自分から明かす必要もない。

 感謝の言葉は素直に受け取ることにして、アリアは治療中に思っていた疑問を尋ねることにした。


「病が広まり始めたのはいつ頃からなのか、分かりますか?」


「あれは……もう1週間前になるでしょうか。ロバートが最初に体調を崩して、それから徐々に村中に……」


「1週間前、盗賊が来たのを父ちゃんが追い返してからなんだ!」


 少年の父親こそ最初に病に倒れたというロバートであり、この村一の狩人である。

 聞くところによると彼は狩人であると同時に、昔冒険者として培った戦闘の技術を生かして村を盗賊や魔物から守っているそうだ。1週間前に襲ってきたという盗賊達は小規模で戦力も大したことはなく、ほとんどロバート一人で追い返したらしい。

 しかし、その翌日からロバートは急激に体調を崩して、他の村人達も次々に倒れていったらしい。

 盗賊達が何かしたと思われるが、戦闘に参加していない女子供にまで症状は現れており、どのような手段を行ったのかは不明。

 

 瘴気が原因と理解しているアリアは、盗賊達が襲撃の直後に瘴気を村にばら撒いたのかと思うが、ただの人間に瘴気をそのように扱える技術があるとは思えない。

 そうなると考えられるのは、盗賊達に魔族が協力して何らかの手段で瘴気を村人達に取り付かせた、というものだ。

 だが魔族がわざわざ小規模な盗賊にそのように力を貸す理由が分からない。村を襲いたいだけならば魔族自身が襲撃する方が早いはずだ。

 わざわざ遠回しに盗賊を利用する理由が分からず、アリアはしばし思考に耽っていた。


「そ、その……失礼ですが旅の御方、お名前は何と仰るのですか?」


 村長の言葉に我に返り、アリアは目を開いた。

 アリアが村に着いてからすぐに治療に回ることになり、自己紹介していないことにお互いこの時ようやく気付いたのだ。


「アリアと申します。家名はなく、ただのアリアです」


 実家からは勘当されて、国を飛び出してきた身だ。家名はもう名乗ることはないだろうとアリアは名前だけを告げる。

 万が一、人間側がブラックローズ家のことを知っていれば、家名から魔族であることがばれてしまうかもしれないので名乗れない、という理由もあったが。

 家名を持つのは基本的に貴族であるため、平民の村人である二人も不審に思うことなく、アリアの名乗りを受け入れた。


「わしは、このルコット村の村長でブラウと申します」


「俺はフォルテ! 今はただの子供だけど、将来は冒険者になるのが夢なんだ!」


 名乗った二人の名前を確かに覚えて、アリアは微笑みを作る。

 会話の合間に作り笑いを浮かべるのは交流を円滑に進めるコツだと幼少期から教え込まれてきたアリアにとって、それは最早癖のようなものであった。例え感情を押し殺したままでも微笑むことができる程度には、作り笑いには慣れている。

