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婚約破棄から始まる英雄譚


「アリア・ブラックローズよ! 貴様との婚約を破棄する!」



 自分になされた一方的な宣言に、アリアが抱いたのは嫌悪ではなく感心であった。

 感情に任せて身勝手な願望を言い放つ男の姿を、今までになく好ましく思う程に。



「貴様がリゼル・エレニックに行った悪意ある行為の数々は、あまりに貴族らしからぬ蛮行である!

 よって婚約を破棄した後、貴様は国外へと追放処分とする……申し開きはあるか!」



 アリアの婚約者であるその男の名はレイス・メギストス。この国――メギストス王国の第一王子だ。

 彼の傍にはリゼルと呼ばれた少女がいて、怯えたような様子でレイスの腕に寄り添っている。

 だが、レイスには見えない死角であるからだろうか、勝ち誇ったような嘲笑を浮かべてアリアへ向けている。



「……くっ、くっはっはっは」



 対して、アリアと呼ばれた少女は戸惑うのでも憤るのでもなく、堪えきれぬとばかりに笑い声を零した。

 いじめを行ったと糾弾を受けた際、彼女はそれをきっぱりと否定した。しかし、まるで聞く耳など持たれなかった。

 王子の婚約者として選ばれてから今日まで、レイス王子に相応しくあるようにと自分を磨き続けることを強要されて、人生を縛り付けられてきたというのに。

 ただ王子が別の女性に恋をして、その恋人の狂言に乗せられたというだけでたやすく断ち切られてしまう程度の束縛でしかなかったのだと理解すると、おかしくて仕方なかった。



「申し開き、か……ふむ、では少し語らせてもらうとしよう」



 アリアは自分が謂れにない罪に問われているというのに、堂々たる姿で王子の声に応える。

 彼女の返答は無実の罪を訴えることでも、リゼルへの糾弾でもなかった。

 ――王子が好き勝手するのなら、自分だってもう遠慮などしてやるものかと、思うままに叫ぶ。



「欲望の赴くままに突き進むその姿こそ、魔族の王を継ぐに相応しい!

 婚約破棄、快く受け入れてやろう! 汝の思うがままに悪行を成すがよいぞ!」



 レイスの行いの肯定、であった。理不尽で的外れな断罪を受けているというのに、アリアはそれを承知したと芝居がかった言葉で宣言する。

 一方、己の行いを認められたというのにレイス王子は、アリアの物言いに異を唱えるように叫び返そうとした。



「悪行を働いたのは貴様では」


「リゼル・エレニックよ! 汝もまた魔王の妻となるに相応しい!」



 しかし、上機嫌のアリアの声に遮られてしまい、レイスの言葉は誰にも届かなかった。

 自分の名を呼ばれて、びくりと恐怖に身体を震わせる――アリアはそれが演技だと見抜いていたが――リゼルに対して、アリアは褒め称えるように声を張り上げる。



「己が野心を満たさんがために王子の心をかどわかし、婚約者を貶めてその座を奪おうとするその行い、実に魔族らしい!

 最近の魔族はやれ品格がどうの礼節がどうのと、まるで人間の真似事ばかりで本来のあるべき姿を忘れているが……汝のような悪女が王妃となるのであれば心配は無用だな!」


「あ、悪女だなんて……私は!」



 アリアの言葉に心を痛めたかのように涙を流して、両手で目元を覆い隠すリゼル。

 しかしその口元が愉悦に歪んでいるのをアリアは見逃さなかった。

 おそらくはリゼルは、アリアが自ら墓穴を掘っているとでも思っているのだろう。



「アリア、貴様……これ以上リゼルを罵倒するのであれば、最早容赦はせぬぞ!」


「罵倒などしておらぬ、むしろ私は彼女を尊敬すらしておるぞ? ここまで後先を省みぬ刹那的な生き方は、私にはしたくともできなかったのだからな」



 古来の魔族の生き様をこそ尊ぶアリアにとっては、今の魔族社会の有様は歯がゆいものだった。

 人間のことを忌み嫌いながら、まるで人間社会の模範であるかのように規律を重要とする今の魔族社会は、本来の魔族があるべき姿からは程遠かった。

 欲望を満たすためならば家族をも裏切って蹴落とすことが常識であったという先祖達が見れば、今の魔族達は軟弱に過ぎるのではなかろうか。アリアにはそう思えてならなかった。

