表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/15

魔王の悔恨は少女に届かず



 人間を助ける義理などない。そんな道理が頭に浮かんだのは、魔物の攻撃から人間の女性を庇ってからだった。

 この女性に恩を売れば人里に潜り込むのに都合が良いからとか、黙って見殺すのは自分が魔物を恐れて隠れていたみたいで嫌だからとか、理由はいくつか思いつくが所詮は後付けに過ぎない。

 結局のところ、見ていて気分が良くなかったから割り込んだだけであり、自分のためなのだとアリアは自分の行動の理由を結論づけた。


「怪我は、ありませんか?」


 声を掛けながら横目で背後を見れば、女性は呆然とした様子でこちらを見ている。

 女性からの返事はないが、外傷は見当たらないためひとまず後回しにして、アリアは正面を見据えた。

 熊の魔物――ベアー種と分類される魔物の中でも中々の巨体ではあるが、魔族領でなら生存できない程度の個体であると判断できる。

 魔族領に生息する魔物であれば、無抵抗で逃げ惑うだけの標的などさっさと殺している。そうでなければ横から獲物を横取りにされるか、自身が他の魔物の獲物になりかねないからだ。

 獲物の前で愉悦に酔う無様な輩など、他の狩人からすれば格好の餌でしかないのだ。


「……横槍を入れた侘びだ、一度だけ警告してやる」


 アリアにとって、目の前の魔物は弱者でしかなかった。

 そのような存在を暴力で甚振るのでは、この魔物の行いに気分を害する資格などありはしない。

 とはいえ、魔物だって生き物です。殺すなんて可愛そう! などと博愛を訴える趣味はアリアにはない。

 だから一度だけだ、とアリアは魔物を睨みつけて、声を凄ませた。


「失せろ――今の私はとても機嫌が悪い。加減などせぬぞ」


 アリアの黄金の瞳が魔物を見据え、鋭い眼光を突き刺す。

 格上の存在であるアリアが放つ殺意を感じ取ったのか、魔物は後ずさりながらも威嚇を続けていたが、やがて一目散に森のさらに奥へと駆けていき、姿を消した。

 魔物の気配が去ったことを確認すると、アリアは改めて背後の女性を振り返る。


「……気絶しているな」


 魔物にだけ向けたつもりの殺意の余波を受けたのか、脅威が去って安心したからだろうか。名前も知らない人間の女性が完全に気を失っているのを見て、アリアは「面倒な……」と呟いて、深々と溜め息を吐いた。

 彼女が目覚めるまで待って自力で歩かせた方が楽なのだろうが、さっさと休みたいアリアとしてはいつ目覚めるか分からない女性をじっと待つのは苦痛だ。下手をすれば日が暮れる。

 叩き起こしたところで、殺意の余波を受けたことでパニックになって逃げ出されでもしたら、さらに面倒なことになりそうだ。捕まえるのは容易でも面倒に変わりはない。

 だからといってここに捨て置くというのも、わざわざ助けた意味がなくなってしまう。骨折り損の草臥れ儲けなど冗談ではない。

 しばし迷った末、アリアは意識を失った女性を背に担いで歩き始めた。



   〇



 アリアが人間領に忍び込んだ頃、魔族領ではレイス王子の一方的な婚約破棄が巻き起こした騒動に、メギストス国王である魔王ファウスト・メギストスが頭を悩ませていた。

 自分の息子が引き起こした騒ぎのせいで、その婚約者であったアリア・ブラックローズが国内から姿を消したと報告を受けた際には、苛立ちのあまり思わず床を踏み砕いてしまった程だ。。

 レイス王子と、彼を唆したリゼルという少女は王城に呼び出した上で牢屋へと放り込ませたが、それで問題が片付くわけではない。

 騒ぎの原因である二人への処遇は後回しにしてでも、まず真っ先に行うべきはアリア・ブラックローズの行方を捜すことだとファウストは判断して、家臣達に捜索させているが結果は芳しくない。

 アリアの行動が迅速であったことで、事態が発覚した際には既に彼女の行方を知るものがいなかったのだ。

 

 王であるファウストが騒動を知ることになったのも、古くからの友人であるグリーグ・ブラックローズ――アリアの父親にして、ブラックローズ家の当主である――彼からの魔法通話により初めて知ることになったのだ。

