1-14.できることだけ
『私の力、貸してあげようか? アユミチ』
どうしようもない状況になってから差し伸べられる手というのは、どうしてこう胡散臭いのだろうか。
今の今まで何も言わなかったくせに。
返事に迷ったアユミチの胸中を察したのかノクサが続ける。
『他の人もいたし、アユミチが変な独り言してたらおかしいって思われちゃうから黙っていたのよ』
迷うアユミチに対して、正面から相対するバズモズは怯える獲物を見るように蔑む笑みを浮かべるだけ。
ノクサの声が聞こえていない?
「お前の声って俺にしか聞こえない系?」
『たぶんそう』
「何言ってんだぁお前?」
バズモズの反応でも確認できる。
黒アゲハの妖精ノクサ・リージュは別にひそひそ声で話しているわけではない。だけどバズモズにはまるで聞こえていない様子。
ブローチに擬態しているから姿は見えるのだろうか。どちらにしても声はアユミチにだけ。
ぶつぶつ意味不明な独り言を言っていたらオカシイ奴だ。正気を疑われるかもしれない。
「どうにかできるのか?」
『できるよ』
「できるわけねえだろ、バカかてめえ」
「あーうるさい黙ってろ!」
ノクサの返事と重なるバズモズの返答に苛立つアユミチに、ノクサはくすくすと笑いながら囁く。
『アユミチの時間……アユミチの寿命をノクサにくれるなら、ね』
「寿命って?」
「おお、おめえの寿命なら今日までだなぁ」
「くっそうるせえ」
イライラするが、なるほど。人前でノクサと会話していたらこうなるのも仕方ないわけか。
今この瞬間だけはバズモズが悪いわけではない。むしろアユミチの独り言に応対してくれているくらい。
もう勝負は決まったとみて、余裕で息を整えながら焦るアユミチを眺めていた。
『アユミチの寿命を一巡り……一年ちょうだい。それだけ、ね♪』
一年だけ。
以前ならその申し出に迷ったかもしれないが、今は別に大したことじゃない。
寿命なら千年に延ばしてもらった。レーマ様に感謝だ。一年譲るだけでこの状況を打破できるのなら。
「いいぜ、ノクサ。俺の寿命を一年やるよ」
『わかった。じゃあ頑張って』
「は?」
「わけわかんねえ奴だな。もういい、ぶっ殺す」
頑張って、とは?
どうにかしてくれるんじゃないかと言いたかったが、バズモズの方はもう待ってくれそうにない。
河原の小石を重く踏み、低く構えた姿勢から猛然と突っ込んできた。
「ちくしょう!」
「ばあぁぁっ!」
変な雄たけびをあげながら突進してくる巨体は止められない。どうしようもない、破れかぶれな気持ちで木の棒を思い切り突き出した。
悪あがきにしかならない一撃。
ただ死に物狂いで。
バズモズの左腕がアユミチの突きを振り払って、振り上げた右拳を叩き落そうと――
ドドドドドドッドンッ!!
打楽器を打ち鳴らすような震動が全身に響いた。
と同時に、ずるりっと肉に滑り込む感触。何かを打ち砕く手ごたえと一緒に前につんのめる。
バズモズの体に飛び込むような格好に――
「あ?」
「べ、え?」
木の棒の先端を振り払ったはずの左腕がはじけた。
丸太のようなバズモズの左腕がはじけ飛び、そのまま胸筋の奥まで木の棒が突き抜ける。貫く。
突く時に踏み込んだ河原の石も砕け散った。
「な……に、が……?」
「げ。べふ……?」
何が起きたのか、疑問だったのはお互い様だったろう。
血泡を吹きながら倒れたバズモズの巨体から、ずるりと血まみれの棒が抜ける。
命を奪う感触は、バズモズの蛮行をのぞき見た時ほど気分の悪いものではなかった。
当然の報いだ。
左腕は肘当たりで骨ごと砕けて千切れ、背中まで抜けた穴から血まみれの臓物がぞろりと垂れている。
鋭利なものではなく、鈍器で体をえぐられ、貫かれたような死体。
『一年分、ね』
肩のブローチが光ったかと思うとノクサが姿を形作り、アユミチの鼻に唇を当てた。
約束の一年分。
『もらった寿命の分、ひとつだけアユミチのすることを叶えてあげる。なんて言ったらいいのかな? アユミチの動作ひとつだけ一年分やったことにしてあげる、みたいな?』
「動作……」