 だがらこそ、愛に溺れて己の欲望に忠実に生きようとするレイスも、王子を愛欲に溺れさせて意のままにしようとするリゼルも、アリアには好ましいものであった。

 そこに自分との婚約破棄が絡んでいなければ、諸手を挙げて拍手喝采を送っていたかもしれない。彼らの恋愛劇の果てに幸福が待っているとは、欠片も思わなかっただろうが。



「私は荷物を纏め次第、魔族領より出て行こう! レイス殿下よ、婚約破棄の正式な手続きくらいは己で行えるな?」


「……正式な手続きだと?」


「私達の婚約は両家の当主により交わされた契約だ。王子であろうと婚約者の一存で破棄することなど不可能。

 私からの破棄もできぬし、疎ましく思っていたが……このように公の場で宣言したのだ。自ら両家を説き伏せるくらいは覚悟のうちであろう?」



 周囲を見渡せば、式典の参加者達がざわざわと囁いている。

 魔法学園の卒業式典である今宵は、卒業生達が学生最後の日に語り合う大事な日である。

 当然、参加者の人数は非常に多く、レイス王子の婚約破棄の宣言は皆の知るところとなった。

 和やかなパーティの雰囲気は変わり果て、最早元に戻ることはないだろう。



「き、貴様は……俺への嫉妬で、リゼルに嫌がらせをしたのでは……?」


「ふむ、そういうことになっているのか? 以前までの殿下にはまるで魅力を感じていなかったぞ。先程の欲望と敵意が溢れる様には、少々ときめいたがな」



 アリアが思ったままを伝えると、レイス王子は唖然とした様子で立ち尽くしていた。

 言いたいことは伝え終えて満足したアリアは、さっさと会場を後にすることにした。



「お集まりの諸君! 魔族とは斯くあるべきと示したレイス殿下と、その妻となるリゼル嬢を見習い、立派な魔族となっていただきたい! みなの門出にふさわしい催し物にて栄えある悪役に選ばれたこと、嬉しく思うぞ!」



 婚約を破棄されて国外への追放となるというのに、アリアは実に楽しそうに笑っていた。

 魔族領は統一国家であり、国外追放とはすなわち魔族領からの追放――人間界への放逐、だというのに。

 理不尽な罰を与えられて尚、朗らかに笑うアリアの心境を誰もが理解することができず、困惑した表情を隠せずにいる。

 そんな群集へとアリアが一歩踏み出せば、人波が左右にざあっと散らばり、自然と通り道が出来上がる。

 それはさながら花道のようであった。アリアは「うむ」と満足そうに頷くと、その花道の中心を堂々と歩いて、会場から退出した。



  〇



「アリア、お前には失望した……貴様などブラックローズ家から追放だ!」



 荷物を取りに自宅へと戻ったアリアを出迎えたのは、父親からの罵倒であった。

 しかしアリアはまるで傷ついた素振りなど見せず、微笑みすら浮かべている。



「それは助かります。急いで国外へと向かわねばならない身ですから、引き留められては面倒でしたから」


「くっ……強がりおって! どうせ本心では親に縋りたくて仕方ないのであろう? そのために屋敷へ戻ってきたのだろうが!」



 喚きたてる父親に冷ややかな視線を送りながら、アリアはさっさと二階の自室へと向かう。

 父親が追いかけてきていたが、彼は長年の不摂生により肥え太っており、階段でひぃひぃと息を切らせながらアリアに追いつけずに何事かを叫んでいた。

 彼の叫びを無視して自室へと入ったアリアは、ドレスを脱ぎ捨てて身軽な服へ着替える。お忍びで町に出掛ける際に愛用していた私服だった。

 他にもいくつかの着替えを身繕い、魔法の鞄に収納する。空間を拡張する魔法が掛けられた鞄には、見た目以上に物を詰め込める。日常品としてだけでなく旅においても実用可能な、外出の必需品であった。

 

 姿見の鏡を見れば、そこには公爵令嬢のアリア・ブラックローズではなく、ただの少女アリアの姿が映っている。

 幼少期より、王子の婚約者そうしょくひんにふさわしくあるように整えさせられていた身体は、皮肉なことに飾るべき王子の姿より洗練された淑女に育っていた。

 夜空に浮かぶ満月にも劣らぬ黄金の輝きを放つ髪は、先程まで螺旋状に巻かれたツインテールであったが、今は解かれている。令嬢の間で流行の髪型だから真似ていただけで、本当は自然なままの形にしておくのがアリアの好みだった。すらりと真っ直ぐに伸びた彼女の艶やかな髪は、それだけで見る者の心を惹く美が宿っている。

 肩にかかっていた髪を手の甲で払うと、窓から射す月光を浴びて、きらきらと光を弾きながら踊るように黄金の髪がなびいた。

 美しいのは髪だけではなく、全身くまなく見渡してもその美貌に隙などない。次代の王へ捧げられる芸術品としてふさわしくあるようにと徹底して磨かれてきた肉体は、精巧な人形のように歪みのない美を体現していた。


