1-10.夜の黒蝶
『人間が倒せるわけがないのよねぇ。こんなの』
黒アゲハの妖精ノクサ・リージュはパタパタと大サソリの残骸の周囲を飛び回ってから、呆れたように肩をすくめた。
『星枢鉱並みの外皮で武器なんて弾き返しちゃうし、魔法もほとんど効かない。関節を切ると猛毒の血を噴き出すようになってるし、鋏も足もすぐ生え変わるんだから』
「ボクの考えた最強の魔獣かよ」
『それよそれ。大昔に神同士で喧嘩してた頃に誰かが試しに作ったのね、きっと』
神様同士の争いの時代があったのか。
今は他の神様はいないってレーマ様が言っていたから、過去にはいたということになる。
仲良く世界を管理していたわけじゃないのも想像に難くない。
『神から見ればちょっと面倒な害虫程度だけど、他の生き物からしたら手の付けられない化け物でしょ』
「そんなものどうして……」
『動力なくて転がってたのを利用したみたい。ここに封じられてたノクサを餌にして起動した魔術士がいたの。動いた王蠍に最初に食われたんだけど』
「なんのために利用しようなんて考えたんだ?」
『さあ。神の遺跡から持ち出して動かしたくらいだから、操れると思ったんじゃない?』
起動させた魔術士の動機などノクサは知らないという。
「君が封じられていたっていうのはなんで?」
『えー? そんなの言わせないでよ、バカ』
「教えられないってことか?」
『別に大したことじゃないよ。ちょっと悪さしたりして、あっちこっちと仲良くしなかったから封じられちゃっただけ』
自業自得だったらしい。
小さな少女の体で妖しげに微笑むノクサを見れば、そうなんだろうなと納得させられる。
「悪さって可愛く言ってるけど、お前もこのサソリみたいに俺のこと食い殺すとか?」
『やだぁもう、そんなことしないわよ。せっかく久しぶりの契約者様だもん』
「契約?」
『さっきしたでしょ、口づけ』
「一方的じゃん」
『目の前にいたのがあなただけだったんだから仕方ないでしょ。王蠍のせいでノクサの霊力も空っぽだったんだから』
それに、と。
すぅっとアユミチの鼻先まで近づいて、赤い瞳でアユミチの目を覗き込んでくる。
『よろこんでくれてたみたいだけど』
「……まあ、少し……すっげぇ可愛かったから」
『あらあらぁ、アユミチってばかわいーのね。ノクサもご主人様に悦んでもらえて嬉しい』
美と戦の女神といった印象のレーマ様とは真逆の、夜と月の黒妖精みたいなノクサ・リージェ。
スレンダーな体系で少女のように見えるが、妖艶な雰囲気が見かけ通りの年齢ではないことを教えてくれる。
『安心してね。ノクサはアユミチの同意なしで対価を要求したりしないから』
「そういうのが怖いんだが、勝手に魂取ったりしないってことでいいんだな?」
『そうよ。アユミチがノクサの力を借りたい時だけ、アユミチがくれる分だけもらうの』
「なにを?」
『刻喰って言ったでしょ。アユミチの時間をもらうのよ』
「よくわかんないけど」
『必要になったらわかるでしょ。口で説明してもわからないと思うし』
それ以上の説明をするつもりはないのか、ふわふわと大サソリの残骸の方に飛んでいった。
とりあえず問答無用で頭から食われるわけではないというのを信じ、しつこく聞くのはやめておく。
ノクサにどういう意図があるにしても、女の子からキスをしてもらったのは初めてのこと。初めての女の子、それもとびっきりの美少女に嫌われたくない。
「にしても……なんで俺、そんな化け物を倒せたんだろう? レーマ様の酒瓶のおかげなのか?」
『アユミチさっきも言ってたけど、レーマってレーマ・ルジアのこと?』
「ああ、そうだ。俺はレーマ様に救われて別の世界からここに来たんだよ。今日」
『救われ? なに、レーマって趣味変わった?』