『そ、ひとつだけ。今の全力がむしゃら突きを一年間毎日続けた感じ? 他の時間はぜんぶノクサがもらうの』
一年間、毎日。
渾身の突きを繰り出したことにしてくれた結果がこれ。
踏み込んだ石は割れ、突き出された木の棒が敵をぶち抜いた。
一瞬で365回――この世界が365日周期か知らないが、とにかくそれくらい同じ場所に全力の突きを食らえば、鉄板でも穴が開くだろう。
水滴が岩を穿つように。
一撃ずつならせいぜい痣ができる程度だったろうが、数十を重ねれば肉が裂け、百をこえれば骨が砕けて。ごりごり削るようにバズモズの体にめり込んでいった。
『今年の暦は虚週がないから364回分かな。毎日、アユミチがその棒でえいっえいって力いっぱい突いた感じだと思って』
「俺が……そう、か」
『逆に、どれだけ寿命をもらってもアユミチができないことは実現できないけどね』
打楽器を連打したみたいな手ごたえを感じた自分の手を見て頷いた。
一日一回、ただ全力で突いただけ。
一年分の寿命をそれで消費したと考えると割りに合わないのかもしれない。まあ千年分のうちだから。
一年どころか命をなくすところだったのだから不満などない。
「助かった……助かった、ノクサ。ありがとう」
『こちらこそ、ごちそうさま。これでノクサの力がわかったでしょ』
レーマ様からもらった折れない木の棒だったのも幸いだった。
初期装備、折れない不思議な棒。
もっといい武器がほしいと思ったが、素人のアユミチが持つにはこれがちょうどよかったのかもしれない。
助かったと思ったら、腹から力が抜けて――
「う、く……」
「あ」
自分のことでいっぱいになりかけていたが、呻き声を聞いて思い出す。
バズモズに襲われていた女の人と、他にも転がっていた小さな死体が。
「あの、だいじょう……」
「かふっ、う……ひ、っく……」
岩の下に倒れていた女性は、口から血を流していた。
成人女性。あばらの辺りが明らかに変な膨れ方をしているし、他にもあちこちひどい腫れ。
顔はすでに土気色で生気がない。
「ノクサ! どうしたらいい?」
『どうしたらって言われても、ノクサは治癒魔法なんて使えないよ。アユミチもそうでしょ』
「だけどこのままじゃ」
『アユミチにできないことは手伝えない。さっき言ったと思うんだけど』
「くそっ」
たぶん肋骨が折れている。内臓にも損傷があるのかもしれない。
他の怪我も含めて、医者でもないアユミチには何をどうすればいいのかわからない。
わかったところで医療設備も何もないここで治療もできるわけがない。
『無理よ。治癒魔法使いがいても、もう無理』
「そんな……」
「こど……こどもだけ、は……たすけ……」
「!」
はっと周りを見回す。
倒れていた小さな死体は彼女の子供だったのか。
バズモズに襲われて、せめて子供だけは守ろうと抵抗したのだろう。
「子供さんは……」
『この子たち生きてるよ、気絶してるだけ』
ぴくりともしない。殺された死体だと思い込んでいたが、気絶していただけ。
鼻血を流して倒れていた十歳かそこらの男の子と、それより少し大きな女の子。姉弟だろうか。
「大丈夫だ。子供さんは無事だ、大丈夫。あのクソ野郎はもういない。大丈夫だ。大丈夫だから……」
「あ、あぁ……」
虚ろな目で、だけど安堵の声を漏らす女性。
気の利いた言葉が出てこない。大丈夫、大丈夫って。それくらいしか言えないアユミチに震える手を伸ばした。
「イサヤを……おねが、い……」
「わかった。大丈夫だ、イサヤは大丈夫だ。俺が……」
「ありが、とう……おねがい……」
握った手から力が抜けるのを感じた。
ただ重いだけの手。重みだけが残された手を強く握りしめて頷いた。
「ごめんなさい……俺が、イサヤを……大丈夫だから、ごめん……」
目の前で人が死ぬ。
王蠍に殺された盗賊もいたけれど、あれとはまるで違う。
浮かれていた。
女神様に轢かれて死んで、だけど神様の力で新たに生きる機会を得て、浮かれていた。
自分が英雄でもなんでもないただの小物の凡人だと思い出して、情けなくて泣いた。
◆ ◇ ◆