 服の用意を終えたアリアは、机の引き出しから鍵付きの小箱を取り出した。その小さいながら豪華な装飾が施された箱を開けば、亡き母親の形見であるネックレスが仕舞われていた。

 形見のネックレスは淡く魔光を纏っている。ただの装飾品ではなく、魔術の施された一品であった。

 学生生活には不要と実家に置いていたが、これだけは手元に置いておきたいと思って取りに来た。

 旅支度と、形見の回収。アリアの実家への用は、それで全てだった。


 部屋を出ると、ようやく父親が部屋の前に辿り着いたところだった。

 無理矢理アリアを掴もうとしたのか手を伸ばしてくる父親。アリアは彼の手を掻い潜り、手すりを乗り越えて階下へと飛び降りる。

 二階から飛び降りたその身は、しかし重さを感じさせない動きで優雅に降り立ち、物音さえ立てなかった。

 アリアの背から生えた漆黒の翼が、彼女の身体を緩やかに下降させたのだった。



「ま、待て! アリア!」


「待てなどといわず、力尽くで待たせてみせればいいのでは?」



 言いながら、今の父親にそんなことは無理だろうなとアリアは思った。

 妻の死後、心の空虚を暴食と快楽で埋めようと求め続けたことで肥え太り、娘が婚約者に選ばれてからはその権力に縋りついて堕落し続けてきた今の父親には、まともな戦闘など行えるとは到底思えない。

 今だってアリアを睨みつけるだけで、魔法のひとつも唱えようとはしない。拘束するための魔法なり何なり、娘を止めるための手段などいくらでもあるはずなのに。

 何の妨害もなく、アリアは玄関へと辿り着く。最早追いかけてこようともせず娘を罵倒するだけの父親を一瞥して、アリアは扉を開いた。



「さようなら、父上。昔のあなたのことはそれなりに好きでしたよ」



 欲望を満たすために足掻く姿は魔族らしいと好ましく思っていたが、そのための力と手段を己ではなく他者に求め始めてからの父親はひどく醜いと、アリアは落胆したものだ。

 魔族なら己の力で野望を勝ち取るべし。それを信条とするアリアにとって、今の父親の姿には侮蔑しか感じられない。

 扉を閉じる瞬間に垣間見えた父親の顔は、見るに耐えない醜いものであった。

 最後に、アリアは自分が生まれ育った屋敷に視線を向けた。

 幼い頃には、まだ楽しい思い出だってあったはずの我が家だ。今生の別れともなれば涙でも流れるかと思ったのだ。



「……何の感慨も浮かばないな」



 しかし、アリアは涙どころか、別れを惜しむ気持ちも湧いてこなかった。

 目の前にあるのは、確かに自分が生まれ育った屋敷であるというのに。

 悲しみなど欠片も浮かばないのは、遥か昔にここが己の居場所ではなくなっていたからであろう。アリアは自分の感情にそう結論付ける。

 

 母が病に倒れ、帰らぬ人となるまでは確かに自分の居場所だったと思う。

 しかし母の死後から父は過去の幸福に縋りつき、二度と取り戻せないと理解してからはひたすらに欲望に生きる存在となった。

 ただひたすらに富を浪費して暴食に走り、金に群がるだけの女を抱いて飽きたら捨てる。

 欲望を浸るその姿は確かに魔族らしかった。しかし先祖から受け継いだブラックローズ家の遺産を食い潰すだけで、自らの力では何もしようとしなかったのは、どうしても好むことができなかった。



「さようなら、ブラックローズ家。私は今日この日から、ただの魔族として生きていく」



 アリアは別れの言葉を呟くと、翼を大きく広げた。

 力強く羽ばたけば、身体は軽やかに宙へと舞い上がる。

 瞬く間に彼女は遥か上空へと辿り着き、メギストス王国の王都を一望できる程の高度にまで達していた。

 まるで興味の湧かないレイス王子の婚約者として縛り付けられて生きてきた、生涯出ることの叶わないと思っていたその王国は、鳥の視点からすればひどくちっぽけなものだった。

 自分の意思ひとつでたやすく出て行ける檻に、ただじっと留まっていただけの人生。これまでの自分がそんなつまらないことに人生を浪費していたのかと思うと、ひどく腹立たしかった。



「さようなら、メギストス王国。私はもう、檻に留まるだけの鳥で終わりはしない」



 故郷に背を向けて、翼を今一度羽ばたかせる。

 今度はひたすらに前へ、前へ。風を切り裂き進む身体は、心の枷を振り払ったからか、ひどく軽やかに進んでいく。

 背後を振り返れば、最早王都は影も見えない。

 きっともう、二度とその姿を見ることはないだろう。





 零れないはずの涙が頬を伝い、風に吹き消されて飛び散る。

 きっと、風が瞳を撫でたせいだろうと、アリアは自分に言い聞かせた。



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