「それについてはたぶんお前の認識が正しい。レーマ様は成長しきっていない男児が大好きだ」
百年以上昔に封じられたノクサは、レーマ様のことも知っているのか。美少年大好き女神とでも伝わっているのかもしれない。
その伝承とは適合しないアユミチにうろんな目を俺に向ける。
「この向こうの神域……うん? なんか方角わかるな。とにかくレーマ様の神域に美少年を届けるのが仕事だな」
『本物……みたいね』
アユミチがレーマ様の性癖を知っていることで彼女の認識と一致して、ほら吹きではないとわかってくれたようだ。
『連れて行ってどうするの?』
「そりゃまあ、お楽しみなんじゃないか? 月が満ち欠けする間に一人って約束だ」
『そういうコトね』
納得したと頷いてから、人差し指を立てて可愛らしいジェスチャーをして見せる。
片目を瞑り、悪戯っぽい微笑みで、
『あんまりレーマの名前出さない方がいいと思うよ』
「そうなの?」
『ノクサもずっと封じられていたから今がどうか知らないけど、いがみ合ってる神の信者とかも多かったはずだもの』
「あー、敵多そうだもんなレーマ様。わかった、さんきゅ」
こちらの世界の事情がわからない以上、トラブルになりそうな話題は避けた方がいい。
宗教対立は怖いし根深い。
ノクサの忠告をありがたく受けて礼を言うと、ノクサはくすっと笑った。
『王蠍を倒せたのは月の力ね』
「月?」
『そ、月光。無敵の装甲だけど月光を浴びるとクラゲみたいになっちゃうの』
沈みかけている満月を指して、
『今夜が満月だったのが幸いだったのよ。普通だと夜は地面深くに潜って出てこないんだけど……そっか、ビストニダの恵みね』
「なにそれ?」
『その酒瓶のこと。持ち主に必要な飲み物を尽きることなく与えてくれるはず。世界が続く限り、ね。王蠍が夜も忘れて夢中になった理由もわかったわ』
なるほど。
持ち主、つまりアユミチが助かる為に王蠍が夢中になる酒で水たまりを作って、それを飲み続けていた王蠍は月光を浴びてぐにゃぐにゃになっていた。
『タイミングは運だったにしても、王蠍の頭を思いっきり吹っ飛ばしたのはさすがアユミチだわ』
「え? 俺がぶっ潰したのは尻尾のあるケツの方だけど?」
『あれ尻尾じゃなくて一体化した口と鼻よ。だからちゅーちゅーするんだし。逆にハサミの方を殴っていたら、肛門から噴き出したウンコと猛毒の体液を浴びて死んでたと思うんだけど』
「うぉ、あっぶね!」
制作者の悪意強すぎるだろ。渇きの王蠍。
背後に回ったつもりで偶然化け物の顔面を殴り潰したことになっていた。
確かにぶん殴った時に反対側から体液が噴出していた気がする。それにしてもこの世界の女神も妖精もウンコワードの使用頻度高くないか。
『人間がこれを倒すなら、天雷の葬槍【ケラヴノス】か尻鞭【イスカプラク】でもないと無理でしょ。ケラヴノスは使った人間が死ぬけど』
「一応、方法はあるんだ。犠牲ありきで」
『ケラヴノスが海の底から拾われていて、使えるだけの英雄が命と引き換えにすればね』
色々と教えてもらっているうちに空が白み始めてきた。
ノクサは見た目通り夜型なのか、ふわぁぁと眠そうに大きなあくびをした。伸びた二の腕も可愛い。
レーマ様と違ってノクサは面倒くさがらずに色々と教えてくれる。助かる。
偶然でもなんでもここでノクサと知り合えたのは幸運だ。
よくわからないが契約者になったみたいだし、鼻にだけどキスもしたし。ちゅって柔らかな唇の感触は鮮明に残っている。
「とりあえず……これからもよろしく、でいいのかな? ノクサ」
『ふふっ、末永くよろしくね。ノクサの御主人サマ』
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