 喚き散らす彼の話をなんとかまとめたところによると、まずレイス王子が独断による婚約破棄を行った後に、そのことをグリーグへ魔法通話で告げたらしい。そのことに娘に対して激昂した彼は、帰宅した彼女に勘当を言い渡したそうだ。

 しかしアリアはまるで気に留める様子もなく荷物を持ち出し、実家から飛び立っていった。それ以降、彼女の姿を見た者はグリーグを含めて誰もいないそうだ。

 国内にもお触れを出しているが、彼女の姿を見たという報告は一度もない。そうなると考えられるのは、アリアが既に国外へと出て行ってしまったという可能性だけだ。


「何故、このようなことになってしまったのだろうな……マリア」


 呟いた女性の名前は、ファウストの妻のものではない。彼の友人にしてアリア・ブラックローズの母親――かつての親友と婚約した女性の名前であった。

 学生時代からの付き合いであり、マリアとグリーグとは王位を継ぐ前から数少ない友人として交友を深めていた。

 あの頃のグリーグは、今のように欲望の権化ではなかった。貴族としての責任感の強い、立派な青年だったのだ。

 マリアは、気が強くお転婆なところがあるものの、公の場では貴族の令嬢としてしっかり務めを果たす淑女でもあった。

 二人は幼い頃からの許婚であり、つまり政略結婚でもあったが、学生の頃から仲睦まじく愛を育んでおり、ファウストは彼らの結婚を心から祝福したものだ。


 彼らの幸福が崩れたのは、マリアが不治の病に掛かり他界した頃からだ。

 真面目に貴族の責務を果たし続けて、ようやく結ばれた恋人との結婚生活は、あまりに短すぎた。

 まだアリアが生まれて五年も経っていなかった頃の話だ。マリアの命を蝕んだのは、魔族の積み重ねた知恵と魔法を以てしても打つ手がない、万人に一人も掛かることのない死の病であった。

 闘病も虚しく彼女が死んだ日の、グリーグの嘆きと絶望に染まった慟哭は今でも耳に響くかのように思い出せる。

 物心がついたばかりの幼きアリアの、悲しみに沈む泣き顔も、瞳に焼き付いたように思い出せる。


 それから、グリーグは変わり果ててしまった。

 貴族の仕事こそこなすものの、暴食に酒に女遊びにと、真面目だった頃の彼からは想像もできない程に快楽に耽るようになった。

 ファウストとて、止めようとはした。王の責務の間に時間を捻出して、なんとか彼と対話することに務めた。

 

 しかし、王との対談の際にすら泥酔する有様であり、まともに会話できた回数など両手で数えられるほどしかない。魔法の通話も、何かと理由をつけて中断させてしまうために長続きしない。

 だが、僅かに行えたまともな会話の中で聞こえた彼の本音が、ファウストは忘れられない。

 ――こうでもしないと、生きていることに耐えられないのだと。このままではいけないことは分かっていても、素面に戻る度にマリアの後を追いたくなるのだと。

 縋るように、助けを請うように咽び泣く友人の姿を見て、ファウストはどうしても彼を見捨てることができなかった。

 

 やがて無茶な散財により、ブラックローズ家の財政は大きく傾くことになる。

 本来ならばそこでグリーグを切り捨てることが、王としてのファウストの役目であったとは彼自身が自覚している。しかしそれでも、かつての友人を処断することができずに、ファウストは私情を挟んでしまった。

 だがいかに国王であろうとも、国税と納められた民の金を理由もなく一人の貴族に渡すなど、許されることではない。

 苦渋の末に思いついたのは、アリアを自分の息子――レイス王子と婚約させることだった。婚約者の家に対する財政支援であるとすれば、少しは面目も立つ。

 

 幸い、幼くしてアリアは見た目麗しく、少々気の弱いところはあっても心優しく、才覚にも溢れていた。何より彼女が持つ黄金の魔力光は、見る者の心を惹き付けて止まないとても美しいものであった。