 作り笑いであることを知ってか知らずか、ブラウ村長は何やら言いにくそうに話始める。


「それで、その……申し訳ないのですが、この村には治療費をお支払いするような余裕が……」


 言葉に詰まるのも無理はない。人間領における回復魔法を使用した病気の治療は、依頼する場合は高額な治療費を要求されるようなものだったからだ。

 普通の薬品を購入するのにも苦労する村人達にとって、回復魔法というのは一生縁がなくてもおかしくはないものである。

 身内や知人に回復魔法を習得した術者が存在するのならともかく、都会で術者に依頼するなら村中のお金をかき集めてもとても足りないだろう。

 まして、アリアが治療したのは原因が未だに分からない未知の病。高名な治癒術士に依頼しても完治させられるか分からない上に、必要となる治療費も検討がつかない。


「治療費、ですか。それでしたら……」


 ブラウ村長の言葉を聞いて、アリアはしばし考える。

 人間達の扱う金銭は確かに欲しい。だが、弱者から毟り取るなど気が進まなかった。

 治療といっても、アリアからすれば瘴気を取り除くのは大した手間ではない。“ヒール”の魔法も同様である。

 そんな簡単なことで高額な治療費を要求するなんて、魔族領であれば失笑されるような行いだ。


「今夜一晩の宿と、夕食にパンとスープ……後は気持ちばかりの路銀をいただければ、それで十分です」


 アリアとしてはこれでも、要求しすぎただろうかと思うくらいだった。しかし、ブラウ村長は求められた報酬があまりに安すぎて驚愕した。

 村を救ってもらっておきながら謝礼は払えないなどと伝えたら、あるいは切り殺されるかもしれないと覚悟していたのだ。

 だが曖昧にしておくわけにもいかず意を決して話してみれば、謝礼は村人達の命を救った代価にはあまりに安いものだけでいいと言われるなんて、思ってもみなかった。


「そ、それは……あまりに安すぎるのでは……」


 思わずそんな言葉が口から零れるくらいに、ブラウ村長は戸惑っていた。

 しかしアリアとしては、これで安すぎるのかと驚かされる。

 そもそも人間達の通貨価値についても把握しきれていないため、どのくらいの要求が妥当かまるで分からないのだ。

 一応、人間の扱う文字と言語は魔族領でも学べたため会話も成り立っているが、歴史や文化、通貨など判明していない要素は数多い。

 第一どの程度の金品が村にあるのか分からないのに、要求していい金額なんて計算できない。

 だからアリアは、できるだけ無難に言葉を選んだ。


「でしたら、夕食にベーコンでも足していただければ。それだけあれば満足です」


アリアからの返答に、ブラウ村長は「お、おおお……」と呻きながら、地面に膝をついたかと思うと両手を重ね合わせた。そして深く頭を下げる。つまりはアリアのことを拝み始めたのだ。


「や、やはり貴方様は天使様じゃ……ありがたや、ありがたやぁ……!」


 いきなり拝まれたアリアはたまったものではなく、慌ててブラウを制止する。

 よりによって魔族の天敵に間違われて拝まれるなんて、冗談ではない。


「さ、先程も申したように、自分はただの旅人ですから……どうか、楽にしてください」


 自分より遥かに弱い存在を跪かせて悦に浸る趣味なんてないアリアにとって、ブラウ村長の行いはどうにも居心地が悪くなってしまう。善意からの行動であることが分かるだけに無下にもできず、はっきりと「迷惑だ」と告げることもできなかった。

 結局、ブラウを止めたのは少年フォルテの「婆ちゃん、魔法使いの姉ちゃん疲れてるだろうし、休める場所に案内した方がいいんじゃない?」という言葉だった。


「おお、それもそうじゃな。気が利かず申し訳ない……しかしこの村に宿屋はないし、どうしたものか」


 治療のために案内されている時に薄々気付いていたが、どうやらこの村に宿屋がないのは確かなようだ。

 人間領の辺境である小さな村では、旅人はめったに来ず宿屋の経営が成り立たないのだろう。

 そうなるとどこで休もうかとアリアが考えていると、フォルテが名案を思いついたとばかりに叫んだ。


「じゃあさ、じゃあさ! 俺の家に泊まりなよ! 部屋はあるし、夕食は……姉ちゃんが元気になってたら作ってもらうからさ!」


「おお、それは名案じゃ! その、アリア様はそれでよろしいでしょうか?」


 どうにか休めるらしいと分かったアリアはほっとして、微笑みを浮かべる。それは今までの作り笑いではなくて、本心から零れた柔らかな笑顔だった。


「では、お言葉に甘えさせていただきます」


 アリアがそう言うと、フォルテは嬉しそうに彼女の手を握り「なら、早く行こう! 聞きたいこといっぱいあるんだ!」とアリアを引っ張って走り始めた。 

 少々強引な扱いではあるが、自身に向けられている好意が感じられて、アリアも嬉しそうに口を綻ばせて少年と共に駆ける。

 ブラウ村長はそんな二人の様子を、微笑ましそうに眺めながらゆっくりと歩いて追いかけた。



   〇



 シルフィは目覚めた時、しばらくぼんやりとしていた。

 久々に熟睡できたのか身体がすっきりしており、とても心地よかったのだ。

 あまりの心地よさにもう一度眠りそうになって、唐突に眠りに落ちる前の記憶を思い出して、急激に意識が明確になる。

 

 薬の素材を求めて森の奥地を目指したこと、魔物に襲われたこと、そして未だ名前も知らない少女に助けられて、魔物が追い払われて――そこからの記憶がない。

 魔物の脅威が去ったことを理解した瞬間、緊張が解けて意識を手放してしまったのだとシルフィはようやく理解した。

 現実離れした記憶に、あれは夢だったのかと思ったが、ベットに残っている木の葉があれが夢でなかったことを示している。

 

