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法失き世界の人の道  作者: 大洲やとこ
第一幕 凡人の歩幅で
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2-7.しののめ


 西港町ディサイ近郊の農村でケントロは産まれた。

 職業選択だとか移住の自由などない社会。小作人の子であれば同じ生き方をするほかにない。

 田畑の収穫は村長が管理し、お上に租税として納める。小作人の家にはわずかにしか残らない。


 食い物と寝床があるだけよい方だ。

 寄り集まって生きる農村の住民は、不埒な略奪者に対して団結して戦う。住処を守る。

 はぐれて生きていけるだけの力のない人間にとって、地域組織(コミュニティ)に所属するのは生存の為の必須条件。


 土地は全てお上のもの。

 農民はそれを借り受けて食物を育てているのだから、租税は当然のこと。

 とはいえ、育ち盛りの男子であれば腹は減る。


 ケントロの親に限らず、農村の住民も山に簡易な罠を仕掛けて小動物を獲ることがあった。川は農業用水でもあるので他人の目が多い。

 お上の山に生きる獣も本来お上のもの。勝手な狩りは許されない。

 獲れた獣も本来なら肉の七分を村に収めるのだが、持ち帰らずそのまま食してしまうこともあった。

 日中は農作業や夫役(ぶやく)――水路や街道整備などの労働税――で時間が取られる為、夜半や夜明け前など。


 穀物を都に搬送に行き、灰息病を患って帰ってきた父はもういない。

 ケントロは生前の父と食べた森兎の肉のうまさを覚えている。

 夜遅く、山中で小さな火を囲んで食べた森兎は最高だった。



 アユミチは食が細い。あんまり食べない。

 アユミチの酒瓶は、貴族様が口にするような極上の飲み物を与えてくれるから、貧民の粗食なんて口に合わないのだと思う。

 カヨウが色々と工夫しようとしているが、捨て森には醤油も塩もない。潮風で葉っぱが少ししょっぱいくらい。


 心配だった。

 ケントロよりずっと大きなアユミチだ。お腹だって空くはず。

 嫌になって捨て森を出て行ってしまうかもしれない。


 肉があれば喜ぶかもしれない。


 捨て森には大型の肉食獣はほとんどいない。捨て森の肉はヘレボルゼの餌だから、主食が肉の獣は邪魔なのかもしれない。

 主に木の実を食う汚れ熊が最大の獣。危険な動物で言えば毒蛇がいるが人間を食うことはない。

 森兎や土鳩(つちはと)なら、罠で捕獲できるはず。

 ケントロは、イサヤとコーダ、メッソと一緒に集落近くのあちこちに罠を仕掛けてみた。



 アユミチに礼をしたい。

 灰息病にかかり苦しんできたケントロを助けてくれた恩人に褒められたい。


 他の子供たちとは別にこっそりと、少し集落から離れた場所に罠をしかけた。

 俺が獲ったんだって自慢したかった。


 土鳩は飛ぶのが苦手な鳥で臆病。集落の近くにはあまりいない。

 森兎は夜によく動く。罠にかかるなら暗くなってからかもしれない。

 集落にケントロの身寄りはいない。もう死んだ。

 雑魚寝状態の丸太小屋にケントロの姿がなくてもいちいち気にされないはず。



 夜遅くまで待っていた。

 ついうとうとして、夜明け近くになっていた。空が白じむ。

 何かの気配で目を覚ます。草を掻き分ける小さな生き物。目当ての森兎に違いなかった。


 やった。

 帰ったらアユミチに森兎の肉を食わせてやれる。


 剥いたドングリを転がしてあるところの小枝を踏めば、その横の枝が連動して倒れて蔦で編んだ網がすっぽりと被さるようになっていた。

 つい息が荒くなってしまったのがよくなかったのだろう。

 森兎はドングリの果肉――実際には子葉――の匂いに引かれて近づいてきたが、そこで足を止めてしまった。


「――」


 ああ、もうっ!

 声が出そうになるのを我慢して木陰から睨む。

 じっとしているのに汗がにじむ。

 ケントロは洟垂れ小僧だ。アユミチにもちゃんと顔を洗うように言われた。顔形は悪くないんだから、と。

 アユミチは綺麗好きらしい。嫌われないようまめに水浴びをするようにしよう。


 見栄え良くしていれば女神様に会わせてくれると言っていた。

 今のところメッソのことを気に入っているようで、ちょっとくやしい。

 女神様に会ってみたいのはもちろんだが、アユミチの役に立ちたい。うまいジュースももっとほしい。



 我慢、我慢。

 焦って獲物を取り逃さないようにじっと我慢。


「……?」


 警戒している森兎の耳はケントロの方を向いている。

 気づかれているのか。だとしてももう二歩前に踏み出してくれれば。


「っ……」


 前にばかり集中していたケントロだが、ふと気づく。

 森兎の耳が向いているのはケントロではなくその後ろだ。背後に何かの気配がある。息遣いを感じる。

 明け方前の森の中。木々の間から差し込む薄っすらと白い光に、森兎は何を見ているのか。


 後ろに、大きめの獣。

 穴猪(あなしし)か、悪ければ汚れ熊か。木の実や根っこを食う獣だけれど、場合によっては肉も食う。

 たいして肉もついていないケントロを食っても腹の足しにならない。そう思ってくれないか。



「……アユミチ兄ちゃん」


 震えて我慢していたのに、声が漏れてしまった。

 ばっと走り出す森兎と、それにつられて前に転がり出るケントロ。


「あぅっあばっ」


 ばさぁっと覆いかぶさってきた蔦の網が運悪く足に絡まった。

 慌ててそれを蹴りのけて逃げようともがくけれど、余計に絡まる。


「あっあっ……」


 自分が隠れていた木陰の後ろ。

 転がり、背中をずりずりと地面に擦り付けながら後ろ向きに這いずって。



「あ……あぁ……なんだ」


 ほっとした。

 まだ昇る前の薄い白光に照らされた相手を見て、はぁぁと息を吐いた。


「あ、その……ごめん。アユミチ兄ちゃんに兎を獲ってやろうと思って……」


 安心してから、しまったと思う。

 ケントロ一人で誰にも言わずに抜け出して夜を過ごした。その現場を見つかった。

 とりあえず言い訳というか。アユミチの為の行動だと言えば許してもらえるのではないか、とか。

 言い訳を聞く相手は足に蔦を絡めたままのケントロに歩み寄り、そっと手を伸ばす。


「平気だよ、このくらい一人で――」


 夜明け前の白い光の差す森で、指を、ケントロの首に伸ばした。



  ◆   ◇   ◆


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