 魔力光は、本人の生まれ持った性質により決まっており、どのような手段でも変えることはできない。

 通常はその魔力光により、得意な魔法の属性が何かを見定めるものだが、アリアは他に類を見ない黄金の魔力光を持って生まれてきたのだ。

 王妃となった際、その類稀な魔力光は彼女の象徴として、民の心を明るく照らしてくれるだろうとも思った。

 だからファウスト国王は、幼いアリアを自分の息子の婚約者にすることに、疑念を持たなかった。

 女性にとって、王子の婚約者となり王妃となる未来を約束されるのは幸せであるはずだと、疑うことはなかった。


 それが愚かな過ちであったことを知ったのは、婚約から数年が経ちアリアと再会した時のことだった。

 優しい微笑みを浮かべていたその顔は人形のように凝り固まり、瞳からは生きる者の持つ活力がまるで感じられない。そんな、人形のような少女となってしまっていた。

 問い掛ければ、答えはしっかりと返ってくる。受け答えそのものは、王子の婚約者としてふさわしい淑女そのものであった。

 だがそこに心は感じられない。ただ与えられた役目を振る舞い続ける操り人形でしかなかった。

 彼女をそのような姿にしてしまったのが己だと悟った時、ファウストは大いに嘆いた。こんなつもりではなかったのだと、天国のマリアに詫び続けた。

 

 過ちに気付いた時には、アリアは既に王子の婚約者として他の候補者の追随を許さない頭角を現しており、今更アリアを婚約者から外すことを、周りは良しとしない状況となっていた。

 それでもアリアを婚約者の身分から解放して、自由を与えるべきだと考えたファウストだが、その脳裏にひとつの恐怖がよぎった。

 もしも、幼き日より与えられた役割を突然失った時、彼女はどうなるのだろうかと。取り戻した自由に喜んで、幸せに生きてくれるだろうか。あるいは――糸を切られた操り人形のように、今度こそ心を失って壊れてしまうのではないだろうか、と。

 一度過ちを犯した自分が何かすることで、これ以上アリアを苦しめてしまうことを、ファウストは恐れてしまった。

 

 結局、周囲の家臣の説得されて――そう自分に言い訳をして――アリアの婚約破棄を見送ることになった。

 アリア自身が成長と共に心に折り合いをつけて自分の心を取り戻すかもしれない。そう、彼女に身勝手な期待までして。

 時は瞬く間に過ぎ去り、懸念していた魔法学園も波乱なく卒業式を迎えて、これならば大丈夫かもしれない。そう安心していた。

 

 そんな矢先に行われた、自分の息子による婚約破棄。そして、アリアの失踪。

 報告を聞いた瞬間、ファウストは意識を手放しそうになる程の眩暈を覚えた。

 けれど自分などよりも余程大きな傷を心に受けたであろうアリアのことが気掛かりで、ファウストは学園の騒動からひたすらに動き続けていた。

 国内に目撃例はないか。彼女が実家以外に身を寄せそうなところはないか。ひとつでも手掛かりがないかと。部下に指示を出して探らせ、その報告を纏め上げる。


 しかし調査の開始が遅れたこともあり、アリアに関する情報は何一つ見つかることがなかった。

 魔法通話で彼女本人に連絡を取ろうにも、通話には専用の魔道具が必要であり、双方が所持していなければならない。

 仮に持っていたとしても、アリアが魔道具を起動させていなければ、こちらからはどれだけ連絡を送ろうとも反応させることはできないのだ。


「……もしや、本当に国外……人間領へ向かったというのか」


 統一国家であるメギストス王国の国外となれば、それはもう人間が支配する大陸しかない。あるいは魔族領の未踏の地に潜伏しているのかもしれないが、彼女が学園で行った宣言を考えれば、前者である可能性の方が高いかもしれない。

 人間とは百年前の人魔大戦の頃から今日に至るまで、戦争は行われていない。個人で人間領に忍び込む者、あるいは魔族領に踏み込む人間はいるが、大規模な戦闘に発展したという記録は王家にも残されていない。

 故にアリアの捜索のためでも、表立って魔族を送り出すわけにはいかない。部下達の中には人間に反感を持つ者も多い。下手にそのような者達を人間領に送り出せばいらぬ騒動を巻き起こし、人魔大戦の二の舞と成りかねないからだ。

 人間領の捜索を行うならば、少数精鋭――あるいは目立たず、人間への反感に駆られない者に行わせるしかない。

 ファウストは寝不足で痛む頭をなんとか働かせながら、適任となる者はいないかを人員表に目を通して調べ始めた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