 あの後どうなったのか、少女は何者なのか。分からないことばかりだが、ここで自室であることは分かる。

 ベットから降りて部屋の外に出るが、あの少女の姿は見当たらない。もうここにはいないのだろうか。

 お礼も言っていないのに、とシルフィが落胆していると、病に伏しているはずの父・ロバートが部屋から出てきたため、驚いて思わず叫んでしまう。


「お、お父さん! 寝てなきゃ駄目じゃない!」


「……大丈夫だ。どうやら、治ったらしい」


「治ったって……確かに、顔色は良くなってるみたいだけど……」


 今朝まで起き上がることもできなかったのに急激に完治するとは思えず、シルフィは父の額に手を当てる。熱は下がっていた。

 顔色も血の気が戻り、瞳にも確かな生気が宿っていた。


「ほ、本当に、具合は良いの?」


「ああ。まだ、本調子ではないが」


 続けて何か言おうとしていたロバート。だが、彼の腹から大きな音が鳴って、その言葉は途絶えてしまった。


「……そういえば、腹が減ったな」


 思い出したように呟く父親の様子は、いつも通りの彼らしいもので。本当に病は治ったのだと安堵したシルフィの瞳から涙が零れ落ちた。

 ぎゅう、と。シルフィは幼い頃によくしていたように、父親の身体に抱きつく。

 あたたかな体温が伝わってくるのを感じると、これが夢ではないのだと実感できた。 


「お父さん、お父さん……! 心配、したんだからぁ……!」


 泣きじゃくる娘の頭を、ロバートはそっと撫でる。

 しばらくそうしていた所に、鍵を外す音が聞こえてきて、シルフィはばっと父親から離れた。

 間もなく扉が開いて、弟であるフォルテが駆け込みながら元気に声を張り上げる。


「おお、姉ちゃんも父ちゃんも起きてたか! 村の恩人連れてきたぞ!」


 恩人、と聞かれて誰のことか分からず、弟の後ろにいる人影に目を向ける。

 扉の外から射し込む日光が眩しくて最初は良く見えなかったが、目が慣れてくるとその女性に見覚えがあることに気付く。

 森の中でシルフィが魔物に襲われた時に助けてくれた、名前も知らない恩人の姿に違いなかった。


「お二人とも、無事に目覚めたのですね。良かったです」


 微笑みを浮かべる女性は、シルフィとロバートの様子を見ると嬉しそうに目を細めた。

 まるで精巧に作られた人形のような美麗な容貌に、確かな感情を感じさせる仕草が相まって、同性でありながら見惚れるような美しさだった。


「あ、あの……助けていただいてありがとうございます。貴女のお名前は……?」


「アリアと申します。どうぞ、お見知りおきを」


 黄金の髪を日光に照らされながら、アリアと名乗る女性が手を差し伸べてくる。

 差し出されたその手は、魔物を追い払ったとは思えない程に華奢で、けど不思議と頼りなさを感じさせない芯の通った力強さを感じられた。


「わ、私はシルフィって言います。この度は本当に、お世話になりました」


「どうぞ、お気になさらず。貴女に怪我がなくて、本当に良かった」


「姉ちゃんのことだけじゃなくて、村の皆の病気も治してくれたんだぜ!」


 フォルテの言葉を聞いて、シルフィは驚いた。村に住む医者が時間をかけても原因すら突き止められないと嘆いていたのに、アリアという少女は村に訪れたその日の内に治したというのだから。


「だからさ、姉ちゃん! 村の恩人にご馳走作ってあげてよ! あと、今日家に泊めてあげて!」


「別に、ご馳走でなくて構わないよ。さっき言ったように、一夜の宿とパンとスープがあれば十分だから」


 アリアという女性は、村人達の命を救ったというのに、恩に着せるでも多額の謝礼を要求するでもなく、僅かなことを頼むだけで。

 それは無理にそう言っている様子など欠片もなく、本心からの言葉だと察することができた。


「本当に、本当に素晴らしい御方じゃよ。天使様でないなら、聖人様じゃあ……!」


「ですから、私はただの旅人なんですって……あの、聞いておられますか?」


 ブラウ村長が褒め称えると、アリアは困ったように呟く。しかし、ブラウ村長の様子も仕方ないことだとシルフィは思った。

 見ず知らずの、何の所縁もない村人達の命を助けるために尽力してくれる旅人なんて、本来なら有り得ない。

 

病人がいるとなれば村に滞在などせずにさっさと次の村を目指して出発するのが普通なのだから。それは薄情だというのではなく、旅人自身が病に倒れないために必要な自衛であり、当然のことだった。

 

それなのに、自分が感染する危険などまったく顧みずに治療を施して、謝礼をまったくといっていい程求めないような人なんて、物語の中で語られるような天使様か、生涯を人々を救う旅に捧げたという聖人様くらいのものだ。

 決してブラウ村長が大袈裟なのではない。アリアの行いは村人達にとって、それ程の善行なのだから。


「パ、パンとスープと言わず、腕によりをかけてご馳走しますから! ぜひいただいてください!」


「いえ、しかしそれでは申し訳ないですし……」


「私がそうしたいからするんです! だから、私のために食べてください!」


 あくまで遠慮しようとするアリアに、思わずつっかかるように叫ぶシルフィ。

 その言葉を聞いたアリアは、一瞬目を見開いて、すぐに笑顔になって返答する。


「それでは……ありがたく、ご馳走になります」


 その微笑みは、先程から浮かべていたものよりもっと柔らかなもので。

 見惚れるような美貌よりも、見ていて安心するような、お日様のような笑顔だった。

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